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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年6月
リネン日記:29
2013年06月09日
13年ほど乗った車を乗り換えました。新しい車ですが、同じ車の後継タイプ。気がついたのは、カーナビのテレビの受信感度が非常に良いこと、たぶん、昔の車のカーナビの受信は、まともに画面が見えたことがないので不良だったのかなあと。

燃費が向上しているのを感じます。アイドリング時のエンジンの回転数も非常に低く、エコカーではないですが、この10数年の自動車業界の方向性の中で、普通の自動車でも快適さを少し抑えればハイブリッドに近い燃費に落ち着くものだなあと思いました。

本当は、エコのために、まだまだ走るのに手放された中古の車を買いたかったのですが今回は新車になりました。自動車自体の維持費が高いのが、いくら自動車業界がエコを謳っていても本質的に贅沢すぎてエコじゃないところ。基本的に、自分たちが販売したものの買い替えを促すような業界のエゴなエコには大反対の林与です。シンプルに何十年も乗れる車や家電製品というのが日本の高品位を象徴していたように思っていました。

車に関していうと、子供の頃、夏に車に乗ると、ほとんどのエアコンが付いていないのが普通でしたので蒸し風呂状態でした。結局、そういうときに洋服がエアコンの機能を代用していたのだといえます。あるいは、暑くても我慢する忍耐力や礼儀を養う場でもあったかと思うのです。

体が体温調節をする機能というのは体の機能としては大事で、外の温度を一定に保つことで体温調節がうまく出来ない体が出来上がるのは、特に、子供たちの健康に取ってはマイナスだろうと思うのです。馬鹿げた話ですが、子供たちへの食育で、カプセル化された栄養補助食品で栄養を補うことを教えるのと似ています。病気や高齢で体の機能の回復が難しい状態なら体に吸収しやすいもので栄養を取るべきですが、問題のない人が吸収性を高めたものばかり取っていると普通の食べ物の栄養を吸収できない体に育ちます。
2013年06月08日
今日は午前中大阪からお客様、午後からは京都で一つ案件を済ませてから京都の染工場を見学させていただきました。海外の方から味のある後染が出来ないかという依頼があって染めの専門家の方に相談したところ懇意にしておられる染工場さんを見せていただくチャンスをいただいたのでした。ひとつは絞染の工場、もうひとつは製品染めの工場。

京都の街中にある染工場というのは、外から見るとそこに染め工場があるとは思えないのですが、中に入ると設備があってびっくりしてしまうものです。京都の呉服を扱っておられるお店も間口はお店で、奥は家というスタイルが京都では普通ですので、京都の街中の商売というのは昔ながらが残っているところあるのだと思います。

存続させようとしても家業を生み出すのと同じくらいの苦労は常にしておかないと、一所懸命な新しい人に、何十年の職人や職人を指導すべき立場のものですらが軽く追い抜かれてしまうのも良くある話。自分で布を作るときにこんなことやりたいなあと思っていることを本業としてやっておられる方が居られ力を借りることができるのはうれしいことです。
2013年06月07日
今日は、横糸の打込本数を一色間違えて織ってしまったものがあるのに気が付いて、さてどうしようかという大きな問題。横糸は余分に染めてあったので、縦をもう一度整経して織ることにしました。他にもPTJで始めて出会わせていただいたお客様からのサンプル分の生地の注文なども頂き、用意を進めています。

午後からは縫製をしておられる同級生の方が新しい商品を作りたいというので生地を検討に来られ、そのあと近くの別の方がストールの案件を持ってきてくださいました。リネンキッチンクロス25HDシリーズの生地もたくさん作ったのですが、10色のうち何色も在庫がなくなり売り切れの状態で、ネットでご注文いただいているみなさま対応が遅れておりすみません。現在1ヶ月くらいの間に色を全色揃えたいと準備を進めています。

林与が打ち出したリネンの厚織キッチンクロスのHDシリーズ。使っていただいた皆様に良いとの評価を多く頂き、林与のリネンキッチンクロスの定番として定着もいたしました。織るのが大変なので時間がかかってしまって、たくさん作れるものでもないので、お待たせしてすみません。丈夫に作りましたので、何十年も使い込んでいただけるものと思っております。

なお、林与のキッチンクロスにつけている「HDシリーズ」というのは、ハイディフィニションの略ではなく、ハイデンシティとヘビーデゥティを掛け合わせて名づけました。
2013年06月06日
昨日は、お昼からアパレルさんのAW展を見せていただき打ち合わせ、その後、百貨店さんでリネンハンカチに関して打ち合わせ。夕方は、渋谷でデザイナーさんと食事。朝からあまり食べずに一日動いたので、夕食のタイ料理のタイビールが体に染み渡る感じでした。

東京も麻の洋服など真っ盛りな感じで本当に多いですね。弊社の素材ではありませんが、青山通りに薄いオフ白なリネンのワンピースがショウウィンドウにディスプレイされているのをみて、リネンの細番手というのも浸透してきているのを感じます。私自身がその白い一枚のワンピースを見るとリネンの良い物であることを良く分かるのですが、一般の方が見られて肌着のようなその薄い白いシンプルなワンピース、どこまで分かってもらえるのか。

