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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
夏祭りの思い出
2024年08月15日
先週夏祭りがあったけども、夏祭りの思い出で一番印象に残っているのが、大学生のころに一つ上のやんちゃだった方が、私に対して、すごく礼儀正しくしかも、そういうのを託そうとされていたことで、そこまでの覚悟しておられる若い方がおられ、一言一言が偉そうでもなく、誰もそういうのを背負う人がいないから、次は一つ下の若い時の林与にお願いしますみたいな、大学1年だった林与からするとそれはほんとうにありえないほど、大人だなあと思えた。

一切横柄な態度もなく、すべて自分が背負ってやってきたことを次の世代に託そうとしてられるのが伝わって、林与とは親戚筋というのはあるけどもそれ以上に、30年以上前に田舎の難しくなっている夏祭りを運営できるのはお前しかいないみたいな話で、大学のサークルでも一番世話になった方が滋賀県の彦根の方で、チャラチャラした都会感覚じゃない田舎の感覚というのが本当に大事に思ってもいたりして、ちゃらちゃらとした感覚と向き合える人というのは10人に一人とかが普通で、それでいて組織を支えてゆかないといけないというようなあたり。

組織ではおいしい思いをしたいチャラチャラした感覚との戦いになるので、まともなことをいうと干される立場で、責任を背負うのでどこまでもお前がやれみたいな偉そうにいう方も多い。偉そうに言うなら組織の責任を背負って組織を成り立たせてゆくのがよいのではないかと思うけども、なかなか一つのことも話し合いすらも難しいのが、70、80の方との話し合いで、70代や80代の方が偉そうに言うのに無責任なことばかりいわれて、自分とは関係ないとかばかりで、その解決を若い者に求めながらご意見番みたいなほんとそれが一番駄目。70、80なら普通に分からんと駄目だけど、分からない人というのは他を食い物にして当たり前の、自分が一番かわいいが当たり前で、自分が底辺を背負う気持ちがあればよいけどまったくない、特攻に集落の若いものを差し出して賛美しているような田舎の末路そのもの。戦前のだらしない年配者の感覚が続きすぎて、自分たちの子供を差し出したとかですごいことみたいに思っているくらいなら親が自分可愛さに子供を犠牲にするだけで、国の犠牲の肩代わりはやめたほうが良い。そういうのが戦争の本質だろうと思う。

美しいことを言いながら自分が最底辺を引き受ける覚悟もない、エシカル、エコ、サステイナブルの美しい階級社会は、地道な方をラベルだけで食い物にしてなりたつようなラベルに依存して成り立つような協会ビジネスで、一番駄目な繊維業界の案サステイナブル、アンエコ、アンサステイナブルな日本のビジネスモデル。全員が全員じゃないけど日本のサステイナブルビジネスモデルは世界的に見ても営利目的でまともを食いつぶすような世界最悪レベルで、昔からの地場産業の感覚以下で金儲け主義、ラベル主義、まともな話をしようとするとそれは傘下企業の責任で済みたいな方たちがほとんどで、GOTSすらも責任逃れが多くなりすぎて、遺伝子組み換え不使用を謳ったまま、遺伝子組み換えなんて言うのが努力目標というだけに裏ではしてしまっていて、偽装の本体になりつつあるのを警告するのも、GOTSが偽装の本体になってしまってはダメだろうというプロの感覚で、日本の繊維業界の従来の普通以下になった合成繊維をまぜてオーガ肉みたいな国際認証に何の価値があるのだろうと思う。関わっている人が、消費者が求めるよう天然繊維のハイレベルなオーガニックを守ろうとしておられず、謳いだけが合成繊維混で、オーガニックという昔のヨーロッパレベルの世界的には繊維業界ではどうしようもない基準に戻っただけ。