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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年12月
リネン日記:18
2012年12月31日
大晦日。なぜか、暖かく感じる。今日は朝から糸探し、ここ数日、ある横糸を探しているのだが見つからない。確か送ってきた記憶があるのだが、それがどこにあるのか?一度、行方不明になってしまうと出てくるまですごく時間がかかるもの。
2012年12月30日
2640本の台を3080本に増やす。まず、繋いでそれから足りない分の飾りとドロッパーを入れて糸を通す。それから筬を通し。それほど難しい作業ではないが時間がすごくかかるものです。

自分で機を作ることができる人とできない人で力の差は大きい。上手な人に仕事を担当してもらうのが一番早いし安心なのだが、それではできない人はできないままで、全体が忙しい時でも、やってもらう仕事を準備する仕事が増えるので、出来ない人が出来るようになるしかない。

休み明けまでにはさらに10台くらいを動かすようにしないといけないので、作業する人が分かって自分自身が進められるとよいのだが、筬一つにしても上下だけでなく表裏、左右の確認をして準備して渡してあげないと、ほぼ確実に間違ってセットしてしまうタイプの人は多いもの。

筬の上下は分かり易いが、表裏が反対になると同じに見えてもレピアバンドやシャトルの跡などが表面には残っているのでそれが裏面に行ったりすると糸切れの原因になったりする。仕事を任せて筬の表裏が反対だったりすると、また、筬通しからやり直すことになる。

教えなくても出来る人というのは出来たりするものだが、何度教えても同じうっかりの多い人というのは直らないものだなあと思う。そういう人というのは思いがけない失敗も多いもので、その失敗というのは難しいことに挑戦して失敗というよりも、基本的なところがいつまでも超えられない。
2012年12月29日
ようやく、織り難かったリネンの細番手も動くようになりました。細番手を織るために織機をベストなコンディションにするために筬も新調して、今日届いて織り出しで順調に近い感じです。ネットの販売も売り切れになっていましたが、1月の中旬には販売できると思います。

実は、細場手の場合、糸を手に入れることから始めるので、最初のテストの糸は手に入っても、本番の糸が手に入らなかったりとリスクは非常に高いのです。今年の糸の場合、一昨年までの糸と比べるとかなり弱く、織るのはかなり難しいです。さらに、150番手のアパレル生地ともなると…。

アイリッシュリネンハンカチプロジェクトも終わりましたが、自分が目標とできるようなものづくりができましたので、来年は、現行の細番手糸を使うことでその世界に迫れればと思っています。2月、3月、4月とは試作に力をいれて、5月PTJと10月の上海に向けて新作を持ち込みたいです。

2012年12月25日
実は昨日はクリスマスイブで、今日が本当のクリスマス。今年も残すところ僅か、実は、昨年の年末もすごくあわただしく、そのときにやり忘れたことが今もできていないというのも多かったりで、昨年の年末というのは忙しかったけど乗り切れた。今年も冬休みの宿題がたくさんある。

携帯も壊れてしまい、パソコンも壊れて、今日は、仕事のことでフチなし印刷しようとしたら、プリンタも壊れてしまい調子が悪い。普通の人以上に機能を使いすぎなのかもしれない。よく考えてみるとプリンタはまだ1年前の1月に買ったばかり。なにもかもが一年未満で壊れてゆく。ブラザーの大型プリンタも一年で壊れて粗大ゴミ。

テキスタイルツリーで、12月5日6日に参加しましたハーベスト展のことを記事に取り上げてくださいました。 http://www.textile-tree.com/tex/ クリスマスプレゼントをいただいた幸せな気分です。自分自身がばたばたで写真を残せていないので、リネン日記も活字だけのまま。
2012年12月24日
今日は、メリークリスマスのメールが届いてクリスマスだなあと思っていたら、ノートパソコンの液晶が壊れて画面が見られなくなり、夕方から近くの電気屋さんを3件回って、レッツノートが売ってないか探したのですがありません。

コンピュータとか携帯とか、故障すると、機械そのものよりもデータと作業環境のほうが何倍も大事なもの。修理に出すとデータを消してしまうようなことも多いので修理すらだせません。

