2023年10月12日
たとえば、縦横高さ58.5cmの箱に荷物を入れて60サイズだからといってクロネコに出しに行くのは、最初から60のサイズの荷物を作ることを心掛けて箱にも入れていたりする。一緒に若い人と行くと、80サイズだったと車に戻って来る。60サイズだからともう一回行って確かめてもらってというと、嫌そうになっている。そしてまた、80サイズだと帰って来る。私が行って、窓口の女性に60サイズだからちゃんと計ってみ、というと、正しく計りなおして60サイズになるとか。
これは残念な話だけど、窓口に向かわせたのが若い女の子だから受付の女性も緊張感がなく適当な計り方、たぶん、私が最初に持ち込んでいたら1回で指摘もするし測り直させるから正しい結果になったとおもう。いい加減に図るのではなく縦何センチ何ミリ横何センチ何ミリ高さ何センチ何ミリくらい、その一瞬でも認識しないような計り方だと正しい計り方なんで言うのはしようとも思っていない。どうせ若い女の子だからオーバーサイズに計ってもそのことは関係のない話だからと思って軽く考えて騙してしまうのだろうけども、そういうのが仕事の感覚になったらビッグモーターと同じでお客騙して金儲け、自分が顧客に守らせる約定すらも違反して利益は増収増益では駄目な話。
このくらいの簡単なことは思った通りの結果にならないと仕事とか難しいと思うが、そういうのも難しいような緩慢で別に監督が必要な話では。多分営業所のボスの指示でワンサイズ上にしろという命令があるのだろうとは思う。佐川もサイズを計ると62とか82とかが多くで、大阪から届くジャケット1枚を畳んで120サイズ以内の段ボール箱の着払いを142cmとして160サイズの着払い料金を請求しようとしてきたことがあって、そうすることで2倍の料金を請求可能だが、あまりにも汚い。うっかりじゃない、騙す気まんまんなのが日本の上場企業でも横行。
林与も生地を切るときには仕方なくキズが含まれそうになるとギリギリの時もあるけども1mなら1mを割ることはないように心がけている、一般的には5%セントくらい大目に1mなら105cmとかでカットすることがほとんど。林与自身、業者に対して厳しい目線で正しいことを追及するだけに、逆に自分自身はお客様に対しての余分的なアロウワンスを与えることが多い。
業者さんにしても用尺が2.3mなら1割くらいのアロウワンスを儲けて2.5mで計算してくれてたりとか、それが普通にロス計算をしていないと成り立たない話なのだけども、そういうロス計算が想定外と思うブランドさんは、一つのキズを直すために何往復もの洋服を機屋に送られるが、そういうのが奴隷的な生き地獄で、林与的には仕事したら一切駄目な相手。何千着もの洋服をつくれば、数パーの問題を想定はしていないと、天然繊維では難しい話で、直しても直しても駄目出しされて送り返される最終商品に往復の送料だけでも1万円以上は当たり前に使う話で、なにの意味があるのかもわからないタダ働きどころか地獄そのものが大企業的な日本の繊維のデフォだったりもして、一生懸命に仕事をしている気持ちも分からずにくみ取らずに駄目出しばかりのブランド運営では相手が駄目と思っていても、議論すらもしたくないから、その仕事だけはなるべく綺麗に片付けて解決したいと思って出来る限り。
私がそう思うのもなにか問題が起こると逆に脅しを掛けてくるような業者さんも多く、仕事をそういう業者さんとすると頼んだことで大事な仕事の首根っこを持たれてしまって、苦しむというのはいろいろと繊維業界で経験してきた昔ながらの繊維業界の体質そのもの。業者さんにも仕事がないから仕事あったらぜひといわれて良かれと思って仕事を出すけども、その前に念入りに色落ちの話もしているのに、結果、色が3分の1に落ちるような問題でも、それは加工で70度のお湯を通すことを想定していなかったとか、それは日本の伝統的な今の繊維業界のレベルの低さそのもので、海外の途上国の染でもそんなことはありえないのだけども、仕事の感覚の違いそのものでお金はお支払いして、展示会サンプルが没になる話を解決してゆく話で、一般の消費者だと服の色が3分の1に落ちるなんてありえないだろうけども、プロはピンキリだから、加工で70度になるのを言わなかった方が悪いという低いレベルの話では100度くらいを想定もする林与としては諦めるしかない話。今は加工工場さんも日本製の持ち込まれる生地の色落ちが激しくて100度を70度に落としてそれでも落ちるような染もあって、昔だとそういう海外で普通に問題になっていた生地の問題が日本製の生地で頻発しているような状況らしく、加工工場さんも地元の澤染工さんの染を色落ちなど安心な染の基準にされているお話でそういうのも分かるのが、日本で最高の麻織物の世界を求め続けて、今はなるべく染も加工も地場での思い。