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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2015年12月
2015年12月
リネン日記:26
2015年12月31日
作業や動作というものは簡単にみられがちだが、教育なんかよりも何倍も本質であると思える。教育というのは頭の世界で、結局は作業や動作に繋がるのかというと、必ずしもそうかというと、ほとんどそうでないことのほうが多い。

繊維の世界においては新興国の人のほうが教育を受けていなくても仕事は正しくたくさんできるということは、正しい仕事というのは教育の賜物ではなく、正しい作業や動作の積み重ねであるということだろうと思える。

正しい作業や動作の積み重ねを何万回、何百万回できる人というのが結局は現場では強く、素人であろうが経験者であろうが、一回一回の作業や動作が正しくなければ、やっても悪い積み重ねとなる。

正しいが分かっていても、なかなか正しくはしないのが人のサガというものであろう。人が正しく早く出来ないときに、機械に追い抜かれていってしまうものだ。機械を使う側に回れればよいけど、自分の動作が正しく出来ない人が機械を正しく扱うということができるのかというとそれもまた難しい話だろう。
2015年12月30日
織機を移動するのに、便利なものの一つがマシンローラー。あとローダウンジャッキ。マシンローラーにバランスよく織機を載せれば、あとは手で押して転がす。

最初、四隅にマシンローラー四台おいて転がそうとしたけど、外れて難しい。逆に織機の前後に2台において、それぞれのローラーに織機の重さがしっかりと掛かったほうが、思いっきり押して動かしやすい。

ハンドパレットも活躍だが、織機というのは、ハンドパレットに載せるのは難しかったりするものだ。

床に穴を掘る道具は、ハンマードリル回転しながら振動して、コンクリートを叩き潰しながら穴を開けてゆく。最初、18mmまでいけるというハンマードリルに17mmを付けたが、トルクが小さくて無理で、交換してもらって、24mmのハンマードリルを使ったが、これでも、17mmは厳しい。中古の41mmのタイプを使って、20mmの穴だと簡単に開く。

床に穴を開けるのも、迷っていたらだめで、駄目ならまた開けなおせばよいくらいの気持ちで、どんどん開けてみるのが大事。これは仕事と同じかもしれない。やろうと思っても頭の中だけだと何もやってないのと同じで、実際に作業してできて結果があってこそ。

織機を動かすのもしたからだけでなく、チェーンブロックを使って上から引っ張り揚げてやってみたけども、これはお勧めじゃない。
2015年12月29日
私自身に仕事納めはないですが外は仕事納め。予定していたものが何とか上げてもらえて、年末年始に作業に取り掛かることが出来る。良かった。

年末年始も手一杯。東京で仕事している弟が帰ってきてくれたので、織機の設置を手伝ってもらおう。
2015年12月28日
年末である。加工工場も年末ということもあって上げてもらえる年内予定のものなどが心配なところ。染工場も今年はボイラーの入れ替えらしく、26日が最終の営業ということで年内に染めてもらうものが仕上がってくるかが心配なところ。

林与は年末年始も織り続けてなんとか回る状態というよりも、普段も外のことに追われて仕事をするよりも、休みの日にしっかりと仕事できたほうがありがたい。仕事がオーバーローディッドな状態であるのはわかるのだが、できるときに働けるだけ働くことが大事だろうと思える。それでも弱いなあと思える。働いていないならなおさらであろう。
2015年12月27日
近江商人の流れを汲む塚喜商事の塚本喜左衛門氏の小冊子「近江商人の里の子供たち わたしの五個荘むかし話」を頂戴した。わたしは次の世代にあたるであろうが、似たような要素をもって育っているので、商いの道の方向性を、しっかりと家業として守られているところ立派だなあと思える。

その中に、三代の図というものがあって、床の間の掛け軸だろうが、綺麗な美しいものというよりも、教訓めいてて恐ろしいのだが、大きく商いを守るということは勘違いしてはいかんということだろうなあと思う。