たぶん、敬遠するような透ける薄さというのは、企画もされずに服にならないので、そういうものがリネンの高級なものであるというのを浸透させることは難しいというのを分かりながら、ジャパンクリエーションに始めて出展し始めた辺りから、この7年ほど取り組んできました。時間は掛かるだろうと思いながらも、昨日、東京でシンプルな細番手リネンの白のワンピースがショウウィンドウに単体的に展示されているのを見て、リネンの特別クラスのものに対しても売り場に並ぶことが冒険的にも行われ始めたのかと思うところです。

生地の展示会などでも、薄いリネンのエレガントさに惹かれアパレルブランドさんというのは多いもので、ブランドさんが高級であればあるほどその傾向は強くなるように思います。それ自体は、作り手の価値観と高級アパレルブランドの目が整合をして、麻の世界の価値観に矛盾がないの思うのです。パリのコレクションのラナウェイを飾るような洋服が市販されていてもいいんじゃあないかと思うのです。市場がそういうものを受け入れることによって、より、コレクションもよりよい素材を使えることになり意味をなしてくるかと思えるのです。

洋服を作る人なら素材に憧れるというのが普通で、同じ洋服を作るときに、縫製は同じでも素材が違うとまったく違ったクラスのモノづくりになるので、作ろうとされるアイテムや価格帯、ブランドイメージなどに応じて素材は決まると思います。

一般には売れるものがよいものだという価値観があろうかと思いますが、作り手からみたものの良し悪しの価値観の世界というのは、また別物だったりします。作り手が良いと思って作ったものが売り場にあうかどうかは、今日の青山通りのショウウィンドウで見た薄い白いワンピースが売れるかどうかより、まず、見た方に良いと思ってもらえるか思えないか。

そういう薄い素材で洋服を試作される意気込みというのは天晴れだと思います。林与も一部百貨店のメンズでお使いいただいているのと、レディース向けは、その薄さにあったリネンブラウスやリネンチュニックという形で、リネン150番手なども使って洋服の形にするまでを行いました。

洋服の形として見てもらうことで、どう素材を使うかまでのイメージをアパレルのデザイナーさんにも分かってもらうところまで必要です。洋服としての完成度も含め、麻の世界のものづくり形としてしっかりと残したいというところあります。洋服の形にまですると一般の消費者でも分かる人がみると分かるものです。そういう世界が成熟してくると昔の日本の布の世界のように、生地に対する見方も本物になってくるのではなかろうかと思います。
2013年06月05日
今日は、アパレルさんと百貨店さんとの打ち合わせで東京。青山通りを歩いてみた。天気が良すぎて、ジャケットを着ているとほんと暑い。歩き疲れてスパイラルホールで休憩、2Fの窓際の無料の休憩場所、布の世界の人の考えることというのは暖かいなあと感じる。

素材の世界というのは、商品になる一歩手前の休憩しているような状態なのかもしれない、商品にせずに休ませておくことも一つの選択だろうし、商品になっても売り場で休んでいることも多いもの。

ゆっくりと座って時間を過ごすのもよいものだ。太陽が傾き、日差しの強さが変わっていくのも感じることができる。街路樹も同じ気分なんだろうが、重力に反して上に伸びていく分、偉いものだ。ちょっと裏通りも歩いてみた。裏通りにはお店ばかりでなく、人の生活があってよい。

布の世界が資本力みたいになってしまうのはどうなんだろうと思うので、テキスタイルに興味のあるひとの輪を作ってしっかりと業界を支えていくことが大事だろうと思う。支えるということは毎日、木に水をあげるようなこと。これをするのがなかなか難しいもの、自分が育てた木が他の人から見れば別に特別でなかろうが、自分にとって大事であればそれで十分であろう。

スパイラルホールの壁に飾ってある白と黒の抽象的な絵、5人がかりでディスプレイしているが、私にはその良さはあまり伝わらないが5人が楽しそうに作業しておられるのをみるとその5人の方々にとっては特別な絵なのだ。なぜか鳥人間コンテストを思い出した。距離が大事なのではなく、人の力で飛ぶことが大事なのだ。
2013年06月04日
今日は午前中、電車に乗って京都、夏の日差しを感じます。京阪で山科から三条に向かいました。市営地下鉄で山科から三条に向かうほうが安いのですが、京阪山科の駅の雰囲気がレトロでいい感じがして。

毎日が足早に過ぎていき、今の目の前にあることに直面して一つ一つこなしていくということすらも難しいことも多いです。でも、ちょっと新しいこともやってみようと思って、三条京阪に小さなスペースを借りることにしました。

ミシンを一台とテーブルを置くと一杯になっちゃいそうなスペースですが、アクセスの便利な場所なので、私のほうが動くなどもして、デザイナーさんや小売のお店さんなどとの接点も増えるのではなかろうかと思います。

