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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2015年10月
リネン日記:18
2015年10月24日
シャトルの2号台を動かしているが、縦糸切れが止まらない横糸切れが止まらない状況。調節が必要。曲がった部品をまっすぐにしたり1時間ほどの調節で何事もなかったように織機は正しく動き出すのだが、本来は織機というのは常にこういう状態が保たれているべきだろう。

織機というものは正しく動かなければ駄目な物を量産することになり、仕事すればするほど問題が増えてくるものだ。正しく調節できる人がいてこそ正しいものが織れる。こういうのを一般には技術と呼ぶのかも知れないが、本来は織物をする上では基本の部類で正しく動かせ、正しい布を生産して初めて仕事なのである。

浜松で大手のシャトル機屋が廃業をしたそうで織機が海外に行くそうだ。海外のほうが正しくシャトル織機を扱える職人がたくさん存在しているということと、シャトル織機を動かして成り立つ仕事というのが海外ならあるほか、海外がほしいのはレピアよりは部品が代替が聞く、自作できるシャトル織機だろうといえる。

シャトル織機というのは金鉱(ゴールドマイン)みたいなものなのだ。日本は今でもたぶん世界有数の金の保有国だろうが、それを取り出そうとすると諸外国以上のコストが掛かる。やっても利益が上がることはないだろう。日本でシャトル織機を動かして布を織るも同じに近い。浜松の織物工場の社長の「ご迷惑を掛けず閉じられることを誇り」とし喜んでおられるのが本音なのではないかと思える。ほかのものがやっても成り立たないのもよく分かっているのだろう。
2015年10月23日
そろそろ来春向けに1月中くらいまでの生産詰まってこれらの本シーズンの生産を乗り切りたいところ。年内納めの受注ももう数件入る予定で年明け蔵までは仕事でパンパンになるだろう。

ミラノウニカとインターテキスタイル上海の申し込みを済ませた。今年は近江上布プリント柄の新たな展開を考えているところ。本業のアパレル向けプラス小物雑貨のチャンネルが広がり始めて海外展開向けにもいい感じに思っている。

今回ミラノに正式に出展できるなら、前か後ろの1日、時間をとってフィレンツェに訪れたい。学生のときに将来時間が出来たらまた来たいと思った、フィレンツェ美術館に行きたいのだ。留守にするのときの会社が心配だが。週末をうまく当てられないだろうか。
2015年10月21日
百貨店でのパークワンでのテキスタイル即売と一緒にいつも若手ブランドさんがSOUQエリアで販売をされている。若くしてブランドを立ち上げられても流通量が多くなければ洋服というのは大変だろうなあと思う。

一つサンプルを展示して、注文が入れば一つそのお客様向けに作る。これで成り立つためにはそこにかかる手間を吸収できるほどのハングリー精神がなければ難しいだろう。いろいろなサイズの在庫を作り貯めて販売するほうが何倍も簡単だろうが、そこにたどり着くまでには積み重ねが必要だろうし、また、一回の予測の失敗で売り上げの何倍もの在庫を抱えることになる。

別会場の9Fでは北海道物産展。食べ物のプロの人は商売上手だなあと思える。食べ物はその場で数分でつくれていいよなあと思えるのだ。昔、彦根のイベントで出店のお手伝いもしたが、素人でもそこそこ貢献できるというあたりが食べ物というのはイベント商売には向く。

デザインというのは観るだけでも十分なのだ。たとえば、ファッションショーも自分が着れば別の世界だろうが、美しいモデルが服を着て歩いているのを観るというのがステイタスな世界だったりもする。デザイナーというのは案外おっさん、おばさんでも問題ない。見た目がよいに越したことはないが、インパクトというのが大事で普通じゃだめなのだ。ファッションはウィンドウショッピングで楽しむことができるのだ。食べ物は食べて満足してなんぼの世界。