結局、本体は生きていて液晶だけがアウトということで、とりあえず、液晶モニタを近くの方に一晩だけ借りて対応です。持つべきものは友。ありがたいです。

今日は、経繋ぎの後送るときに何百本も切れてしまうようなトラブルで、作業しているものが糸が切れているのを分からないまま送り続けるのを見つけてストップを掛けて、リカバーリーを手伝うのが私の役目。作業というのはやる人によって結果は違うもので、これを元に戻すだけで数日分の仕事となります。

織ることすら難しい織物だけに、糸があっちからこっちから出てくるようでは織れないとおもうので、糸を拾いながら手でつなぎなおすしか方法はなさそう。

今日の夜は冷え込んでいます。雪が降りそうな寒さです。
2012年12月23日
ものづくりの道理を覚えようとすると、失敗、つまり経験をどれだけ積むかなのです。失敗していない成功ばかりの仕事というのは実は安全なところに落ち着いてしまいます。失敗して同じ失敗をするのは、経験を積んだことにはなりませんので、経験不足のままです。また、自分が何かに挑戦するときに自分の壁を越えることが一番大事で、他との比較ではないだろうと思います。他との比較で競い合うと真似物に陥ります。

今日もジャガードの使い方を教えていて、紋紙を10回以上破りながら、ジャガードの紋紙のセットの仕方を教えました。破れるのを心配していたらいつまでたってもその人は苦手なままです。失敗するチャンスをあげて成長するのを見守ってあげるのも大事。仕事の経験のない人が多い気がするのは、失敗しないように安全な範囲でしか仕事をするチャンスがないからだろうと。初めての練習でも新しい紋紙を用意して緊張を与えて、次が本番で新しい紋紙でも自信をもってセットできるようにさせます。

この方法は、仕事というのが一回勝負であるという本質を教えることになります。何回も練習していつかみたいなのは駄目で、教えてもらえるのは一回だけ、今日だったら今日中に覚悟を決めて上達してもらうことが大事です。考えてみると仕事というのは本当に一回勝負なことばかりで出来ないとなると大きな問題ですので、そのあたりの覚悟をしているかしていないかで仕事ができる出来ないの大きな差となってきます。

仕事のことでも腹を括らないと前に進まないことが多く腹を括りきれずに流れてしまう仕事というのも多いのですが、人生というスパンで考えるとやりたいなあと思ったことは失敗しようがやっておいたほうが良いんじゃあないでしょうか。
2012年12月21日
チーズ巻き屋さんのおじいさんから電話があって、リネン100番手の6袋が巻き上がったとのこと、「速い」なあ。会社の中ではまだ一袋目なのに…。流石に、何十年やってこられた力の差を感じます。

夜中には、100kgほどあるビームを雨の降る中、出機さんに一人持ち込みました。肩に担いで持っていくのですが、肩に担いで屈伸した状態から一気に立ち上がらないといけません。

今までの記録は、一杯に近い、90kg分くらいの糸の巻かれたビームを一人で持ち上げました。ビームとフリンジの重さを考えるとトータル140kgくらいまで行ってしまっているでしょう。火事場の馬鹿力といいますが、集中すると力というのは出そうと思えば出せるものですが、気持ちに諦めがあると半分の重さでも無理だったりします。

じつは、若いときほど重いものを持つのが苦手で、肩に重いものを持つと肩が痛かったのですが、今は肩で持つことが普通になって、こういうのもそれをやってこられた方のやり方を真似て、やってみているうちに普通のことになってという流れです。

小さな麻の機屋ですので、せいぜい100kgまで、大きな織物工場にいくほど、一つのビームが300kgとか平気であったりして、生産性を求めると装置産業になり、働く人のできることもどんどんと限られてしまっていくものです。

昔、コンピュータ工場で働いていたときには、15kg以上のものは持ってはならないような感じです。そういう規則ができてしまうと、人の能力が落ちてきます。結局、その大きな工場すらも、作業員の楽を求めすぎて仕事すら無理ができなくなり、他の工場に買収されてしまいました。

できることをやらないというあたり、仕事として考えると越えられない壁を乗り越えることすら無理です。大きな工場ですら、うさぎとかめの競争と同じで、海外との競争に晒されていて、一流を気取って楽をすれば無くなってしまうものです。

