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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
苧績み
2024年10月04日
麻糸は、苧績みしてつくられる。ひょんなことで昭和村を訪れる機会ができて、9月の半ばに昭和村の博物館で2時間ほど過ごした。なぜ昭和村で、麻の原料をつくることが大事に思われているのかというのが感じられた滞在で、これは、表現が悪いかもしれないけども、恵まれていない山村で、農村としても広い農地もなく、陸の孤島のような村の生活があったからだろうと思う。農家のできることが糸を績んだり、糸の原料を育てることで、長けた人がいたのだろう、より良質の原料を取れるためのカラムシを栽培する技術を村の生活の柱として培われてきた。

奈良の月ヶ瀬の大麻の苧績みも同じく、月ヶ瀬という場所が陸の孤島のような場所だったから、そういう技術が発達し、また残りやすかったということもあるだろう。沖縄の宮古上布にしても同じで、島という要素。工業化や機械化するという次のステップに行くこともなく、手仕事で生み出して行くのができることのすべて。

能登ももともと近江上布の原料の産地としていわれているのも、糸が能登で績まれていたのだろうと思う。糸を織る技術に長けていたのが近江で、その原料というのはもともと昭和村のような東北の地から、寄港地である能登に渡ってきて、そこで績まれた。能登という場所も、能登地震でこの一年は名前をよく聞くようになったけども、なかなか地震がなかったとしても、滋賀県からでも能登半島のてっぺんまで車で行くとしても覚悟が必要な話で、能登上布を育んだ背景みたいなものが分かれば、いろんな麻織物の謎の解決にもつながるだろうから一度は訪れて知っておきたいなあと思う。

昭和村にいったときも、昭和村に行く途中の田んぼの土手に立派な苧麻畑が自然にでいていて驚いた。1m近くの高さの苧麻が密集して自生していて、それは単なる雑草で使われないだろうけども、林与の周りではみることもできないようなつる草の世界が、苧麻で広がっているような光景。また、林与が興味があったのは、昭和村に行く途中の山道に自生している苧麻で、近江湖東地域とどう違うのかというあたりもとくに赤苧に関しての考察の検証的な面で、織物で言われる赤苧が、苧麻なのか苧麻でないのかというあたり。植物のアカソが山道に自生していて、真っ赤だったのも印象的。葉っぱも落ちて、真っ赤な茎だけになって、何百本も山の壁面に残っている。一方で、苧麻の茎が赤いものというのは、ないことはないけども、ほとんど、成長途中のものでは見かけない。

64種類の日本のいろんな苧麻や世界の苧麻を育てられている苧麻畑も参考にさせていただいて、日本の苧麻の歴史に関しての林与の持論的な考察とも整合する。近江上布に置いて、「きぬあさ」とよばれたものは何なのかというのも、自生しているカラムシなのかあるいは、福島産のような上質の物なのかという判断も、福島産のような白くて光沢のあるものが「きぬあさ」と呼ばれたものなのだろうなあと思う。

麻の着物の世界においても2ジャンルあったことはあまり言われないけども、そういう概念も大事で、味の世界と、品質の世界という2ジャンル、味の世界では、キビラのような粗にみえるものが評価をされて、品質の世界ではきぬあさとよばれるような世界が評価をされる。

奈良晒の最高峰みたいな織物も、林与が見る限りでは生平の世界のジャンルで、奈良晒なのになぜ生平なのとは思ったけども、晒す技術というのは今はもう残ってはいないというのが現実的なところなのだろうと思う。それを低く評価してはならないとおもうし、現実というものを受け止めて織物をつくるということを考えていく必要があって、晒す技術にしても今は禁止されているような技術ばかりだったりもして、昔だったら川や河原でできたことが、今の日本では許可が出たとしてもそんな許可を求めてやっているようでは成り立たないという問題もある。ほんと国が駄目だと規制ばかりで地道なものにしてⅯの自然破壊だとして、日本の伝統工芸にしても自然破壊で昭和の時代に規制され壊滅状態になりながら、今はそれを日本の宝として復活したいみたいな国レベルのご都合主義のだらしないどうしようもない感覚的な伝統感覚で、日本で産業がどんどんつぶれてゆくのもそのあたりのどうしようもなさ。関わらないでほしい、ほんと。