2025年02月03日
いろんな方との出会いもあって、いろいろと自分のできおうなことを40のころから動けたことが本当に良かったと思う。経験を積むために補助金なども活用して3倍くらいの経験に膨らませることができたし、補助金を取りながらも自分一人の時は、学生のような感覚で自分の判断信じて行動して、いろんな失敗の経験も積みながら、作業手順的なことも高めてゆく、仕事に何時から何時までみたいな普通の概念はなしでできることをできるだけ動いて、麻織物の可能叡見たいなことを織りの領域からいろいろと考えるだけでなく自分で作業してみて、自分の経験として理解もできたことは、普通は出来ない経験をできて、どうせこの仕事としてやるなら徹底的にやっておけてよかった。これは本当に思うことで、他の人に任せて仕事していることもあるが、なにか問題が解決できないときが多く、その仕事の問題を解決するのが自分の仕事みたいな部分があって、なるべく自分が解決しようと思って動いて来たから、やってこれたんだと思う。
普通はつくることが無理な織物をいろいろとつくることができたのも、そういう感覚でがむしゃらに動いてきたからだろうと思う。時代の流れとは逆行する形で、失われた何かを取り戻すような感覚で追い求めてたんだろうと思う。大統領がトランプに戻って、世界中がカネのためのどつきあいみたいな、一方で逆の側も、会社が違うだけで同じようにも思えるあたり。トランプはある意味言っていることがむちゃくちゃだけども正直なようにも思える。すごい高い理想をいってもその理想のために人々が犠牲になってもよいならそれでよいけども、検査基準、環境基準などはどんどんと高くなっているけども、みんなはたらかなくなってるのに誰がそれを達成するのか、クリアできないときに偽装が始まる。偽装してクリアしたことにするかみたいな結果。本当に苦しんでいる人々を救おうとする生き方もあるんじゃないかと思えたりする。
繊維産業というのは苦境にある人々を地道に働くことで炊受けることができるような部分があって、そういうのこそが誰もが見捨てたような貧農やまずいい農村でも自分たちが立ち上がって成り立たせて人々をすこしでも幸せにするというあたりから始まっていることが多い。繊維産業なんて言うのは、何十年の経験者でも食べていくのが睦魁夷とされていて、2次産業といわれるものから3次産業へ変わって、今の日本の繊維製品の自給率というのは1.5%だといっておられた。
昭和の時代の織物よりも織の部分ではより高度なものが求められてそれでなんとか林与は生き残れている部分があったりもするけども、普通に働いて誰でもが食べていけるような産業的な部分が残っていないといけないのかなあと思えたりする。小ロット多品種やジャストインタイム、ものをつくっているよりも、管理のほうが大変なこともあるし、物を作って作業の部分よりも労務管理や社会保険、インボイス、消費税、廃棄物処理、全部複雑なりすぎて、そういうのも専門の担当者に聞いたり、専門の方に詳しく聞かないと理解が睦会く、普通の会社の経営が全部法律を理解していろんなことを正しく処理していかないとならないというのは、複雑になり過ぎたりして、中小企業どころか、大企業でも、国際的な競争力は当たり前になくなる原因につながる。
法律の緩やかな海外的なやり方でないと成り立たない話。なぜ、ここまでいろいろなものごとが複雑になりすぎたのか。国自体がどんどんと苦しくなってそのしわ寄せがまた民間や国民にが問題で、取るを増やすしかないのだろうけども、お金の問題だけでなく手続きの煩雑さなどどこがデジタル化なのかと思う。デジタル化することもなかなかむづかしい手続きで、余計に複雑になって今うケースもある。