私自身が上海やパリの展示会に行って安心をすることが、他の大手のリネンメーカーさんは余裕があって何人もの人間が集まらないとひとつのことが難しく、その形というのは商売が順調なときというのは良いですが、下がり始めたときに、逆にもろいものです。
2012年12月18日
3交代のシフトで働き、工場の都合に合わせて、休み時間もワンシフトのなかで交代で取っているときでした。私と同じ現場のもの二人で45分の休憩室にいくと、丁度、前まで同じ部署にいられた課長補佐クラスの方が他のより年配の方と一緒に15分のショートの休憩時間なのです。会社全体が休息時間を定めているということがトラブルのもとに繋がる例です。

私たちが休憩時間が30分を超えるあたりで、「自分たちは私が来てからも30分以上たっている戻らないとは駄目でないか」と注意をされました。私ともう一人も、その場の状況というものを分かって、言い訳などしません。「すみません」といって、仕事に戻ります。

会社の中で、仕事のことを考えておられるなあという人というのは、自分自身がリスクを犯してまで仕事のことを考えられているものです。部署を離れても全体の統率がしっかりと取れているのかを見ておられるもので、私たち自身も注意されたことの一回の間違いに腹を立てては会社の存続自体が危ういのです。

私はその先輩にあたる方が、状況も理解できずにながらも注意されたことは立派だと思っていますし、私の同僚も私と目を合わせるだけでそれに従うべきだと、言い訳もしなかったことは大事だと思っています。そこで怒って荒立ててしまってはもう二度と注意すらしてもらえません。会社を支えようとしている立派な方を潰してしまうだけのことです。

立ち上がっておられるかたというのは常に潰されてしまうようなリスクを背負われているもので、注意されるのもその場で部下としての信頼を求めてくださっている一つだと思うのです。その一回のことで信頼関係が崩れることもなく、会えば、良い先輩。厳しいことは厳しいが当たり前。そういう人が全体の責任を持って全体を支えているのです。

大きな会社も会社の存続を掛けて動こうとするときにいろいろなトラブルが起こるもの、大きな工場が閉鎖に追い込まれるのも、会社の直面している緊張感というものが働いている個個の人に伝わっていないことが多いからだといえます。競争社会だなあと思うのは、そういう工場も海外のプラントに仕事を奪われてしまう現実。
2012年12月16日
今日、リネン40番手の生成の糸を整経しておりますと買ったばかりのワンロットの糸を使ったのですが、今までにない問題が起こりました。ワンロットながらも箱ごとに色味が違ったようで、残念なことですがストライプ模様になってしまって、10反分の整経がボツです。

ワンロットの糸を使用して、ここ10年ほどこんな問題は一度もなかったのですが、こういう問題が起こったということは要注意です。昔はこういう問題というのは頻繁におこっていたので、だからこそ、問題のないメーカーのものを使う意味合いというのも大きかったといえます。

シャトル織機を使っていた昔というのはより高品位の糸が必要だったといえます。シャトルが変わるごとに色味が微妙に変わるようでは無地であっても色段だらけの織物になってしまいます。シャトル織機で使う糸というのは、カセ染のほうがよいというのも、同じ理由で、チーズ染の糸というのは内外差があるのでシャトル織機でアパレル生地を織るのには向かないのです。

レピア織機だとチーズ染めの糸をそのまま使えば、内外差があったとしても、ほとんど気づかないものです。チーズ染された糸の正しい使い方というのは、4本くらいのチーズの糸をランダムに横に打ち込んでいくことです。これだと生地の遠い部分同士を一着の服に使っても色の差というものはほとんど感じることはありません。規則正しく打ち込むでなく、ランダムに打ち込む理由は、糸切れなどの際に1本2本飛んでしまうなどの際にそのクセがみえにくいということがあります。

シャトル織機が衰退していった理由の一つに、レピアのほうが悪い糸を使った場合でも品質を向上しやすいという問題があると思います。麻織物に関しては、レピア織機の普及で、織段や色段の少ない織物が作り易くなりました。レピア織機というのはピックファインダーが付いていてバックできるのが特徴です。シャトル織機というのは、基本前に進むだけでバックするときには、ドビー織物の場合は横糸を切って抜くという作業を行います。また、ギア一つ分正確に戻すということもシャトル織機では難しいもので、職人の必要性があります。レピア織機の普及で織物を織るのに職人さんも必要なくなってしまったということもあるといえます。
2012年12月15日
かせ糸をチーズに巻き返すチーズ巻工場のおじいさんと話をしていると、ここ数年は専属で弊社のものをお願いしていたのですが、チーズアップする工場もどんどんと消えているようで最近は忙しくされているそうです。

