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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年1月
リネン日記:30
2012年01月10日
昨日は、「成人の日」で、今日は連休明けです。本当に1月というのは仕事が回りにくいものだなあと思います。自分自身が全力を出そうとしても銀行振込みひとつができないので待たないといけないのです。海外からものを購入する場合など、まだかまだかと振込みの催促があるのですが、お正月って明けて、5日、6日と稼動するだけで、次は10日みたいな感じです。

特にヨーロッパとのやり取りでは、時差の問題が絡んできますので、海外送金に質問などがあったり、海外送金した振込みの紙などをメールに添付して送ろうとしても確認が次の日ということで、1月頭から中ごろにデッドラインを作られてしまうとその対応こそが、日本の1月の事情からすると難しいものです。

ヨーロッパの国なんかは、クリスマスバケーションがあったりするので、明けた1月というのは仕事が動いていて当然みたいな、時差以外にも、バケーション差みたいなものが、噛合うのを難しくします。アジアでは、中国が旧正月にもうすぐ入りますので、それはまた1ヶ月の間、世界生産の何割かの部分が止まることを意味します。

これは相手の企業が云々だけでなく、税関や輸送関連にしても動きが不確かになりますので、納期に関しても不確かな要素が増え、トラブルも増えてしまいます。通常の納期設定などを守ろうとすると、年末の22日過ぎから1月中ごろまでの1ヶ月間というのは、ストレートには物事は進みにくいものです。
2012年01月09日
絵を見て楽しむ、本を読むのを楽しむ、など、絵の美しさやストーリーの展開の面白さの部分が評価のひとつではないかと思います。また、その作者の人生観のようなものを捕らえるというのもシリーズを見たり鑑賞したりすることで、ファンとしては大事だと思うのです。

カリフォルニア大学アーバインキャンパスのイクステンションにいたときに、フリーダカロについて発表をするというのがありました。メキシコ人の女性画家でみたいな話で、絵がシューリアリズムで怖さを感じるような側面のある作風で、その女性画家のことに興味をもったというよりも、その作風がどうして出来上がってきたのかというところに彼女の人生が作品として現れているというのを強く感じました。

たとえば、人物画の中にサルが作品の中に出てくるのです。それは、彼女がサルを飼っていたこともあるかとは思うのですが、それ以上に、中学生のころに交通事故で子供を生むことのできない体になった彼女の寂しさを表す象徴のひとつとしてサルが出てくるのだと思いました。

色使いは綺麗ながらも作品を見ていても売ろうとかいう意図のあるものではなく、作品の中に自分自身の世界を表現するのが大事であるというような気がします。しかし、あのような重い作品を買って今などに飾るお客さんがいるものだろうかと思うのですが、芸術の世界というのも最終的には哲学に結びつくので作品としては評価は高いのであると思います。

ピカソにしても青の時代が比較的写実であったのに、キュービズムに傾倒していったのも、目の前にいるモデルたちの内面までもが絵にでているということだといえます。ピカソの作品のなかでも、私の好きな作品のひとつにアルルカンに扮するポールというのがあります。本当に写実的でピカソらしくないのですが、ポールはポールだという表れではないかと思うのです。

キュービズムにしても表現技術の問題ではなく、ピカソ自身が感じる自分の世界を表現しているということだといえ、ピカソは絵を描いているときに上手に書こうというのではなく、自分の感じたことをそのままに表現してそれがわかる人にはわかるというところが偉大なのだと言えます。ひとつの作品だけですとそれは見えてこないかもしれませんが、いくつもの作品に流れる共通した要素を感じることで作家の人生観を感じることが可能なのです。

絵なんて本物は何億円、絵の写真だとネットでも無料で見られますが、その何億円の価値というのは、ピカソ自身の人生観が価値を生み出しているのだといえます。ゴッホの耳を切った話なんかも有名ではありますが、耳を切ることと絵のすばらしさなんて関係はないと思うのですが、ゴッホの人格というものがゴッホの絵の価値の評価に大きく影響をしているとは思います。

