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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年3月
リネン日記:28
2011年03月10日
今日は、午後から30分ほど測量関係の立会いを行いました。夜には出機さんにビームを持っていって、加工に出さないといけない反物を取りに行きました。まだ、畳めてないということで、畳の機械で畳み始めているところにおばちゃんが帰ってこられて畳の作業をみんなで行いました。

そのあと、少し足りなくなったラミー100番の黒の糸探しをおこないました。ちょうど必要な分だけ糸が見つかってほっとしました。今日は、また、新しいキッチンタオルが出来上がりました。よい感じです。


2011年03月09日
今日は新しいリネンの加工方法をテストしてみました。この加工方法がうまくいくと面白いものができるのではないかと楽しみにしています。加工後上がったものをみて、予想していたのとは違う仕上がりですが、それはそれでなんとなく良い感じです。

応用範囲が広いのではないかと期待をしており、オーガニックリネンなどにアプライするとナチュラルな仕上げ以外の味が生まれて良いのではないかと考えています。市販のものとちょっと違うところに自己満足です。
2011年03月08日
今日は、午前中、生地に年輪のような段がでる問題が起こりましたので、それを検反しておりました。この問題の原因は染めにあるのは分かっているので、染工場に対応してもらう以外にはベストな方法がありません。

昨日、後染め素材が染めから上がってきまして加工工場に入りましたので、加工指図を求められ加工工場に伺いました。林与の指図は加工方法がややこしかったりしますので、それを今の製造の各工程にはめ込んでいくのが担当の方の仕事です。ベテランの方に支えられながら新しい方ががんばっておられます。

午後からは、カフーツの米田社長とお若い社員の方がお見えくださいました。生地や糸などを見ていただいて、リネンのこと以外にも働くということの意味みたいなところお話からでした。カフーツさんは、お若いスタッフの皆さんにデザインなどの仕事をしっかりと任せておられる感じでうらやましいなあと思います。

帰り際、焼肉屋さんで焼肉を食べながら気になっていたお若い社員の方との関係をお尋ねいたしました。米田社長と従兄弟だそうで、叔父さんと甥のようなご年齢の差があって、ご商売をされているお家で社長のもとご修行3年目だそうです。なんだかそういう辺りが恵まれた日本の中でも、何もなかったところから形にしていった日本人の力みたいな部分が残っていているようでよいなあと思います。
2011年03月06日
今日は自治会の役員改選の選挙があり、評議員で朝から選挙の立会いで、午後からは開票、隣組の組長という役目もあたっていまして、近所のお家にお邪魔しまして寄るにはすき焼きをいただきました。近江牛のすき焼きで、実はレストランで食べる近江牛はボリュームも少なくて普通な感じですが本当においしいのです。

田舎の小さな集落でもいろいろな考えで、昔のものも大事に、今の時代も大事に、将来のことも大事にバランスが大事だと、林与自身は地場産業に携わっていますのでそれを感じます。林与には田んぼがもう持っていませんので農業はしていないのですが、兼業として農業をされている方には畏敬の念を感じます。お金じゃない世界を大事にされているからです。

東円堂の親戚のお家が倉庫の脇をコンバインの倉庫にしていただいているお礼にお米を1袋毎年くださります。(その親戚のおばあさんは林与の家から嫁いだ方で、昔、近江上布の絣を織ってくださっていました。)東円堂の専業農家の方から買うお米もあるのですが、どちらのお米にしても味の違いなど分かりませんというか、考える必要がないのです。自分の食べるお米はこれだと決めてしまって、ほかのお米のことは考える必要がないと思っているからだと思います。

選挙の立会いの途中は、隣は親戚の別のおじさんだったのでいろいろと話をお聞きしました。そのおじさんの親父さんには昔、林与で整経の仕事をしてもらっていたのですが、今は、ご高齢で体の調子がお悪いとのことでお気の毒で、昔のことを尋ねるようなことは出来なくなってしまいました。

私が親戚のおじさんたちとお話しておりましても定年退職されて、小さな字が読めないといわれる方ばかりで、私ももうすぐそんな感じになるのかなあと…。年をとって、よい仕事が出来なくなるというのは気力の面だけでなく、視力や体力の低下などの面が大きく、良い仕事ができるのは40代中ごろまでなのかなあと心配です。
2011年03月04日
染色工場と加工工場に問い合わせました。まだまだ、この春夏ものの本番が動いているときなので、一杯の状態が続いておられるようで待たねばならないこともいた仕方のないところです。午後から組合に行きまして、年度末に向けての決算のための計算を行いました。夕方くらいまでかかったのですが、帰りには、組合事務局であまっていましたテレビビデオとパソコンを預かって帰りました。日本では、まだ、使えるものがゴミの時代です。私自身も、若かりしころなら、パソコンをばらしてパーツを取り出して自分で大事に取っておくとかがんばれたのですが…。林与もがんばりたい気持ちは今もあるのですが、無料回収にでも出すしかありません。

