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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
台風
2022年08月13日
台風というのは日本では大風(おおかぜ)と昔は呼んでいた。中国では台湾のほうからの風ということで台風だったらしく、それが持ち込まれて、日本でも台風と呼ぶようになったという説が有力というか、他にそれらしい説明がないのが台風。

日本だと大風(おおかぜ、タイフウ)で良いのだろうけど、中国文化というのは江戸自体までは日本の行政に大きな力を持っていたと思う。よく言われる科挙の制度なんてものは、今の日本の公務員制度の原型のようなところで、現代日本の理想とするモデルが古代の中国モデルであるのも階級社会的なものをどう維持してゆくかという、古代の中国の為政者が人々を強固に縛った中国の知恵が現代の日本の行政にも生きているのだろう。

そういう岩盤的な役人組織をつくって、それを支配することで、統治者が意のままにアンタッチャブルな世界で統治する。統治者というのは欲の塊でそういう岩盤的な役人組織をトップダウンで利用して、国民の切実な思いをくじいて国民を苦しめ意見も言えないほどに弱体化させ、従わせることで力を増して、自己の名誉欲とか権力を増して行く、それは歴代の王政でもよくある末期状態の階級社会。

日本の良いところは、宮中行事で稲作や機織りがあったりして、トップがそれを実践するところからという地道な日本の礎。今の政治家たちにはそういう礎を実践する気持ちもないどころか踏みつぶすばかりで、日本の人々が幸せになるという心の文化が政治家たちの欲によって失われてゆくのを感じる。

損得主義の浅い世界に身を沈めてしまうとそこから抜け出すことは本当に難しい、それが人間の一生の人生観だから、頭が良いとか賢いとかでほかのまともに働く気持ちを見下してそれにゆうどうすると、なにがおこるのかというとまったく成り立ちもしなくなったのに、今度はそういう成り立ちもしない人たちが欲にまみれて正しいと死ぬまで業界を食いつぶそうとするような世界が広がる。

林与にしても、私が先代の驕りの世界を封印して正常化で、先代の撒いた驕りの世界が私を食いつぶそうと来るのを、ほんと年だけ取って人間として駄目な人たちを、一人一人正していくようなところから。分かるのは自分の親でもそんなもので地道に働くを馬鹿にして儲け話ばっかりで逆に鴨的な田舎の旦那衆の典型。それが見えずにどんどん落ちてしまうのが田舎的な地場産業で本質すらも失いがち。

林与が産地偽装とか品質偽装をしたくないのはその辺りで、産地偽装、品質偽装すれば何億でも簡単だけども、損得ばかりじゃなくプロとしてまともな世界を守りたい。私は実際繊維の世界の人間でもないとう外からの目があるから、それは大手企業が繊維を見る目と同じ様なところで、一番くらいにそこに地場産業が価値を感じないと地場産業の価値すらもないんじゃないかと、先代や人世代前の人たちとでも喧嘩するも当たり前なのが林与という個人だったりする。ものづくりに関してとか働いて答えを出すということに関しては、働き始めた25年以上前から、ひと世代前以上の覚悟は当たり前でやってきたから、
看板商売を勧められる方も多いけども、林与が損得に走ったときには、何十年も熊本のアサリ規模の被害が広がる。熊本のアサリもほんの数%だったけども本物の産地産を守っているのがあるのが救いで、それがなくなれば地場産業自体が信じた地場産業なのに偽装とかではお話にもならない世界。

小さな世界なので、日本の麻糸の流れすらもすべてが教えてもらえるような麻の世界、偽装があったらすぐに分かるのだけども、偽装そのものが商売である業者さんも多い。半年以上在庫糸を持つなという業者もあって、営業マンに麻糸の販売をノルマ着せられて売らないとクビになるとかだと騙してでも機屋に売るのが仕事になる。そうするとすごい謳いの糸が素人な麻糸もしらない機屋さんに回ってアイリッシュリネンに化けたりで、関西はそれなりに昔からのまともな繊維な商売だけど、関西以外からはありえない話で林与でも2000年以降はいくら探しても手に入らないアイリッシュリネンが出回ってそれが、高値で最高のものとして売りさばかれた、林与はすべての裏を知っている存在なので本当にそういう麻業界の儲け主義に走るばかりの裏を正したいなあと思っていて、それはまさに熊本のアサリの儲け主義な産地偽装そのものな世界で、それが日本の麻業界ならリセットが必要な話。

産地偽装で儲けたい日本の麻業界の体質は消費者偽装そのもので、糸がどこで紡績されているとか、布がどこで織られているとか、本当の産地要件を偽装して消費者を騙して高値で売り抜けたい業者さんが多すぎるけど、それがその業者さんの商売なので変わることはない。林与は日本の麻織物の本場というだけでなく、本場で一番麻織物にこだわって来たという意味でそれが駄目ならもうつぶれたほうがマシなのじゃないかと思っていたりもする。それほどに、本場の産地産の本物志向を貫くのは難しい。

麻織物の歴史を本当に知っておられる方なら私との話も普通に出来たりもするのだけども、麻織物研究家レベルだとスポンサーがお金出してくれなかったら辞めるとかで、なんで70の爺さんが学生レベルで業界を支える気持ちもないのかと、林与のことも知られない話で、私におたくは誰の世界。麻織物の世界で林与をしらないのは、明治にさかのぼっても難しい話で、外村家、外与家さんなど、市田さん、伊藤忠さん、丸紅、森吾商店など、明治大正の時代の日本の麻織物業界の知識もないのが残念で、林与自身は、まだお付き合いが生きていたりしてそれは昔の歴史の話じゃなくて家やその後継者の方との日本の麻業界がゼニゲバにならないように昔ながらのお付き合いみたなところ。林与の家も旧の愛知川町の麻織物の歴史を書かせて頂いているような家だけども、私以外にそういう昔のことを知っているような人は、私の話することは旧の豊国村の近江上布の世界を育んだ織元の話として、非常に慎重に貴重な話と聞いてくださる。

5年ほど前に私にお会いされてその研究家の方も近代麻布的な麻織物の世界というのが、数軒の麻織物の織元によって生み出されていたのだということに気がつかれただろう。60番手クラスの大麻のプリント布を最高級と謳われていたのがすごく違和感で、組合にある100数十番手を超える絣の国宝級のものに目がむかいのが、麻布を見る目がまったく駄目で、柔らかいものがすごいというのは洋風テイストで、江戸時代などは硬いしっかりした麻布こそが高級だったというような基本的な麻布の価値感すらもなくでは本当に麻布の歴史を語るにも厳しい話。