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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年1月
リネン日記:31
2011年01月11日
オーガニックリネン生地を、近くの縫製工場に持ち込みました。5年前から彦根の縫製技術を使った商品開発をできないものかと考えていた流れの中で、オーガニックリネンの肌に優しいイメージがそれを解決してくれるのではないかと思うところです。リネンハンカチ用にフラットに綺麗に仕上げたもので、ずーっと長い間構想をもっていた、リネンアイテムの開発です。

オーガニックリネンに関しても、インターテキスタイル北京の展示会でも糸メーカーさんなども提案を持ってきてくださり、展示会というのは自分が提案するだけでなく、糸の情報やモノづくりの要素を入手するための絶好の機会です。

今のものづくりが難しいといわれる中でも、世界のトップクラスどころは情報収集ならびに情報発信のために精力的に動いておられ、情報を常に発信しておられるので、それを情報だけにとどめずにどう自分の布つくりに生かしていくのかが大事だと思います。
2011年01月10日
今日も工場で懐かしい糸を見つけました。15年以上前に1箱か2箱だけ手配した韓国の80番手の糸なのです。色はグレー系の色で、ヨーロッパ原料を使用したものです。日本で糊をつけてあり、非常に綺麗に仕上がっています。色味はグレーイッシュな感じですが、フシもほとんどみられず糸の仕上がりには感心いたします。

韓国のメーカーがリネン紡績を始めたころの糸で、ヨーロッパの糸を抜こうと意気込んでいた初期のころの糸ではないかと思います。品質が向上していったかというと、糸の原料の問題もあってか、品質は落ちていったように思います。今は、韓国のメーカーはバングラディッシュでの生産に移行しているという話です。

今日は、1月26日から28日に東京ビッグサイトで行われます、IFF(インターナショナルファッションフェア)のご招待状が届きました。若手のデザイナーさんたちが、クリエーターズビレッジという展示を行い、創作活動を実際のビジネスとして展開されていこうとするお披露目の場です。IFFも入場は無料ですが、一般および学生の方は入場できない旨の但し書きがありますのでプロ向けの展示会です。私も時間があればじっくりとIFFを眺めたい気持ちもあるのですが、1月はガチガチに予定が詰まってしまっていて今回は残念ながらみにいくことはできそうにありません。

国を上げての若手デザイナー支援が行われています。大きなブランドさんでも販路開拓が難しい時代になってきており、若手のデザイナーさんがその創作活動を見てもらう場所というのは大事だと思います。独創的な世界を持てばもつほど展示会のような場所ではいろいろな方とのめぐり合うチャンスが生まれます。以前、ジャパンクリエーションでコラボいただいたデザイナーさんとは、この春のリネンの企画が動き始めています。
2011年01月09日
昨日は東京から遠い親戚関係にあるお客様が車でお越しになられました。冬の時期だと滋賀県と岐阜の県境の関ヶ原というところで、雪で交通渋滞になることが多かったのですが、最近はそういうこともなくなりました。お客様は、やはり滋賀県は底冷えする感じがするとおっしゃっておられました。

今、リネンの注目は実は、中国ではなく、インドなのです。インドでは英国の植民地時代が長かったので紡績がありますが、資材向けの太いものが多いのです。手でつむぐような世界も残っていて、最高級の王様が着るようなものあたりは、神掛かった神聖な世界になるような話をジャパンクリエーションの展示会で弊社ブースにお越しくださった方からお聞きもして、いろいろなジャンルのリネンが経済成長を遂げるインドで需要が高まっているようです。

日本の何十倍ものリネンが消費されるのがインドなのです。熱い国なので、着るものにしても身の回りのものにしても、リネンが心地よいのだと思います。林与自身は、インドには行ったことはありませんが一度訪れてみたい国の一つです。

