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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年10月
リネン日記:23
2013年10月03日
織物の問題の解決方法にはいろいろな先人の知恵を見ることができます。縦糸が1本1本交互に動いて横糸がその間を走れば織物ができるのかというと、理論はそうでも、そんなに簡単ではないものです。

麻の織物のの場合には、耳に泣かされることや糸調子に泣かされることも多いものです。ループの問題に泣かされておられるのが相談いただいた機屋さんの事例、レピアだとループの問題は、捨て耳の絡みに届いていないとかうまく行っていないとか。シャトルだと横糸のテンションの問題の可能性。織物の中身の部分とは捨て耳の部分は独立していたりして、それを動かすだけでも織物本体を織るのと同じような機構が別途必要です。

そういうのは無駄じゃなく織物を綺麗に見せるためには必要な仕組み、少しでも完成度の高い織物に仕上げるためにいろいろな工夫が織機には詰まっています。レピアヘッドが正しい位置で糸を取れるように、糸押さえが付いていたり、縦糸がまっすぐに織れる様にガイドがついていたり、職人というものはそういうものが邪魔に見えて外したがるものですが、意味に気がついて正しく使える人でないと、品質の高い織物をつくることが出来ず、仕事を続けることは難しいものです。

経験というのは長ければ上手ということもありません。私自身にも言えることだと思いますが、仕事に対する考え方や癖というのは直すことは難しいものです。仕事自体は簡単でも、それを他の人に仕事をしてもらうとするときに難しいところ。いろいろな織物産地が衰退していく流れの中で、織物に対する需要の低下とか以上にそのことは大きな衰退の原因となろうかと思います。今の日本の織物の現場では、仕事があってもできる人がいないといわれることも多いのです。
2013年10月02日
ここ2日ほど、シャトルのフォークの問題で解決が困難な事態があって、確認すると、フォークの問題起きて当然の答え。横糸切れ検知のフォークを使わずに切れない糸であることを想定して生産しておられるものだというのが分かり、その量産だけを引き受けてしまった立場としては、その方法では横糸が切れた際に、かなりの不良が出るのが当たり前というのを確認して仕事ということになってしまいます。

そうでなければ、人が一人ついて糸が切れるか切れないかを張り付いてみようが、まだ失敗は出るし、手抜きはやはり後を引くものです。見本を作るときに本番を想定して生産しないと、見本なんて自由にものづくりができて簡単ですが、量産の再現性を確保するためには、見本つくりのときに、問題を徹底的につぶしておくことが大事です。

実際には、手織りや手作業でつくるモノづくりというのは自由度が何倍にも膨れ上がります。手織りというのはアバウトでも何とかなるものです。でもその度に人の力を必要とするので再現性と量産には向きません。

解決方法がないとは思えないのですが、糸も準備されているので、その糸を使ってあげることも一つの方法だろうと思うのですが、おもい掛けない大きなリスクを孕んでいる仕事、普通にやったらたぶん、2割から3割の不良率だろうというのが見本作りの時点で覚悟できていればよいですが、その危なさ覚悟できていないと仕事としては成り立ちません。
2013年10月01日
これから本生産が始まる10月に入りました。学生のころにですが、仕事なんてたくさんあるというのが不思議でした。実際に、会社には不要な仕事も出費もたくさん付きまとっているということがあります。会社経営というものは参勤交代のようなものを課せられているようなものではなかろうかと思います。

日本の経済が国際競争に勝つのが難しい背景には、印税などの問題もあろうかと思います。電子取引にして印紙をなくせば、経済が活性化するというものの証拠を残そうとするがために印紙を貼るような圧力もあったり、電子取引にすれば印刷物じゃないので印紙が要らないという実質同じ契約での抜け道みたいな方法が生きてしまうというのも笑えますが、その程度が実際に運用されている法律の解釈水準です。一休さんのとんちクイズなみの答えが通用します。電子取引と印税の問題は、常に大きなお金を動かすところがお金を払わなくてよいような抜け道を一休のとんちで作ったような一例ではあろうかと思います。

消費税値上げの問題にしても輸出還付金などには一休のとんちクイズが隠されています。まともに働くよりも抜け穴探しのほうが確実に大きな富を得る経営戦略では駄目でしょう。消費税値上げ議論にしても、消費税を負担する人の声を聞くべきで、消費税を払わないどころか輸出還付金まで手にする輸出企業の声が大きいとうのも、日頃、社会貢献を謳う大企業がその本質を見せているようで、日本の経営者の資質というものが問われます。一般の国民が消費税負担増で困るときに、日本を代表する輸出企業の経営者が自分の利益にガツガツしているところ見せてほしくないものでせめて黙っていて欲しいものです。

アメリカの株式市場でも一部の証券会社が、コンマ何秒か先に売り買いできるようなシステムで巨額の富を得ていたというのも、まさに壮大な詐欺事件。お金儲けというのは、裏で巨額詐欺を働けばよいだけのことかと歯止めが利かなくなっている状態です。日本でもペニーオークション詐欺とういうのが社会問題になりましたが、アメリカの証券市場では似たようなことが幹事企業により実際に行われていたわけです。ここまで来ると振り込め詐欺の金額の比ではないほどの悲惨な状況で、実際の資本主義経済といわれるものが動いているということもあります。

純粋なものづくりの世界というのは、そういう空しい世界とは別世界で、工場の中に入っていると、事務所の中にいるのとは別で、自分の手を油で汚し、重い思いも、痛い思いもしながら、切れて切れて動かない織機が、突然、布が何事もなかったかのように織り上がる感動があったり。ボロボロになりながらも、心、技、体的な美しさを持って布を作らなければ、ものづくりも表面的なものだけに終わってしまうだろう。他の人からみれば、なにげない布であったとしても、自分で作った布に愛着も感じることは少ないだろうといえます。

今日は、他産地の織物工場の同年代の社長から麻を織ることに関しての問い合わせがありました。その織物工場も私と同じく続けていくことすら大変だろうからこそ新しく麻織物にチャレンジされ実際に麻を織ろうと苦戦されている。100のうち、20、30までは教えることができるけど、残りの70、80は自分で時間を使って見つけ出さないと、将来、その産地を背負っていかれるのに必要な自分自身のノウハウを見出したことにはならない。いろいろと自分の体を動かして試行錯誤し、失敗の経験をとことん積んで、どれが一番良いのか判断できる力が大事だと自分自身の日頃と照らし合わせて思う。