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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
麻織物
2025年02月19日
10年ほど前のことだろうと思う。知り合いの機料屋さんが、奈良の工場さんが麻を織る仕事が入って来て、織ったことがないので織ってもらえないかといわれるが、若い跡継ぎの方も織られる工場さんなので、一度、試行錯誤されて織って見られてはどうかと新しいものへの挑戦ということをお勧めする。

その工場さんが心配をされているのは何かというと、仕事をやりますと受けてできないときのことで、仕事としてそういうまともな考えを持っておられる。もしそれが自分自身の試作案件だったらやられるだろうけども、試作というのは本当にお金の掛かる行為なので、一人の人間換算で、機つくり、整経にしろ繋ぐにしろ織るにしろ、普通は、1か月くらいは試行錯誤が必要なことが多い。それでちゃんと織れるかどうかすらも分からずにとりあえず試す、織れたら折田ででも、予想していたようなものになるかどうかというあたりも一か八かなので、外れれば、またもう一度、糸選びや、機つくり、整経、打ち込みなどの変更で、また1か月とか。

そういう試行錯誤というのは無駄ではないのだけども、仕事として受けている場合にはすごく厄介なことになる。キャンセルできるような話なら良いのだけども、仕事を出す先がキャンセルできないような話にしてしまわれていることも多く、その工場の方も一番心配をされているのが、儲けの話じゃなく、自分が出来ないときに受けた注文が浮いてしまうこと。失敗が許されないような話や、やったこともない仕事を持ちかけられた時に受けるというのはそういう点で本当に難しい話で、特に麻織物というのは天然繊維の中では一番くらいに織るのが厄介だと言われるタイプの織物。

そこでその工場の親子さんが頼まれるのは、自分たちが出来なかったら、林与で織ってもらえませんかという話で、儲けとかそういうのまったく考えておられない感覚で、一番注文が浮いてしまうことを心配されておられる。林与もここ10年くらいは、定番で仕事を入れてくださる方が多く、1年以上抱えている仕事も多いので、すぐには無理かもしれないけど、やってみられて無理なら林与が織りますからと引き受ける。

結局、双糸で落ち着かれたようで量産の仕事をこなされたようで、若いうちに新しい織物に挑戦されて良かったのではないだろうかと思う。そういうのも採算度外視の仕事になるかと思うけども、経営者としてより高度なことや新しいことに挑戦をするというのも良いことだろうと思う。そういうのは経営者でないと無理で、従業員に頼んでいても生まれてくることは少ないだろう。

奈良も元々奈良晒で有名な麻織物の産地で、蚊帳などの織物も麻織物だった、なぜ蚊帳に麻がよいのかというと麻の毛羽があるので、粗く織っても蚊が入ってこないからだと聞いている、別に白くても蚊帳なのだけども、あの深緑の蚊帳は色だけでなく、蚊取り線香と同じ様な効果があって蚊を防ぐような要素があると聞いているので、菊とニワトリの何かを最後のほうでは合成的に染料として作り上げたのだろうと思うが、あの染料は現在は禁止されていて、昭和の時代まであった濃緑の蚊帳は販売されなくなっているそうだ。まちがっていたら、誰か詳しい情報を教えてほしい。もうそういうのに携わっておられた方も残ってはおられないような気もする。

奈良はその蚊帳の織物の技術を応用して合成繊維で寒冷紗と呼ばれる農業に使う布で有名な産地だそうで織物工場の多くがそういう資材向けの生産。林与のようなシャトル織機をうごかしておられる機屋さんも大阪のイベントでお会いしたがストールなども織っておられるそうだけども織っておられる素材を聞くと綿だと言っておられた。

戦前には、全国で麻織物が手織りで織られていた。戦争中に麻織物が贅沢品として10年ほど禁止されて、手績みの糸から入手も難しくなり麻織物は途絶えてしまった感がある。コロナ3年でもそうだけども、糸をつくる紡績工場すらもが窮地に陥る。それは紡績工場だけの問題ではなく、取引先が破綻して売った代金が回収できなかったり、輸出の商品が港で立ち止まってしまって納品が完了できないとか。それぞれの企業努力ではどうしようもならない問題があって、繊維産業というのはその影響を受けやすい。

コロナ禍にシルクの産地の老舗の機屋さんに訪問させてもらったけども、高級なものというのはやはりイベントや外出が自粛されるような状況においては需要が激減してしまって大変そうだった。今はコロナも明けて、観光客も増えてイベントなども再開で、高級ちりめん織物も回復気味ではあられるだろう。

日本自体で着物を着るという風習すらもが減って、行事そのものの必要性すらもがないのではないかというような流れではあって、戦後の華美な生活風習から、非常に控えめな生活感覚が今の若者の間では普通になっていて、特に子育てすらもが昭和の時代よりも難しい今の日本。

国のだらしなさが目立ち、高校のタブレット20万円って、2万円の間違いだろうと思うが、それが日本の行政の愚かさ。アベノマスクと同じことをやってしまっている。