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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年7月
リネン日記:28
2013年07月31日
今日は、なぜか、仕事に集中できる一日、織機の調整。今日は、不思議なことに気がついた、50のギアの形がいびつで、ギアを戻すことができない。機械が悪くなったと思っていろいろと調べるが、ギア自体が変形していてギアの形が悪いのに気がついた。そんな変なギアが今まで存在したままに残っているというのが怖い話だ。そのギアを使うと織機のほうが壊れてしまう。

今日は午後から染めの糸の準備など行った。今は、染工場も暇であるということらしいが、もうすぐ、お盆に差し掛かるので、納期の厳しいものなどはそれまでに染まるように調整が必要。また用途に応じた特別な染のが必要。

普段はあまり使わない番手なのだが、先週、試織したL30番手が、糸の状態が良くなく、本番に向かう場合、糊付が必要。25番手、30番手の糸に関しては、今年の糸というのは安定していないことが多い、生成など色むらが多く、使うのに難儀されているケースが多いのではなかろうかと思う。
2013年07月30日
今日は午後から地元のお客様が数件続いて、打ち合わせごとなど準備します。物事を進めるときに覚悟的なものが、トータルでの時間を大幅に節約するので、それを迷っていると仕事なんて何分の1しか進まないものです。

モノづくりというのは技術の部分ではないなあと思うのは、技術があってもモノづくりは器量がないとできないものだなあと思います。仕事があってもったいぶる職人なんかは論外で、反対に仕事を出し惜しみするようなのも論外。トータルでバランスが取れるようにしないと全体として永続しないものです。経営者ならなおさら器量が大事で、リスクにしてもしっかりと被る用意も必要、損を承知の決断というものができるかできないか。

今の日本の繊維の仕事で、損したくなかったら仕事しないほうがよいだろうという流れが強く、日本の繊維業界というものはどんどんと収縮している。自分が持ち出して動ける力というのが、あるのかないのかだろう。大手のSPAが成功を納めるのもものづくりは知らなくても決断力があるからだろうなあと思う。

卵が先か鶏が先か、という議論があるが、卵がいくつもあっても鶏に育たないことも多いし、鶏がいても卵を産まないことも多い。目の前の、卵と鶏を食べるのは消費者の役割だとすれば、卵と鶏を守っていくのがものづくりという仕事のようなものなのじゃあないのだろうか。生産に関わる人と話をしていても、消費目線でものづくりを考える人が多いが、生産目線というものがやはり必要だろうと思う。
2013年07月29日
昨晩はシトシトと雨が降りました。それまでの蒸し暑さも流し消え、深い眠りに入ることができました。温度と湿度だけの問題ではなく他の要素があるのだろうと感じるのです。ドアを閉じた工場の中でも、雨が降ったことで一気に空気が変わりました。

暑い暑いの毎日でしたが、今日は涼しい一日となりそうで、今日の一日は、仕事が2倍くらい効率的にできそうな気がします。人というのは環境に反応して考える、暑さを耐え忍ぶというような経験にしても、その場のことで終わるでなく、涼しく過ごすための知恵というものを生み出すのだろうといえます。

夏に関することで、昔と変わったのは、蚊の存在もあろうかと思います。夏というのは蚊との戦いみたいな、でも、エアコンの中にいるとそういう戦いはありません。人々が他の生物と戦うということを日ごろから避ける道を選んでいて、それは、不快感に対する耐性すらも低いということをもたらそうかといえます。蚊に噛まれて痒いというのを我慢する経験というのも、無い方がよいのか有る方がよいのか。痒さを我慢するのと仕事を我慢してするのって似ているような。先進国の人々が、新興国の人々に抜かれていくのもそのあたりなんじゃあないのだろうかといえます。
2013年07月28日
インドに行ったときに、現場の洋服縫製のラインが15人ほどの生産ラインで、一人一人が、一つのミシン工程に携わる年配を含む男性の縫製工たちがいます。この現場というのは、量産型の基本で、インドも中国も同じで、インドなので男の人がメインなのかと思ったのです。