ピカソやゴッホにしても、絵を描き続けるのを支えることのできる人がいたことは幸運ではあったかと思うのです。今、日本にもたくさんの芸術的な活動をされている方がおられますが生活を立てるのは非常に難しい世界であると思います。特に、綺麗系ではないシュール系のものというのは、哲学的で芸術本来のものであるかと思うのですが、飾るようなシチュエーションの想定が難しく、商品としての価値はつきにくいものです。
2012年01月08日
このところリネンの厚地を織っています。もっと厚く織りたいなあと思えば、更なる手法を使えばあと1割くらいは上げられるかと思うのです。あまり厚くしすぎると織っているときにダブる現象が起こります。それは、目でも生地が前後に大きく筬が打たれるときに動くのでわかりますが、もうひとつ織機の音が苦しそうになるので、これ以上行くと織機が壊れてしまうなあという話になります。

もともと、林与の織機は重織機ではないので、あまり厚いものを織るのには適していませんが一方で重織機だと麻の細番手のものをおるのにはトルクが大きすぎて辛かったりします。

2年ほど前に66番手の糸で縦インチ100本X横インチ88本の織物を織りましたが、まだ糊を付けて糸を強くするなどすれば、縦横でインチ200から220本くらいまでいけそうな気がしました。縦糸がももけて織れなくなるのです。通常ですと、55本X55本くらいの織物で、縦横でインチ110本くらいの織物な感じですが、その2倍くらいの密度まで上げることができることになります。

前にも書きましたが、縦本数が2倍、横本数が2倍ですと、単純に糸が4倍になるだけでなく、単純にみても4倍難しい織物になりますので、実際には限界までいくので、生産性の面で10倍から20倍難しいレベルの織物になります。出来上がったからといって4倍の値段が通るかというと通らずで、高密度の織物というのはつくるメリットは少ないのです。

世の中には出回りにくいリネン生地ですが風合いなどはとても面白い感じです。今、織っている40番手も織りだけでなく、加工も特別にしました。厚地だからといって太番手と同じような顔だと面白くないのでナチュラルにこだわってみました。

ジャパンクリエーションの展示会でイタリアの方とお話したときも、リネンの厚いものは必要ないというようなコメントをいただいたことがあります。やはりイタリアは暑い国ですので、リネンの厚いものというのは北アイルランドなどの寒い場所に向くのだと思います。
2012年01月07日
今日は天気が不安定です。晴れたり雨が降ったり雪になったりと何十回も繰り返しています。新年早々、もうそれほど寒くはないということなのでしょう。お店では冬物のセールが行われ、もうすぐ春物が並びはじめることになります。

仕事の合間に、2月のパリ行きの予算などを出すために調べごとをしていました。展示会を考えているので荷物が多いことを考慮すると、エールドフランスがよいのかなあとも思ったりしています。リネンハンカチや試作品などと、ハンガーを中心に持っていきますがスーツケースいっぱいだと30kを超えてしまいそうで、ほかの航空会社だと超過料金が割高になりそうです。

大学のときに、旅行でパリに行きました。覚えているのは凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館くらいでしょうか。エッフェル塔のミニチュアの70cmくらいある鉄のエッフェル塔を買って、友達のお土産用にスーツケースに斜めに精一杯入れて、飛行機に乗るときにX線写真にきれいにエッフェル塔が写るので、X線検査の担当の人が大うけしていて私にサムズアップしてたのを覚えています。

パリもテックスワールド展に出る予定だけで今回観光などの時間はなさそうで、同時にプルミエールビジョンも開催されているのでそれを少しでも覗ければよいかと思っていますが、行ってみないとどんな雰囲気なのか分からないところがあります。時間が少しでもあれば、パリの生地屋さんでリネンを眺めたいなあと思いますが展示会が終わってからの時間はお店も閉まっているでしょうね。
2012年01月06日
今日は、ひこねの組合の事務所開きで、商工会議所ならびに市役所にご挨拶に伺いました。会社に戻ってからは加工出しでへとへとになりました。加工工場さんも今日からスタートのようで、会う人事に新年のご挨拶です。やっぱり、今日が仕事始めのところが多いのかなあと思います。

アパレル向けの反物を巻く紙の管を、紙菅(しかん)といいます。輸出向けの小割りにしないといけないのがありまして、加工工場さんに40本ほど販売して分けてもらいました。木管は再利用なのですが、紙菅は1回使うと通常は使い捨てになるのでもったいないなあと思います。子供たちがチャンバラごっこして遊ぶのにはそれほど危なくないのでとてもよいのです。

