2024年04月22日
今日もいろいろやらないといけないことがありすぎて、夜中に請求書などを作成して、午前中は金融機関、午後は梱包と納品。帰って来てから、また、夜の出荷作業。織っているリネンガーゼの片耳がよく切れるので、本腰で夜中に調整をしようと思う。織り進めると耳が汚くなるので、しっかりと直してから織らないと思う。
先週の頭は風邪でボロボロだったけども、先週の後半からは元気に戻って体調も良くなってきた。左手の中指と人差し指の第二関節がシャトル織機を動かすときに框を握りしめてソウコウ枠に当たるので、ダメージ中。林与も十分に中年を超えた感じだけども学生以上にまだ動いているような感じで、いろんなことに動けることはうれしいことに思う。
林与自身は、何でもやればできるんじゃないかという自信を持っていろんなことをやっているのだけども、それをやろうとするとすごくたくさんの試行錯誤と成り立たせるための努力が必要で、他の人と一緒にやっていると他の人が限界を超えすぎていて気の毒に思うことがある。小学生や中学生だと乗り越えられそうなことでも大人だと難しいことが多い、経験者ほど新しいこととか深くすることが難しいことも多く、経験というのは時間の長さじゃなくて広さや深さが大事に思えたりする。逆にそんなことやってるとすることだらけになってしまって、無限にやることができてしまうから、自分の限界を納期の兼ね合いで品質をどの程度で妥協して安定させるかというあたり。
林与の自信がどこから来るのかというと、人のできる限界を知っているから、それをはるかに超えてやっていれば、失敗が多くあったとしてもそういう失敗は高度なレベルの失敗でケアレスミスみたいなものじゃなくて、ケアレスミスを最大限に取り除きながらそれでも難しい問題とにらめっこ。
林与が本気で麻業界の方と話すときには本気の話で、そこまでやれば普通に成り立って当たり前なのじゃないのかと思えたりもする話で、そこまで行くか行かないかじゃないのかと思ったりもする。覚悟決めることができるかできないか、損得で終るのかそれ以上所余裕をもって商売を営むのか、余裕というのはプラスじゃなくマイナスをそれなりに背負ってそれを自分が余力を生み出しながら解決するという本当の厳しさがあると思う。
林与のお客さんもその覚悟の方が多くいてくださって、林与も成り立っていると思っています。林与的なドンキホーテーの問題を、業界では珍しいと思って受け入れてくださってる方々に感謝し、林与なりの自分の限界も支えられていたりしているのを感じることが多くて、日本的なサステイナブルの気持ちには答えたいとおもいながらも、正直、自分自身が自分の限界でやってるのを、笑う人がいたら似非、ラベルでごまかそうとする人がいたら地道な仕事で成り立つ繊維業界を食い物にしているだけ。
日本も戦後のサラリーマンの時間から時間の感覚から抜け出さないと、海外にも軽く追い抜かれてしまう。海外の人たちが自分の人生ではなくて、自分の家族を支えるために必死に働いているのを、海外だからと言って先進国の驕りで笑ってたらそういうのに支えられて先進国の繊維業界が成り立っているだけ、日本でやるんだからとことんなことやりたいなあと思う。