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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2014年9月
リネン日記:27
2014年09月07日
関空9時の便、北京経由のCA。関空に向かうはるかに乗ってしまうと、あとは、ホテルにたどり着くまでの長旅だが、余裕のあるスケジュール。いつもぎりぎりでスケジュールを組む林与なのに、珍しいパターン。

北京の国際線乗継は、チェックが厳しく、ガムの包み紙ですら金属反応をする。トランジットに2時間の余裕があったがうち1時間以上検査で費やすことになった。セブンイレブンんおおにぎり100円セールで大きなおにぎりをいくつかかっておなかが空いたら食べようと思っていたが、パソコンケースの中で、押しつぶされた2個のコンビニおにぎりをチェックされる、これは恥ずかしい。このチェックの厳しさというのは、北京は国の要人が飛行機に乗るからだろう。

イタリアのマルペンサ空港の入国審査通関は非常に簡単、迷うかと思ったが、マルペンサエクスプレスに乗って、カドルナ駅について、ホテルまでグーグルアース見ながら迷わず歩いて着けた。ミラノも歴史のある街なので看板などの規制があるのだろう、町並みが歴史を感じさせ、ごちゃごちゃした看板などなく素敵だ。体力の消耗は最小。ホテルもパスポートを見せるとチェックインは終わり、こじんまりとしたホテルながらも素敵に思う。

イタリア、フランス、イギリスがファッションの世界で強いのはやはり歴史を感じさせるからだと思う。普通の生活が歴史に包まれて変わらない価値を保ち続ける。出来たときが一番でなく、出来上がってから価値が増していき、ほかからすると超えることのできない価値を持つ。

夜はぐっすりと眠れた。徹夜で飛行機に乗って首を傾けるとコリコリと音がなるほど肩コリがひどかったが、ぐっすりと眠ったおかげで頭に血が循環してすっきりとしている。
2014年09月06日
イタリアに行くので散髪くらいはしておかないと駄目だろうと、以前から何回か通った理髪店に行くともぬけの殻。そのビル自体は空洞化しているようには思っていたが、一番繁盛していたように見える理髪店も廃業なのか。

商売というのは、働いて、お金を儲けることもあれば失うこともある。なぜ失うこともあるかといえば主な理由の一つは固定費用が大きく、売り上げが伴わないと続けていくのが難しいということがあろう。

空店舗があれば数年のうちには新しいお店が始まっているように思うが、人の寿命以上に商売の寿命は短いことがほとんど。本来続いていないとらならいはずの地場産業と呼ばれるものでも20年で半減し、また20年すれば半減するだろう。人の寿命を80年とすると今ある産業の規模は、16分の1の規模になるということだ。

今日は徹夜での準備になりそうだ。明日は早朝の出発。結局、留守にする分の仕事の準備。ジャガードの紋紙を交換、レピアのオープナーの調整、整経の巻き取り、留守の間に出荷する予定の荷物の発送先をを留守のものに伝えたり、染まりあがってくる予定の糸の状況確認。間際にご注文をいただいた商品などを発送のものに伝えたり。展示会よりも留守にする会社のほうが心配。
2014年09月05日
もうすぐ出発。出発前に遣り残した仕事を片付けるのと、私が会社を留守にする間の会社の中の仕事の段取りを準備しておくこと。いつも私自身の仕事よりもほかの人の仕事の準備をすることが自分の仕事になることが多いので、仕事というのはやっぱり人だろうなあと思う。

加工工場で、一つ手がけていたラミーの超細番手の織物が加工から上がってきた。加工途中もトラブルがあったようで、加工に入ってからお盆も挟んだこともあって加工だけでも1ヶ月くらい掛かった。どうせつくるなら満足のいくところのものを作りたいと思って、それなりに、試行錯誤し、自分の頭の中にある仕上がりのものが出来上がって嬉しい。

売れる売れないじゃなくて、自分がつくりたい形のものを追い求めて、それが達成できればそれでよいのだろうと思う。加工工場の専務さんがおられて、塩縮関連の生地を見せてもらい説明を受ける。それらを観て自分の求めているものなのかというと違うところもあったりなのだが、そういう技術的な可能性を知っておくことは、自分のやりたいことに応用が出来たりするので大事だと思う。

自分自身の中に、主観的にどんな風合いが自分の求める風合いなのかがあるのが幸いな気もする。また、それに近づけていくために一つ一つの要素を調整していくのも最終の生地の仕上がりをよくするためには必須の要素で、現場の専門の人以上にこういうことができないだろうかとか切望していることも多い。
2014年09月04日
今日は、経理のものが会計ソフトを起動しようとして起動できないという状態で、朝8時くらいから10時半まで格闘。電話でユーザー登録してサポートと話しても、駄目な様子で、すべて消えてしまいますが再インストールしかないといわれて、自分で解決法を探すモードに。

エラーの詳細ボタンを押して詳細を確認して、ポップアップを閉じたとたん一気に起動した。入力したデータも残っている。再インストールでこの9ヶ月の入力をすべて失うのとは天と地の差である。ソフトメーカーのサポートも対応できない類のバグというのは存在するのは当たり前だと思う。ソフトメーカーですらも、OSの仕様自体にバグがたくさん有ったりするもので、それを解決しようとし始めると今後のアップデートなどでややこしくなるのだろう。

