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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
切れないハサミ
2023年05月10日
林与の工場の中には切れないハサミばかりが転がっていて、他の人に作業を手伝ってもらうと糸を切ることから苦戦されることが多い。私がその糸を切れないハサミで普通に糸を切るので驚かれることがあるけども、私はどんな悪いハサミでも力加減で使いこなせ糸を切ることができる。それほどに糸を切るにしてもコツがある。

糸を通すにしてもコツがあるし、糸をさばくにしてもコツがあるし、筬を通すにしてもコツがあるし、糸を結ぶにしてもコツがあるし、糸を繋ぐにしてもコツがあるし、コツの塊みたいなものだから仕事が苦も無くできるんだろうと思う。

変にコツばかりで出来上がってしまっているので、普通の人とは作業しても合わないことが多かったりする、作業のペースや動くスピードなんかも普通の職人さんの3倍くらいはあるだろうし、働いている時間も無制限に近いし。仕事の範囲も5人分くらいあるだろうし。普通はあきらめることでも諦めないでやってしまうことも多い。

ハサミを使いこなすコツみたいなものが結局全部に共通するような要素何だろうと思え、それで時代遅れの織物工場も成り立っているんだろうと思う。そういうコツを抜きにしてしまうと、今時の工場になるのだろうけども、そうなると織物の仕事自体が難しいと気が付く話になる。

昨日、織機の立ち上げで私が繋いだ後のぐちゃぐちゃの糸をさばいてドロッパーと飾りを通してそれを弟が前で取ってくれる作業。私が弟にそうじゃなくてこうやってというのも、弟はその意味が理解できなくてなんで弟のやっている方法が駄目なのかというのを聞いてくる。その理由というのは私が作業がしやすいかどうかというあたりで、作業しているときに他の糸や飾りなどが揺れ動いたりしないことが大事で、そうでないと私が問題の糸を見つけられないから。いうことを聞いて作業してくれると仕事が何倍も速くスムーズに進められる。弟は理解してくれるのだけども、普通の人というのはそれを理解できずに自分の中で自分のやり方がなぜ間違っているといわれるのだという戦いを始めてしまう。なんで自分はこのほうがやりやすいと思うのに自分のやり方が駄目だといわれるのかというところでパニックになって、従うか従わないか、作業するかやめるかにつながるような問題に発展してしまう。引き下がらないタイプで作業そのものを投げ出す人というのは厄介そのもの。経験者とやっていてもよくありがちな問題で、経験者の陥りがちな問題というのはそのあたりで、応用性や柔軟性が大事だったりするのだけども、固定概念や一つのやり方にとらわれすぎて、できることが限られてしまい、それがモノづくりを難しくしてしまったりする。高いレベルで早く上手に成り立つようにやっていくためには、全体を分かって従える人が大事だったりして、自分の主張を消して他の人のいうことに従える人というのは能力が高い人なんだろうと思う。日本が昔はみんなが集まって高度なものづくりができたのもその辺りだったんじゃないだろうか、それが海外から見ると脅威だったというのもあるだろう。

野球とかでも自分がアウトになるのに犠牲フライとかバントとか。犠牲になって本人はアウトになってもチームが勝つみたいなのを理解しないと、チームとしての勝利は難しい。個人記録のほうが大事なひとよりも犠牲になってもチームを勝たせることを大事に思える人が大事で、他の人のために働ける人というのは一枚も二枚も上だと思う。

才能や才覚で食べていけるような人もいないこともないだろうけども、それは本当の実力主義の世界で将棋の世界や個人スポーツの世界に通じる所で、能力の高い人はそういう生き方もあるだろうけど、それは、何千分の1、何万分の1だから価値があるということ。

コツの話に戻ると、地道に作業を極めることでコツを身につけて、いろんなコツを身につけて他ができない織物ができるとか、ものごとを極めるということはそういうことではないだろうか。コツというのは適応能力とか応用とかの要素で、普段から負荷の高いレベルをこなしていれば応用というのは利きやすい易いと思うけども、技術だけじゃなく市場性のあることに適応してゆかないといけないので、考え方に柔軟性と守備範囲の広さが大事だろうと思う。