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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
その場の勢いで他を巻き込んで
2024年08月04日
その場の勢いで他を巻き込んで動いて、それができなくなるとまったく逆の、普通の当たり前もできないような状態というのは、林与の家の中でも経験していて、そういうのが田舎のどうしようもない驕った感覚で、集落を仕切っていた家でも次の世代になれば、まったく普通に強いられることも対応が難しいというのが当り前で、それはそれで次の世代というのは気の毒に思う。

一番偉そうに仕切ってた家とかでもが、普通の家が理解してやっていることもまったくやるのも難しくなってしまう。そういうのが普通の田舎のどうしようもない村社会的な感覚で、そういうのを正すような動きがないと、落ちてゆくだけのどうしようもない状況から抜け出すこともできない。まさに日本の世界で政治家が当り前のことも言えずに国を売って美しいようなその解決は国民が奴隷になっているだけのことで、日本のなかの奴隷社会から行政からかえてゆかないと、日本が批判してきた階級社会に甘え国民を苦しめるだけの、存在の意義すらもない政治や行政に成り下がってしまっていては、諸外国に改善してもらうしかないような日本の政治や行政、国としての存在意義すらも正当性もなくなりつつある。

80歳を超える人たちが田舎だとどうしようもなく、偉そうにいうだけで、自分自身が普通の覚悟位もないなら静かにしていてほしいが、人々を仕切ろうとしたり、見下して好き勝手に利用しようとしたり、年を取っているというだけで偉くて若い者が言うことを聞くみたいなだらしない年配者がいるようなら、村社会的などうしようもない、将来のない、次の世代にとっては暗黒。次の世代の重荷になるようなことばかりで、手本にもならないような田舎の末路で、次の世代には関わらないほうが良いし、健全な子供たちにも関わらないでほしいと思う。そのためには、70や80になっても学生以上の覚悟がないと駄目で、若い人たち以上の覚悟がないと駄目で、できん、わからん、どうでもよいのだらしない感覚というのは、社会的に見て最低の感覚で日本の政治家のどうしようもないのが田舎のどうしようもないに通じ、どうしようもない人たちが先生たのみの人生で、若い人たちが生まれた時からその食い物になると可哀そうすぎる。

せめて健全な精神をもって次の世代に引き継奈がないと、仕方ないとか、問題を自分がすべてを背負って解決をしようともせずに現状に甘えて甘い部分を食べたいばかりの村社会的な感覚では駄目で、今も林与がそういうのも出来ないを当たり前のことと受け入れながら解決を探っている。地域を代表する方のまったくできない問題も受け入れながら、だから勢いがあるときに他を巻き込んでやったらおかしくなるだけみたいな、林与の先代と同じ話で、集落の林与の親戚筋のどこの家もが成り立ちにくくなっているのも、それを背負うのは相当の覚悟が必要で軽い気持ちで救おうとすると、自分が利用して何億をもうけたいか、逆に何億を損して、損を覚悟しながらも田舎の難しいを成り立たせるかの話。誰も自分が田舎だと何億もの損を被るは難しく、結局自分の儲けばかり考えていると田舎はどんどんと衰退してゆく。林与が田舎でまったく利益を上げようとしないのも厳しすぎる日本の田舎行政に晒された人たちの生きてゆく苦しみを知っているから。

林与自身が、それなりに普通を超えた一番の繊維業界の最底辺を当たり前にこなして成り立たせているから、そういうのが世界的に見ても、展示会などに行くと、高級ブランドの方が、買うことのできないようなものにすごく興味を示されて、中国やインド、ヨーロッパで、個人としてまた大企業として極めているような人たちが、林与的な家レベルの日本の麻のモノづくりに、すごいのを見つけた、世界規模の展示会でも展示会で一番を見つけたと、繊維の世界のものづくりの布自身が語るような世界。