話は変わるが、若い頃は織物の仕事よりもコンピュータの仕事を別腹として考えていた。コンピュータを使えることが織物の仕事には役に立っている。昔は読み書きそろばんといったけども、今は、デスクワークでは仕事でコンピュータを使えることが最低条件であろう。が、私は、コンピュータグラフィックスとういものに芸術性は感じない、というのは組み合わせでしかないように思える。

デザインは最終的には色柄ではなく、哲学なのだろうと思うことが多い。テイストじゃなく、哲学をもったデザイナーの方と会うと本物のデザイナーに会えたと思う。結局、服にしてもデザイナーの生き方の一部を表現し、布にしても機屋の生き方の一部を表現しているのだと思う。物の中につくり手を見ることができる。
2014年09月03日
今日は午後に大阪からインテキ上海に絡んだ取材の方が来てくださり、近況などをご報告。インテキ上海は、林与の場合、中国以外のバイヤーさんが半分くらいで、中国のブランドやお店のバイヤーさんが半分くらいのイメージ。

最初、インテキ上海に出たときには、「麻」を売ろうとしていることが珍しいという人が多かったのを覚えている。中国では「麻」というのは、綿よりも安いイメージが昔からあるようで、日本の企業が「麻」を高級素材として打ち出しているのを不思議に思われる方が多かった。それでも、5年もすれば、「麻」や「リネン」というものの認識は変わり、高級素材として、中国の現地の方が競って求められる注目素材となっている。

昔は、中国の百貨店を見ても、ナチュラルなテイストのブランドというのはほとんど見かけなかったが、今は、台湾がそうであるように、中国にも日本のファッションというものが浸透し始めていて、ナチュラル素材がやはり合成繊維よりも高いということもあって、ナチュラル素材を高級なブランドが使用する傾向にある。

海外という場では言葉が通じにくいこともあろうが、素材というものが共通の言語となってコミュニケーションが取れることも多い。値段が高くても買ってくださる方や毎日来て下さるお客様がいてくださったり、それも一つの楽しみだったりする。4日の展示会というのは長すぎ、2日目なのか3日目なのかいつもわからなくなる。世界的な麻ブームの流れの中で、麻についていろいろと私と話をしたい方が話に、聞きたい方が聞きにきてくださるとう感じで良いと思う。インテキ上海は10月後半。

今日は夕方、加工工場にラミーの超細番手の織物の上がりを見に行く、なるべく綺麗な仕上がりにしたいと思っているが、まだ試行錯誤の状態。見本というのは2つ、3つに分けて加工したい気持ちもあるが、すべてを試すことはできず、ベストと思われるような加工方法を採用する。

夜には、糸を巻くおじいさんのところに糸を取りに行く、黒を先に巻いてと頼んでおいたが、紺から先に巻き上がっている。年配の職人さんというのは一般的にほかの人の指図どおりに動けることは稀なのだが、このおじいさんに仕事をしてもらうときにはいつも正しかったので今回は例外で、なにか順番が逆になった理由があろうと思える。
2014年09月02日
今日は、午前中に竜王の佐川で営業所止めの反物を受け取り京都に納品。納品のあと加工の件でプリント工場へ相談に伺う。帰りの高速道路でも、本質的な解決方法があるのかを考える。

会社に戻って、途中になっている整経などを行う。これも会社では私にしかできないタイプの整経で、ほかのものに説明して正しくやってもらえる確立が低いので私が担当。

来春向けの注文が入ったのでその計画なども考える。ナチュラルな仕上げのタイプなので、通常の加工以上に時間と手間が掛かり、私もミラノウニカで不在にすることもあって納期が間に合うのかちょっと心配。

9月の阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェの詳細が届き、9月17日から23日に行われるということ。頭の中では15日からと思っていたので、帰った翌日が準備になると思っていただけに、1日でも余裕ができて助かった気分。
2014年09月01日
今日は、午前中お客様、午後から来春物の件でお客様。夕方には地場のお店の関連。糸が染まりあがってそれを糸を巻くおじいさんのところへ。糸を持っていって、おばあさんと久しぶりにお会いした。カセ染めの糸をチーズに巻き上げるチーズ屋という商売だけでは難しいので、牛乳や保険、運送のいろいろな代理店などをおばあさんは若いときから動いておられた。

いつも電話すると聞こえてくるのが、「林与の社長さんやで、にいちゃんやない」でと、おっちゃんに電話を代わられるときに言っておられるのが聞こえてきて、おっちゃんも大変やなあと思いながらも、おばちゃんが私を盛り上げようとしてくださっているのが伝わってくる。

今日も、午後のお客さんがいっておられたのが浜松でも織るところが少なくなってきたということ、また、別件でウールが織れないかと電話いただいて、近い方からのお話なので織れない事はないのだが、林与の織機は幅が狭いので規格が合わなかったのだが、一宮でも織るところが少なくなってきたという話。どこの産地も機業においては、戦後のひと世代が終わろうとしていて次の世代がないといえる。

織物というのも同じものを織るなら技術的にはそれほどは難しくない仕事なのだが、小ロット多品種的なものづくりとなると話はまったく別で、あえて難しいものをつくろうとするのだから技術も必要となる。今日はほかにもプリント案件の仕上に関して、加工工場やプリント工場と相談。単に織るというところだけでなく、理想とする最終形に近づけるために何がどこまでできるのかという辺りは、糸から始まって最終の生地まで考えないとならないことは多い。