その掛け軸の1代目は、真っ黒になって夫婦で大汗かいて働いている創業者の図。2代目は、仕事をせんと自分の愉しみごとにうつつをぬかしている。三代目が乞食になって、赤犬に吼えたてられている図。

まったくよくあるパターンで、日本の国にしてもこの三代の図に当てはまろうかと思える。戦争に行って帰ってきた世代、戦後の高度成長、そして生まれたときから国の借金の返済や年金問題を背負わせられている世代。
2015年12月26日
商売でも永遠に続くものはなく、目先のものに追われると終焉を迎えやすいだろうと思える。私自身、常に目の前の物事に追われているが、目先のものに追われるようなことのないようにしたいと思っている。目先のものとは、聞いたこともないような良すぎる話など。

仕事でもキャッチセールスまがいの話があるけども、ほとんどの場合に、リスクも負担できない方が話を持ちかけてこられて実る話ではない。自分自身でリスクを張ることの出来るお客さんとだけお付き合いをしていくのが商売の良い形ではないのかと思う。

一般の方が聞かれると信じられない話かとも思われるかもしれませんが、よくあるのが、プロのお客さんのなかでも困るのが無料でもらえる布がないかと来られる方、自分がそれを転売したり、使って販売して商売されるのに勘違いが多すぎて、返せば、その人の商売自体が無料でもよいんじゃあないのかということになる。自分のものと他の人のものとが区別つかないタイプの人は人間関係からしてややこしい。
2015年12月25日
今日も徹夜モードながら朝一番での加工出し、生機補修をしておくといったのに、違う生機を社員が補修して、今日加工出しのものが手付かず、仕上がった生地を補修するのは難しいけども納期優先で、生機を加工に出す。今回の布、私が、3分の2くらいは織っているので生機に問題は少ないことは確認できている。

朝10時半の新幹線に乗って仮眠仮眠して東京。百貨点での品質に関する説明会があったので東京に午前出発で、別のお客様が弊社に午前中に起こしになられるということで、そのお客様の連絡先をもっておらずに、結局のところ、お客様には、私が新幹線で移動中に、会社に置手紙を残し携帯に電話を入れてもらって、別の日程で調整していただく形の申し訳のないことに。

東京も暖かい、これでクリスマスとはとおもったが、次の日の朝、一番の新幹線で滋賀に戻ったが暖かく年末とは思えない暖かさ。すがすがしい春の朝を思わせるような空気の澄んだ感じ。









2015年12月20日
シャトル織機を動かすときにシャトル織機の正面は安全だけど、斜め前とか真横とかは、シャトルが飛び出す危険がある。特に麻糸の場合には縦糸が切れやすいので、周辺の縦糸を開きにくくするとシャトルがそこから飛び出すことがある。

シャトル織機を持っている私でも、周囲を取り囲まれて動かすときには、みられている緊張よりも、シャトルが飛び出して誰かが怪我をする可能性がコンマ1%でもあるかもしれないということに対する緊張が走る。シャトル織機というのは織り手と同じ立ち位置かその後ろでみるか遠くから眺めるに越したことはない。何の間違いがなくても、縦糸が変に切れて絡んでシャトルが飛び出す窓口となる可能性がある。もし、見学している人を怪我させその人の生涯に残るような問題となれば、私は会社をたたんで、織物から身を引く覚悟くらいはあって織機を運転に入れる。危険というのはみておられる人の人生も掛かっているけど私の人生も掛かっているくらいの感覚がなければ、みておられる人を守ることはできないだろう。

林与が工場の中で基本携帯を持たないのも、ストラップや紐の類が命取りになるのを知っているから。織機というのは前後運動だけでなく回転運動を含むために回転運動にたとえばエプロンの裾や髪の毛、首周りの紐関係などは巻き込まれることに特に注意。チーズワインダーやシュワイターでも切れやすい麻糸だから逆に安心だが、ナイロンとかの強い糸だと糸が強いので巻き込まれると指を落とす危険性すらあることはある。動いているシャトル織機の周りを子供がうろうろするようなときには周囲が注意を張り巡らすべきである。

