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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
セピアな
2011年10月06日
今日は午後から東京からリネンバードさんがお越しくださいました。今作っているクロスの撮影に起こしになられました。織りのテスト、半分、残り半分と3本に分けて作業をしたので、きていただいたタイミングとも合って、いろいろな工程をごらんいただくことができました。

倉庫の生地なんかもごらんいただいて、特に昔っぽいようなイメージのものに興味を持ってくださり、作っても違う感じにしかあがらないなあと思うような年季というか、重厚さが詰まっているので珍しく見えるのではないかと思うのです。セピアな感じでしょうか。

昔の糸の白というのは独特に見えます。すごく白くって、これは、生成を日本で白に晒したからだといえます。本晒という工程で晒されているので昔のものは白いだけでなく、光沢感がより際立つのです。それが時を経て焼けた感じになるとベーキングしたような色味で光沢感がいい感じなのです。

そういう価値観の世界って面白いなあと思うのです。何十年も掛けて味が出てくるというのも気の長い話ですが、昔のものほど本質的な部分でしっかりと作ってあって、コスト競争の中ではその技術すらもが消えていくというのを反物が語っています。

反物に付いたラベルすらもが織物業界の歴史を語ります。反物を加工した工場や染工場さんがなくなってしまっていたりすることも多いというのを感じます。日本で一番の技術と言われたところが高度化しすぎ大きくなりすぎ消えていくのは常のことで、それは一般に共通するところではないかと思います。技術も行き着くところまで行き着くと何人もの人間がひとつのものを作るのに協力が必要だったり、工程が多岐にわたりすぎるのでさらに手を掛けることが難しくなったときが頂点でそこからは技術も落ち始めるのです。新しい技術を開発するよりもしっかりとものをつくれるような価値観や考え方こそが大事ではないかと思います。

倉庫に残るそういう反物を見ていると日本の技術というのは味があるなあと思うことも多いのです。探そうとするものが新しい技術で生み出されるものにあるのではなく、昔に作られた力を注いだものの中にあるというのはそれがものづくりの本質なのかとも思います。