昔の人は、自生している苧や大麻から繊維を取り、績んで糸を作りました。今の日本人の7代、8代前までは、当時は農家がほとんどだったと思うのですが、そういうのがどの家でも内職的に当たり前に行われていたといいます。自分で糸から作ることが出来たのが江戸時代の人々で、今の林与にしましても、作業のごとにたくさんの残糸がゴミとなり捨てるようなことですので、昔の人からすれば、1Mの糸にしてももったいないでとっておいたのだろうから、林与にしましても、もったいないの度合いがまだまだ足りないんだろうなあと感じます。

午後からは、H TOKYOさんからも伊勢丹さんのご案件でお電話いただきました。ちょうど、林与のほうもH TOKYOさんにはお願いしたいことなどありまして、バレンタインまではハンカチ業界はお忙しいといわれていましたのでハンカチの縫製などもお願いしまして春に向けてサイトでも林与の生地で作ったハンカチをいろいろとならべられたらと考えております。スタジオGALAの小林良一氏も、この3月の終わりころに日本橋の三越伊勢丹さんでイベントを開催されるそうで林与のリネン生地を使ったものもシリーズのなかに検討くださっているとの予定です。3月の後半ころは東京コレクションの時期で参加メゾンの皆様のショーをいくつか拝見するほか、リネン教室の上島佳代子先生とリネンチームの皆様とお食事させていただく予定で楽しみにしています。

まだまだ、滋賀県は寒い日が続いていますが、3月の後半だと桜が咲いているのかもと期待をしております。リネンショップなどのお店の店頭もリネンのアイテムに切り替わっているころだと思いますので、日ごろお世話になっているショップさんなどにもお邪魔させていただこうと計画しています。リネンの好きな方はハンドメイド系の方が多いのでお話しさせていただいていても気持ちもほのぼのすることが多いです。私のほうがいつもバタバタしすぎてて、バタバタしながらも毎日毎日ものづくりをしているのではありますが、時間ができたらじっくりと林与らしい布つくりに取り組みたいなあと、そんなときに幸せなのが、自分の会社の中にその力があるということです。

近江湖東の産地を見ていましても、加工工場、染色工場、糊付工場さんなど70歳くらいの社長や会長さんがまだまだ現役で現場で立ち回って動いておられます。技術や知識を持っておられるだけでなく、会社や社員を支える気持ちをもって戦後の波の激しい時代を乗り越えられてこられましたので、社員がいなくても日曜日などに工場にお願いする糸などを届けると一人当たり前に体を動かして働いておられます。職人たちを厳しく指導できるだけの資質はそういうところから生まれてくるのだと思います。
2011年03月03日
今日は、お昼過ぎに神奈川からお客様が起こしになられました。yourwearの佐藤さんです。お電話でお話はしたことがあるものの初めてお会いするので駅で間違わずにお会いできるのか心配でしたが、ニットの帽子とマフラーが目に入ってこの方だとすぐに分かりました。

林与にお越しいただいて、リネンの話や、ニットの話やいろいろで、珍しいものも見せてもらいました。リネン25番手のニットのワンピースを着られていたのです。非常に良い感じのものでした。ほかにも、アルパカのリリアンの糸が太くって面白かったです。リネンでも、そんな糸ができないだろうかと京都のモンドさんにお尋ねくださるとのお言葉でした。昔、リネンモールというものを紡績工場に作ってもらったことがあったのでしたが、良い感じながらも重すぎて活用は難しかったので、リリアンだと軽くてボリュームのあるものができるのか、はたまた、リネンだけに、やっぱり紐状になってそれほどなのか、どういうお答えをいただけるのかは楽しみです。

あと水撚(みずより)のリネンで作ったかばんを持っておられました。水撚というのは、麻の糸というのは、硬いので撚りが入りにくいのです。強い追撚を掛けるためには、水に濡らしながら撚りを掛けていきます。乾式で撚りを掛けるよりも撚は掛けやすくなり、1m辺り番手くらいの撚を掛けることが可能です。撚を掛けると糸にトルクが生まれるので、反発力のあるしわになりにくい布が生まれます。