現場でも織機を二人で使おうとするけどそれほど危ないことはない。ほかのひとの安全まで気にして織機を動かせる人がいるのかというと、いくら理論で危険だから駄目と注意していても、大きな事故を経験しないと初めてわかることはないものだろう。

私が確か中学生のときにあった出来事で、スポーツの試合が終わった後、琵琶湖を眺めていた少年たちが自動車事故に逢ったケース。帰るときに琵琶湖で釣りをしている人を眺めにいった好奇心の強い少年たちが、指導者の呼ぶ声に反応して、急いで戻ろうとして自動車に引かれて死亡事故。悪意がなくても偶然が重なれば、犠牲になった少年たちや家族、引率した指導者、轢いてしまった運転手、全員にとって思いもよらない惨事となる。指導者の方は責任逃れはしない、このような自分に責任のない問題であっても自分が監督する立場で事故が起こったことを悔やまれて指導を断念された。

指導者が経営者的な立場とすれば、少年たちは労働者で勝手な行動で、自動車というのは織機みたいなものだろうか。たらればの問題なのかもしれないが、もしもが起こると代償は大きすぎるので、もしもを少しでもなくすためにも基本や規律というものは、無責任な自由より大事なのであろうと思う。

私も危険に対しての指導をすることがあるけど、それをうるさがる人というのはまったく駄目で、その人がほかの人を害してしまうことがありうるだろう。そんなことが起こってからでは遅いのだ。一方で形だけの安全意識というのもあって、決められているからやっているだけみたいな訓練とか。

たとえば、ここからは極論が入るので注意ですが、人の命の絡む、原発が爆発した後、放射能漏れが隠されて、報道された画面では自衛隊員はけったいなマスクして完全防御の身構えなのに、ボランティアの消防団は放射能漏れも知らされずに消防柔道着で活動、そういうのが国が一番駄目なのだ。国が、国民の善意や命をゴミ程度にしか捉えていないという姿勢がすごく強く伝わってくる。チェルノブイリでも放射能漏れがすぐに報道されたが、福島の場合には放射能漏れが隠された。それが日本の原発行政のいざというときの悲しい姿勢なのである。また、原発がなくなると電気料金が上がるよなんて、人の命と損得を天秤に掛ける電話料金値上げのアナウンスのおばちゃんも立派なテロリストかと思うけど。テロリストに、お前は人の命よりも自分の損得のほうがやっぱり大事だよなあといわれているみたいなので気持ち悪すぎて反対なのだ。電気を使うということがテロに屈しているという情けない気持ちになるが、電気使うの気持ち悪いから織物も辞めるかという話になる。

原発ももう少しまともな人が運営したらと思うが国や政治家が絡んで利権が絡むとどうしようもない。福島の所長はたぶん、危険承知で外に出て動いて吸っちゃって体内被曝のケースだろう。あの所長でもがんばったほうだといわれているが、あの状況でのやりとり、まだ事務的で駄目な所長だと思える。自分の命を犠牲にしても足りないくらい、駄目なものを支えて来すぎたと思える。あの状況で何十万人の命の危険を救うためなら、本社のどうしようもない馬鹿と交渉していないで、バッテリーの費用くらい自分か社員で募って急いで買えよ。多くても数十万円だろう本社の許可ないからできないって人の命すらもがまったく軽すぎる。勝手にやったらそれを責められることもあるのだろうがあの状況では例外でしかないのもわからないものが所長をやってたら駄目だ。一番大事なことが何なのかすらが全員から欠如している。

リスクはリスクで開示してとおもうが、いざというときの放射能漏れすらもが隠されてしまったのだから、安全なんて、関わっている人間の保身の大事さにくらべれば、まったくのたわごとでしかない。東京に原発があったら東京は今、オリンピックなんて騒いでいられないだろうし、絶対に、再稼動禁止だったろうと思う。原発の是非の判断基準は、結局のところ、そのリスクが他人事かどうかというところじゃないのかというあたり。