でも、大きな勘違いは、一人ひとりが一着の洋服を仕上げることができる人たちが単能工に変換させられたこと。本来は洋服の一着くらい仕上げられなければ一人前として食べていけないのですが、インドでも量産型の海外の生産を引き受けたときに、単能工化してしまったのです。インドの服飾文化が消え始めるのを感じます。

単能工化した人たちが元の世界に戻れるかというと、単純作業に慣れてしまった人が、複雑な仕事に戻るということは精神的に無理な話。ほんともったいない。普通だと一着自分で縫製できる技術を学ぶのが職人として大事なことなのにと思う。インドに頑固者がいて、洋服を作り続けたとしてもひと世代のことで、その次の世代というのは、インドは世界中の縫製の拠点となるものの、自分ひとりで洋服を作り上げることができるものはほとんどいない世代となります。

インドの服飾文化そのものが、ひと世代のうちに消え去っていくだろうか。ありうることです。日本でも戦後の世代というのは単能工がほとんど、何十年もの職人の人が仕事がないというのも、単能工であり、他の人が準備をしないと、自分では仕事を進めることが出来ないのです。戦後、産地が繁栄した形が量産型で、今の衰退した産地が、歯車が歯抜け状態のものづくり。単能工を捜したところで成り立つはずもなく、多能工というよりも、何でもできる万能工でなければ、織物なんて続けていくことは難しいのです。

誰かが教えてくれるを期待していても駄目で、目の前にできる仕事があることそれがすべてのチャンスだろうといえます。そういうチャンスを逃げたりすると、次にチャンスをもらえるほど甘くはないもの。これは仕事を頼むときも同じでやろうと思ったときに思い切って前に進めないと、次に思い切って進められるかというと、進められないタイプで仕事人生を終わるということ。
2013年07月27日
今日は、午前中は縫製の案件を各方面に確認作業。午後からは東京からミレージュの小平氏がお越し下さいました。9月にパリの展示会に向かわれるということで、麻の素材も検討を下さっております。

モノづくりなどをお聞きしていましても、手づくりの部分も大事にしておられるようなお話をたくさんお聞きし、それって実際に注文が入ったら大変ですねえ、というような、見た目以上に手仕事を詰め込まれていてドロンワークなどのお話も逆に心配してしまいます。

アパレル一筋に来られた小平氏が考えておられるのが、日本のものづくりの要素を詰め込んだ製品を作ろうとされているところ。いろいろな産地を巡り歩かれ、人とのつながりの中でモノづくりを考えられております。藤織のお話を聴いたときに、あれ、この藤織の方って、このまえプルミエールビジョンの方じゃあないのかと思ったら、やはりそうでした。

藤の太いツルというより、枝を山に入って、取ってくるところから小平氏も経験をされたというのも聞いて、また、藤織も一度途絶えたものを復活させようと動かれているのを聞いて、藤織というものがなくてはならないものではないですが、その世界に引き込まれてその世界を作り上げ守っておられるということ自体が、素材というよりも人のドラマそのものだなあと思うのです。

夜、外に出ると、涼しい。じっと外にいて体を冷やしたいけど。工場の中で、暑い思いをしながら仕事を一つ一つこなしていくことが大事。そういう思い無しに楽に仕事していると物に詰まっている価値というものにも気がつくことはないだろう。結局仕事なんて、外の涼しいのを選ぼうとするのか、中の暑いのを我慢するのを選ぶのかの世界。
2013年07月25日
今日は、雨は降らなかったけども曇天でジメジメとした一日。気温以上にこの湿度の高さが蒸し暑さを感じさせます。喉が渇いて水分補給は良くしていますが、食欲があまりわかないのでソーメンを食べました。ソーメンを食べるだけで幸せというのも、健康的じゃないのかなあと思います。

