2013年06月13日
今日は、午前中、林与のリネンリュックが5個出来上がったということで日野にあるバッグメーカーのロットさんに取りに行きました。今までは紺のタイプしかなかったのですが、一つ試作いただいて私自身が非常に気に入ったので、今回、黒のタイプそのうち2つも作ってもらいました。
ものづくりしているもの同士ですので、お金を払うからといって決してお客さんということもないのです。実際には新しいものを作るとなると、小ロットの場合は、持ち出しやリスクを抱えてモノづくりをささえているのが作り手さんのほうであること多いもので、そういう気持ちに感謝をしながら、大量生産じゃあないものが出来上がることが当たり前に思ってしまうと、そういう何倍もの持ち出し部分みえてこないもの。一度に百個とか千個単位で動く世界とは違って、世界に数個から数十個のものづくり、普通だと出来ないことだから面白いんじゃあないかと思うのです。これはハンドメイドの方の気持ちと似たようなところがあろうかと。
大きなチャックがリュックを開け閉めしていても満足感があって、たぶん、普通の人だとかばんとしての機能に満足するのでしょうが、気持ちは半分以上、生地に向いています。どうやったらもっとバッグに向いた生地になるのだろうかとか。バッグ自体を普段持ち歩かないので、そんな人間がバッグの生地を開発するというのもどうかと思われるかもしれませんが、案外、それって既成概念を打ち破ってよいものです。
普段使っている糸よりも太いんで、他ではどうかわかりませんが、林与の中では織機の問題などで織る所から壁があったりするので、そういうのを自分なりに乗り越えて、生地が生まれてきます。この生地を後染で染めようとしたときに、この厚さと言うのは、今までその染工場で染める一番厚い麻生地だということを言われて、一様に綺麗に染まらないかも知れないということもおっしゃられたのですが、考えてもらうベストな技術で染めてもらえばそれ以上のものというのはもともと無理なのでそれはそれでよいのです。
実は、このバッグ生地を作る過程で織物加工に関することも加工工場の社長さんと相談をさせていただいて、いろいろなことも見えてきたので、そのことが限界というものを超えていく一つの方法だろうなあと感じました。
コストとか考えているとこういう生地の開発というものはできないものです。余った糸で開発するのではなく、自分がまだ使ったことも無い糸を使いこなしてみようと、一箱買って、テストして、本生産が可能かどうか調べるために二箱買って織ってみて。織るために機も作りますし、機を載せて試織するのも生地が厚すぎて問題がいろいろと想定されているので自分で自分の首を絞めるようなものです。
太い糸の力って強いものです。無理をさせると織機を壊すこともありえ、織機がしんどがっているのを見極めて、どの辺りまでがんばらせるかというところ分かってでないと危ないものです。でも、こういう経験を積めるという贅沢は本当に少ないもの。
ものづくりしていると、製造環境なんて自分の体のようなもので、自分自身の能力のようなものですので、自分の体でどこまでのことができるのかということが、まず大事に思います。自分に無いものを求めるのは自分にできることをやってから。面白いのが近江上布なんかも平織であると限定をされていたことで、いわゆるタペットでドビーまで進化してはいけないのです。織機の制約があってそこが近江上布の大絣織物という特色が明治以降に再び花開いた理由だと思います。
世界を捜せば、いろんなものがあるとは思うのですが、自分自身が何ができるのか、どこでもできるとか、どこにでもあるといわれても、自分自身が作った人というのは特別の価値観をもってその商品を眺めているはず、本当、違う世界のモノづくりというのはそんなもので、そういうのを求めてくださる消費者のかたも多いのではないかと。
いろんな価値観でのものづくりがあってよいはずで、そういういろんな価値観を守るためにブランドというものにしても存在意義の一つもあるのではなかろうかと思う。名は体を成すというように良い悪いどちらにしても違いはあってよいはずだろうと思います。