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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年5月
リネン日記:15
2012年05月31日
5月も終わり、月末というのは振込みなどものづくり以外の部分で忙しいことも多いものです。ものを売り買いする商社さんだけでなく製造の伴う業種では、代金の決済などを含み、月末にはいろいろな物事が動きます。

今日は、お客さんが来期のお話ということで3件お電話をいただきアポイントをとらせていただきました。どこの会社も6月から来期のものづくりに関して企画が始まるところが多いのでしょうか。6月頭の週に話を始めていこうとされる感じです。

2012年05月27日
昨晩はひこねの組合の総会があって朝のうちは体にアルコールが残っている感じでした。今日は、よいお天気でよかったです。といいますのもワークメッセで、午後4時にミシンの撤収作業に行くからです。軽トラックの後ろにミシンを2台乗せて帰ったのですが、元の場所に戻す作業は、一仕事です。

今の時代というのは、こういう作業がないケースがほとんどで、それを考えるとこういう力仕事があるほうがよいのではないかと思うのです。こういう力仕事をいやになってしまうと、小さな無理もできなくなるので、できることというのはどんどんと少なくなっていきます。

スポーツで全力を出すのは厭わなくても、同じ体力を使うにしても仕事で全力を出すのを厭う傾向があるようです。仕事もスポーツも同じようなものじゃあないかと思います。ましてや、プロなら仕事で全力を出す必要があろうかと。

ミシン2台を運び上げてそれなりに疲れきって、夕方は、天気がよかったので日曜日だったので一回くらいよいかと、仕事を早めに切り上げて琵琶湖を眺めに行きました。雷と土砂降りの雨に見舞われましたが、こういう雷と土砂降りなんかが自然を調整しているのだなあと感じます。特別すぎるよい天気も実は不安定なものなのです。
2012年05月26日
今日は、明日彦根文化プラザで行われますワークメッセで彦根の組合が出展するのでミシンを2台運び込みました。彦根市内の小学生が2000人以上、彦根市内に営業所を持つ企業のブースで職業体験をすることにより、子供たちに仕事ってなんだろうというものをわかってもらう体験のチャンスです。

小学生の子供たちもそういう場所でものづくりなどの経験を持つとそれが将来の仕事を考えるときのひとつの候補となるかもしれません。今の時代は勉強、すなわち遊びの期間が長すぎて、実際に自分が仕事をしても頭は動いても体を動かして、みるということすらチャンスは少ないものです。
2012年05月19日
今日は、朝、綿の糸が届きました。綿の100番手双糸なのですが、昔から比べると綿の双糸も価値が落ちてしまったなあと感じます。昔は綿の100番手の糸でも買おうと思えば180kg買う覚悟が必要でしたが、今は、小出しで出てくるようになりました。

このことは、便利になったと喜んでいればよいのではなく、結局、しっかりと作らないとならない一級のものが消えていく流れにあって、そういう手軽なものを使うしか選択肢がなくなってきてしまったのです。品質の高さからカネボウの綿の糸なんかをメインに昔は使ってきたのですが、大手さんというのは不況の傾向が続くと工場を支えきれずに工場を閉鎖するというのが流れです。

紡績業というのは華やかに見えるものの存続させることは非常に難しいことであるのを感じます。通常、川上といわれるところから順番に産業が閉じていくものです。紡績業の前には、原材料を供給するような一次産業があったはずで、そこから担い手がなくなり消えてゆくものです。今の時代に、一次産業として糸の材料を供給することができるのかというと、コスト面での海外との競争の難しさだけでなく、品質面でもあるひとつの畑で生産をすることの品質の不安定さというのは、作柄などあり糸などの製品にしたときにも頭を悩ませる問題となると思います。

よくお尋ねをいただく、リネンの国産の糸はありませんか?という質問に関しても、産業レベルで使えるリネン糸というものは海外からの手配が100%となっています。(趣味の手紡績の世界は除いてです。)
2012年05月18日
織機というのは非常に長持ちするもので、レピア織機にしましても消耗品を除いては30年以上ほとんど本体には問題がなく使えているのが今となっては不思議です。今の機械というのは10年も使うと磨り減ってしまうのが当たり前なのに、昔の機械のほうが丈夫な素材で作られている。電気回路なんかにしましても一つ一つの部品が何十年も持つように作られているのに今の部品と交換すると1年くらいで同じ場所が悪くなります。

今日は昼から織機の電気部品の交換に機械屋さんがきてくれました。しかしながら、これってどうなるのかなあと思います。国内の織機メーカーが今も昔の織機の保守ができるのかというと、見た目のスペックは上がっていくものの、一番大事な耐久性や保守の面など見えない部分は今の電気製品と同じで5年とか7年の消耗品に近い扱いで、機械メーカーの人と同じくらいの機械語との専門知識を持った人がいなければ、機屋というものの存続雄難しいなあと思います。

