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リネンや麻を織る日々をつづっています。
リネン日記
2022年07月12日
昨日、専門家の方と話をしていて、林与という会社は小さな会社だけども仕事の種みたいなものというのはそれなりにこの15年ほどでも撒いてきて、仕事していて余力があると種を撒くみたいなところは、やっていきたいなあと思う。種といいながらも私にとっては自分が織物の業界にいて興味のあることを実現したいようなことを麻布という形で実現するような形だったりするので、かなり自分自身の織物に関する疑問みたいなものに答えを探し出してきたようなところがある。どんなことをやりましたか?みたいなことで、20くらいは通常の織物工場とは異なるアプローチで取り組んでそれなりに育った種も多いなあと感じた。

自分が作った織物でも、最初はあんまりかなあと思っていて、そういう試作をそれなりに洗いを掛けたりして残しておくと、しばらくすると自分自身がその布を見る目も変わってくることもあったりする。代替が、無理無理に作った織物で織るのが難しく断念したような試作とか失敗だと思っているようなものが、やっぱり後でこれは面白いみたいな部分を感じたりする。

私がやったプロジェクトでも短いものは2週間くらいで答えが出てきたり、長いものは3年とか5年とか、その時の余力のあるかないかで、プロジェクトの解決速度も変わって来る。一つのプロジェクトをつくるってすごいことのように思えたりもするけども、一つの本生産や依頼される見本とかのほうが現実的にはすべてが正しくないといけないので仕事としては高度であったりする。

だから、私自身は普通にみえるお客さんの求めるものを毎回毎回正しく作れるくらいの力があれば自分で自由にモノをつくっていくことはそう難しくないと感じていたりして、車の両輪のように今ある仕事をこなしながら、それをさらに発展させたような織物や、まったく違って見える織物など作ろうと考えたりで、売れる売れないにかかわらずに技術的な問題にぶつかってみながらそれを解決して織物の形にしていくみたいな。

出来上がったもの以外に、技術的なことへの理解の深まりや、今まで織れなかったものを織れるようにするためにはどうすればよいのかとか、なぜ織れないのかとか、織れる織れないの境界線あたりで時間と体力を使っていろんなことをやってみるというのは経験値を上げる結果になる。器用な人というのは私のやっていることを見て意味を理解して自分も出来るようになるという、ものづくりの一番普通のアプローチに近づく。そのアプローチというのは、布を見た時にどうやってつくってあるとか自分で自然と想像を広げるアプローチにも近く、そういうアプローチが出来る人というのはどんどんと前に進んで行けるタイプではないかと思う。

私自身、織機が正しく動いていたものが正しく動かないときに一番最初に原因となるのが織機自身ではなくて、作業している人が何か変わったことをしてしまった可能性がないかを尋ねる所から始める。変わったことをしていれば、それが原因である可能性が非常に高く、なければ、織機を普通に動かしてみて違和感がないのか、どうか。