こういう弊害がなぜ起こるかというと、良い大学出て良い待遇されている人ばかりだから、福島原発が爆発しても他人事そのものなのだと思うが、違うだろうか。良い待遇ならそれなりに厳しい立場におかれないとならないと思う。こういうの書いているとまだまだ若いなあといわれると思うが、こんなもんでいいと思える。
2015年12月19日
2016年2月9日~11日ミラノフィエラシティで、ミラノウニカ2017SSが開催されます。林与はジャパンパビリオンに出展するのですが、そろそろ航空券の手配とホテルの準備を始めました。

航空券はターキッシュエアラインズが、日本で一日仕事してから夜中出発の準備日の朝10時現地到着でいい感じで、現地出発も夕方なので少しは市内も探検できるかと。値段も関空から往復で10万円を切る値段。ホテルはミラノフィエラRHOにあるNHミラノフィエラが、安くて、ミラノフィエラシティまで地下鉄一本なのでよいかと、4泊税込32000円。このホテルに泊まると少しはミラノ万博の名残を味わえるか。ホテルも特別悪い選択ではないので、これで決めて予約。

1年半前に出展したときには、一人旅だったがミラノは楽しかった。イータリィという建物でのイタリア料理食べ放題レセプションはびっくりだったし、最終日の後の打ち上げの食事会で解散して、ドーモの駅でロックアウトされかけて脱出したもののトラムに初挑戦でなんとか、迷子にならずにホテルに帰れた。今回は欲張って、フィレンツェに行きたかったが片道航空券というのが手配しにくく極端に高い。

あと、3月のインターテキスタイル上海SSも、航空券の予約、セントレアから浦東の往復がコミコミで20800円と安すぎる値段。中国経済も元が高くなりすぎた影響で、減速気味で、航空券価格が韓国航空券と似てきた。航空会社は中国南方航空でここのよいのはスーツケースが2個までOKというところ。

中国のホテルは、いつもの安いところにする予定だが、現地に入ってから予約してもいつもガラガラのホテルなので大丈夫だろう。会場に近いホテルがあるとよいけど、会場にへんに近いと逆にタクシーが取れなかったりして、近くて不便なことも経験をしている。このホテルの周りだとタクシーは取りやすい。

現地に入って現地のちょっと贅沢くらいな料理を食べられるとそれはそれで幸せなこと。観光地よりも、ちょっと外れた場所の生活感のある場所の庶民が愛するようなレストランこそ、味が本当に良くって存在そのものに価値があるのではないかと思える。
2015年12月18日
仕事の奥の深さというのは、技法とかではなくて、やはり哲学的な部分だろうと思える。芸術にしても見た目の驚きや美しさというのは一元的なもので、その作家に哲学があるからそういうものが出来上がる傾向にあるのだろうと思える。

日本のものづくりとかいうときに、日本らしい仕事のスタイルってなんだろうかと考えると、本来、ものさしや計算機を使わない世界が職人の世界なのである。教えるとかがないのが職人の世界で、目で仕事をみて、あとは体が覚えるまで仕事するという形。職人を育成するのには学校教育とかは逆に邪魔な世界だろう。

一方で今の織物の仕事というのは、正確な再現性が要求されるので、数値管理が非常に大事である。織機の構造が理解できないと難しいことができなかったり、糸量の計算ができないと準備すらもできない。今は、中学生の数学のテスト問題でもこれよりも複雑なことをやっているような気がする。

アナログとデジタルという表現に落ち着くのかもしれないが、冒頭の美しいとかはアナログの世界、哲学はデジタルの世界に近いと思う。その両方がプラスとマイナスをなして成り立つ世界なんだろうと思える。仕事って根底にはお客さんがいくつもある選択の中から選ぶのだから、一番合うつくり手から物を買うというのが一つの形で、買われない作り手というのは、自然に淘汰されていくもので、それを駄目なことだといってしまうと、おかしな世の中になっていく。

