2014年06月11日
地場産業での大きな問題は高齢化というところ。これはテキスタイルマルシェのほかの企業さんとお話していても同じ悩み。先代がいるうちは次の世代が力をもって動けないという、家の中の問題が零細的な地場産業企業の活動の中にもある。若い者の力を最大限に伸ばして年寄りがそれを支えるというのが理想的な世代交代の形だろう。
企業が高齢化してしまい、業界においても年配になるほど仕事もできなくなる一方で今までやってきたということで先輩面というのも多くなり、これは駄目、あれは駄目で、会社全体もなりたたなくなるもの。失敗の経験を若いうちに積ませ、自分でその尻を拭くような経験を仕事で持っていないと、いつまで経っても通用する力というものは生まれない。
地場産業なんて昔と比べると仕事の大変さは同じかそれ以上でも、流れている量というのは10分の1とか20分の1とか、経験者ほどそういうことに疎く、勘違いも多く自分が作ったらみんなが喜んで買うのが当たり前みたいな横柄さ。現場もそういう人が増えると、経験は長くてもまともなものが作れないとか新しいものがつくれないとか。
本来は地場産業というのは優位な立場にあったもので、それを食いつぶしてしまうような驕りがどの地場産業にもあろうかと。親の七光りというのが、70歳、80歳の職人の先生クラスの方と話をさせてもらっていても多く、そういう驕りのない他産地の業者さんの懸命な商品開発のほうが上を行ってしまうのを多く見かける。
産地のものにしても実際に市場に流れているほとんどが産地で織らずに他産地や海外で織ったものというのは、西陣織にも似た状況で、産地の機の音というのは消えかかっている。厳しいといえば厳しい話だが、現場で仕事をする人が、当たり前の厳しさについていけないという厳しさは日々、内外で感じる。
商店街なんかでもお客さんが来てくれないので留守番するのが仕事みたいな状況。これじゃあ、一日いくつか売れるだけでお店をやっていても成り立たない。やるからには販売ということで、いろんな集客をしないと駄目だろうと思う。普通だと新聞の折り込み広告なんかだろうけども、コストがかさむのでブログで情報発信でよいと思う。あきらめていては人の魅力までなくなり、商品が安く溢れるのに、それで何を評価しどうやって買ってもらおうというのだろうとなる。ものづくりも同じだろう。
効果がなくても、やっているということが大事ということに気がつかないとならないと思うし、自分が食べていくためには種を蒔くことをしないと駄目だろうと思う。仕事も同じで、一人も見ていなくても続ける、そういう努力ができることが別のことをするときに成功するチャンスにつながるもので、長いスパンで考えると仕事があるないは普通で、その仕事のないときに自分で仕事を生み出し続けられるかが産業としての可能性を残すためにも大事だろうと思う。