昔は、何人も人を使ってやっていられたということもあって、そういう方で一人になっても仕事を続けておられる方というのは、本当の職人さんだなあと思えるところです。会社にもカセをチーズアップするワインダーはありますが、おじいさんがカセを巻き上げるスピードというのは何倍も高速です。

チーズ工場が廃業されていった背景にはチーズ染が普及したことがあります。カセにするコストも節約できて、また、かせをチーズアップするコストも時間も節約で、品質は若干落ちるといわれるものの似たようなものが作れるのですから、カセで染められるところは消えていきました。

林与のものづくりの中で、基本、カセ染めというのも完成度の高い昔ながらの品質とそれに携わられる職人さんの仕事を守るという部分があります。カセで染めることで糸1キロ数百円の違い、時間のロスというのをマイナスと見るのか。国際的な競争も含めた上で、日本の昔ながらの品質を守り、日本の麻織物産業の特色的なものづくりのスタイルを守り続けることを考えれば、林与がカセ染めに特化したことで、今もおじいさんが産地の技術の一つを保ちながら仕事を続けていてくださることを考えるとプライスレスな世界です。

実際には、麻糸の場合、チーズ染の糸というのは内外差を持つだけでなく、別のいくつかの欠点を持っています。そこにこだわるかこだわらないか。業界でも普通は話にすら出ない問題なのですが、麻に関してはカセで染めてあげるとそれなりに何ランクか上のものづくりになると考えています。
2012年12月12日
今日は、大津のコラボしがに書類提出です。朝から経理のものと一緒に書類纏めを行って、書類提出に午後から参りました。

これから1月に向けて、リネン25番手の生成とリネン40番手の生成の生産に入ります。定番ながら在庫がない状態が続いており、お問い合わせもたくさんいただいているので生産を考えていながらも、作ろうとするとシャトル織で、何反か作るのも人の仕事人生の何十分の1という時間が費やされます。時間を掛けての生産というのは歯がゆいところもありますが、また、をかし、ではないかと思います。

夜は織機の一台の調子を調整いたしました。織機って本当に機械だなあと思うのは、正直なところです。動かないように調節されていると動かないし、動くように調節すると動く、原因不明の糸切れストップ現象も今日は起こらなくなりました。これも、糸調子を上げたことにより、糸を取るときにできる弛みがなくなったからではないのかと結論付けています。織機についている部品というのはなにがしらの仕事をしていてくれることが多いものです。
2012年12月10日
朝、表に出ると雪。こういうのにうきうきとするくらいでないと若さがないものですが、ああ、寒いなあと。この雪は近江湖東湖東地域では例年にないほど早いです。夏は暑かって、冬は寒いという流れが戻ってきたのではないかと思います。

個人のお客さんでも、もう来年の仕込みに入られているのか、生地の注文をくださるケースが11月よりも増えてきました。在庫もだいぶ少なくなってきていますので、拡充を図るまで今しばらくお待ちくださいませ。

工場の中では、火気は厳禁です。麻というのは、綿やシルクに比べて、綿ぼこリがたくさん出ますので、鉄などを裁断したり溶接などの火花でも火災になるリスクは高いものです。昔は、織物工場などは昔はタバコを吸う職人さんの火の不始末でよく火事になったと聞いています。
2012年12月07日
今朝早くに滋賀に戻って仕事再開です。東京から帰ってくると滋賀県というのは冷え込んでいる気分がします。午後からは、滋賀県の商工政策課の方と龍谷大学と京都工芸繊維大学の先生が、林与の経営理念的なものを調査しに来て下さいました。

私自身、過去の林与の近江上布からの歴史的な流れ、および、私が経営を担ってからの4年間のお話など、また、最近の状況などをお話いたしました。織物の仕事というのは人の能力というかやる気の差で何倍もの差が出て来るのだという話を先生方に説く中、先生方の私へのアドバイスはできる左腕が必要だということでした。

