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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2016年7月
2016年7月
リネン日記:25
2016年07月30日
なんか、今日は今までで一番くらいに夏を感じさせる熱さ。お客様で、倉庫の生地を暑さに耐えながらみてもらって、お付き添いの方が初めてお越しの方なので、休みの工場の中を少し見学してもらう。ブランドオーナーはシニカルな冗談言いながらも積極的に在庫生地のバルクでの活用を考えてくださってて普通とは違う考えのオーナー、付き添いの方に林与がものづくりは職人的だというあたり説明くださってる。

細かいことを深く考えていると仕事ができないので、細かいことは考えずに目の前の仕事をこなすこと優先のスタイル。普通は無理なんだわ、と思うことも多いが、それをどう成り立つビジネスモデルに変えるのか。また、そうやっていると普通とは違うものづくりになって、つくる素材も一直線みたいなものが増える。一直線とは、こんなのが作りたいと思ったら、それだけのために糸を考え、デザイン考え、機から作って、同じ麻布でもほかの布とは違って見える布つくり。その布をつくりあげたいがために没頭、時間が許せばというか追い込まれると無制限勝負ということも多い。一ヶ月、1メートルも織れずに路頭に迷うこともあるが、そういう経験をしたことの無い人がほとんどなので、そういう経験の積み重ねが自分のもっているほかの人には無い力なんだろうと思える。普通は仕事と割り切ればできるみたいな話だろうが、実は仕事と割り切ればできない世界であるのだ。

織物の仕事って基本はそれほどは難しくない世界で、壁にぶつかっても下手でも下手なりに自分の時間をつかってやれば、それなりに答えに近づいていくものである。だが、一回一回が薄いというか浅いタイプの人というのは何も成し遂げられないままに答えにたどり着けずで、全体がそうなると、それでは海外の量産型の織物生産の単能工主義型が理想ということになろう。

人の力が生きるのが、人の力を必要とする現場なので、できないのが当たり前と人の力を否定してしまえば仕事として成り立たせることは難しいだろう。そういう普通はできないと思えることをできるということがプロの仕事として成り立つのであるだけだろう。機械が発達しようが今度はその機械をどううまく使いこなせるかが、人の力となる。機械任せで人の力が落ちては取り返しのつかない方向性。

コンピュータの世界なんて、機械が発達しても昔はマシン語くらいがすごいなあだったけども、今はどんどんと新しい技術が導入されてそれに追いついていくことができなければ、つくる側の世界は成り立たない。先進国でやるとするなら、繊維も同じだろうと思うのだが、数年前にできたことが今はできないとかが多くなりすぎてどうしたものだろうかと思うが、それが産業が一年たてば一年を取ってしまうという状況なのだろう。逆でないとならないのだが、仕事の考え方のすべてをリセットするくらいのことしないと、日本全体も一年たてば一年年を取っていくだろう。

私にしてももう若いとはいえない年なので、次の世代の繊維の人たちには日本の繊維を盛り上げてほしいと思うことが多い。一番期待するところは技術とかではなく、リスクを被って仕事するような部分、また、自分でいろいろと試行錯誤すること、いろんな修羅場を乗り越えるような強さというのはものづくりの深さにつながる。新しいものづくりをするときには需要を生み出す努力も大事だろうと思う。提案だけでなく、実際に自分がそれを使って売る努力するとか。材料費を何十万円も試作に使うのは簡単でも、その使った分を回収するのは難しい、努力などもすればそれで仕事の幅が広がることが多い。

昔、私も先代が糸がもったいないから要らないもの作るなといわれ、一切、自分で考えてのものを作りを封印したことがあったが、時代が変われば何が正しいか変わることがほとんど。今日も倉庫で昔作った布を見て、若かりしころの情熱を感じた。あの時の感覚が戻ってくることがあるだろうか、すごく綺麗な気持ちでものをつくろうとしていたと思う。

自分で仕事以外で自分の時間使って、売れると思う布をつくろうなんて人は繊維の仕事の世界では少ないだろう。まだ、ゲームとか漫画とかの世界ではそういうクリエイター的な世界がある。プラスアルファ必要なのは、自己犠牲で他を支える気持ちで、そういうものづくりというのは好き嫌いじゃないから強い。人の避ける部分の仕事を自分が担って全体を成り立たせるとか人の面倒をみるという仕事をいとわない人が貴重なのである。
2016年07月28日
化学物質や電磁波に弱い方がお客様におられて、通常の方の10倍以上は敏感だろうと思える。林与の素材はまだマシだという話をしてくださるが、染の強いものなどはやはり絶えられなく、立っているのも苦しくなるといわれていた。