飲み物は、基本は100%ジュースか、お茶にしています。砂糖や塩をなるべく取らない食生活に自然になるのでよいんじゃあないでしょうか。100%ジュースは安いのに、最近果物や野菜って本当に高いですよね。近くのスーパーで、トマトが一つ100円から、大きいと1個200円するのには驚きました。りんごもオレンジも昔よりも昔よりもお店は増えても高いイメージです。

これは、みんなが丸々トマトをかぶりつくようなことがなくなったのも原因かもしれません。また大手のスーパーにしてもどこにでもある存在になってしまて、生産量が減ってそれを流していこうとすると生産コストではなく、物流コストが大きく掛かってくるというケースではないのかと思います。

最近オープンした道の駅があり、野菜などを売っているのですが2番煎じ的なところもあって、お客さんはまばらで苦戦されているようです。農家の方にとっては、直接的な販売のチャンネルを開くことができ、余った野菜などから収入を得る手段です。

道の駅で販売されている野菜などは、スーパーで買うよりも高かったりします。産直が高いことに驚くこともあろうかとは思いますが、スーパーなどは日本中や海外から一番安く仕入れて探して来るので安くて当たり前。道の駅は、自分が食べる野菜を他の人に販売しているような農家が多いので、自分で育てるため買う以上にコストを掛けて育てたものが多いと思います。

道の駅などが、売り上げを重視してスーパー化するのはよろしくないのではないかと思います。無人販売所に近いような、大きなお化けトマト見たいのが手に入ったりするのが魅力じゃあないのかと思うのです。有機栽培で育てているところの野菜というのは、形が悪かったり、小ぶりで堅かったり、普通では売れないと思われるようなものほど本質的な本物だったりするものです。農家が手にする本当の野菜の姿、お店で見かけること少なくなりました。

湖東地域でも代表的な二つの農家の方が東円堂にはおられて、話を聞いていても、本当に正直に農薬や肥料の効果なども言われ、今の日本で有機栽培というものがどれほど難しいか、一般的に商売で流していこうとすると農薬や肥料を当たり前に使わないと話にもならないというのが正直なところ。それほど日本の消費者の目というものも、姿形に対して厳しいものです。
2013年07月24日
日本が戦後成功したのは、今の中国型の成功と似ているなあと思う。まずは、ドルも360円という設定で、戦争から帰った人たちに仕事の世話と終戦直後のベビーブームでの人口爆発、年功序列型賃金制度というものをしいて、職人を育てるではなく単純な作業を割り振ることで量産的に安価にものをつくり他国を圧倒。

しかしながら、その場しのぎ的な政策や経営が成り立たなくなるだけでなく、そういう浅さや軽さに付き合わないといけないのはマイナス。年金制度なども想定の甘さだけでなく正しく運用されていないことなどや、問題が発覚してもどうにもならないのも、原発と似ている。

目先の利益を追うのではなく本質的なこと常に考えて法律なども作らないと、法律が成り立っていることすらも潰してしまい、人々の幸せな人生を奪うことに繋がりかねない。

自動車や電気関連の企業も、海外のマネモノを安く作ることで開発費などを抑え競争に勝つ。貧しい時代のほうが、海外からすると安く良い物を作れる体質ということ。日本の場合、国内に電子部品を製造する力があったことが差別化できるようなものづくりを助けた。

アメリカ型の資本主義マーケティング手法の一つである世界で一番安い材料を探して競争に勝つという方法だと、それはハンバーガーのような食品の世界では食べたものの消費者の自己責任として成り立っても、家電製品となると、部品が長持ちしないので、結局、しばらくすると使えなくなる。最近の家電製品のほとんどの寿命が1年程度なのはコンデンサの品質によるところが大きい。

コンデンサを作っている工場にしても、高品位なものを作る技術はあっても、価格を落とせとの話ばかりで、正しい品質のものをつくったところで売れないという結果が見えているので作らないのだ。ものづくりするものと販売するものとでは、価値観も違うことも多い。ものづくりするものにとっては売れないものが多いので、売れないことというのは自然なことだが売れなくてもものづくりを続けているところも多い、でも、販売するものにとっては売れないことというのは意味のないこととなる。

