2011年04月28日
3年前の3月2日に先代がなくなりました。病院から家に戻り最初にするべきことは、お葬式の段取りではなく、今受けてある仕事を段取りしておくことで、織機についている反物を下ろして、まだ明るい夕方6時前に加工工場さんに行って、先代が亡くなったことのご報告と反物の加工をよろしくお願いしますということでした。その夜は納期の迫っている急ぎのものが動くように手配いたしました。
これは、私が感覚がズレている訳ではなく、先代の意思を引き継いだものと考えております。先代も先先代の死去に伴い代を継いだときに、最初に考えたのが自分の父親の死という悲しさよりも、働いてもらっている親戚一同の人生をどうやって支えていくのかという問題だったと何度か私に語りました。仕事のことを考えているのは一人だけだとういうのも酷ではありますが強くなければ次の何十年を乗り越えられないという最初の覚悟のタイミングではないかと思います。
また、そういう場所ではいろいろなことが見えてくるのです。先代が信じていた方というのは一貫してそのあとも力となってくださり変わりない関係でありますし、そうでないかたとはご縁は遠くなるものです。その場の損得で勘定をしていては駄目、また、その場の感情で決断をしては駄目で、長い目でみて成り立つような方向性を探さないといけないのです。一時の利害や感情が決断に出てしまうのは駄目で、企業が社会で存続するための先人の経験や知恵を生かすのも一つの方法かとも思います。
先日、「たねや」さんの店頭で、「商いはたねやに訊け」という本をちょこっとだけ読んで、訊くまでもない当たり前のことばかりが書いてあるのです。そんな当たり前のことが現代ではバイブルのように考えられるのも本質というものは何かということだと思います。なんか、親父の当たり前の説教をきいているようで、当たり前のこというなよみたいな話なのですが、一時の損得が一番の優先順位になっている今の社会では、そんなのが新鮮に感じ、それをやるのが難しい時代なのをすごく感じます。
先代の林與志郎も、同じ年に生まれて八幡商業高校で山本徳次氏と出会い、老舗の家系として同じ悩みを抱えていたと思います。二人して両方の厳格な近江商人気質の先代をもち同じ写真部で意気投合して、明け方たねやのお菓子で腹ごしらえして帰ってきたような贅沢な話も聞いており、林与の先代も思い出の多い高校時代をすごさせていただきました。
高校時代に、今のたねやさんの工場の用地に目をつけたときに一緒に購入しようと、先代が山本徳次氏から持ちかけられた話など聞くと、すごい方というのは若いときからすごいなあと思います。林与の先代も親父に相談したのですが国道沿いですが当時何もないところだったので買えなかったそうです。でも、そこで大きな織物工場にしていたらもしかすると今はもう麻織物は続いていないかも知れません。林与の先先代の判断というのも、また適切であったのかとも思います。