加工工場の会長さんとの話でも加工のことで迷惑を掛けることも多いけど、林与の本気は他にはないと小さな林与を大事に思ってくださっていて相談役さんでも林与の布は特別だからと配慮をいただくも苦言を呈するのもややこしい自分なんてどうでもよいからの林与だから産地での存在息も意義があると思ってる。金儲け主義が一番嫌いで成金的な感覚が一番嫌いで、大企業的な階級思想も感覚も嫌いで、つぶしたければつぶしてくれてもよいとも思うけども、日本の麻業界の重鎮と呼ばれる方たちの人間性すらも林与の個人のつながりとしてあんまり無茶苦茶でだらしない話ばかりやと70代の方々に怒る話も多く、それは本当に厳しい話で日本の麻業界の本気がつぶされ駄目ならいつでもつぶされてやめる覚悟すらあるけども、世界的な麻業界の布の世界のものづくりやと、日本の大手の資本力的なものづくりじゃなく、中国でもこだわりをもった2社くらいが中国の布づくりの麻の最高峰として最後残るだろうと思う。
林与というのはなぜか恵まれてそういう世界的にみた国家のレベルの頂点を目指したい人たちとの接点も商売じゃないところで同業者として持てるのも、林与の布の世界を見た時に布がそういう方々に失われた布の世界の感覚や求めたい布のせかいの感覚を伝えられるからだろうと思う。インターナショナルなブランドさんというのが、安いモノ探しばかりで適正な価格も難しいという現実もあって、ブランドさんの古参のひとは林与の布を見て若いものに見せさせたいとイタリアでも失われたテイストを林与の布からブランドの若い人たちに学ばせたいみたいなこともおっしゃってくださるが、来られた方が10ドル以下の布を探されてて、それは本当に一番今の世界で有名なブランドなのに金儲け主義で本質すらもうしなって、林与では一番安い綿麻のP下の1000円の生地をお勧めするような話は、残念過ぎる。でも、イタリアでも別の世界的には有名だけど日本では無名のブランドの年配の経営者クラスの方が林与の近江上布を見てくださって、さらにイタリアのトップの生地つくりレベルの会社の経営者レベルの方にも林与のブースを見てこいみたいな感じで、そのイタリアの麻の名門中の名門の生地の方が、ブースの外で他のお客様が終わるのをまって、最初に名刺を差し出して、まさに紳士淑女の世界で、いきさつも林与のブースにお越しになられたいきさつもお話されてイタリアの重鎮の方から一度見ておいた方がよいといわれて、林与の近江上布アーカイブやアイリッシュリネンプロジェクト並びにハンガーをどうぞご自由にご覧くださいとみていだだけるのはある意味光栄。
でも、日本の現実というのは最初に描いたクロネコさんとか佐川さんレベルでも金儲け的なだけの存在で、自分で作った約定も守れずバレないと悪用して消費者を騙してしまって莫大な利益を上げていたりとかはアカンちゃうの?なのが国内の大手企業の現実で、大手企業でもそれしか方法がないのかと思いきや、ある食品関係の物流まで自社構築されて1強ながらもの企業というのは、その企業で最高齢の開発者の方が林与の気持ちと同じで、展示会で東京に行った際にでも朝の5地とかなら時間ありますからというと普通に駅に5時過ぎに迎えに来てくださって会ってくださる。それが世界レベルの日本の食品業界を支えている方で、気持ちは同じで、日本の食品業界の同業者が苦しいのを助けながら一本化でそういう同業者の事業も継続できるように調整。同業者同士が競うでなく、日本のその食品業界の謳いの世界も買い支えて続けていけるようにしようとするのが、日本の繊維業界の大手の安い路線で日本のものづくりを高いから駄目だというのとはまったく違うところ。そういう日本の繊維にとっても林与というのは目障りな存在なんだろうけども、本当の日本の布のものづくりを考えるなら林与のスタイルと整合しなければ逆に日本の布のものづくりの世界はつぶれていくだけだろうし。林与は布の世界の人間じゃないのを自覚もしている、だから、見えてしまっていることも多い。ピカソのキュビズムが人間のもつ汚さを美しく見えるモデルたちを化け物化して表したという、現代のモデルの華やかで美しい世界に憧れる人たちの問題にも共通するようなピカソのキュビズム、ピカソもそういう人たちを抱えてしまって死にそうな気分だったんだろうなその中から生まれたのがキュビズムで、化け物に描かれたモデルたちに絵を見てそのことに気がつけというピカソの嘆きで、ゲルニカにしても、人間の愚かさそのものを、白黒の化け物のオンパレードでモザイクで表現しているだけに私には伝わる。アルルカンに扮するポールという作品が好きで、子供たちというのはそのまま描かれている。大人のどうしようもない内面の腐ったものを絵に表現したのがピカソのキュビズムとの林与の認識。ピカソの自我像にしてもキュビズムでは人生を残念がる裏面と表の顔が2重に描かれているとか。