今、ファッションが食べ物と融合を求めるのも、食べ物には人が引き寄せられる要素があるから、脇役であってもファッションアイテムの売り場に食べ物の必要性が出てくる。スイーツを征するものはファッションも征するあたりだろうか、ビジネススタイルというものは移り変わるものだと思うが、繊維業界も酒が潤滑油だった時代が懐かしい。
2015年10月20日
今日はテキスタイルマルシェ最終日、最終日はパークワンでワークショップが予定されているために、最終日はレジ前にテキスタイル3社は移動して、小物系の3社はイベント階段を上がったところに移動。

最終日は5時までなので、足早に時間が過ぎた感じ。5時には、撤収開始で林与も反物をたくさん持ち込んだので梱包に時間が掛かって一番最後に撤収。長い一週間が終了。お越し下さった皆様ありがとうございました。

今回のテキスタイルマルシェは、会社の中が生産期に入っていろいろと作業が積もったので、主催また、ほかの出展者の皆さんに助けていただきありがとうございました。次回のテキスタイルマルシェは12月9日からです。


2015年10月19日
今日はテキスタイルマルシェ6日、昨日は電車を乗り過ごして稲枝で降りたが戻る電車がなくて、能登川まで一駅歩く、荷物をもって1時間以上歩いて喉が渇いて飲み物を買って帰ったら午後3時半、また、6時起きで仕事の準備起きたら脚が弱ってて痛む。

今日はお客様は多目で売り場としては活気があった。テキスタイルマルシェという行事には途中からの参加なのだが、関西で行われる目玉的なテキスタイルイベントとして、出展されないテキスタイル関係者もたくさん激励に来て下さる。

ハードルが高いと思える部分もある百貨店イベント、主催や参加者の皆さんに支えられて林与もなんとか会社を動かしながら参加させていただいている。キッチンクロスは私よりもお隣にいてくださる松尾捺染さんが上手に売って下さった成果が大きい。阪急うめだテキスタイルマルシェは初参加の藤原織布さんも大江さんもすばらしい接客で、布の世界の販売上手は女性だなあと思える。

一般のお客様以外に、お仕事としてテキスタイルマルシェに訪れられている方もおられて、林与も数件、お仕事の話で何か新しい仕事ができるのではなかろうかと思える。リネンや麻はやはり秋冬は売り上げ的には弱いのだが、秋冬ながらも麻で売り場に立たせてもらっていることに感謝している。

もちろん、年中、リネンという方もいてくださって、また、林与の生地を毎回買ってくださるお客様もいてくださって、ありがたい気持ちで一杯である。出展の皆さんが言われていることで、林与にも共通するのが、テキスタイルマルシェというイベントで反物をカットして生地を売るのが難しいということ。お客様にとっては反物というのは大きすぎて、ご覧になられるのにはなかなか手ごわい相手なのだろうと思うのと、テキスタイルマルシェ出展者の記事というのは、百貨店に常設されている生地屋さんの生地よりも高いというあたり、お客様にとっては手が出し難いのだろうと思えるのを感じた。
2015年10月18日
今日は、販売終了後、出展メンバープラス友達な打ち上げパーティ。参加者のいろいろな話を聞いていると興味深く、独立された方が一人いて器のある人なので大丈夫だろうが、独立して2年、3年でうまく行かないと難しいだろう。また、3年ほどでお客さんが離れているケースも多かったりするものだ。

先日も、金融関連の方とお話していて、企業数というのは年々減っていく傾向にあり、金融機関を支えていくような企業層というものがなくなっていて、独立支援などに動くものの今の時代、30年持つかというと3年すらもが難しい。

先日、蜂の巣を処理したが、蜂が戦闘モードで自分の巣を守ろうとするのは人間以上に本能的に生きるということをプログラムされている。蜂のほうが人間以上に集団意識があろうといえる。また、常に好戦的であるのではなく、自分の巣が脅かされたときに戦う意識が働くというのも自然の中で共存していける要素を持っている。

