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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
昔話からのヒント
2011年05月15日
先日の展示会で、今、定年を迎えられるみなさまからいろいろなお話をお聞きすることがあり貴重なお話だなあと思いました。35年ほど昔のアイリッシュリネンの背景を知っておられる方のお話や昔の麻業界の華やかだった時代のお話が聞けたり、展示会に出ているといろいろな情報をいただけます。

先代は昭和14年生まれで、戦争が始まってから昭和25年くらいまで麻織物は贅沢品として規制されていた時代がありましたので、60歳から75歳くらいの皆様が戦後の麻織物の復興が始まったときに一番お若い世代として働かれていたものと思います。戦前のものづくりを知っておられるのは85歳以上の方ということになります。弊社に昭和26年、27年の新聞紙に包まれた手績の糸があるのは、統制が解けた最初の糸ではなかったであろうかと思います。

林与一おじいさんがなくなったのは、私が3歳のときでして63歳と聞いておりますので、昔は小学生くらいから最初の仕事をしているのが当たり前ですので1915年あるいは1920年くらいから与一おじいさんは仕事を手伝い始めていたのではないかと思います。戦前をしっかりと知っているのが与一おじいさんです。先代も、学校から帰ると小学生のころから家の仕事を手伝わされていたという話でそれが終わらないと遊びに行けなかったそうです。

私もそういえば、小学低学年のころから時々チーズワインダーで糸を固める作業をしていました。小学生には堅結びはできても機結びは難しく習得できずに織機についているゴミ掃除や木管に残っている糸を取るのがお手伝いでした。小学生のころには、1ヶ月に1回くらい親戚一同が家に集まるような「おとりこし」と呼ばれる食事の機会があったように思います。

私自身も昔の話を間接的に聞いていることがほとんどなのですが、以前、愛荘町の歴史編纂に関する調査の方が弊社に来てくださったときに、親戚の絣織物を織っていたおじいさんの妹に当たるおばあさんのところにお話をうかがいに寄せてもらったのですが、なかなか昔がよみがえるほどにはお聞きすることができませんでした。昔の方というのは大勢でやっておられたので、一生一つの専門の仕事で終わることも多かったので、逆に全体をお聞きすることがなかなか難しいのです。

展示会などでは昔の林与のことを知ってくださっている皆さんが名前を見かけて懐かしいなあとブースにお越しくださり、若かりしころのお話やその時代の麻業界のものづくりを懐かしく語ってくださいます。そういうお話が私にとっては非常に貴重でありまして、林与自身の昔のことを辿るときのヒントやあいまいな部分を検証や再検討する助けになることが多いのです。また、ものの価値とはそういうところから生まれてくるのではないかと思います。60歳、70歳の方が仕事や人生を振り返ったときに思い出にのこるようなものというのは、本質的な価値ではないかと思うのです。

新しいものが次々と生まれて、次々と消えていくのが今の時代の流れですが、自分自身で取り組んで数年も掛けて形にしていくというようなものづくりというのが大事だなあと思います。実際に作られたものというのは同じものであっても外部的からの評価は、昨年、今年、来年では異なることが多いので客観的な価値というのは一定ではないのを感じます。みなさんが仕事を振り返られたときに思い出に残り、今はやっておられないのですかとたずねてくださるようなものほど、今はつくるのが難しくなってしまっているものが多いのです。