今、国が、それまでは、上限が100ベクレル/kgの基準を80倍緩めて、8000ベクレル/kgの土壌汚染を全国にばら撒こうとしている。内部被爆を考える市民研究会の http://www.radiationexposuresociety.com/archives/1706 によると、このばら撒く汚染土の8000ベクレル/kgという数字、チェルノブイリで言うと、土壌汚染 2846~8538ベクレル/kgが移住権利対象区域(国家補償による移住の権利)ということらしい。ちなみに、チェルノブイリでは、8538~22769は義務的移住区域らしい。(チェルノブイリの場合は、セシウム137による測定なので、日本のがセシウム135と137による測定ということなので若干の違いはありそうだが調べてみるとセシウム137が重要であるので大きな違いはなさそうである。セシウム135は230万年とかの半減期で放出量も少なく逆に被爆も少ないだろう。これは私見であるが。)

日本政府もチェルノブイリの強制移住区域と移住権利対象区域の境に近い、8000ベクレル/kgを安全としたのだろうが、チェルノブイリでは移住権利対象区域のレベルの放射能を全国にばら撒くことになる。道路工事などに使われるのだろうが、今も、福島では地下水汚染を引き起こして大問題なのに、道路工事に使われた汚染土が、地下水に染み込んで体内被曝というのにつながれば、想定外だったとか後で言っても素人考えでもわかる怖さがある。

130年管理するというが、地下水を汚染するのも管理できるのか、今でも福島の地下水の汚染を止めることもできない、福島の場合には海に漏れ出して薄まるが、全国の地下水を汚染してそれを解決することは、地下水を抜いて地盤沈下、その抜いた地下水もどこに捨てるのかという問題になる。

水蒸気爆発といい逃れて、放射能レーダーが放射能の拡散を捕らえていたのに、放射能漏れを隠匿、自分たちの保身が、何十万人の命よりも大事というのも、電力会社や国の政治家や役人的な考え方、改まるものではない。インターネットで、ニュースを見たが、数日後の被災地で、一般市民や自警団が普通の格好なのに、自衛隊員だけが被爆完全防御の防御服とマスク、防衛庁も知っていて隠匿して日本の国民の命を危険に晒していたのだろう。日本国民の命を守るとか不可能だろう3月11日の時点で放射能漏れを感知していたことを公にしたのが半年後、やっていることが笑えるとしかいいようがない。

あの緊迫した状況の中で、放射能漏れを隠して、水蒸気爆発と偽る。米兵が被爆して訴訟問題に発展、国にとっても国民の命というのは軽いということだろうが、今また、日本中に、旧ソビエトの安全基準以下の汚染土がばら撒かれ、日本中がチェルノブイリレベルでは、移住権利対象区域レベルの危機に直面する。日本がソ連だからと笑っていたチェルノブイリ以下の安全意識であるというのも馬鹿すぎると思うが、日本の現実としてそのリスクも明らかにされずに全国民でリスクを分かち合えるだろうか。

法的な基準となってしまえば、どこに具体的にばら撒かれるかもわからずに日本中の地下水を汚染する。水俣病、アスベスト、HIVどころじゃない、規模的には、それらの何万倍も健康被害をもたらし解決費用も何千倍となるだろう。アメリカ政府の発表では福島の放射能はチェルノブイリを上回ったとか、それが事実出ないとしてもチェルノブイリの半分。チェルノブイリが30年ほど前なのに今もその傷痕は悲劇なまま、チェルノブイリの場合には石棺化でなんとか拡散をとどめようとしたが、日本の場合は、失敗した人間たちが拡散をしようとしてさらに無限の被害をもたらす。放射能漏れ隠匿どころじゃないことが、また、リスクも知らされるに安全だ管理できるとして行われようとしている。かつての基準値の80倍を安全というか、法律や基準値なんてあってないようなものである。

日本の水というのは、世界に誇る資源だといわれたが、体内被曝は1000倍という怖さ。ピロリ菌もびっくり、8000ベクレル/kgがばら撒かれると地下水なんて考えると飲めなくなる。セシウム137が重いからといって安心はできない、地下水にしても雨が降ると泥臭くなる地域もあったりするから。

