2022年12月15日
林与の麻織物の仕事というのは、成り立たないことはないけども、成り立ちにくい仕事だなあと思う。普通の考えで普通にやっていてはたぶん受け入れにくい仕事であって、特別な考え方で考えて成り立たせようとして成り立つような仕事。それはたぶんエコとかエシカルに近いような考え方なのかもしれないのだけど、エコとかエシカルのように努力目標的なものではなくて、仕事というのは受けるからには義務的な責任部分も大きく発生するので、その重荷みたいなものに耐えられるのかどうかというところ。
耐えられないと思えば、難しいことは辞めて簡単なできることに絞っていこうということになって、流してやるような仕事か受け身的な仕事になるだろう。私自身のやっていることは、私がやるからできているみたいなところが大きくて、他の人がやってもできないことが多かったりする。たとえば、リネンデニムの立ち上げとか、他の人でも1週間とか立ち上げられなことはないだろうけど、それを1日で繋いで織れるところまで確実にもっていくとか、問題が深くて織れなくなったときに、そこから織れるように持って行けるかどうかとか。
林与の場合にも、もちろんできないこともあるけども。それでも、動くときには、出来るだろうと思ってとりあえず、問題を解決しようと全力で動くので、やっているうちにできることが多い。まったく織れないと思えるようなものが最後何事もなかったように織れだすことが多く、丸一日とかぶっつづけでやった結果が実るようなことは多い。
今の仕事は、普通の先染めの仕事ではないことが多く、糸加減の微妙なバランスで織れたり織れなかったりすることが多かったり、企画を2割から3割上げた織機の織れるギリギリのところで織っている織物が多いので、織れないことが多かったり、キズが多く出たりする。キズが多く出る織物をきれいに織るにはこれもまた普段の仕事の正確な処理が大事で、糸切れを毎回直しながらキズにならないように織っていくという作業が確実にできないと、ボロボロの布が織りあがるだけ。
時には、1m織るのに10回くらい止まる織物もあるけども、そういう織物でも最後商品となって流れていくように極力キズが許容範囲に収まるように織るとか。そういうのは、織っていてもすごく大変だったりするけども、そういうのを当たり前に受け止めて普通に乗り越える作業の安定性と精神の安定性みたいなものが大事だったりする。自分との戦いみたいなところがあって、毎回毎回の糸切れ処理で、正しく織機を自分が思い通りに動かせないと駄目だったり。
新しい人たちや、経験者でも慣れで考えずにやっている人たちには、毎回毎回それを理解しようとして乗り越えられるかみたいなものが問われるので、目の前に仕事があったときに、出来ないで終わるのか、やってできたで終わるのかの大きな違いがあって、最初の1回目からの話があとあともずっと続く。出来る人は最初から出来るし、出来ない人はいつまでもできないみたいな、毎回、毎回、結果を出せるか出せないかの違いみたいなものがある。結果を出せれば高度なところで仕事が続いてゆくけども、結果が出せなければ初歩的なところで仕事が続いてゆく。
高度なところで仕事が続いていると余力が生まれてくるのだけども、初歩的なところで躓いてばかりいると余力もできなく問題にぶつかってばかりになってくる。私自身が仕事をしていても、織機を使って正しく織物をつくるのには、ここまで理解していないと正しく織れないのかと思うことも多い。正しく織れなくなったときにどうやって正しく織れるように戻すのかというあたりは、ほかの誰かが解決してくれるのではなくて自分自身で解決できないとそれは自分が仕事していることにはならない。ここまで書くと厳しすぎて、たぶん普通の職人と呼ばれる人たちでも無理な世界に近いのだけども、普通に機場にいる人たちでは今の仕事がやっていても難しいのはそういう壁を乗り越えないあたりで仕事をしているのが普通だからなんだろうと思う。
普通に安全な範囲でものづくりをしていればこういう問題もないのだけども、日本がまだ発展途中だったころはそういうモノづくりでもよかったのだけども、日本の繊維業界が成熟して海外からでも普通に良いものが安く手に入る時代になってしまうと、日本でモノづくりして残っていくためには特別なものをつくれるような高いレベルでの仕事が必要で、壁を乗り越えた向こう側の世界でのものづくりが大事なんだろうと思う。普通だったら諦めるようなことを普通にこなして行くような。この仕事の成り立ちにくいのは、そういう割り切りがあるのかないのかというあたり、そういう割り切りのある人たちとなら超えられない壁も最初の1回から超えていけるだろうし、経験の積み重ねも何倍にも増えてゆく。でも、今の仕事の普通の感覚だと、本当に成り立ちにくいあたりなんだろうと思えるけど、安くて良いものがありふれている時代の中では10人がやって10人ができるようなことをやっていても駄目で、10人がやって1人か2人しかできないようなことをやっているようでないと仕事としてなりたたせてゆくのも難しいんだろうと思う。