最近では近江商人哲学というものがゆがめられて安いものを多売して儲けることが仕事のように言われるが、それは世界中共通の資本主義経営の基本原則程度に過ぎないでしょう。そうとは違って自己犠牲が近江商人哲学の基本。それがあるから、材料や工程などにお金を掛けて他とはちがう良いものが生み出せる。プロであるべきのモノをつくる者やモノを扱う者がモノの良し悪しを判断できないケースがほとんどで、素人であるはずの消費者の方のほうが品質の良し悪しに敏感だったりする。
2013年07月23日
私自身が昨晩は、彦根で会合があってそのあと作業をして、あんまり寝ていない状態で、朝から元気なおじいさんたちが集まる。シルバーの葉刈の人たちだ。このひとたちというのは、現役の労働者以上にもくもくと仕事ができるのではなかろうかと感じる。葉刈をはじめると4人いるのにいないかのような静けさで仕事が進んでいく。朝から淡々と無駄口も叩かずに仕事を続けて、夕方には綺麗に枝が刈られている。

さる方から間接的に頼まれたことも、頼むと頼まれた方が快く協力を下さる形で、ほっとしている。人の依頼を受けて他の人に頼んで段取りをしてもらわないとならないことなど、仕事ではよくあるがそれが流れてご迷惑を掛けることも良くあるもの。仕事も含めものごとというのは覚悟を決めた人同士で進めていくことが大事だろうと思う。覚悟さえ決めていれば少々の問題など乗り越えていけるもので、それが特別な世界に見てもらえることが多い。

9月の展示会のお話などもあるが、9月もそれほど外に出る時間的な余裕がない状況。今、非常に忙しい、学生さんというのは今は夏休みに入ったいるのだろう。20歳以上の大学生の方で織物の作業に興味のある方おられたら、林与での織物の現場体験というものされてみませんか。織物の現場というものの厳しさを体験するにはよいかと思います。8月中の1ヶ月間の予定で若干名の募集です。(募集機関は7月28日まで、選考ありますので応募された全員が体験できるというわけではありません。)
2013年07月22日
週末は見本つくりに追われて、今週も見本つくりに追われます。私自身は織物の仕事というのは見本も本生産も両方が大事だと思います。実際には、本生産以上に見本つくりのほうが、超小ロットの世界なのでものづくりの実力は必要です。また、商業アイテムの場合、同じものを本生産で再現することが要求されますので、そのあたりが、見本つくりのときにも材料の選択、工程の選択、織機の選択、加工の選択など、迷うことも多いのです。本生産が小さいならこの方法がベスト、本生産が大きいならあの方法がベストとか、想定価格が安いならこの方法がベスト、品質重視ならあの方法がベスト。納期が短いならこの方法がベスト、長いならあの方法がベスト、とか。

ものづくりしていていつでも作れるというものなら、それほど価値を感じませんが、自分自身が相当無理をしないと作れないものというのがあったりします。何十万円の仕事をいただくときに、いま糸から手に入れようとすると何百万円のお金が必要になったりすることもあるのです。そういう話驚かれますが、特殊な糸を手に入れようとしたり、特殊な加工をしようとすれば、高いだけでなくまとめて注文しないとやってもらえなかったりするというのはよくある話です。

そういう覚悟をしていないとモノづくりというのはできない。これって普通の仕事の感覚でやっていたら出来ないものです。モノづくりを続けていくためには、下請けさんが仕事がないといわれると仕事を無理して出して在庫を積むこともあったり。数十万円の加工賃を払って助けるようとすると、自分自身は数百万円を出費する覚悟が必要だったり。昔は繊維業界だけでなく、日本というのは互助の精神で回っていたのだろうと思います。そういう精神を取り戻すことが日本のものづくりの再生に繋がるのではなかろうかと時折考えます。ジャストインタイムが流行の時代に、自分自身で作ってそれを売っていくというスタイルがなかなか成り立たないもので、そんなスタイルが成り立っている海外のものづくりが強くなってきているのも、働く力というものを最大限にマキシマイズしているあたりにあろうかと思います。
2013年07月21日
ここ数日過ごしやすいなあと思える。それが単に一日の気温の問題だけではなく、一日の気温差が大きいこと。たとえば、30度のときと20度のときでは飽和水蒸気量30.3gと17.2gと半分くらい違います。30度から20度まで下がると、夜露が降り、空気中の水の量が減り、今度温度が上がっても、カラッとしていて、湿度は低く汗ばむことがないのです。

