2015年04月05日
日本国内では、普通にしていて成り立たないことが多くなっている。大きな企業でも工場一つが消耗品のように閉鎖されてしまうのが普通になっている。
小さな会社が普通にしていて成り立つはずもないだろう、と常々思う。滋賀県という場所では、駅前の一等地のお店でもお客さんがガラガラというのが当たり前で、駅前の一等地ですら商売をするのがマイナスに思えてしまうような厳しさ。これは近江の人が質素倹約的なことに由来するのかもしれないが、駅前まで行かなくても居住地域の近いところに大きな駐車場を備えたショッピングセンターができてそちらに人が流れていることもあろう。
ものの価値がプラスからマイナスに、繊維の商売なんかも、規模が小さくなって普通にしていると仕事がマイナスという流れ、正しいものが出来上がって、売り場に置かれれば、ものが普通に売れていかないと、持続性の面では、ものづくりしている人の働いた分がどこからも補われないことになる。補ってもらったとしても、それが正しい消費と繋がっていなければ、持続性はない。
林与の場合、自分がつくったものをすべてお客様に提案できるようになったのは、自分で展示会に出て、自分が提案できるようになったから、それまでは、何十のものをつくってもその一つ二つしかピックアップされなければ、それでは、トータルとして自分のやっていることが成り立つはずがないのだ。また、値段も自分で決めることができるようになって、つくる計画と販売の計画、また、在庫などの管理のすべての見通しが立つようになった。
つくって売れないなあと思っていても、自分で販路を持っていれば2年もすれば結局売れてしまっているということがほとんど。自分が面白いと思っているものは、ハズレではないことが多いので、それをどう上手に披露させるかさせないかだけの問題だったりもする。その場合にどのように謳ったり披露させるかは大事で、仕入れ先や売り手の生地に対する価値観が林与と整合していないと、なかなか売り場でもお客さんへの提案も難しいだろう。
以前、あるお客さんが、「林与さんの生地のほかとの違いは何ですか」と聞かれて、普通と思われるかもしれませんが、麻を織り続けていることです。とお答えさせていただいたら、予想された答えと違ったようでなっとくいかないような顔されていました。わかる気もするのです。