電気部品の交換は30分ほどで完了し問題が直りました。故障箇所が、機械の使い方などの問題と絡んで最初からおおよそ推測ができていたので、修理としては簡単なのですが、その部品を手に入れるということができなければ、機械そのものがゴミとなってしまうので、保守ができなくなってくると工場自体の存続ができなくなります。

私が想像するのが、新興国で立ち上がる織物業にしましても、国が栄えるようになれば、より貧しい国に生産がシフトしていくので、織機を買い換えるのではなく織機をメンテナンスしていかねばならないときがくると思うのです。そのときに、日本のように続けていくのか、あるいは、やめて違う仕事に移り変わるのか、という問題に遭遇するのではないかと思います。日本も織機のメンテナンスの面では不安要素が多いですが、新興国の産業のほうがその問題に直面するのは早いかもしれません。
2012年05月14日
5月14日は、誕生日で、フェイスブックつながりでいろいろな方からおめでとうと声をかけていただきました。林与は40歳を過ぎても時間いっぱいにフルで動いていますので、織物に関しては40を過ぎてからの経験値の増加のほうが多い気もしています。

また、人の人生というのはいろいろですので、型にはまる必要などないと思います。昔は田舎がすごかったのは型にはまっていなかったからだと思うのです。田舎だから許されたことも多く、そういう中でのものづくりというのは半端ではなかったのです。

今は田舎というのは競争が少なく、都市部と比べて普通の型にはめようとする力が強いので、田舎では特別なものは生まれにくくなってしまって、産業にしても昔は田舎にあったようなパワーが無くなってしまったような気がします。

日本でも田舎らしい田舎ほどものづくりのパワーが残っているような気がするのです。林与のある滋賀というのは、昔から農業が盛んで非常に恵まれている場所なのですが、そういうところに大手の企業が進出してくると、田舎らしさがなくなって同時にものづくりのパワーもなくなってしまうものです。
2012年05月11日
プレミアムテキスタイルジャパンの会場が、昨年の盛況だったテピアから今年の東京国際フォーラムに変わって、どうなるものかと心配をしておりましたが、林与のブースは、最後の1時間くらいを除いてはずっとお客様続きでしたので、昨年以上ににぎやかでした。

ブースの場所は会場を入って真ん中の列の一番右側の奥のコーナーで、前にスペースがあって窮屈さが無く、偶然にも林与のロゴ看板が良く見える感じの場所で、一度、おにぎりを食べるためにビジネスラウンジのほうから林与のブースを眺めましたところ、それなりに存在感のあるブースで自己満足な世界が広がっていて安心しました。
2012年05月10日
2日目もお客様の流れは途絶えませんでしたが、初日よりも落ち着いていた気しました。プレミアムテキスタイルの会場の会期中の雰囲気は、http://www.ptjapan.com/index2.html です。中央の写真の一番手前の林与ロゴのブースが、林与のブースで、ビッグリネンとシャトル織りのポスターが写真では目立っているように思います。プレミアムテキスタイルジャパンはプロ向けの商談会的な展示会でファンシーなものというよりは実務的な会場の雰囲気です。

今回の展示会でも前日に用意した林与の冊子が、初日の午後3時くらいにはなくなってしまって、素材そのものよりも、みなさんが作り手の情報を求めてくださっているのを感じます。シャトルの写真に関心をもたれた方も多く、ポスターを観て、こんな織機をよく動かしているなあという印象をもってくださったと思います。展示してあるストールなどがこんな織機で織られるのをみられるとストール自身の価値よりも、ストールを作る背景に価値を感じてくださるのではないかと思います。

ビッグリネンのポスターも、自作なので林与の頭の中にあるリネンのイメージのひとつがこんな感じです。一部、アイリッシュリネンに興味を持ってくださった皆様には、ビンテージアイリッシュリネンを使いましたハンカチをご覧いただきました。今回、イタリアの細番手リネンをジャガード織りしたものも見せていただきましたが、両者はまったく違うものに見えてしまいます。リネンというものは様々な表情があるものだなあと感じます。

お客様から、フランスのアンティークリネンということで見せていただいたワンピースも、前回のプレミアムテキスタイルジャパンでお客様から見せていただいたタイプのものと非常に似ていて、一度、フランスのアンティークリネンの細番手に関しての調査が必要な気もいたしました。目で見た感じ綿の200番単くらいのイメージなので、インドで見た綿シーチングにシルケットを掛けた感じにすごく似ています。あと、手紡績のずっしりと重い40番手クラスのハンカチも今のものとは違った雰囲気がありました。