機屋が廃業していく流れの中で、地元でも金襴を織っておられた機屋の社長は私の同級生の親父さんで、毎年新しい設備を入れられ、働く人の環境も整備されていたけども、社長がなくなられると誰もその社長の役割を果たせるような人が中におられなかったのだろう、社長が亡くなられ廃業された。

私がシャトル織機を入れ戻して織っているというと、そんな後ろ向きのことしてたらアカンでと親身に意見をくださっていた。結局は設備の問題ではなくて、人の問題に尽きると思える。人を養っていく覚悟のある人がいるのかいないのかというところ。人を養っていけないなら一人でも仕事をできる覚悟のある人がいるのかいないのかあたりが、ほかの機屋さんが最後綺麗に片付けられ廃業されたのをみても機屋の続く続かないのあたりだろう。

浜松のシャトル織機の120台を有している織物工場が綺麗に終わられる形でその会社の社長の言われるとおり、それはなかなか出来ないすばらしいことだと思える。誰かほかの人が引き継いでも、技術とか設備じゃなく、覚悟的なものが伴わないと経営の波を乗り越えていくことは不可能だろう。
2015年12月16日
織物関連の組合さんなんかでも廃業されているのは機を動かしておられた機屋がほとんどで、この15年でも産地で10件ほど消えられてしまった。機業以外の会社さんというのはほとんど廃業の道を辿られることはない。機場という製造業の部分のがヒトモノカネという3要素どれにおいても負荷が高いかというところであろう。大きくなればなるほど苦しいとされるが、その理由は大きくなると全体的なレベルは量産型となり、ものづくりが新興国との競争に陥るから、成り立ち難いのだろう。

製造工程で何か問題が起きたときに、その責任が機屋に降りかかる。今の日本、薬剤が廃番になったとかありがちで、染料の一つ、糊剤一つ、仕上げ剤一つ、変わると今までどおりには行かず、テストから必要。そういう費用やリスクまでもが機屋に被ってくる。検査などでも、通常の検査は2万円程度だが、徹底したものはサンプルの1マークで5万円から10万円ほど掛かるケースがある。本生産を入れると10万円から20万円コース。10万円の粗利を上げるには100万円ほどの仕事が通常必要だろうから、見本コストなども含めると、何百万円単位の仕事が機屋としては普通の仕事でないと難しい。

今、危惧するのは日本の百貨店の品質基準を小さなアパレルさんが満たすことができるのかというあたり、何百万円の仕事なら検査報告など取れる費用が見込めるが、通常は販売する商品を検査する費用も、費用的に抽出が難しいというのが現状だろう。特にデザイナーさんというのは、定番を嫌われる傾向があるが、デザインちっくなものというのは、物性面でのリスクは大きいというところ、売り場も共通しての認識をもっていただきたい。デザインの世界でたとえばイタリアンなところを求めると、物性面では危ないものが多くなってくる。

私自身はそういうところまで考慮してのものづくりで、合成繊維を基準とした検査において、天然繊維の中でも一番不安定な麻素材の場合には常に物性などの危うさなどがあることは当たり前に感じているが、すべてにおいてアクセルとブレーキを掛けながら自分は利益を上げたいというタイプの方だと、基本的な部分の無理ということで値段のことや品質の安定性、納期問題など合成繊維をお勧めすることもあったりするのもその方が結局のところは結論として合成繊維を理想とされているからである。

何十年、業界におられる方でも、品質偽装や産地偽装の壁を踏み越えられてしまわれる方が多いもので、その壁を越えられることで利益を生み出されている業者さんも大手などには多かったりする。生地においても海外で織って国産という謳われかたが百貨店商品でも大量に出回ってしまっているのも、無名有実なところで、それを国産の基準にしていただくと、本当の産地さんや国産が値段が高いということで悪者にされてしまうことが多い。プロの世界では到底無理な話がなぜか信用を重んじる百貨店などのアイテムとして出回ることも多いものだ。
2015年12月15日
まだ、昨日の朝のことなのだが、今日一日経って、もう遠い昔のように思えるのが、神戸から皆さんが来てくださり、そのあとテキスタイルマルシェの会場の撤収作業をやったこと、その後会社に戻って機械修理。そして朝には加工出し。