一日中、25度よりも温度が下がらない日を熱帯夜といいますが、これは温度が微妙に下がることで、逆に湿度が上がる現象が起きて汗ばんで寝苦しいのでしょうね。本来25度なんて、快適な温度のはずなのに、寝苦しいというのは湿度が原因でしょう。

夏は、暑い昼間は休んで早朝や日の暮れから働くみたいなのが、自然の動物をみていると感じる。一年のめぐりの中でも、夏は田んぼ、冬は機織というのは、冬にいくら田んぼでがんばっても実りはないのだから、正しい生き方だったのだろうと思える。今は、一年中同じ仕事をするけど、本来は、強弱があったほうがよいのではないだろうかと思う。

無理と強弱をつける必要などなく、仕事に波あわせて強弱をつける。仕事が自然に入ってくるときにはその流れに乗り、仕事が少なくなったときには自分の仕事に入る。外の波が一様であることを期待してもお天気と同じで裏切られることがほとんど。あるときにはその仕事を目一杯できる体質でいて、ないときには他の仕事をすることも大事であろう。現実、織物の会社であってもすべてをこなそうとすると織物以外のスキルを必要とすることが多い。
2013年07月20日
今日は、パンツ用のリネン生地をファブリカ村に納品。途中、愛知川の御幸橋を渡ろうとすると夜には花火大会があるということで、たくさんの方々が準備中。ファブリカ村では、先週はお客さんがすごく多かったけど今日は比較的少なめということで、中に陳列されている作品などを見せてもらう。「かみわざ」という黄色いお面、楽しそうな雰囲気で目を惹いた。

土日しかやってはおられないけど、観光客の方のほか近所の方なども覗きに来られて、気軽に立ち寄れるスペースというのが定着。近所のお店の方が作られているピロシキがお昼のメニューとなっているそうで、それを3個分けていただいて、帰ってから家で食べたのだが中身がしっかりでこれがおいしい。

商売の話をするとやはり商売の難しさに関しては同じような共通点を感じておられていて、マーケティングに関する講演会とかよりも現実的で本質的な、損得勘定じゃないから続けてやっていけ、結局それが一番強いのだという結論に達するもの。

ファブリカ村ももうすぐ5周年を迎えられるとのこと、お話を聴いていても、ファブリカ村に作品を展示されている作家さんのお話を聞くに、結局は、モノづくりもモノじゃなくて、ものをつくる人なんだろうと思うし、精神的なものが一番大事だろうなあと思える。

夜には事務所で仕事をしながら花火の遠くに鳴る音を楽しんだ。愛知川の花火は132回目を迎える、多くの人が楽しみにしてくださるということはボランティアで動かれている方々にとって一番の救いだろうといえる。人々が花火そのものを楽しみに出来るということは人の価値が100年を超えても普遍な部分の一つ。
2013年07月18日
この前までの猛暑が落ち着き、朝夕がすこし涼しい日が続いています。6月とか7月のはじめから暑いので、この調子だとこの夏はすごく暑くなるだろうと思っていても、どこかで、うまくバランスが取れるように抑える力が働く、自然の力なのだと感じます。

今日は、倉庫で反物の検反と出荷を行った後、ロゴラベルが少なくなってしまってきたので、ひこねの組合につくりに行きました。ネットで林与の生地を使ってくださるお客様というのはハンドメイドされている個人の方や、作家さんが多いのですが、生地にロゴラベルがついていることが、林与でおつくりした生地の証でもあり、ロゴラベルも作品にご活用くださる方も多いです。

