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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
和紙の糸
2023年05月24日
和紙で作られた糸というのがある。林与もというより、私は昔からそういうのにも興味があったので、細い糸を作る技術が出来た当初にテスト的に試してみたことがあって、糸が手に入ってから織ることは数日で出来た。

でも、その糸を販売している人にしても大事なことは教えてくれないもので、その織りあがった織物を私がテストすると致命的な欠点が見えてしまって、加工にも出さずに断念した経緯がある。帯など特殊な用途には向くだろうけども、一般的な衣料には向かないというあたりがある。

糸を代理店的に販売している人たちもそういう点に関してはまったく知らないで販売をされていることも多く、プロの世界というのは用途は様々なので、話題性だけに飛びついて商品化したりすると一般の消費者が購入して使われたときには大きな問題となることも多い。

林与のストール生地などで洋服を作られたいというデザイナーさんも今まで何十人もお会いしたけども、実際に洋服にしてみると分かることも多い。ストール生地はストール用に作っているというのが林与の考え方で、洋服に使うと失敗することも多い。

また、本麻手もみの100番手などもパンツなどに使うには番手的に強度が足りないと考えていたりするので、60番手くらいの生地が良いだろうと考えている。そういうアドバイスはデザイナーさんがつくるものを想定されて話をされると、ボトムでもスカートならOKでも、しゃがんだ時にお尻に負荷の掛かりやすいパンツは辞めておいた方がよいという話なども多い。

止めてもやってみるとやられる分には、私自身反対もしないし自己責任でやられるというならそれはご自身がテストなども含めて活用方法を考えるという上では良いことだろうと思う。

私も、分解されて自然に返る糸というのを手に入れた。それを織物にしたいなあと思いつつも、100%では織ることが難しいといっておられ、ポリエステルとかと撚糸すればつかえるとの話だけどもそれだと洋服を土に埋めた時にポリエステルが残ってしまうので、100%で織りたいのである。だから、手に入れてそれを100%で織ってみたいと思っている。

麻を織る技術が他の新素材を織る技術に生きることも多かったりする。今のものづくりの現場に足りないのはものづくりへの探求心みたいなところで、大企業にありがちな事務的でビジネスライクな感覚では距離は広がってゆくばかりで、現場志向で物事を考えてゆくとものづくりが広がることが多かったりする。ものづくりへの理解というのは大事で、仕事やってマイナスというのが当たり前というのを理解しないと新しい物事というのは成り立ちえない。それでいて新しい物事を次々にやろうとすると、問題はだれが解決するのかという根本的なモノづくりの問題につながってしまう。

企画というのはトータルな循環が成り立ちえないと難しく、ミクロ的な考えに陥ると一つのボトルネックがすべてを成り立たせなくする要素になる。ボトルネックとなる要素を解決する力が企画にないと駄目だろうとは思うし、誰がやっても無理なものは無理だろう。出来る人がやってできるが限界というのを知らないと、机上の理想を言ってても現実が分かっていないと現実のリスクを吸収できないとものごとは成り立ってゆかない。

今もキッチンクロスの新案件で、企画される方との話し合い。素材の性質から取り扱いや企画の話までデザインだけでなく、製造工程にともなうリスクの説明とか、オリジナルをつくるという意味のリスクの高さなどの理解がないと、普通を超えたオリジナルのものというのは提案も難しかったりするところ。仕事としてやっていても、ビジネスライクになると成り立ちえないことのほうが多かったりもする。

私自身はビジネスライクな方とはご縁を断ることも多かったりで、普通とは違うとよく言われ、ものづくりの本質を守りたいなあと思う気持ちは多かったりする。ものづくりしているといいながら、なぜ、ビジネスライクなことばかりが優先されるのかというようなミスマッチ。

日本のものづくりを守るためには自分が限界まで働いてみる必要があって、自分の限界がものづくりの本当の限界で、それ以上のものを余力をある人たちが仕事で求めても無理だというのも普通の話。理想を求める人ほど、自分の理想を他の人に強いて求めてしまうというのが、仕事やものづくりの世界でもありがちで、普通だとそういう話はご法度だけども、私自身はそういうのをものづくりしている方々やモノづくりを謳う方々と共有したいと考えていたりする。それがモノづくりの価値観を生む本質的なところ。

繊維関係でも大企業ほど意識もせずに優良を謳いながら一番の搾取的になりがちなのが、日本の繊維業界にありがちでそれが世界的な問題にもなっているのが日本の繊維業界の問題あたり。エコノミックアニマル的な感覚でモノづくりのこだわりを謳ってしまうと素人未満や途上国の現場の覚悟未満で意識もなく搾取が当り前のビジネス感覚でエシカルを謳ってしまう日本の儲け優先のいわゆるホワイトな優良企業に陥る話。

林与自身は自己犠牲の極限でモノづくりの究極を目指しているケースの一つだとは思う。日本の麻業界の一角を覚悟もしているから一人でもそれなりに支える覚悟もあるし、日本の麻業界の誰とでも普通に話もする話だし、ものづくりの感覚がサラリーマンライクに薄くなっては、日本の麻業界の根本すらもが難しい話だったり。

近代麻布研究家の方にも、日本の麻業界を背負う覚悟決めましょうよというのが私で、スポンサーがいないとやめるよと言われるので、日本の麻業界に自分の人生を捨てる覚悟もないならやめておいた方がよいよと普通に助言するのが私だったりもする。それが日本を騒がせるような麻の企画だったりもする裏側でそれじゃダメなんじゃないのかと、覚悟を決めないと難しいんじゃないのというのが林与。毒がありすぎて、誰もが仕事すらも逃げる話、それが林与の日本の麻織物の一角を実際にこなすことで背負っている林与の家の歴史だったりもする。ものづくりというのは自分自身の覚悟がすべて。