分かる人に分かればいいし、分からない方も林与の近江上布のアーカイブをみて普通に単なるぼろ布だといわれることもある。麻布に対する目の違いというのは、実際に自分が極めるか極めないかだけで、それを日本で一番くらいに極め続けてきたのが、林与の本場での四代の歴史で、それ自体が120年を超えて、田舎の小さな家が、日本の麻業界の120年に渡る高級ゾーンを滋賀県の田舎から生み出しては来たけども、滋賀県の田舎も戦後はほんと、サラリーマン社会で仕事が面倒とかが多すぎて、日本のトップレベルだと林与にも評価があるけども、覚悟のない方たちの面倒までも関係もない林与がそういう大きな組織の代りに組織にも所属もしない林与がそういう大きな組織の面倒を見るのが難しい。

若手で本気に人生を託す気持ちで麻織物に掛けるような方たちがいればと思っていて、何十万人、何百万人に一人レベルだろうと思うけど、林与自身は1億人に一人くらいな、経験を積んでいてそれは、世界でもありえないような最底辺のように見なされる世界的に見ても匠の世界の織物の地獄を普通に乗り越えられるだけの力があると思う。林与の作業スピードというのは、働き始めた時から何十年の職人の何倍もの速さで正確さ厳しさ、田舎のおっちゃんおばちゃんに対しても自分が働いて自分がゼロでもすべて分け与える覚悟で日本の工業的な麻業界の地場産業の最高レベルも今まで支えてきた。そういう自分が普通の10倍働くような覚悟というのは世界でも無二だろうと思うし、それで日本の麻業界が薄く流れることなければ良いなあと思う。自分自身の人生をなげうって、3日テツヤで立ち仕事で、朝の7時から12時までネルを1か月繰り返して、それは比叡山の修行僧の以上ことを、若い人が来るたびに覚悟して最初の若い人たちの試練を支える。賽の河原の石積みみたいなことを本人が一生懸命なのも理解しながらお釈迦様の手の平の上のような感覚が理解も出来ないと続くのすらも難しく、そういうのを前向きに向き合って、織物の本質とか作業の本質とかを乗り越えられないと、この世界というのは難しいだろうなあと思う。

林与の歩んだ人生以上に日本の製材環境が薄まれば、より世界の麻業界というのは厳しいだろうと思うし食べていくのも棘の道そのもの、1か月前に女性の方にもすべて知りたいという覚悟で林与の仕事をそれなりに覚悟頂いて、今週も1週間、無報酬も覚悟で織物をつくるを学びたいと覚悟を決めてこれた江國さん。林与自身は商売というのはなくて、自分が日本で一番とか世界で一番とかが日本の機屋の覚悟と関わることで自分の覚悟次第て生まれていくだろと思っている。サラリーマンでは無理な経営者感覚的な、どこまでも自分が費用や負担してまでも世界一とか日本一の織物を商品として形にしてゆきたいと思うような、メイドインジャパンじゃなくて、林与でもなくて自分自身を推奨。それは林与と同じ様な覚悟次第だと思うし、それを越えればすごいというか、林与にしては織物つくるものとして最低の知識や経験でそうでないと手作業の各国の伝統工芸的なものを作るとか、品質検査などを越えて量産の市販レベルを目指すというのは、日本や世界で最高とかは難しいと思う。ごまかせば簡単だけどごまかさなければ本当に工業品というのは量産すらも難しい。

そういうところ、これから品質検査機関と林与が話をしてゆくべきだろうとおもうようなところで、そういうのを調整しないと、今の繊維基準は化繊基準で、天然繊維がほとんど通らないのもあたりまえで、実際には大手では、検査偽装が普通だったりもして検査偽装が当り前の安いものほど成り立ちやすく、高品位なものほど日本製としてはダメという検査基準。結局は偽装というのは、人という問題で、利益重視の企業ほど検査偽装も当たり前で、ビッグモーターと似たような検査が厳しく成ればなるほと偽装すればするほど儲かるような高品質に見えるような日本の大手繊維商社レベルの生地の現実。で正直な地場産業は手も出ない話が多い。あほなアパレルや百貨店は騙されて消費者騙しという現実。これほんと日本の天然繊維の織物が品質検査のレベルの高さゆえに偽装したものほど熊本のあさりになって何十年。海外の天然素材の服飾製品は品質検査も責任もすり抜けて、絶対に通らないものばかりが溢れている。