今回のプレミアムテキスタイルも林与にとっては多くのお客様とお会いすることができまして、もしかすると一番たくさんのお客様とお話できた展示会のひとつになりました。また、いつもお世話になっている主催の皆さんやジェトロの皆さん、インドにご一緒いただいた皆さんやほかの展示会でお会いした皆さんと出会えるチャンスということで、林与にとっても商談以外の部分でも楽しいイベントでした。
2012年05月09日
今日は、小雨の振る中、プレミアムテキスタイルジャパンの初日で、9時前に会場について1時間で準備を終えました。成田典子さんご夫妻にも弊社のブースを手伝ってもらいながらテキスタイル用語辞典のPRをブースの一角で行ってくださりテキスタイル業界の皆さんが見て納得の充実した内容で、テキスタイル業界の皆さんからはお褒めの言葉が多かったのが印象です。また、すでに買い求められた読者の方が著者である成田さんにお会いでき、驚かれていました。

ばたばたと会場準備をしていると、滋賀県から出展されている近江織物さんや滋賀麻織物やJFWの主催のみなさんが声を掛けにきてくださり、近くのブース皆さんや、他、インドに行ったときに同行させていただいた皆さんなども顔を見に来てくださり、林与が元気にやっているところを観ていただきました。(前日は寝てないので疲れていましたが…)

今日は印象としまして、一般のアパレルさんや問屋さん以外で、百貨店の企画やバイヤーさんが弊社のものづくりに興味をもってくださるケースが増えてきて複数来ていただき、お話を聞いていただきました。メディア関係の方も、今は麻が注目ということで、林与のブースに情報を探しに来られるケースが多い感じです。

林与のロゴ看板も、小さな商談ブース形式では十分にインパクトがあって、不思議そうに眺めて下さるケースが多く、4年ほど前に、展示会前日一昼夜、数人掛かりで作り上げたものなのに永く使えているので、林与自身も、ロゴ看板自体に愛着がわいてきてしまっています。林与ロゴの四角い枠の上が少し開いているのは、意図的なものであるそうです。上が少し開いていることで上に広がっていくという意味があるというのをさる方からお聞きしました。近江上布を生産していたおじいさんの頃から使っているロゴが、50年以上もたった今蘇り、みなさんにいいねえといってもらえるのはうれしいです。
2012年05月08日
 今日はプレミアムテキスタイルへの出発準備をいたしました。プレミアムテキスタイルのために準備したい気持ちは一杯ながらも、留守にする現場の作業の段取りなどを心配です。準備できたのはポスター印刷と冊子印刷くらいで、冊子も100部くらいは印刷したかったのですが時間切れで60部くらいです。名刺はパリの展示会の時に200枚くらい残っていますので助かりました。すべてが自作なのです。

 ハンガーも、今回は黒のタイプに格好良く統一したかったので、黒いハンガーを手配したのに残念な結果です。こういう必要は母な状態の時にやらないといつまでたっても同じ状態が続きます。

 これは仕事全般に関しても同じで、ゆったりとした気分の時には仕事は進まないものです。
2012年05月05日
今日は、お天気が非常によく外は最高な感じですね。私自身は、仕事のもろもろの案件が詰まってしまっていて外でくつろぐことができませんで、あまりできていないメール対応や事務仕事などを行っておりました。

お昼前には2台お借りしておりましたミシンを近くの縫製工場さんに届けに行きました。昔のミシンというのは頭が外れるので、運ぶのが簡単なのに、今のミシンというのは3人がかりで持ち運ぶのも大変な重量です。工業用のミシンと家庭用のミシンではできることは工業用のミシンのほうが少ないのに、価格に関しては家庭用ミシンの何十倍もします。

林与のお客様というのも縫製を得意にされている方が多いかと思いますが、工業用ミシンというのは憧れの世界ですよね。しっかりとしていて安定していてミシンそのものが堅物な職人を見るかのようです。工業用汎用ミシンの世界も、日本のブラザーとジューキに対する信頼というものは絶大なものがあります。

近くの川の上には鯉のぼりが吊るされています。実はこの鯉のぼりは各家にあった要らなくなった鯉のぼりを村が集めて保管し管理しているのです。眺めるたびに5月だなあと思えるのは季節感があって良い事です。実際は、鯉のぼりをみて、子供よりも大人のほうが楽しんでいる気がします。
2012年05月04日
倉庫に行ったときに羽定規の束を見ました。段ボール紙を束ねた感じのものでその側面に模様が書いてあり、その一枚が一本の糸に対応をしているのがわかります。これは、いつのものなのでしょうか?その後の羽巻捺染の道具と比べて素朴な感じがし曾おじいさんの頃のもののような気がします。林与に羽定規があったのは驚きです。