林与自身は、大きな分業体制の企業のものづくりの浅さみたいなものは感じておりますので、会社をあまり大きくすることが良いとは考えてはおりませんので、日本の麻織の歴史の一端、かつ、日本の麻織の特色のいくつかを社内で差別化しながらディベロップすることで、麻織物の産地らしさが産地に残るということが弊社の一つの地域に対する、また、日本の織物業の麻織物分野での特色を残す上での社会貢献ではないのかと思うところなのです。

商売ごとの癖に社会貢献とはという印象もあるかも知れませんが、余力で流せるような仕事ではありませんので、昔のように仕事に没頭することでよいものをたくさん生み出してそれが結局のところ世界の他では手が出しにくい特別なものづくりになるのではないかと思います。

安く作ることを考えれば安く提供が出来る部分もあるのですが、海外に生産を移転すると技術流失の裏で、日本の技術の進歩がとまってしまうというのが、繊維を含む自動車や電器産業の流れで、生産基盤のメルトダウンに繋がります。楽をしようとすれば、他の人が苦労をして、他の人が伸びるウサギと亀の童話の世界だったりいたします。

日本での生産の可能性としては一つ一つの地道な仕事をオールラウンドでこなせる人なら最後一人プラスそれを助ける人がいれば産業を守っていけるところがあります。社内分業で成り立つ形態というのは、需要が低下したときに、人を減らすとすべてが成り立たなくなるので、本当にもろいのは現実だと思います。

日本の半導体産業もかつては日本の花形産業でしたが、最先端にいても需要のかげりが出てくると続けることができなくなるもので、恐竜的な企業でも国に支えてもらうというような形しか残す道がなくなってしまいます。

産業のライフサイクルは30年といわれていますが、それは丁度、一つの世代が切り替わるのが30年ということと合致し、次の世代に引き継ぐことの難しさを意味します。行け行けなときほど、売れなくなる時代の前兆であることを意識しながら危機感を感じ用意していないといけないものだったりするので、ロングタームでものごとを考えるときには、大きくなることや売れることを喜ぶだけでは駄目なところもあるのではないかと思います。
2012年12月06日
二日目も朝から顔なじみの方が順番に会いに来てくださり、アットホームな感じです。朝一番には、上島佳代子先生がお越しくださり、なにやら、フランス語のスライド教材で、リネンについてのスライドを入手されたということでかざして見せていただきました。これって面白い。数十年昔の35mmくらいのスライドでしたが保存状態も良くて貴重な資料です。

午後からは、SQOでAQAブランドを立ち上げておられる小林さんがお越しくださり、ストライプとボーダー柄の新規の企画のお話ですが、プリントで出来るのか?出来そうで出来ないトリックが隠されていて持ち帰ってプリント工場さんも含め考えてみます。少し落ち着く1月くらいのお話になりそうで…。

ストール関係に興味を示してくださるケースも多いのですが、なぜか、この数日に聞いたストールの企画で、3件ほどの企画されるコンセプトというのが重なっているのです。あれ、あれ、あれ?どこもが同じものを良いと思って動かれる世間の狭さを感じます。

近江上布柄に気を留めていただいたかたがいてくださり、驚いたとおっしゃってくださっていました。今では織物の世界でも誰もが知らなくなったダークサイドに位置するものですが、国内だけでなく海外デザイナーさんにも一番興味を示していただけるもので、プリント柄としてだけでなく、本格的な再現にも取り組んでいく必要を感じました。近い形で再現したとしても着物の世界に用途を絞ると駄目だろうなあということです。

作って残っても誰かが欲しいと思ってもらえるようなものをつくることが、布の価値というものを根本のところから考える上で大事だろうなあと思います。
2012年12月05日
今日は、ハーベスト展の初日でした。能登川発の始発電車に乗って会場のある渋谷入りです。坂道をスーツケースを押しながら上り詰めて建物を間違えたことに気が付いて、今度は坂道を下って30分ほど迷子、なんとか会場に5分前について、ハンガーを展示してスタンバイです。

朝から顔みしりの方がみなさん一日中お会いに来てくださり、アットホームな感じで井戸端会議です。朝一番に来ていただいたミルツルさんにはミルツル刺子の作品を見せてもらいました。大きな女性と小柄な女性の両方の方が着用されても違った感じに着こなせるフリーサイズ。