紙管も「帯に短し襷に長し」と同じで、生地の幅より少し長いくらいのものでないとよろしくないのです。紙管も長さだけでなく、直径と厚みも重要な要素です。丈夫であればあるほどよいのですが一回で使い捨てにするので、あまり丈夫なものはもったいないのです。

生地を立てて販売される生地屋さんの場合には、紙管が中で折れたりすると生地にしわが入ることになります。反物を肩に担いで運ぶと中で紙管が折れやすいので、反物は両手でしっかりと持ち上げるように運んであげるべきです。反物を放り投げる加工工場や運送会社の方がおられますが、そういうときには紙管が折れると生地にしわが入ることを知らない人が多いのです。
2012年01月05日
手仕事の力ってすごいなあと思うことがあります。機械化されたものが汎用的なものしかできないという限界があるのに対して、人が手がけると作るのが難しいものをなんとか形にしようとして動くので、ほかではできないものが生まれてきます。

これは、布という範囲にとどまらず、糸にしてもそうです。機械に任せておくだけでは、通常の番手しかできませんが、人がそこに介在することで細い番手が可能になり、また、その細い糸を扱うために何倍もの労力を入れて織ることができるようになるのです。

また、難度の高い生地などは縫製の力が大事です。ほかにないよいものというのは無理をして作っているので、逆に、いくら手をかけても難が増えることが多いのです。それをカバーするだけのものづくりの力があると、ほかにはできないよいものができてきます。布をいくら限界まで挑戦してつくっても、縫製の力がないとよいものに仕上がらないことも多いのです。

量産のものに関しては、今は日本国内よりも海外のほうが縫製の基準が高くなってきているように思います。縫製が海外に行ってしまうとその材料調達も海外に移るのが自然の流れです。自動車や家電などのアセンブル部分が国内に残っていることにより、それに対しての部品調達を行う産業が国内に残りえるのです。
2012年01月04日
弟が横浜に帰りました。3が日仕事ばかりでほとんど話もできませんでしたが、元気そうで、シスコシステムズでシステムエンジニアをしていますが、アメリカも景気が悪く、今年の冬休みは長いそうです。

今、円が強くユーロが弱い状況になってきています。不思議ですが、先進国が潰れたり、デフォルトすることなんてほとんどないのに貨幣価値が、これほどまでに上がり下がりするのは、投機的な要素が働きすぎていてマネーゲームでしかありません。

ブランド関連でも、この円高というのは大きな影響があります。インポートブランドを手がけておられる方にとってはプラス材料となりますし、国内のメーカーにとっては、インポート愛エムの価格が下がったことにより、シェアの取り合いでマイナスの影響が生じます。

基本、日本のテキスタイルメーカーにとって円高は悪影響です。林与は、海外への輸出の比率は低いので、円高云々に一喜一憂するようなことはほとんどありませんが、輸出入で生計を立てられている方にとっては、貨幣価値の上下によって、仕事そのものが変わってしまうこともありうるのです。アイリッシュリネンが消えた背景にも通貨の問題が絡んでいます。
2012年01月03日
お正月といってもショッピングセンターなどは、お店を開けて普段人集めに苦労をしている分をまかなおうとしています。買い物も、実店舗よりも高額な商品ほどインターネットで買う時代になってしまい、実店舗の価値というものが下がってしまっています。

それでも記念に買うものや、値段じゃない思い出作りの買い物などは、買う場所すらもが大事であったりするのです。ブレックファストアットティファニーズなどは、買うものの価値よりもその場所が大事というような部分ではないでしょうか。憧れの場所っていうのがあるのもよいものです。

私の中では、日本的過ぎるかもしれませんが、京都の三千院が一番好きな場所のひとつです。特に秋の透き通った空気の夕暮れ時の三千院というのはよい感じがします。私自身は、宗教的なものはあまり好きではないのです。高校もプロテスタント系の学校でしたが、キリスト教の授業は、誰々が言ったからすべて正しいというのがいかなるものかと思うことが多かったです。私が好きなのはお寺にしても自然に包まれている部分なのかもしれません。