2015年10月17日
今日は朝の4時起き、東京での百貨店イベントの発送を確認ミスで遅れてしまい。なんとか、数日貰って本日発送で、ストールのラベルを印刷し、裁断、取り付け、梱包など。見切り発車で、朝8時過ぎに会社を出発してテキスタイルマルシェ4日目。

今日は新しいキッチンクロスを30枚ほど持ち込む。今日持ち込んだ今っぽい多色使いのキッチンクロスはやはり目立つのでほとんど売れてしまい。やはりこういう店頭ではデザインは目立つものほどよいのだろうかと思う。アートしているが色をあまり使いすぎると子供っぽいのが個人的には好きだが、仕事の上では私としては好きじゃない気もする。

クレヨンなら原色を使って色華やかにすれば見た目は綺麗なのだが、自然美というのは原色とは違う、色が調和しあう世界。木の世界、石の世界、水の世界、火の世界、それぞれに、まとまりのある色使いが自然な美しさ。

柄や絵というのは不思議で、そこに実体があるのでなく、イメージを描くだけで人がそれをそこに実体があるかのように解釈して風流を楽しむ。たとえば、「涼」という漢字一つですがすがしい気分になれるのが人というもの。
2015年10月16日
朝起きて首の付け根当たりの痛みが激しい。お風呂で疲れた足裏を揉みほぐす、と何故か首の痛みが緩和した。原因は慣れない革靴にあったのではないかと思う。今日は靴を変えて出発。
2015年10月15日
今日は、テキスタイルマルシェ2日目。相変わらず、肩が重く、首を少し動かすのも痛い。なにが原因だと考えるとはっきりとした直接的な原因がないのだが、日常の生活習慣をかなえると思い当たる理由がいくつもある。

2015年10月14日
今日はテキスタイルマルシェ初日、なぜか、朝から肩が詰まるように痛い。首を少し動かすのも強烈に痛いのだ。首を支えている脊椎の骨と骨の間の軟骨が磨り減ったか何かだろうか?

とはいえ、10時まえに梅田に着く電車に乗って出発。初日の会場はいつものテキスタイルマルシェよりお客様の数は少な目の感じ。前回の9Fでのテキスタイルマルシェが盛況だっただけに、今回はちょっと休憩の回だろう。

林与も糸量の計算ごとがあったので、お客様がおられないときには、糸量計算。柄から縦横の糸の本数を決める。ストールに仕上がったときに正しい縦横のサイズになるよう糸の本数を決める。理論値ではなく、織り縮みや加工縮みを加味して計算しないとならないので表計算ソフトを使うと便利。
2015年10月13日
私がなぜいつもバタバタしているのかを考えるときに、私以外のものがものづくりの管理ができないというところではないだろうかと思う。20代のころ会社に入って仕事を始めたときから現場の人というのは自分の仕事というのを自分で再現することが出来ないことが多い。

田舎なので、たぶん、農業や料理のように慣れや感覚で仕事をしてしまって、自分の仕事の記録をとるということを出来る人が少ないのあ。自分のやった記録を正しく取れる人というのは、10人いて一人とかの確立ではないだろうか。自分が記録しないので、自分でやった仕事を同じように再現できる確立は少ないのだ。だいたい同じという感覚で仕事が流れ、結局同一のものが出来ず、問題が発生する。案外経験のあるひと人ほど、自信をもって同じだといわれるが、同じことは少ない。

結局、人の作業を管理する人がもう一人必要になる。その部分を私がやっているので、忙しいのだろうと思う。
2015年10月12日
昨日の夜、運送会社に行って待っていても誰も出荷時間に来ない。連休で、昨日は運送会社が休みということだろうと判断。朝から大阪の物流倉庫にテキスタイルマルシェの反物を搬入。

