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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
絵画、読書
2012年01月09日
絵を見て楽しむ、本を読むのを楽しむ、など、絵の美しさやストーリーの展開の面白さの部分が評価のひとつではないかと思います。また、その作者の人生観のようなものを捕らえるというのもシリーズを見たり鑑賞したりすることで、ファンとしては大事だと思うのです。

カリフォルニア大学アーバインキャンパスのイクステンションにいたときに、フリーダカロについて発表をするというのがありました。メキシコ人の女性画家でみたいな話で、絵がシューリアリズムで怖さを感じるような側面のある作風で、その女性画家のことに興味をもったというよりも、その作風がどうして出来上がってきたのかというところに彼女の人生が作品として現れているというのを強く感じました。

たとえば、人物画の中にサルが作品の中に出てくるのです。それは、彼女がサルを飼っていたこともあるかとは思うのですが、それ以上に、中学生のころに交通事故で子供を生むことのできない体になった彼女の寂しさを表す象徴のひとつとしてサルが出てくるのだと思いました。

色使いは綺麗ながらも作品を見ていても売ろうとかいう意図のあるものではなく、作品の中に自分自身の世界を表現するのが大事であるというような気がします。しかし、あのような重い作品を買って今などに飾るお客さんがいるものだろうかと思うのですが、芸術の世界というのも最終的には哲学に結びつくので作品としては評価は高いのであると思います。

ピカソにしても青の時代が比較的写実であったのに、キュービズムに傾倒していったのも、目の前にいるモデルたちの内面までもが絵にでているということだといえます。ピカソの作品のなかでも、私の好きな作品のひとつにアルルカンに扮するポールというのがあります。本当に写実的でピカソらしくないのですが、ポールはポールだという表れではないかと思うのです。

キュービズムにしても表現技術の問題ではなく、ピカソ自身が感じる自分の世界を表現しているということだといえ、ピカソは絵を描いているときに上手に書こうというのではなく、自分の感じたことをそのままに表現してそれがわかる人にはわかるというところが偉大なのだと言えます。ひとつの作品だけですとそれは見えてこないかもしれませんが、いくつもの作品に流れる共通した要素を感じることで作家の人生観を感じることが可能なのです。

絵なんて本物は何億円、絵の写真だとネットでも無料で見られますが、その何億円の価値というのは、ピカソ自身の人生観が価値を生み出しているのだといえます。ゴッホの耳を切った話なんかも有名ではありますが、耳を切ることと絵のすばらしさなんて関係はないと思うのですが、ゴッホの人格というものがゴッホの絵の価値の評価に大きく影響をしているとは思います。

ピカソやゴッホにしても、絵を描き続けるのを支えることのできる人がいたことは幸運ではあったかと思うのです。今、日本にもたくさんの芸術的な活動をされている方がおられますが生活を立てるのは非常に難しい世界であると思います。特に、綺麗系ではないシュール系のものというのは、哲学的で芸術本来のものであるかと思うのですが、飾るようなシチュエーションの想定が難しく、商品としての価値はつきにくいものです。