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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
田舎とロシアとオーガニック
2022年05月20日
田舎のじいさんばあさんが自分可愛さに次の世代を詰まして食い物にしようとしてるから過疎化みたいなケースもある、そういうのが田舎的な繊維業界でもよくあったりして、70とか80の人のどうしようもなさを繊維業界では感じることも多い。中にはもちろんできる人もおられるが自分でものごとを前に進めて行ける人というのは本当に少ない。楽しく普通に生きてゆきたいみたいないわゆる戦後の団塊の世代思想、それは戦前の人たちが命を自分の命や人生をなげうって他の人を守ろうとしたのとはまったく逆の世界で、結局は、ロシアの若い兵士たちが死んでゆくのと死んでゆくのと同じような話があったりして、今もプーチンは70過ぎてもロシアの戦線の20代の兵士の覚悟もなく健康問題で癌治療とか。焼かれて死んでゆく20代のロシア人の命とプーチンの命とどちらが大切かといえば、20代の若い兵士たちの命のほうが大事だと人生経験があるものなら思うだろうが、政治の世界では逆だったりして犠牲になるのは次の世代。

けども、政治というのはそういうもので次の世代を食いつぶしてなんぼ、他の国を苦いつぶしてなんぼの世界。堕落した人間が政治に集りまともな人間を食いつぶしてまさにテロそのものなのだけど、多くの人の命が犠牲になりながらも、SDGsを謳っている国連組織すらもが機能をしていないのが、国連の利権主義的なSDGsの闇そのもの。人の命というのは自分が殺されるとなるといくらでも払うからそれに便乗するのが政治社会で国連のSDGs体質。国連のSDGsにしても弱者をまもるというよりも、いままでやっている別に悪いことでもないことを難しくして弱者をさらに追いやるというようなトータルなソリューションではないところがある。たとえば綿栽培を否定しながら再生ペットを綿に混ぜるのをエコだといいはじめたりしているが、混紡ってまさにマイクロファイバー天国そのもので、再生ペット混になっちゃうとあとの処分すら産業廃棄物でも困るような問題をスルー。なんかクリーンディーゼルみたいなことやって強制的により良くない新しいものに移行させて経済的な金儲けを回すようなフシがある。

田舎社会の年よりの無責任などうしようもないのと同じのが、政治体質の国連のSDGs体質そのもので自分可愛さの上から目線の損得勘定のSDGsだから悪いものを加速するような方向にしか向かわない。オーガニックと謳っているものがどこまでエコなのかというと、営利主義で、虫も住めない場所での栽培を無理やりするから水不足や地盤沈下とか。従来の栽培を否定して、余計に問題をもたらしているのが、従来のものを否定するようなオーガニック思想で、アホだと思うのが再生ペットや再生ポリエステル繊維を混ぜてオーガニックとか、オーガニックじゃないやんそもそもリサイクルという概念、あるいはサステイナブルという概念だったら通るかも、でも明らかにオーガニックではない要素。どこまで現代社会の毒の後片付けを問題のない素材に入れ込んでも儲けたいオーガニックなのかということ。利益主義的に大掛かりにやってる人たちがやばくなりすぎて、繊維の地道な本質すらもを食いつぶしてしまうような、大量消費大量生産型のオーガニックは普通の製品よりも実体はブラックボックスでやばいのが普通。国連もウクライナ問題で無茶苦茶なロシアを放置でウクライナ人だけでなく戦いたくない殺したくない若いロシア兵も含め多くの人が死んでしまっている。ロシアの年配者たちの多くはプーチン寄りで、かつての力のあったソ連に思いを馳せている感がある。気の毒なのはロシアの若者たち。ロシアはネット遮断などしてロシア国内の情報統制なども行い始めているし、デモなども集まってはできないなどやれば投獄されるなど独裁国家そのもの。

オーガニックコットンにしても本来は、ハンドピックしている人たちを大事にしようという概念があったのに、オーガニックコットンの無農薬とかにだけ固執して、資本力と機械技術で、大量生産型のオーガニックコットンをあふれさせハンドピックしている人たちを消し去ったフシがある。また、ハンドピックするのが過酷労働みたいなことで悪く駄目な話に今はなってしまっている。農家の基本的なことすらも悪となって、どこがオーガニックコットンなのだろうと、やはり巨大資本が絡むと本質すらもがなくなって薄っぺらいものになってしまう。本来はハンドピックしている人たちの生活を作業を評価して高く買って救おうというのがオーガニックコットンの目的だったのに、オーガニックコットンが高いから安く売る方法を考えるばかりの日本的の大手資本主義思想のオーガニックコットンにどこまで意味があるんだろうというか、オーガニックコットンの価値があるとされるハンドピックとの世界をつぶしてしまった。もとの良いイメージの世界が広がるのではなく、広がるのは別物の世界で、新たな場所での新たな産業ということ。逆に従来の場所でやっている昔ながらのオーガニック綿栽培を価格競争で淘汰してしまって、そういう人たちの生活はどうなるんだろう?長く続いて人々を支えてきた場所の産業をつぶして新しい場所に導入してどこがサステイナブルなのか?