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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
一度切
2024年07月29日
オリンピックの柔道で誤審があったことで、人生が変わったみたいなことだろうけども、日本国内では頑張手正しくやっていても普通に誤審はあるだろうし、一度勝負の世界なら、頑張ったものが勝つとか強いものが必ず勝つとかもない時の運みたいなものはあって、それが審判とおもうなら審判の制度自体を正すような姿勢も必要で、そういう方が選手よりも立場の強い審判の役を受けるようなことも活躍の場だろうと思う。

なぜ、オリンピック選手たちは、選手人生が終わった後で自分が審判になったりとかして選手たちの育成面を担わないのかという問題も裏にはある。自分がオリンピックでメダルをとるだけに夢中になると、裏方の人たちのサラリーマン的に雇われている審判だと普通に誤診もあるのも当たり前で、もしかすると柔道でもそれほどの人が審判をやっている可能性もあるし、経験上国際的な場で自分が試合もしたことのない人たちが審判なのかもしれない。

オリンピックの各国の監督たちが審判をするとかすればよいのではないのか、なぜか、仕事場が用意されていてそれでメダル取れば、仕事が達成できたみたいな今のオリンピック選手たち、文句をいうならそれなりに引退後に審判の役を買って出るとかすれば、より公正なオリンピックになるだろうけども、そういう人というのはほとんどいないだろう。自分たちの協議を支えるだけの審判位に何を求めているのだろう、誤審なんてあたりまえが、現実社会で本当の実力があればオリンピックじゃない場でも、オリンピック以上の実力を発揮できる場というのはあると思う。メダルばっかりが目標になるとメダルが欲しいだけのオリンピック選手なのか、次の世代を育成するとかが大事な感覚すらもないのか、誤審にしてもボランティアで正しいとおもう審判になる立場になればよいのではないかと思う。

審判というのは本当に大事で、選手以下では駄目だろうと思うけど、選手が金メダル取れば国民栄誉賞みたいなのが日本だけど、それを判じる審判というのは、ボランティアレベルな手当貰っている程度しかないと思う。選手が欲張り過ぎなところがあって、金メダルを取った人ってその業界を背負う社長みたいなものなのだから、自分のことだけ喜んでいないで、健全な業界の運営に寄与する覚悟を見せてもらいたい。