インターテキスタイル上海でも、インドの方がたくさん弊社のブースに来てくださいました。リネンに非常に高い関心をもっておられ、特別なリネンというよりも、どちらかというと手ごろなノーマルタイプのリネンを探されているようです。中国からもたくさんのリネン生地などが日本と同様にインドにも流れる時代になっています。
2011年01月08日
今日は、朝から来客があり、午後から機材関係の方、夜には機械屋さんがお越しになられました。たくさんの方から年始のお電話をいただくなど年初めな感じですが、今年は3連休がありますので、4日から仕事を始められているところも多く、いつものような長いお正月のところは逆に少ないようです。

2012年の企画の話も来週くらいからは始まり、来週、再来週は予定が埋まってしまっています。今の時代というのは特殊なものが作りにくくなっていますので、早く企画を進めておかないと時間的な問題で企画が途中で進まなくなるというケースがほとんどで、時間的に余裕のないものは最終的に普通のものに落ち着いてしまうことがほとんどです。

今日は、工場の中で織機の調整などを行いました。レギュレーターのピンが抜け落ちてしまって糸を送り出す機構が機能していないのです。そのため、織れば織るほど糸が強く張って少し織り進むと縦糸が切れてしまいます。通常の調整箇所はいろいろ調整してみたのですが、結局、普通では想定していない、機械の下のほうにあるネジが緩んでピンが抜け落ちていたのです。

このピンというのも自然に落ちるのではなく、何か負荷が掛かってしまって落ちたとしか考えられません。たぶん、高密度な織物を織ったときにテンションの調整で非常な負荷がかかり抜け落ちたのかなあと想像します。こうやって織機を調整していると、いつも感心するのはどの織機も本当に似たような仕組みだなあということです。メーカーが違っても構造はそっくりというか同じような感じです。
2011年01月07日
昨日、夜に倉庫を整理していたら30kgほど、Zignago Tessile社のNM46.5番手の糸が出てきました。大きな巻きです。麻番で77番手の糸です。フランス原料っぽいややイエロー味をした感じの糸です。

今は、Linificio社もこのZignago社の傘下にあって、ZignagoがLinificioの名前を継承した形になってますが、この30kgのZignago社のは、Zignago色味などからして異なりますので、Zignago社がLinificio社を吸収する前のものだと思います。

Herdmans社にしても、イタリアのLinificio社にしても、本国での生産が難しくなって海外(南アフリカ、中国、チュニジア、リトアニア)に生産拠点を移転したのは、必然的な流れではないかと思います。中国やリトアニアのリネンが高い評価を得るようになったのもつい最近のことです。

実際に1990年代後半のヨーロッパの本国生産の糸ですら、60番手クラスでも、同じ機械の設定でロットによっては、織れない糸が出てきていますし、また、織り上げた糸の毛玉やフシの問題なども、Herdmans社の糸にしてもLinificio社の糸にしても機屋を悩ませる問題になってしまっていました。

糸メーカーや代理店さんが、そういう問題に対応できることはなく、結局、より安定した糸を求めてシフトが進み、技術水準が向上している、南アフリカ、中国、チュニジア、リトアニア紡績の糸などで落ち着いて来ているのだと思います。

世界規模的な半導体工場の中と、今の紡績会社の中というのは似ています。昔は、半導体工場でもリネン紡績でも紡機を直す技術が必要だったのですが、今は調子の悪いところを調節するよりも、機械メーカーのものが、悪い部品を交換することで品質を保つ時代になったのです。機械部品などは非常に高価ですので、結局、品質を維持するためには、最新の機械を入れて、どこまで稼働率を上げるかがポイントとなっています。

実際に今の時代の機械の部品というのは消耗品として作られていますので、機械メーカーが新しい機種を出してしまえば、しばらく後には保守が難しくなるので、紡績メーカーも新しいものに買い換えなければならないシステムです。

中国の糸というのは2000年頃までは40番手くらいまでしか引けないといわれて資材向けが多かったのですが、2000年を過ぎてからは、60番手クラスが当たり前になってきて、今では、中国のほとんどの紡績工場が100番手の糸まで引けることをうたい文句にしています。どこのリネン紡績メーカーもが150番手クラスに挑戦するという話を出されますので、あと5年ほど待てば150番手を超える糸も生まれてくるのではないかと思います。

