2015年04月14日
先日ある日本の工場の社長さんと話していたのと、中国の織物工場を見学したのとが頭の中で重なるところがある。日本の工場でも生産量が多いと中国の織物工場のように分業化で作業を専門化し単純化してしまうのが理想系である。
私も昔、最先端の半導体工場で働いたことがあるが、一日中というよりも、一年中、あるいは会社が続いて仕事が続く限り一生、同じ一つの仕事で終えるというのが、大量生産の現場では理想なのだ。実は、昔、地場産業系のものづくりは、この大量生産のシステムが成り立っていたので強かったといえる。
しかし、大量生産のシステムの中の人というのは、全体がどうとか考える必要がないので、問題が起こったり新しいものをつくろうとするとき、また厳しい時代には大きな壁だったりする。中国の工場でも、できるレベルのものに特化するというのが一番安全で流れ作業を止めない理想形のように思える。
麻のもので色の濃いものをすると、色の薄いものと比べると、普通は摩擦堅牢度の問題で苦戦するものだ。やはり表現力豊かに見せるためには、色は大事で、安全なところの色でとまっていると、大量生産向けの色帯から抜け出すことができない。風合いなんかも面白いと思える風合いのものというのは、物性が安定していないので、量産には向かない。
量産しようとすると何度も何度もテストが必要で、そうやっていてもテストと本生産では、規模が違うので、見えない問題が起こったりするのでリスクが高い。日本国内で生地に求められる品質というのは厳しく、それゆえに今は日本では普通の布しか作れなくなってきている。海外の量産と同じ安全なものしか作れないという状況なのだ。
つくるものが似通ってくるとそれをつくっている人の考え方というのも似通ってくるもので、結果として文化も似通ってくるだろう。織物は文化だといわれていた方があったが、国によって異なる織物、地域によって異なる織物というのは、文化の違いの象徴だろう。
上海に日本の商社におられた社長がやっておられるテキスタイル会社があるけど、考え方が今の日本人以上に日本のものづくりみたいなものを大事に思って下さってて、数年前の上海の展示会で何百社もある中国のブースを一通りざっとみたときに、一番面白いなあと思って、このアイデアがどこから出てきたのだと不思議に思った。
数年後の展示会で、その会社の社長が弊社のブースに来て下さり私と近い考え方だった。どこからか私の会社のことを聞いて挨拶に来てくださった。ものづくりに包容力があって損得勘定じゃないブランド的な方向性がある。やはり、布の世界も突き詰めていくと哲学の道にたどり着くものだ。せっかく生き残っている機屋なので、生きている限りは研ぎ澄まされた精神を持てるよう、自我を捨てて物を見つめて物に精神が宿るようなところからはじまらないと、本質的な差別化も難しいであろうと感じる。
霞を食べて生きる仙人みたいなのもほんと理想馬鹿なのだろうが、2日納期に追われて飲まず食わずで織機を動かして2日で5kg体重が減るとか、たぶん、普通は一生に一度もない経験を積み重ねて普通とは違う世界が見えてくるものもあったりする。そういう経験が普通だと日ごろからしてつくるものにも思い入れもこもるものだ。
昔、商売というものを深く考え直した一件に、3日寝ないで現場の立仕事、4日目に朝から昼間で睡眠、それを1ヶ月繰り返し納期を乗り越えたこともある。それは比叡山の修行僧以上の世界だが、それでいてそれが幸せな結果なのかというとそういう苦労は報われないもので、安く買って高く売るのが問屋の技術みたいなことをいわれて、まったく商売の方向性が違うのを感じた。それが普通なのかもしれない。
そこまでいかなくても、基本としてほかと違う、そういうものづくりが哲学的な要素を必要とする部分では求められていたりするのは当たり前なこと。デザイナーさんを含む人々と接していて思ったりする。織物をつくっていても、デザインがとか品質がとかいう前に、人生観みたいなものがそのモノづくりしていくのかどうかを決めると思う。