ロゴラベルについている、林与のロゴですが、これは、おじいさんのときにおじいさんが考案したもの。半世紀前の近江上布の反物を入れる段ボール箱などにもロゴが印刷をされています。おじいさんの頃というのは着物の時代、近江上布の着物というのは柄が命で、本麻着物生地のブランドとして一世を風靡するためにも、自分で作ったものを自分でブランド化して販売していくというの当たり前にやっていたのだと思います。

着物というのは形が決まっていますので、反物の柄をデザインするということはすなわちデザイナーそのものであったのではないかといえます。近江上布の反物を解くと、着物には使うこともない部分ですが、本麻の林与の布であることの文字を絣で織り込んであります。使わない部分に何時間も使うというのは無駄に思えるかもしれませんが、粋な計らいそのもので、そういう余裕が日本の織物業界にも戻ってくれば、また世界でも輝けるのではなかろうかと思うのです。

半世紀ほど眠っていた着物の時代のロゴを引っ張り出し蘇らせてみました。実は日本の繊維業界のロゴで、このようなロゴは珍しく、おじいさんが自分自身で考えたシンプルなロゴ。代々が、「與次右衛門」「與一」「與志郎」であったのに、「林与」と半世紀からシンプルな現代字体を選んでロゴ化してくれてあったことも、私、「林与志雄」にとって自分そのものに用意されていたようなもの。

自分自身がロゴを考案してもこれ以上に分かりやすいロゴはないだろうと、ロゴにしても完成されたもので良い物は良いでまったく触らないことも大事という、生地つくりにも通じる私の哲学に通じ。社名も、「林与織物」から「林与」に変えたのも、ロゴと矛盾のないシンプルなスタイルに通じます。

先代から引き継いだドタバタのときに、思い切って社名変更などもやっておかなければ、今も「林与織物」だったに違いありません。「林与織物」というのも5年前までは社名使っていたのに、今では懐かしい感じがしいろなことが蘇ってきます。
2013年07月17日
RINCROSSINGへの参加が決まりました。選ばれた商品テーマが、「本麻素材」と「リネン100%素材」。林与としては、機屋という意味では理想の二つのテーマがチョイスされた形ではあるものの、素材をバイヤーさんに買っていただくいうことの難しさの壁を、RINCROSSINGでは違う切り口で探していけるのかがポイントになるだろうと思う。

林与が素材提案をより簡単にした形が、リネン小物を手がけたこと、機屋自身がデザインしやすい小物群で、また、布に近いことで織るということを感じていただける。高級アパレルとなるとなかなか林与の素材を使ったアイテムを気軽には身につけていただけないですが、小物なら消費者の皆さんとの距離が近くなりやすい。

実際には、消費者の皆さんだけでなく、デザイナーさんなども林与の小物というものには注目を下さる方が多いです。麻を織りつづける林与が商売を抜きにしていい感じのものをつくろうとして作ったものなので、一般に市販されているものとは違うテイスト。海外の展示会などではブランドデザイナーさんたちが林与の小物を自分が使うので分けてほしいといってくださることも多く、それはそれで嬉しいことです。
2013年07月16日
菱沼良樹氏が、この7月にパリコレでオートクチュールコレクションを披露され、林与のリネン素材もプリントのベース生地としてお使いいただきました。イメージのリンク→ http://www.gettyimages.co.uk/detail/news-photo/model-walks-the-runway-during-the-yoshiki-hishinuma-couture-news-photo/172555522

菱沼良樹氏のサイト http://www.yoshikihishinuma.co.jp/ トップページの真ん中にあるイラストのアヤメのドレスが実物となっているのですがイラストはほのぼのとしているのに、実物というのは弊社以外の洋服も上品な感じがします。イラストのほのぼの感は、バックに富士山や神社、また、夫婦岩のようなモチーフが描かれていて、自然豊かな日本のイメージを世界に発信するためのコレクションではなかろうかと想像したり。着物の世界が洋服の世界にアプライされているようなコレクションで日本的だと感じました。