今日も年内のアポイントが数件入って3件はお受けして、ほかは年明けにお願いする形、別件で東京に行かないとならない状況も入って工場の中の仕事はどうするのという状況。本気でプロのヘルプ求む状況である。昨日のテキスタイルマルシェの会場でも、ファッション専門学校の先生が起こしになられて、まじめな学生さんで働きたい人いませんかというようなお尋ねもしてみた。

何十年やっている人でも成り立ち難いのがこの世界なので、若い人が飛び込んでも苦労はするだろうと思う。大手のアパレルさんなども多くのところが再編を強いられる。一人の力が大きくないとそういう波に飲まれて終わってしまう。産地の繊維関連でも次々に廃業をしているのが、機を動かしていた会社で、機織の現場を守ることはなかなか難しい。

プレゼントということで昨日、神戸ファッション美術館の方から、神戸ファッション美術館の招待券を何枚かいただいた。今、神戸ファッション美術館では、日本衣装絵巻展を、行われている。卑弥呼の時代からの8つの時代の京都の染色家による復元衣装で、日本の着物の柄をみることができる。1月12日までの開催ということで、ぜひ、一度訪れたい。

古墳時代、奈良時代の衣装は、大陸の影響を受けという表現でつづられているが、織物技術からしても渡来人の徐福の子孫が日本の支配階級を形成したとしか考え難いところがある。中国からすると当時は国境なんてものがなく、日本の地も朝鮮半島も認識は中国の一部であったろう。凝った柄の美観がそうなのだ。そのあと時代を経るごとに、和調の柄に変化していく。呉服という言葉も、中国の中でも、呉の国の出身であるといわれる徐福の影響が強いのではなかろうかと思われる部分。また、宮中行事として天皇が稲作、皇后が機織をされるというのも、宮中のものがそれを技能として日本に持込み伝播したということだろう。
2015年12月14日
昨晩は、徹夜モードで遅れている仕事を続け、今日の午前中は神戸美術館主催の産地見学ツアーで工場見学に来ていただき、現場や近江上布の資料などをみていただく、時間がちょっと押し気味で、滋賀での食事なども楽しんで、また、組合さんやほかの企業さんでも特色的なものをご覧になられるということで、その一端を果たせればと宵のではと思う。

お昼に現場に戻って遅れている仕事の指図を出して、阪急うめだのテキスタイルマルシェに向かう。3時前に入ることができアポイントいただいていた刺繍の先生との打ち合わせ。5時には撤収作業で、今回はほとんど店頭にたつことができなかったけど、なんとか無事にテキスタイルマルシェが終了。

会社に戻って、今日加工だし予定だったものがまだ加工だし前の修正などが終わっておらず、織機も時間に追われて大阪に飛び出して行ったので、調整途中だったがそれも夜中直すことができ、明日からはしっかりと織れるだろう。もう一台、調整が必要な織機があり、それも夜中調整を掛ける。

2015年12月13日
今日も工場の中での作業、なぜか、今日は織ることがどの台も糸が強く張る感じで難しい。細番手の糸は触るだけでぽろっと切れてしまう感じで、今日は織機を動かすのに非常に苦戦。私の調整がずれているのか、普通なら織れておかしくないのだが、納期のあるものばかりだけに焦る。
2015年12月12日
6年前に地元の工場から買わせて貰った。幅の狭いシャトル織機は、その工場のおばあさんの話だと工場に設置してから20年間動いたことがなかったそうで、その織機が林与に来て、職人さんが織ろうと毎日しても1ヶ月経っても動かないというか、縦糸が切れて切れて織れなかった。

前の工場も動かない織機に投資され工場内に動かない織機を入れられて放置されたままで気の毒な話だなあと思う。意気込んで新しい織機を夢見て入れられてそれで、調子が悪く動かない。その工場の職人さんもお手上げだったのだろう。

