2012年03月19日
今日は奈良からお客様でした。つないだあと送るときに縦糸がたくさん切れるトラブルが発生してしまい、思った以上に見本をお見せするのに時間が必要となってしまいました。新しいものを作るときには特に思ったとおりに行かないことなど多いので試行錯誤などが多く特別のことではありません。これから継続していくオリジナルな定番ということですので慎重に動いておくことが必要だと思っています。織りあがった糸の感じなどは予想いていたものに近く、色やピッチの修正だけということで規格が固まりました。
織りあがった見本を見て触っているとさらにものづくりのヒントが見えてきました。たぶん、このヒントの部分を使った商品というものを、新商品として生み出していけるのではないかと思っています。以前から見本自体は人気だったものですが物性などの面でマイナス部分を抱えていた規格の問題を解決ができそうです。
夜には、織機の調整を行いました。ひとつ非常に織りにくい規格があって、前回は上手に糊がついていたのですが、今回の糊の感じが非常に甘く思えて織りにくいのです。作業するときに感じるのは、材料である糸に対してもそうですが、道具などに対しても丁寧さと力加減というものが非常に大事です。織機の部品というのは基本何十年と使えるものなのですが雑な人が扱うと1回で駄目になってしまいます。ネジひとつの締め方の力加減などできる人とできない人とでは雲泥の差です。
ここが大事なところでものづくりに大きな差が出てくるところなのです。人という要素が絡んでくるので、道具の使い方だけでなく糸の扱い方や機械の調整に影響をしてくるので、この人だと作れる、この人だと作れないという差が生まれてきます。理論的にはできることでも経験値というのが大事なのもそのあたりです。
林与の織機が古いというのも麻を織るには別に悪いことではありません。新しい織機というのは誰でも使えるようにできているのでそれが逆に人がものづくりをするという要素を減らしてしまうのです。そうなると、そういう織機を使っている人というのは複雑なことを考える必要がありませんので、作業する人の能力を磨くことができないのです。
実際に、昔のシャトル織機が万能であるといわれるのは、調整箇所がたくさんあるだけでなく調整幅が大きいので一回で織機を台無しにしてしまうような調整も可能なのです。時々思うのに、木彫りのものを手で彫るようなものづくりだなあと思うこともあります。その分、部品が減っても、新しいものと交換するのではなく、調整で部品を使い切るようなことも可能です。