プリントのベースなので、プリントの柄が大事だろうと思うのですが、生地にもこだわって下さり、弊社のリネン生地もお使いいただきました。菱沼氏も、麻の質感がとても綺麗だったとコメントくださり、お世辞を下さったのかもしれませんが素直に安心しております。

このアヤメのドレスを見て麻に草木柄というのは良い組み合わせだと、林与の近江上布柄というのがほとんど草木をモチーフにしていたのを思い出しました。洋服に自然の草木をモチーフとして取り入れることは自然を愛したことに繋がっていて、また、私自身も近江上布の草木柄をプリントで再現することで、素材が麻というだけでなく、柄としても自然を大事にするような気持ちが芽生えるのにつながる布づくりをできるんのではないかと思いました。
2013年07月15日
つなぐ通信VOL2が届きました。テキスタイルツリーの成田典子氏が送ってくださって、VOL2は、まだなのかなあと待っていただけに、展示会でお会いしてからのあとも編集に精を出されていたものと思います。

つなぐ通信は、VOL1もそうでしたが、ものをクローズアップしながらも、その裏の人間ドラマを語ります。取り上げられるものというものは、昔懐かしい雰囲気のものが多いですが、それを今作ろうとしても、それを作り上げる人の感性というものが今あるのだろうかと思うと、それを育てるのには土壌が必要な気がします。

イイダ傘店さんとハマヲ洋傘店さんのストーリーがありました。「傘作りを見せてくれても、手取り教えてはいただけませんでした」というのが印象的で、実際は、これがプロの現場での物事の正しい教え方なのだろうと思うのです。下手に教えてもらいたがり癖とか助けてもらいたがり癖というものが付くと、仕事としての独り立ちというのは難しいものです。

季刊紙「つなぐ通信」が定期配本可能になったようです。配送料1000円で、年4回ご自宅にお届けということですので、ご興味の有られる方は、www.tsunagu-t.com でご確認下さい。
2013年07月14日
藍染の梅崎由起子氏がお店「藍ohako」をオープンされました。林与のリネンも藍染のベースとしてお使いいただいており、この7月のオープンの3連休のどこかで、一度現場を眺めさせていただきたいなあと思ったのですが、予定に追われすぎ断念です。8月のオープン日と私が京都に向かう他の予定とうまく合えば実現しそうです。

紺色というのは濃色なのに涼しい色をしている代表格で、夏に良く合う色なのです。藍にも色味はいろいろとあるとは思うのですが、藍という染料だけで勝負されているというのも制約が大きいようでも、それが作家さんなどの強みであるものです。
2013年07月13日
バタバタなのですが、コツコツと、前に物事を進めていこうと動いております。今日は、朝のうちに久しぶりに糸をチーズ巻屋さんに持って行きました。小さな急ぎの仕事はあるのですが、他の仕事を持っておられると結局、急ぎなので社内でやってしまうことが多く続いてご無沙汰だったのです。

もう80歳近いおじいさんではありますが、私よりも元気そうにされていて、そのことは何よりでした。昔は、近所のおばちゃんたちに来てもらって大将として工場を運営されていたのですが、今は一人仕事があると自分でカセからチーズに巻き返しておられます。

今でも若い人以上に仕事はこなされますが、それでも仕事が続くことがなく、空いた時間には、身内の電気関係の内職仕事を手伝っておられます。70歳を超えた世代でも、数少ない職人気質の方で、こういう方の仕事だと海外にも負けない日本の品質を謳える仕事だろうなあと思います。

人というのは、その仕事をするために生まれたのではなかろうですが、覚悟を決めて正しく仕事を続けられる人というのは本当に稀、よく、この仕事が好きだからやっているといわれるケースもあるものですが、仕事というのはすべてが仕事、結局、人の面倒、機械の面倒、ものの面倒、というのはどの仕事にも共通するもので、扱うものが違うだけじゃあないのかと思ったりもします。