林与でも入れてから職人さんに任せ、その織機を1ヶ月ほど調節したが織れない状態が続く。1ヶ月して、この織機の問題は分からないという結論を聞いて、私がその夜、織機をみた。結局、一つの部分が正しく動いていないということが原因で、次の日にそれを直してもらう。すべての部品が正しく付いていても消耗などの問題で織機が正しく動かないということはありうりそれは経験の長い職人さんでも発見は無理なのが普通だろう。

今日もレピアで同じような問題を解決、縦糸が切れて切れて織れない。初めて触ることばかりだけど、まあ、最初から織機をつくるほどの手間ではなく、構造を考えながら自分なりにココだと思うところを調整すると、同じように織機が問題なく動き出す。

織機の調整は正しいところを正しく調整しないと無理で、それにはコツがいるのだが、そのコツが分かる職人さんというのは少ない。シャトル織機10台を自社工場に導入したときも、そのうち9台が織れない状態で、職人さんも理由が分からず、結局、動いた一台を注意深くみるとほかの織機にない部品が付いている。職人さんが経験上から訳あって、ほかの9台のその部品を取ってしまったのが原因で、結局織機はその部品を9台に付け直すと正しく動き出した。

原因が分からなければ、移設した織機が動かないということで捨てることになっただろう。幸運の女神がいて、その原因を見つけることができた。まさに紙一重の世界。もし、動いた1台のその部品が硬くて外せなかったということがなければ、中古で移設した10台はゴミそのもので動かせないまま処分していただろう。
2015年12月11日
12月に木枯らしでなく、春一番のようなものでもなく、雨の中、梅雨を思わせる暖かい風が吹く。暖かくて体は心地よいのだが、12月にこれでは不気味な気がする。

工場で暖房もなく仕事する分には暖冬は本当にありがたい、人生の今までで一番あったかい日本の冬で、今年だけの特別なことだろうと思う。アパレル業界の冬物の売れ行きは厳しいのではないだろうか、麻は春夏物で冬があたたければ良いということもなく、アパレルさんの秋冬が苦しいと、春夏物の企画が苦しくなるということに繋がる。

秋冬というと春夏物よりも一般的に値段が高い上に、高級なコートやセーターなんかでも、ウールやカシミヤだと在庫にして翌年というのも少し怖い。2月にはもう店頭は春物が並び始めるころ、あと1ヶ月半しかないのだ。

私自身は毎年が同じであるという前提を立てること自体、自然に対する勝手な解釈で、イレギュラーな要素があって、自然というものが成り立つのであろうと思う。これは自然の自然に対することだけでなく、経済なども自然の要因を受け、趣味や流行など人の持っている野生的な要素に左右される。

そういうカプリシャスな要素にどうカプリシャスでなく対応していくかが大事だろうといえ、それはやはり我慢の要素ということで、ほかの人が嫌でやらないことをするから仕事として成り立つということだろう。
2015年12月10日
本業のアパレル生地の生産に関してですが、現在、2016年1月末までの生産キャパが一杯になってしまっており、現時点で生産をお受けできるのが、2月からの生産分になります。1月中に企画を進行して2月の生産をお考えのお客様おられましたら、お問い合わせ下さい。

定番生地に関しては随時生産を行っておりますが、通常、シャトル織機での200mから300m程度での生産となっており、反売り50mベースでのお取引となっております。
2015年12月09日
今日はテキスタイルマルシェの店頭は、代走で姉が立ち番。麻なので秋冬は苦手モードで参加させていただいている辺りに意味があるところ。暖冬ということでリネンは、年中活躍するといわれながらも、やはり、弊社は秋冬は控え目でよいのだろうと思う。

今回は、私が立つのは最終日の午後からだけになりそうで、アポイントも2件すでに入ってしまっていて5時までの時間は結構速そう。午前中は神戸からの工場見学で朝は会社、今、大変忙しいときなので、仕事の機密守れる方で仕事をどんどんと前に進められるオールラウンドタイプの織物のプロの方いたら手を貸してほしいところ。林与はまさに織機を動かして織物を織る機屋なるがゆえに現場を抱えいる部分がネックなのだが、それがほかとは違うところで強みでもある。