食事のあと、彦根の縫製工場にお邪魔しました。時間が遅かったので作業を見せていただくことはあまり出来ませんでしたが、林与のリネンで試作していただいている商品が一つあったので、リネンで作ってどんなものになったのか佐藤さんにも見ていただきました。非常に寒い一日だったので、滋賀県というところは寒いでしょうとお尋ねしますと、秋田のご出身なので寒いのにも慣れておられるとのことです。秋田には、織物工場は少ないそうですが、縫製工場はたくさんあるそうです。

佐藤さんがかぶっておられたニットの帽子が非常に良い物っぽくって印象的でした。ニットの帽子、女性の方にお勧めです。暖かく、かわいいだけでなく、若く見えます。日本の秋と冬のブランドyourwearのサイトです http://yourwear.jp/ 。
2011年03月02日
今日は、3月に入っているのに、また、すごく冷え込んでいます。年をとって寒く感じるのかと思って、若い社員に聞いてみて、その子も今日は寒いといっていたので安心しました。

今日は、アンティーク調のキッチンタオルが色柄含めて10種類くらい出来上がり、一枚を縫製して洗ってみます。しっかり1回洗って脱水し外に干して、ナチュラルでザラザラな仕上がりながらも、キバタから目の詰まった状態にしっかりとなってしかも鳥の足跡のような模様が浮き上がっている感じなのは、将来有望を思わせます。案の定、2回目、3回目と洗って、柔軟剤を入れて家庭洗濯に近い状態で洗って、手元にあるものをみるともう市販のものより味があっていい感じです。

これは、自分自身がハンドメイドしたという実感があるので、品物の良し悪しを見るのではなく、自分の作業の良し悪しをみているのだと思います。自分が洗って布を作り上げていくというのも乙なもので、35cm四方の一枚のタオルハンカチがどれほどの力をもっているかは分かりませんがその布を手にしているだけで満足感があります。

たぶん、その布をほかの人がいい感じだとは思わないのに、自分だけがその布のいい感じなのを分かっているということで、優越感に浸っているのだと自己分析してみました。決してそういうのって悪いことじゃなく、それがプライスレスな価値の世界なんだと思います。タオルハンカチとして使ってどう変化していくのかを見守りたい気分です。
2011年03月01日
今日はシャトル織機でタオルハンカチを織って作ってみました。生地はシャトル織りで平織です。大きさは厚い分、普通のハンカチよりも小さく、折りたたんでポケットに放り込んでおくようなタイプです。ビンテージアイリッシュリネンハンカチと同柄をあしらい、予定では20色柄ほど出来上がる予定です。

こちらは、こちらのサイトで近々販売を開始いたします。生機と製品の両方で出せば、木畠をお買い上げいただけるとご自身で、上下を三織にしていただくだけで、タオルハンカチを作っていたけるかと思います。リネンのものとしましては、林与のシャトル織で謳えるだけのものではあると思います。

先日、キッチンタオル生機をハンドメイドされるときのミシンの糸に関してのご質問がありました。林与では、工業用ミシンの本縫ミシンを使っています。糸は、綿の60番ミシン糸です。通常の60番手の糸を3子にZ撚してある普通のミシン糸です。天然にこだわるために綿の糸を使っただけで、それは、ポリエステルの糸のほうが強度は増すと思います。番手も、50番手や30番手でも大丈夫だと思います。

みなさんが、縫い糸にもこだわってくださっており、リネン糸が縫い糸として使えないかというお話はいろいろな方からご相談を受けているのですが、ミシンを使うときにリネン糸は非常に難しいと思います。まずはフシがあること、そして強度の面です。ミシン糸というのは、通常の単糸や双糸と比べると非常に強く作ってあります。

ミシン糸の話になりましたので手芸などに使われます。アイリッシュリネンコードについても触れておきたいと思います。今も、アイリッシュリネンコードを作るメーカーさんはイギリスに現在も結構たくさんありまして、元糸に強い撚りを掛けたものを束ね合わせて逆撚りを掛けるかたちで、綱のようなイメージの糸が出来上がります。これを蜜蝋で固めて出来上がりです。よく、毛糸玉のような形でラッピングされて売られているのを見かけます。

アイリッシュリネンの紡績工場がなくなった後も、糸加工や織工場が残り続けるというのは、材料の代替がなんとかできたからだと思います。オイルショック後というのは、北アイルランドだけでなく、イタリアの名門のリネン紡績にも危機が訪れ、オイルショック後の世界的にものが売れない時代が、ヨーロッパのリネン紡績産業に与えたダメージは大きすぎたといえます。