2013年06月03日
食生活に関しても外食がおいしくないと感じる方は多いものだと思います。本場というのは基本的な水準が高いもので、すきやきなんかに関しても、近江は本場であって、有名な近江牛のレストランで外食するよりも家でつくるすきやきのほうが贅沢でおいしかったりするものです。

ハンバーガー、うどん、ラーメンなんかにしても、本職でお店を構えられていてもそれほどと思えるよりも、外食に多い、インスタントな味が香ってしまうのはどうしようもないところだと思うのです。お米なんかも外食のお米というのは食べられるけどおいしいとまではいえないものです。

1000円までの、手ごろなお店でも、「はせがわ」というレアハンバーグステーキのお店の白いご飯が、食べ放題でおいしかったのには驚きました。ハンバーグも肉の味を知っているだろうからでしょうが、レアハンバーグが売りで、子供向けの味ではないので家族連れには向かないかもしれませんが、人気の近江牛レストランの味というのがご飯からしてくたびれているのに対し、かなりよい感じに思いました。

滋賀県のほかの名物に、ふなずしがありますが、あれを一番高い食べ物として評価できるあたりも、滋賀県の目だろうと思うのです。自分の家でふなずしを漬けるだからその価値も分かる。お客さんが来たときにもてなすために食べてもらうものを自分自身が食べずとも常に用意しているというのが近江の慣わしでした。

近江の商売の考え方が損得勘定じゃあないというのも大事なところで、損得勘定に交じるとその味というものも毒が入り変わっていくものです。自分自身が使うのももったいないものをつくり、お客さんに用意するというのが商売をする前にもっている基本であったのだろうと思うのです。

ものの価値が分かる人がいればよいですが、作っている人の中でも、ものの価値が分かる人が少なくなったのを感じます。お仕事のお客様とお話していても、他でも作れるとかを自慢げに話されたり、他と何が違うのか分からないといわれる場合には、それがそのブランドさんの変わることのないコンセプトであり、逆に海外の生地も安価で品質も安定してきていますので無理もなくお勧めだったりするものです。

林与の生地の背景も分かって使っていただいている皆さんも多くくださるので、そういう皆さんだけに支えてもらうものづくりのほうが、ものづくりのブレもすくなくてよいものです。
2013年06月02日
仕事というのは、自分が何ができるのかということが一番大事ではなかろうかと思います。ものづくりの感性みたいなものも、他と同じになったら駄目だというのは、他と同じことに流れて居ても居なくても同じみたいな存在になってしまうのは、特に小さな会社が存続するためには危ういことです。

私がよく言うのは、10回やって9回は、正しく流していく力がないと食べていくことはできないということです。売れる新商品をつくるとかいう以前に基本的な仕事ができないと駄目だといえるのです。大学や服飾関連の先生などともお話をする機会があるたびに、先生方にはそういうところをしっかりと指導してほしいということを伝えます。

また、新しいものをやるときに、10回のうち何回かの失敗を想定していないのも同じく、素人で、軽い気持ちで新しいものをつくろうと布の企画をやると失敗するのが普通で、それをフォローするためには本質的な知識と本当のものづくりの力が必要。

最近は、保育園、幼稚園が遊園地化してきていて、あれはあんまりよくない流れだと思います。子供たちの国際競争力を小さなときから奪ってしまう感じです。子供はしっかりと歩いて寒さ暑さに耐えて、現実社会に出たときに、ぬるま湯のたまり場というのがみんなに用意されている訳ではなく、ゼロからでも引っ張っていけるような人こそが大事なのです。
2013年06月01日
今日は、京都の三条から四条界隈を散策しました。私は高校と大学のときに7年間京都で過ごしましたので、懐かしいなあという思いがある一方で、学生のときに興味のあったものと今興味のあるものとがまったく違うことに年を取ったことを思います。

京都というのは、コンパクトでうまくまとまっているなあと思えるのは、各通りごとに味のある店並みがあることです。四条通りにはブランド、寺町は洋服店、新京極はお土産、お酒は木屋町、祇園。歩ける県内に固まった形で業種が分散し、すべてが歩ける圏内に凝縮されているといのは、ウィンドウショッピングするにのはよいものだなあと思えます。また、自然と周るの動きが生まれるので、すべてのお店に観光客の目が行き渡るものです。また、歩き回るのでお腹も空いて食欲もわいてくるので食べ物屋さんも繁盛する。

感じたのは、この界隈というのは学生のときよりも人が集まっているということ。人が少なくなる流れの中で、京都というのはやはりよいイメージが保たれていて、単に観光スポットというだけでなく、その後ろにはお寺や大学という精神的、哲学的な部分をしっかりと押えているであろうことかと思うのです。

京都のラーメン屋さんが、チェーン展開に成功したのは、深夜まで営業をしていて、学生たちに味を覚えてもらっていたことだろうと私自身の経験から感じています。全国にチェーン展開しても、そのラーメンを食べると学生時代の思い出なども蘇るもので、贔屓のお客が全国に散らばっているようなもので見捨てられることは少ないものです。