先月、織機の不要な鉄を買ってくれた回収業者の人が、正絹の小幅の但馬縮緬がたくさんあるけどどこかで売れないかというお話で、伝統工芸品のマークが付いているのだが、織布は台湾で織っているということで、正直に反物にもその旨が刻印してある。携帯の画像で見せてもらった感じだと風格のある反物で値段も数千円でどうかということで悪くないのだが、なかなか着物の世界の人口も減って買い手が付かないようだ。

分業の世界で成り立っていた伝統工芸的な織物というのは何人もの人が分業体制で単能工として働いて成り立つ。今の省力化の時代に一つの仕事に人を多く使うことは絶対といってよいほど無理なこと、それで成り立つはずがないのである。
2015年12月08日
今日はテキスタイルマルシェの準備日なので準備をしないとならないのですが、朝から織機とにらめっこが続く。私が織るとシャトルのなくなった糸を交換するだけで織れるのに、他のものが織ると駄目。見ているとできないには理由があって無駄な動作が多く、大事なことができていないのがわかる。

仕事というのは、基本を押えて、次に、上手な人の真似をまずできるようになってから、より上手にこなすために自分流をという3ステップが必要。一番駄目なのは、最初から、我流を出してしまうタイプで、上手な人が教えてもそれに素直に従わず、いつまでも基本の動作すら自分の体に入らない。基本の動作が苦もなくできるようになったくらいに、上手な人の素早さを真似て作業スピードを何倍にもする。最後は自分自身との戦いかもしれないが、より早く動くためにミスを絶対にしないという条件で基本動作を省くこともありうるだろう。最初は目で手で確認だが、慣れてくると音で確認するとか。

私自身、織場の作業で、音に敏感であることは大事だと思う。今日も、ビームにテンションを掛ける錘が落ちたが、その音に気がつくかつかないかで大きな違い。織機が止まる音で縦糸が切れたか横糸がなくなって止まったか、切れて止まったかわかったりするものだ。シャトル織機は個体差があるので、どの織機の動いている音なのか聞き分けることもできる。また、音で織機がしんどがっているのが分かるが、それが当たり前だろうと思うが、誰もが必ずしもそうじゃないので、そういうことが分かる人が仕事をすべきだろうと思う。

夕方出発で、テキスタイルマルシェの会場準備。30分遅れて準備開始だがなんとか追いつけて。私が12月は忙しくって、今回のテキスタイルマルシェは最終日の午後から店頭に立てるだけになりそうで、ほかの日は代わりの人に立ってもらいますが、いつもと同じく、キッチンクロスなどたくさんもって行っております。今回の出展者は、福江さん、大江さん、松尾さん、IPさん、細川さん、YSさん、林与の合計7社になります。
2015年12月07日
今日も工場の中で張り詰めた仕事、土曜日、日曜日と工場に篭っての調整、急げど急げど糸は切れ、前に進むことができない。

週末は3時間に一度くらい休憩をとりながら2日間仕事。今年は暖冬なのですごく現場で働くにはありがたい。前までは、工場の中でストーブを炊いたこともあったけど、やはり、ストーブの周りでサボって止まった織機を動かさなくなったり、ストーブを全開にして昼休みで、私が火事の心配をして消すとか、やはり、現場というのは厳しくしないと仕事が成り立たないものだなあと悟り、今は工場ではストーブは使わない。

夜中、急ぎの出荷分を3件済ませる。近くの運送会社の営業所の人ってすごいなあと思える。できることをできる限り対応してくれる。今の日本ではそういうのがなくなりつつある。大変だろうが運送会社として今のサービスのまま残って欲しい。無理できる人というのは頼りになるし温かいものだ。会社としてそういう風土をつくるのはなかなか難しいことだろう。