午後からは百貨店のお客様もご紹介で進行中の件でお話をさせていただき、あっという間に夕方6時です。夜は、懇親会が渋谷西口でありました。展示会をするだけでなく、天然繊維分野で元気に動いていこうとしているものが集まった会であることを実感いたしました。

渋谷周辺にはあまり手頃なビジネスホテルがないので、カプセルホテル初体験です。10階の広めのデラックスルームを予約しておいたのですが、浴室やサウナのあと3階のマッサージチェアでそのまま寝てしまい朝8時です。朝シャワーを浴びた後、出発前にデラックスルームをチェックしました。カプセルホテルも寝て一畳の方丈記の世界を彷彿させるところもあるのですが、清潔なスポーツクラブやSPAのイメージでビジネスホテル以上の十分さを感じます。夜に数時間寝るだけの場合、もったいないくらいのところもあります。
2012年12月03日
今日は、関空に届いたリネン糸の個人通関を関空で行いました。通常は乙仲業者さんに依頼するのですが急ぎだったので自分での初めての通関でした。国際貨物セクションに許可証をもらって入り、運送業者の倉庫の窓口でドキュメントを受け取り税関の建物に参りました。

関空の税関の方は、受付の方から応対された方まで、隙のないほど非常jに親切で誘導をしてくださり、フォームの記入もスムーズに済み、特恵で輸入関税もフリーということで予定通りに通関手続きは運びました。消費税はもちろん納めました。

通関後、倉庫での荷物の受け取りに非常にたくさんの方が待っておられたので、これは数時間仕事かと思いましたが、15分ほどで荷物も出てきて、トータルで、1時間半ほどの工程でした。

税関の方がみなさんあれほど親切とは想定していなかったので、その対応のすばらしさにはびっくりしました。JALの貨物の窓口の方も、飛行機でのスチュワーデスの対応と同じくらい丁寧な対応で好印象そのものでした。
2012年12月02日
冬になって車のバッテリーが弱ってしまって、とうとう掛からなくなりました。夕方、近くの大工センターでバッテリーを購入して交換しました。自動車って簡単に修理ができるように出来ているなあと思うのです。

昔、カリフォルニアにいるときに、VOLVOのパワステのホースが壊れてしまいました。ホース一本が400ドル位するので、ホストファーザーと一緒に、それを自作しようとしたことがあります。エアコンのホースを代用して止める金具を買ってきて、取り付けて喜んでいたのですが、バックで縦列駐車するとブレーキフルイドが漏れ出してしまい、結局、新しい部品を買って使うことになりました。でも、そういう経験が今も機械を直すときに生きています。

自動車も12年目くらいです。本体のほうもまだまだ大丈夫だとは思いますので、今の自動車は昔の自動車よりもちゃちく出来ていますが、道も良くなったおかげで、20年くらいは乗れるんじゃあないかと思っております。エコカーがブームですが、それほど乗るわけでもない車、それほど乗らないなら今あるものを捨てるより、使い続けることもエコではないかと思います。
2012年12月01日
12月に入りましたが、お天気もよく、近江湖東地域はあったか目の12月です。アパレルの業界では、冬は冬で寒くならないと困るというような話を聞きます。暖かいおかげで、冬でもリネンを検討くださる方も多いものです。

近頃、リネンウールなど出回るようになりましたが、リネンウールやリネンポリノジック、リネンテンセルというような秋冬向けの素材は20年くらい昔でも、秋物を開発するために作っていました。よい感じのものもあったのですが、売れなかったんです。今は普通にリネンウールが出回っていますので時代の流れかなあと思います。

リネンに対して業界の秋冬物としての拒絶反応がなくなったように思います。これは昔と比べて暖かくなった冬の影響も大きいといえますが、それ以上に冬でも暖かく室内で過ごせるのが当たり前になったという先進国の恩恵があるといえます。冬でもどこでもアイスクリームを販売しているということは昔では考えられませんでしたが、今では当たり前ですもの。

今年は雪は降るのでしょうか? いまだかつて、雪が降らない一年は豊国の里では経験はしておりませんが、今年は雪が降らない可能性すらあります。