帰ってくると正午過ぎ、先日の藍染が濃すぎたので今回は薄めに染めようと考える。なぜだろう、前回は濃く染めることが出来なかったのに、今回は簡単に濃く染めることができる。嬉しいようで、再現性がないので嬉しくないあたり微妙。

麻を藍で染めるというのは高級感があってよいのだ。そこが綿の藍染とはちがうところだろう。とりあえず、1回3時間ほどのルーチンで染めてみて、濃度を調節して染め上げて前回よりは薄めに染めた。

午後、ちょこっと散髪に行って髪の毛を整える。今夜、テキスタイルマルシェ用に、持込のキッチンクロスを織ったりしないとならない。連休があるのでまだ落ち着いているほうだろう。
2015年10月11日
今日は、昨日の藍染のつづき、テキスタイルマルシェが14日からあるので、本日が反物の発送日で、午後からは荷造り作業。工場の中の整経と織りの準備も進めないとならない。常にいっぱいというのはありがたい状況である。
2015年10月10日
今日は、庭の葉刈りの人が来て、木の一つに直径25cmくらいの熊ん蜂の巣があったので、それの穴をガムテープ塞いで処理しようとした。が、私がガムテープでもう一度上からガムテープを貼って補強しようとするも、先に庭師の方がその木を切って引きずって庭の外に持ち出したので、案の上、穴を閉じたガムテープが取れてしまって、鉢が穴からたくさん出てきて、庭師の一人が刺されて、持ち出された蜂の巣は焼却処分することに。

朝から思ってもいない騒動で、物事というのは正しく運ばないと大変なことになるというのを感じる。庭師の中でも一番年長のおじいさんは、場慣れしておられて、終始落ち着いた行動だが、こういう問題に慣れていない人というのは騒いでしまって余計に収拾が付かなくなる。巣を処理した後、予定していた京都行き。京都の田中直染料店で染料を買う。久しぶりに自分で染を行う。

午後からは、テキスタイルマルシェの出荷準備、今回は反物を多い目に持っていく。キッチンクロスも新しいものを補充しないとならない。リネンの25番手の生成B反の2Mから5Mでカットした生地もワゴン売り用に用意できた。


2015年10月09日
仕事の難しさというのは人に仕事を頼むときに生まれることが多い。説明を正しく理解していてもその通りできない人というのは多い。説明を聞いて理解しても自分が良いと思う方法でやってしまうタイプで我が強い人というのはお客様向けの仕事には向かない。普段、決定権を持っている人というのは人の下で働くことは難しいことが多い。

会社なんかでも廃業したりする会社の社長がほかの会社で普通に働くということができないことが多いのも、仕事に対する考え方がダブルスタンダードなところだろう。自分が上に立ってほかの人の上に立つことばかりで、ほかの人の同じような行事には協力できない先生タイプの人というのはものごとの本質を見据えておらず、その存在自体が全体からするとその世界を継続するには弊害になることもあるだろう。

企業なんてのはどんなちいさく一枚岩であると強い。企業が滅びるのは、外との競争ではなくて、中からの崩壊が多い。中から崩壊させる要因が法改正だったりすることも多く、国が現場も知らずに重荷を押し付けることで今まで続いていたことが続かなくなるということは本当に多いだろう。企業が特色を持つということは、企業の中の人が特別だということに尽きるだろうが、それを薄めてしまうような方向に国や法律が誘導をして出来ない人だらけにして企業が存続できるはずないだろう。
2015年10月08日
この1週間はオーガニックウィーク、オーガニックリネンに尽きる。今回のイタリア銘柄の糸もチュニジア紡績の糸。多くの方がオーガニックリネンに関して問い合わせいただくが、幻想が広がりすぎているようなところがあるのではと思うフシがある。

オーガニックに関してある組織の代表を務めておられる方に、オーガニックといいながら合成繊維が流れていたりする現実があることを指摘したところ、その代表の方は、それは「企業と企業の問題です」とあっさりいわれ、自分や組織には責任がないということを主張される。私からすると、おっさんまったくアカンやんのレベル。