以前は、リネンの100番手というと手の出ない高嶺の花だった感があり、織れるかどうかが分からないといわれる世界だったのですが、今では、どこのメーカーの糸を使用するかなど選択肢もかなり広がってきています。
2011年01月06日
昨日は、夕刻にDENさんが新年のご挨拶ならびに生地の調達にお越しになられました。リネンの本も2冊プレゼントいたしました。ゴールデンアイリッシュリネンのチーズに巻いた糸を少しお分けいたしました。一本一本の糸も非常にストレートで、今の原料と紡績技術では、このクラスの糸を再現することは難しいと思います。

今日は、ゴールデンアイリッシュリネンの糸を使ってミサンガ用の紐を作ってみました。リネンの80番手と細いので、とりあえず9本を撚糸にしました。糸が直径2ミリくらいの太さになりさりげなく付けるのにいいんじゃあないかと思います。

もう少し太いものに挑戦してみようかと思っております。27本をしっかりと束ねたものならかなり貫禄があるのではないかと思います。腕につけると純金みたいです。ピカピカ光っています。他では手に入らない希少なリネン糸ですが、このような使い方ならアイリッシュリネン糸を皆様に楽しんでいただけるかとも思います。

今日は午前中、加工工場に加工出し、お昼前に司法書士の先生がお越しくださり、午後からも新年のご挨拶のお電話をたくさんいただきました。JETROさんからも米国向けの輸出に関する資料をメールでいただきまして拝見させていただきますと非常に勉強になります。
2011年01月05日
最近では家庭でもウールものを洗濯してしまう時代になりましたが、ウールというのは過程で洗うのは厳禁だったものです。リネンも昔は家庭で洗っては駄目なものだったのです。シルクもそうだったりします。

ウールやリネンの理由というのは、まず第一に、水洗いするときの寸法変化率と呼ばれる数値の問題があげられます。天然繊維であるが故にどうしても水を吸収しやすいという問題と絡んできます。

もう一つの問題は、寸法変化率以外の問題で詰まるという問題です。洗うたびに詰まっていくのです。織物というのはアップアンドダウンがありますので、そのアップアンドダウンがより立体的になることで詰まっていくのです。

リネン物で、しっかりとした襟元のシャツがないのはこのことが強く影響しています。それをつくると実際にはドライクリーニングでも危ないのです。詰まるという現象は、粗く織ったものでは比較的少ないもので、余裕分の見越しや芯地の選択や素材を選ばれる方の経験にも大きく左右されると思います。
2011年01月04日
ゆっくり時間を掛けて作るものというのが昔ほどは評価されなくなってきています。私自身も、加工工場さんが麻布を一日寝かせてから次の工程に移られる意味をよく理解はしているのですが、つい急いで欲しいという話をしてしまうのです。良いものを作りたいときにこれが本当に駄目なことは良くわかっています。

染色から上がった色糸に関しても、面白いもので、まだ出来立ての状態では色を見比べることが出来ないのです。出来立てのほやほやのカセを持って帰って巻こうとすると、内と外の色が異なるのです。これは、まだらに染まったというのではなく、温度の差です。外は冷めていて紺でも、内はまだ暖かく紫だったりします。冷めると均一な色になるのです。

加工から上がったリネンにしても、出来立ては風合いが違和感があるのが当たり前なのです。テンターで巾だしするので風合いが良くなくなるのです。リネンや麻のものに関しては時間を置くとしんなりとしてくることが多いものです。加工上がりの反物の風合いというものも縫製などのプレス工程で水分を含ませることによって風合いがかなり変化します。
2011年01月03日
昨日からお正月明けに向けての段取りの開始です。今、ある指定を受けて織っているリネン糸が硬くて、織物にループができる問題を克服するのに手間取っています。レピア織機なのですが、糸がらせん状に出るほど糸が撚りを受け付けず硬いのです。

