2023年05月08日
日本の国というのは2000年ほど前のことがあまりよくわからない国だったりする。日本という国はヤマトコクと古代いわれたけども、山の都から来ていると思われる。今は平野が広がっているけども、2000年前というのは平野がほとんどなくて山か海かというような状況が普通だった。平野といってもそこに定住できるのかというとひとたび川が氾濫すれば押し流されてしまうような山の国だったのである。
山の国の都という意味がヤマトコクなんだろうと想像する。それはヤマタイ(ト)コクと同じ意味で、倭国、和国、尊称としての大和国に通じる。古代の奈良が大和国としての位置づけだけども、西日本を中心に大和国は広がっていたということであろう。
大国荘というのが滋賀県の湖東地域の古代の呼び名だったりもする。それも大国というのも大和国に通じていたと思われ、なぜか、条里制が敷かれていたのが今は田舎でしかない近江の湖東地域。都の条里制とは異なり、田を管理するのための条里制だったのだろうか。
古代の近江国の国としての位置づけが案外上位だったりするのが不思議ではあるが、大津京にしても天智天皇による飛鳥からの遷都で、近江の国も都となるような素養があったのだろう、そのために敷かれた条里制だった可能性は高いとは思うが、それ以外にも、神仏信仰が非常に深い地域が近江湖東地域だともいわれ、大津のほうでは、近江神宮があったり、比叡山延暦寺があったりと、日本の古の文化においては近江というのは短かったかもしれないが最先端だったときがあったのかもと思われる。
伊勢神宮なども小学生の修学旅行で有名だし、伊勢講も残っていたりはするが、江戸時代から講師と呼ばれる宿の業者さんたちが、全国を回って伊勢神宮にお参りするのをPRして回ったことが、いわゆるお伊勢さん参りという風習につながっている。滋賀県にも多賀大社があるけども、お多賀さん参りはあまり聞かないのは、PR活動が少なかったからだろうなあ。お多賀さんはひっそりと佇んでいる感じ。神社や神宮は有名なところでも無料が普通で、お寺は拝観料を取るところが多いなあと思う。赤福餅が全国的に有名で、糸切餅がそれほど有名でないのも、寺社そのものの知名度の他にも、加速させる人という要素があるんだろうなあと思う。