2011年04月16日
生地屋さんから細番手で密度が高めのものがほしいということでご依頼を受けておりました。昨年、こつこつと着手したリネン100番手の高密度タイプは、今年はさらに1割アップくらいを目指してできないかと考え直しています。これは売るのを目的とするものではなく、極限に挑戦するためのものです。リネンをとことん織ってみるというのが面白いのではないかと思ったりします。細番手のリネンというのは打ち切れを起こすので、強く織る力だけではよい反物はできないのです。
来週には、海外からも120番手クラスの糸が届くのですが、それもアパレル向けのプロジェクト用の試作に使おうと考えています。ステップアップして、より細番手の高密度が可能になります。リネンは細ければ細いほど高密度シルクのようなペーパーライクなパフパフした感触を味わえます。表面に張力が働いているような感じで皺にもなりにくいのです。
60年ほど前の手績みのきぬあさの糸を、倉庫から取り出してテスト的に窓辺に1年ほど置きまして変化を見ています。百グラムあるかないかの糸だとは思うのですが、やはり、外気に触れて乾燥という要素が、糸を駄目にしてしまうようです。麻糸というのは外気に触れないで保存することが非常に大事なのです。一方、光という要素は糸を白くというよりも透明に変化させるように思います。オゾン漂白的な要素が働いているのかも知れません。こういうテストが、本当に近江の地は麻織に適しているのかというような疑問に答えをもたらし、麻糸を織るには、糸が商品として最初に出来上がったときの湿気は逃がさないようにしてあげないとならないということだと思います。今の糸の話でも、8年ほど前に購入したリネン糸66番手の箱の外に出ていた糸を織ることがあったのですが、その糸はそのときは織れても、今は、切れて切れて織ることができないという感じです。
手績み糸のようなものは農作物に近いので、お米をモミのまま保存するのと同じような保存を心がけないといけないのかと思います。倉庫で鉄板のケースに入れておくような感じです。細菌だけでなく、虫を寄せ付けないことも大事です。新聞紙で包むというのは、理想的な方法です。新聞紙でくるまれた部分は劣化していませんが、箱の中に入っていても、新聞紙から出てしまったところは糸が駄目になっていました。昔の人の知恵ですね、と簡単に言いたいですが、昔の人というのは科学的にもなぜかというのを解明できていたのではないかと思います。解決方法だけを後の時代のものは活用しているのではないでしょうか。最初私が見たときに、新聞にくるまれた糸をみて、昔の人は再利用に長けていたと感じたのですが、そうではなく、新聞紙がベストな選択だったのだといえます。偶然にも新聞紙にくるまれていることで、いつの時代の糸なのか日付が確認できたのは幸運です。
リネンの糸に関しても、北アイルランドで作られる糸がなぜ細く強く、ゴールドだったのかというアイリッシュリネンの特徴に関してその部分がかなり見えてきました。それが今作れないのも、原料の製造工程の違いや紡績の技術的な問題だけでなく、そういう超付加価値のものを大量に受け入れられるような市場の存在が前提となってきます。ヨーロッパに綿が普及し、合成繊維が普及したことがリネンからのシフトを促したと思います。アイリッシュリネンの問題を考える中で、昔の近江上布に関する謎もいろいろと解けてきたような気がします。