お話からしても引導を渡されるような立場であるそうだが次の人がいないという。オーガニックというのは、自己犠牲をともなう献身的な世界だろうと思うが、その覚悟がなく、弱者にそういう覚悟を強いているだけではないのかなあと、管理するもの現場以上に苦悩を味わってこそ、オーガニックの世界というのは成り立つものだと考える。

オーガニックリネンの世界も広がりすぎると同じようなことになるだろう。オーガニックリネンにしてもブランドじゃないのだから、誰かのものではないし、そのコンセプトに同意できる人に本物が手に入るように広がっていけばよいのではないかと思える。

先日お越しになられた方も、あるオーガニックのラベルが1枚10円だとして、何十万アイテム流れるとして、誰がその何百万円のお金を誰にもわからずして手にしているのかというオーガニックを運営している組織の闇の部分に触れられていた。まともにオーガニックに取り組んでいるものは、そいうお金が飲み食いに使われるのではなく、そういうお金が現場を救うために流れてほしいと感じてしまうものだ結局そうでなければ搾取の母体であるに終わる。いろいろと厳しい話だが書かせていただいた。
2015年10月02日
戦後の高度成長期の日本というのは将来のために蓄積というスタイルが主流で、今だとだまされたとなるのだろうが、将来無料になるから高速道路をとか、老後のために年金をとか、騙され易い性格が働いて、老後は安心かのごとくに思い、余った資金がバブルをうみ出した。

月数万円の積み立てで老後が保証される訳ないのだが、そういう妄想を生み出してしまうような愚民政策というのは罪悪でしかなく、それが生まれた途端に将来に渡って背負わされる負担になる。取る側と取られる側、どうやって取る側にまわるかに終始して、そんなのが上にたっているだけで破綻の確定。

飢餓に苦しむアフリカでの人口爆発の背景には子供を生めば自分の面倒を見てくれるというような駄目親的な考えがあるらしいが、今の日本、社会システムとして駄目親的じゃないのかと思う。騙された矛先がこれから生まれてくる子供達に向いてしまっているはおかしなことというのに気がつかないと。
2015年10月01日
今年の夏は、世界的には観測史上一番暑い夏だったらしい。日本もまあまあ暑かった。あれほど叫ばれた節電にしても、今年は節電の声を聞かない。原発がほとんど停止していても、円安で原油が安くなれば利益が出るので電力会社も使ってくださいということだろう。普通の商売なら損が出てもそれは仕方のないことと被って、一時を乗り切るがそういうのがなく、常に儲かるのが当たり前というのが、電力会社が民間でありながらも実質国営というあたりではないのだろうか。

原発が世界的にエコに摩り替えられたのは笑うしかないが、福井原発にしても東シナ海からくらげが大量に押し寄せてきている問題なんかも、原発が熱量の面でも地球温暖化に相当貢献して、一番危惧されている北極の氷を溶かす要因となってるんじゃあないのかと思えたりする。なぜ滋賀県で原発をしないのかということを友人に聞いたことがあるがその人の工業高校の先生が琵琶湖で原発を稼動したら琵琶湖が干上がるような話も聞いたことがある。本当なのかどうかは分からないが…。

本来、1万年前というのは、日本列島のほとんどが氷で覆われていた。6000万年くらい前から南のほうの雪が一部溶け出して人が大陸から移り住むようになった。これが縄文人だといわれている。そのあと、徐福伝説が正しければ、徐福一行3500人が弥生文化をもたらした。狩猟生活から農耕生活へと移行したことで豊かさを求めることができるようになったものの、豊かさの裏には大量消費が付きまとう。あまりに違う二つの宗教、山の神様というのは縄文時代からの宗教で、神社は弥生時代を思わせる。