2023年10月12日
商売としてものづくりにこだわる人たちでも布とお金とを比べるとお金のほうが当たり前に大事で布というのは残らないほうが良いと思う人は多い。ある布のお店の方の奥さんが、布はどんどん増えて行ってしまうと言っておられた。それを聞くと布に思い入れがあるのだろうなあと思う。作っておられる方でもないのに個人として好きでやっておられるからそうなるのだろう。お金よりも布のほうが大事な感覚だと布は増えていきお金は減ってゆく。
日本のブランドにしても世界的なブランドにしても洋服の在庫を残しておられるところというのは少なくて、その年に全部売り切って処分で売れ残っても処分品というのが多いケース。それって1年で駄目になるようなものでもないだろうに、最初の瞬間最大風速だけのためにあって、そういう最初の瞬間最大風速をいろんな形で続けていくようなコレクションと呼ばれるものでよいのか。人々の注目を集めるコレクション、その目的が儲けになってしまうと、安くできるものにラベルをつけて。
ハリスツイードにしても日本では非常に有名だけどもヨーロッパでは評価がそれほどでもなくヨーロッパで言うところの伝統工芸品的の流れを汲む位置づけ、ハリスツイードの場合にはルールがあることで、布の世界の価値感すらもがハリスツイードの布としての本質すらをも変えつつあるような気がするし、オーガニックにしてもルールがあることでそのルールを守れば、また、バレなければどうかなあというものでも大丈夫という儲け意識に落ちてしまっていて、昔ながらのものづくりを語るのになぜかハイテクノロジー。
昔に戻って価値を詰め込むために労力を注ぐというよりも、良いイメージを活用して、ラベル化して儲けるビジネスに落ちてしまっているような気がする。世界的に環境保護を打ち出しているブランドの話でも、ポリエステルの素材に日本の有名な染色技術の会社の新しい染色技法を適用したプリントを施して、結局、それを記念イベントで身に着けた人たちが皮膚に炎症を起こすような問題があったらしい。
長く続いてきた技法というのはそれなりに人間の耐性とマッチしていたようなところがあって、それをさらにハイテクで代用しようとすると人間にとって有害になる可能性もありうる。ナノ化してゆくと、遺伝子や免疫構造にすらも影響を与えてしまう恐れは多い。
マスク一つ見ても、布マスクというのは空気感染も今まで防いできたし、それなりにコロナにも有効でよくできている。一方で不織布のN95マスクというのは医療関係者用に開発されたもので、1時間2時間しか使い続けることができないものでコロナウィルスを99%除去しようが日常での実用性はない。当たり前のことと言えば当たり前のことで、N95マスクだと自分の吐く水蒸気を含んだ息すらも外に出られずに重すぎて呼吸が難しくなる。布マスクというのは水蒸気に対しても寛容というよりか受け付けるようなところがあって、それで網目がより細かくなり水蒸気が異物をマスク表面で捉え効力を発揮する性質が備わっている。結局程度問題なのだけども、それを0と100の議論で武装して、マスク不要論とかは愚かすぎる話だろう。
マスクの有効性を認めたとしても、まだマスク不要論をやってた人たちというのは気に入らずに、N95マスクでないと意味がないとかいうけども、人の命という問題を最優先にすれば、そういう議論が多くのマスクで防げる人の命をマスク不要マスク有害ルールで奪ってしまってきた。村社会的すぎるが、医学にしても西洋医学というのは東洋医学を化学的に再現しただけで、本来は自然の中に人類が生き延びてゆくような知恵みたいなのが東洋医学で、薬にしてもその文字からみても、草で楽になるという漢方のスタイルそのもの。漢方の薬を真似て特許取って独占して化学合成してやるのが西洋医学の基本。