得意な一つだけを仕事にしている人というのは、面倒を見てもらう側に回りやすく、その面倒を見る人がいなくなったらその人の携わる仕事がなくなってしまう。仕事関係のお客様なんかでも自分の仕事の面倒を見てくれる人を探しておられる方も多いものです。
2013年07月12日
今日は午前中は着物生地の織、午後からは福岡からのお客様、非常に暑い日で、福岡からのお客様でも工場の中、事務所の中で汗しておられ、滋賀県も暑いこと体感していただけたと思います。機織の現場というものはあまり見られたことがないということで、小さな工場の中でもいろいろな作業があることを見ていただきました。

織物工場なんて外の世界が変わっても、何十年も同じ作業で時間が止まっているかのような空間ですので、海外での織物というものが近代化して量産型になればなるほど、日本の進化しないモノづくりというものは、特色を増すのではなかろうかと思うのです。

スマートなモノづくりというものが果たして良いものかと思うことがあるのです。スマートに仕事ができなくなると成す術がないというのは織物の本質的な部分や人が仕事をするという本質を欠いているように思ったりもするのです。誰でも出来る形になるということは仕事としては結局終わりに近づいていくのではないのかと。

今日お越し下さったお客様も来春夏に向けて9月以降にじっくりと取り組んでいくという形の検討をお願いしております。この2ヶ月ほどで予定も含めると福岡からは3件のお客様、福岡というのは布に対する文化が根強い地域なのだろうかとも。
2013年07月11日
今日は竜王のアウトレットで、東京からのお客様をピックアップ。竜王アウトレットもオープニングということで高速道路の出口周辺にまで臨時駐車場が設けられていて、たくさんの人でした。オープンされたお店というのが最上階の3階だったので、建物の中ではありながらも上からは太陽が降り注ぎギリシャようなイメージ。カリフォルニアのときに時々、ウィンドウショッピングしたサウスコーストプラザのようなイメージで、駐車場が無料で、一日時間をつぶすことが出来き、人気なのも分かる気もします。たくさんのお客さんがおられるので別に買い物しなくてもいろいろなものを見て回ることができます。

お客様は、この秋、オープンののお店に使われる生地を検討ということでお越し下さり、林与も弊社素材がより多くの皆様に見ていただける機会が増えるものと楽しみにしておるのですが、今から寝る時間もなく動くほどでないと間に合わないだろうと。

夕方にはもう一軒、京都からお客様がお越しくださっており、京都の事務所にと林与の木彫りの看板を自分で手で掘ってつくってくださいました。林与の布のロゴ看板もそうですが、あんまりシャキッとしすぎると布の味が無くなって、プラスチックな世界になってしまうのです。揺らぎが少し残っているほうが、いつまでもそれをオンリーワンなものとして使えるものです。木を掘られるときに、彫るのが難しくなってもなるべく硬い木を選ばれ、出来上がったものが欠けたりしないように気遣われているそうです。
2013年07月10日
今日、EMSの出荷に郵便局に行った帰り、ライトをつけていて10mほど先までしかライトが届いていないという違和感、ハイビームにするとすごく明るく見えるが、ロービームは先が見えない状態で走らないとならない。

この違和感というのはライトはちゃんとついているのに遠くまで照らさない、会社に戻って、ライトを見ると、両方ともライトが少し奥に外れたみたいな状態で、やや下に落ちて、上のほうに空間が出来ている。たぶん、製造時にライトを固定するネジを付け忘れたのか何かだろう。買って一ヶ月で、一ヶ月点検に出したばかりだが、やはりトヨタディーラー扱いの新車でも、このような新車時からの製造欠陥というものは起こりえる。現場では素人が自動車を作っているのだから忘れることもあるのは仕方がないだろうけど、違和感に気がつかずちょっと暗いなあと思っていると夜10m先にいる人が見えないのだから人を轢いてしまう危なさすらもある。

自動車にしても新車だからと信用して安心してしまうと駄目で、違和感に気がつくことが本当に大事だということ。整備の人が触ったかもしれないが、整備というのが、大きな事故の原因になることも多いもの。