日本麻織物工業組合の資料も出てきました、こういう全国規模の組合に入っていたのも、生産調整と絡んだ話であったのではないかと思います。いわば、麻織物に関しても、お酒や米の販売業者のような許認可制がアバウトな状態で生きていた時代です。

倉庫にあるハギレなどを観ていても、林与の昔の近江上布の絣の着物地というのはどれもがしっかりとしています。「きぬあさ」と呼ばれるクラスの細い糸を使用しながらもしっかりとしているのは高密度に織り込んであるからです。しっかりと織って細い細い糸で織ってあるのに透け感というものはあまり感じません。緻密に織ることの手間隙というのはまさに職人の魂が感じられ人の力を超えた神業を思わせます。糸からしても昔の人だからできたものづくりだと思います。

不思議なのは今の時代の強撚の麻織物がちりめんライクになるのに、昔の本麻の糸というのは、フィラメントのようなハリのある強さがしっかりと出ていることです。これは同じ強撚の糸でもまったく違う糸質です。日本人が本麻らしいという感触の定義というものが何なのかはそれぞれに違うかと思いますが、林与にとっては、本麻らしいひとつの顔が昔の近江上布に見られ、また、別の本麻らしい顔が、甚平生地にみられ、また、別の顔が、今のアパレル向けの手もみの100番手にみられるのです。

私が子供のころの飯台に掛けてあるのも絣織りの麻布でした、こちらは少し太目の糸で荒めに織って雑貨っぽい透けたガーゼ調の麻布の表情をしていました。それはそれで味はありますが、着物用の絣の上布とはまったく違う世界です。麻襦袢生地などは肌着感覚で薄くスムースなタッチです。一重に麻のものといっても用途に応じていろいろな織り方ができるもので、洋装の時代になってアパレル向けのものというのは、本麻にしましても100番手以上のクラスの細い番手を縦横に少し軽めに織りやわらかく仕上げることで、新たな時代を作り上げました。甚平などは着物の世界の流れで番手を落としてしっかりと織り上げるのが基本です。本麻なので、しっかりと織ってあってもTシャツとは比べることができないほど涼しいものです。
2012年05月03日
プレミアムテキスタイルジャパンも近づいてきておりまして、バイヤーならびに招待者限定ですので、林与のブースにお越しくださいます皆様は、招待状を無料でお送りいたしますのでお問い合わせからご連絡くださいませ。会場は東京国際フォーラム、5月9日、10日の両日午前10時からになります。

展示会中の林与の予定ですが9件ほどの皆様とのお話やお会いする話などが決まっておりましていつもよりもタイトな感じになりそうです。昨年はいろいろな企業さんとのビジネスマッチングの機会をいただきましてブースに待機できませんでした。
2012年05月02日
今日は、京都新聞に4月30日に掲載いただきました朝刊が届きました。赤いシャツをカラー写真で記事にしていただいたので見栄えしています。株式会社SQOの小林氏が、リネンシャツに熱い思いをもって弊社に来られてから2年ほど掛かって完成したシャツです。5月19日、20日には表参道で長浜のDENさんと展示会も行われますので、東京方面の方はぜひ、そちらの展示会にも脚をお運びくださいませ。

今日は、レピアでは、ビームに巻いた縦糸が緩む問題が起こり、シャトルでは運転時にソウコウ枠が全部下がる問題がありました。シャトルの問題は、調整の問題だとすぐにわかったのですが、レピアの問題は原因を考えてみないとなりません。納期のあるものだけに、どう対処できるか考えないとなりません。

午後からは、別件で、麻のシャツについての企画のご相談がありました。この夏に必要ということで急いで対応をしないとならないので、林与だけでなく縫製の部分もできるできないのポイントになってしまいそうです。最終、お話のほうがうまく進んで結果がよくなればよいかと願っています。

夜は、出荷などに追われてしまいバタバタでした。海外の数社とのお話も広がっていて、ものをつくる以外のものを流す対応の面でも国内向け以上に書類作成作業などが伴うので力が必要ですが海外のバイヤーさんというのは非常に前向きで楽しみです。
2012年05月01日
ゴールデンウィークの中休みの平日で、林与の場合は仕事なのですが、今はずーっと連休の人というのは少ないようで、この1日2日は仕事という人も多いようです。林与も今日は朝早くから急いでいる分の仕事に掛かり始めてそれが結局夕方いっぱいまで掛かってしまいました。