小さなループのほとんどは毛羽焼きをすれば焼けてしまうので一般的に問題はないのですが、織り上げた状態で完璧でないのが好きではなく、徹底的に織機を調整しなおしました。無駄も多くなるのですが、捨て耳を長く長くして捨て耳の絡みソウコウがしっかりと糸をホールドするようにしてみたり、絡みソウコウを交換したり、フィーラーと呼ばれる糸を給糸する装置を使ってみたり、糸道油を付けてみたり、テンサーを交換してみたり、開口のタイミングを調整したり、ピックのタイミングを変えてみたりと、この糸の特性に合わせるために機械を調整するのです。

硬い糸というのは縦糸には向くのですが、横糸には向かないのです。横糸というのは、通常柔らかい糊のついていない無加工の糸を使用いたします。弾力があって、縦糸の上下に応じて織り込まれやすいのです。縦糸と横糸が異なるという話をするとびっくりされる方が多いですが、麻の場合で、縦糸と横糸が同じなのは40番手くらいまでの太い番手の織物の時だけで、60番手くらいを超えてきますと糊をつけたり、水溶性ビニロンを巻いたりして織るケースが増えてきます。

この糸も糊はついていないのですが、紡績の時に硬く作りすぎているような感じがいたします。あと、つなぎ目というのが手でくちゅくちゅっとしたような感じを糊で固めたようで、糸が汚くみえるので綺麗にしようと糸を直していくと2本に離れてしまうのです。紡績工場の特性だとは思いますが、リネンの品質というのは同じリネン100%といえども紡績工場によってさまざまです。
2011年01月02日
昨日は、午後からは親戚が家に集まりまして食事を食べました。ご飯を食べたのが出居です。そこには、戦前の賞状が飾られています。先日のリネン日記でも触れましたので、頭の中にあって、一つ一つの賞状を眺めました。小さいころから何なんだろうと眺めていた賞状です。

1枚は大正15年の麻織物協同組合の1等賞の賞状。他は昭和16年の丸紅賞、昭和16年の市田さんの叶賞と銀賞(叶会という会なので叶賞というのも意味のある賞だと思います。)、昭和16年の森五商店さんの金賞、銀賞の賞状です。昭和16年という年は、西暦で言うと1941年で開戦前のものです。

出居でご飯を食べたのですが、そこを使うのも年に1回か2回のこと。出居は、冬は非常に寒く、昔は、青い火鉢が置いてあってそれにあたっているのが、子供のころの思い出です。何もすることがなくても、火鉢の中の墨を鉄の棒で突付いているだけで、時間は過ぎていったのです。

今日は、1歳の姪も来ており泣くこともなく、ご機嫌さんで動き回っておりました。3歳4歳くらいまでは、甥っ子たちも仕事に興味を示してくれ、仕事場にも興味深く身にきていたのですが、小学生になると他のことに興味が惹かれる年頃です。
2011年01月01日
新年、明けましておめでとうございます。
近江湖東地域は、大晦日から雪が降り積もり銀世界に包まれています。

30年以上も昔になりますが、子供のころ、冬には1M近くにもなる巨大なツララが工場の軒には出来上がっていました。工場の熱で屋根に積もった雪が解けてそれが寒さで固まって一冬掛けていくつもの巨大なツララが出来るのです。それを壊さないように取り外して一日だけの大事な宝物にしたのを思い出します。巨大なものだと10kgくらいはあるのですが、太陽に当たるとキラキラとして、自分の家にだけできる不思議なツララに大満足なのでした。今は、工場も建て替えたので巨大なツララはなくなりました。

ツララもそうですが、小さなころに大事にしていたものがたくさん消え去ってしまったように思います。牛乳キャップを集めてキャップめくりという遊びが流行ったり、毎日毎日魚釣りに排水といわれるところに行ったり、夜の水銀灯の下でクワガタやカブト探しをしたりと、たとえば、日曜日に何もすることがないともったいなさすぎて爆発してしまいそうだったのを思い出します。今はすることが多すぎてバタバタなのですが、子供のころは仕事が忙しいというのが不思議でたまりませんでした。

今年は、この数年取り組んだことがさらに前進し、モノをつくるだけでなく、林与らしいモノづくりの姿勢を深めてまいりたいと考えます。