この3が日も仕事をしていて思うのが、ものづくりに没頭できればよいのにと思うことです。でも、一方で、ものづくりに没頭している人のものというのは商売にはなかなかならないものだったりいたします。ものづくりに没頭しているということはひとつのものを作るのに膨大な時間を使うので、それをするよりはものづくりに没頭した人のものを、真似て安く作って商売するほうが商売上手だったりします。

この年末にある大手のブランドさんから荷物が届いて、ご担当者の方のお体の具合が悪く、この1年ほどあまり会社に出てこられておられないようなお話で、代わりの担当の方が対応を下さっています。お会いしてお話していると元気をいただける方でしたのにご回復をお祈りいたします。
2012年01月02日
今日も不思議な現象で、糸を替えると同じロットの糸を使っていても反物の織幅が1cmほど大きくなる現象が起こりました。これは、トップの糸で、太さが同じだとすればトップの混ざり具合が微妙に違うことから糸の硬さが異なり、糸がやわらかくなったということだと思います。整経の現場では一つ一つの節、織っている現場では糸の錘の差くらいまで見えてきます。

ピュアな糸というのは通常は高品質でなければなく、混ざる糸というのはグレードを落とすというのが一般的な方法です。双糸にするものも通常はグレードの低い単糸でよいとされます。染にしましても、均一の太さの糸を染めると均一に染まりあがりますが、糸の斑や節が多いと白っぽく、ソリッドな色には染まりあがりません。

今のリネンの紡績糸というのは均一なものというのがなくなってしまったような感じで、先染でカセで染めても中までしっかりと染めることができないケースが多いのです。太い部分というのは結局、中が薄く染まってしまいます。中までしっかりと染めようとすると特殊な方法が必要ですが、今の時代にはそれをできる染工場はないと思います。

以前海外の紡績工場が後染めが斑に染まった問題も、糸の細い太いから生じる染斑から来ていることを紡績工場の方には教えてあげましたが、この問題というのは特に、縦糸に綿やシルクを使って横糸にリネンなどを織る場合に症状が見えやすい問題です。

錘の差の問題は、リネンでは当たり前だったりして、織物を良く眺めると2倍くらい太さが違うことが多いのです。見た目で2倍違うということは、重さにすると、直径が2倍違うということですので4倍違うことになります。特に細番手になってくるとこの傾向は良くわかります。

電子はかりで糸を分析すると、2mの長さを取ってみても、どこの部分でも理論値のプラスマイナス10%くらいの範囲に収まっているので、今の紡績技術というのはすごいものだと感じます。この部分は昔の糸よりも今の糸のほうが優れています。しかしながら、昔の糸には見られなかった、今の糸特有のリピートする極端なスラブが出たり、撚りが掛からないといわれるのも今の紡績方法の影響だと考えています。
2012年01月01日
新年あけましておめでとうございます。
大晦日というのはテレビをみる唯一の機会なのですが、テレビがまだ地デジに対応していませんのでテレビを見ることのない大晦日でした。

最近、リネンの高密度のものを織ることが多くなり、麻織物が難しいのかという問題ですがそれは糸が切れやすいからで、合繊はもとより、綿やシルクだと起きない問題でも、リネンの細番手の場合には織れない問題が良く起こってきます。

縦糸が切れて切れて織れない部分がどこなのかというと耳の周辺だったりします。その問題がどこにあるのかというと、実は織機の設定ではなく、整経の問題にあることが多いのです。それが、リネン織物の場合には特に起こりやすい問題で、綿の機屋さんなどがリネンの縦のものは織れないといわれるケースのほとんどです。

特に、織ったときに耳の部分のドロッパーが下がってくる現象というのは起こりやすい問題です。一度こういう問題を経験すると1mを織るのに何時間もかかりボロボロの布しかおれませんので次からは同じものには挑戦したくなくなるという機屋さんも多いかと思います。

なかなか最近は林与自身も徹底ができていませんが、耳の糸ひとつにしても耳糸用の綿の糸を用意するのが本来は完璧なものづくりだったりします。通常の糸と比べてどれほど糸切れが少ないかなどは商品にはほとんど見えてこないところではあろうかと思いますが、耳糸ひとつにこだわれるような昔のものづくりというのは流石だなあと感じます。