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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
よもやま話
2022年08月12日
昨日は京都から青土さんがこられ進行中の案件を煮詰めに、全員それなりに年配?なのでバブルのころを知っていて、そういう時代もあったよなあという不思議な感覚だったりするから、ある意味、みんな今の時代の感覚で生きているというような辺りを感じる。

私も倉庫にある手績みの糸を手織り機で準備して織ってみたいなあと思う思いがあって、経糸の件、横糸の件、その糸が使えるのがそれが普通なのか聞いたりもできて、できそうな感じなので、一度10月のイベントに向けて手織り機の1台を立ち上げてみようかと思う。

倉庫の手績みの糸は糊付けされて、昭和27年の新聞にくるまれて箱に入っている。昭和16年の戦争が始まってから、麻織物はぜいたく品として禁止されたので、戦前につくられた手績みの糸が行き所がなくなり、林与の与一爺さんが在庫をすべて買い占めたものではないかと思うほどの量。林与の戦後の絵絣の近江上布は紡績の糸を使っていたので、与一爺さんは江戸時代以前の上布の再現用に買い占めたのではなかろうかと思う。赤苧大絣とよばれるものが、赤味のある味わいのある色で、その世界に使う糸なんだろうなあと思う。

10月の大阪のイベントで織れたら楽しいなあとまた、10月末まで工場の中の仕事で手いっぱいなのに、また要らないことをやろうとしている林与がいたりする。そういうプロジェクトにしても、林与の夢的なものではあるけども現実性のある夢の一つ。なぜ当時の糸が今もよい状態で残っているのかというと、糊付けをして新聞紙にくるんであるからというあたり。

その倉庫の奥の押し入れの中で、林与の数万枚の戦後の近江上布のアーカイブも見つかった。技法的な部分がそのデザイン性を引き立たせていて、色柄の日本的ながらモダンな感じが林与の近江上布の特徴で、特に染に関しては色の深さなど林与らしい特徴がある。私でもいまその与一爺さんの世界に迫れるのかというのとその1枚にすらもなかなか及ぶことができない。

与一爺さんは、近所のそれなりの方がいわれるはキチガイだったと、それほどに怖く周りから恐れられていた人だったが、農村で農業しかなかった村で、近江上布を織ってもらうことで、大卒並みの現金収入をもたらした。与一爺さんの芸術的な要素と、勘平爺さんと勘一爺さんの愚直な仕事による染の要素、そして親戚を中心とした村の人たちの織の要素。厳しくないと日本の一番の売り場で通用するようなものは難しいから、その厳しさゆえに裕福な村は裕福になりえたのだろう。私が今みても林与の近江上布の完成度からして今の時代にはない厳しさが見て取れる。大島紬のち密さとは違うような、揺らぎの世界のなかに感じる厳しさみたいなもの、当時の人の人生観みたいなものが感じられるのである。

実際、展示会などのイベントなどでも、近江上布アーカイブを心が和むと見せてくださいと500枚ほど絵を2時間とかじっと1枚1枚眺めておられた方もいままで何人もおられた。布が語り掛けるような世界があって、私もその布が語り掛けるを感じることができるタイプなので、そのあたりが仕事をしているうえでも織物の技術だけではないデザイン的とか感性的な部分。林与の近江上布はぎれにしても残してあったのが奇跡みたいな資料ではある。それも与一爺さんのものづくりへの思いがあったから。林与ロゴも与一爺さんのつくったもので、林与の外の上の空いたカッコは、一で林与を囲んだデザインなのである。林与一という名前だから、林与ロゴができたのであって、他の名前だったら林与ロゴも存在しなかったかもしれない。