地下水に流れ出してセシウムが体内に取り込まれるとか想定していないとかだとすごいね。魚でも地下水からセシウム取り込んで被爆しているのに。人間でも体内に蓄積され、人体が内部から除染されないとならない事態になる。魚ならごみのように捨てればよいけど。人がそうなったらどうするの。そんな技術ないだろうに、8000ベクレル/kgを全国にばら撒いちゃうのか。裏では議員や役人も絡んだ汚染土ビジネスが動いているんだろうけど、130年の管理なんて絶対に無理、堤防決裂の土砂災害や何十年に一回の巨大台風で一発で終わり。第一候補は道路工事、リニア工事とかだろうけど、工事作業員の安全とかも考えていないのではないか。

また、縦割り行政の日本、道路を何回も掘り起こす、そんな想定もなく管理できるとか。よく、土壌汚染を法令違反だと土を入れ替えさせてからでないと工事しないとならないというのがあるけど、国が公共工事で放射能汚染土を使ってやったらまずいだろうね。環境庁が動いて8000ベクレルと決めたというからびっくりなのだ。環境破壊庁と庁名を改めるべきだろう。いろいろと危ないというケースが想定されすぎだけど、汚染土利権に目がくらんで想定しないだろう。電磁波どころじゃないよ。また、食物連鎖の怖さも注意、植物ですら放射能を取り込むんだから。後世には、安全な国土を残すのが現世代の努力すべきことのひとつだと思うが、原発を受け入れて、一番避けなければならない放射能を国内にばら撒くことに傾いてしまうというのはどういう判断なのだろう。利権や保身が動いているとしか思えない。

どんな国際的な約束があろうが、国連でも日本国民の蒙る被爆被害を訴えれば、鬼じゃない無限拡散を認めてくれるだろう。原発を地球環境に良いとして推奨した国連にも原発というものの実態を正面から見据えるチャンスである。日本国民が将来の健康被害蒙ることになれば、日本国の失態を人道的でないと国連が追及する羽目になるのが流れだろうが、国連も原発利権にとらわれずに人道的な判断をすべきであろう。CO2とか、原発はそんなきれいごとのレベルじゃない、国民の命すらも考えないような利権が働いて成り立っている。

たまたま、人の力が及ばず放射能の大半が地下から流れ出したから、石棺化を免れただけで、下手に新しい技術でとか利権にまみれた人間の力で原発を抑え込もうとしても、無理なところ。今の国民を救うはずのミイラ取りがまさに国民を食いつぶすミイラみたいな状態では駄目だろう。8000ベクレル/kgの汚染土をばら撒いてそれを管理するなんて絶対に無理。国の指導で、ダイオキシン、アスベストでさえ、諸悪の根源のように、大掛かりな対策しているのに、その何千倍も危険な放射能ばら撒く。他国の核の脅威とかじゃなく、日本の国が国民に大きな放射能の脅威を与える問題、もう一度考え直してはどうかと思う。私みたいなおっさんなんかはどうでも良いが、なんの罪もない生まれてくるこれから日本で生まれて暮らす人たちが、その被害者になる可能性というのは、今の世代が自分かわいさを優先するのではなく避けるべきではないのかと考える。
2016年07月26日
三方よしの三方というのは、「仕入先、自分、お客様」という意味だと自然である。商人が三方よしを語るときに、売り手(自分)よし、買い手(お客様)よし、作り手(仕入れ先)よし、だとイメージがわきやすい。そして、それがよい関係で商売が永続し、誰もが幸せな状態が生まれるというのが、三方よしであろう。わたしが聞いてきた三方よしは、「売り手よし、買い手よし、作り手よし」というものであった。

いつの間にか、作り手よしの部分が忘れられて、普通にありがちな二方よしになってしまったのではないかと思える。売り手よし、買い手よし、で世間よしになるというところでは、故郷とか作り手とかいう、近江商人特有の滅私奉公的な概念が見えない。近江商人の基本は、次男、三男であるという辺りで、長男が実家の家屋敷仏壇を守るのを助けるという思想がある。だから、自分の生まれ故郷の産品を全国に広めることが、故郷のためにもなり、母屋の名声が地域で高められるというあたりが世間よしに繋がったのかもしれない。それすなわち、世間というのは作り手のことであろう。今の解釈というのが、世間に悪いことをしてはいないかという部分とは違うと思う。

外の人からみればそういう地元主義というのはきれいなものには映らないかもしれないが、海外産や多産地のものを扱うでは、海外や他産地の業者さんががんばられるべきところが普通というか理想ではないのかと思えたりする。やはり自分が手がけたものが売れていくというのは、お金儲けとしては遠回りになるし、つどの苦労だけでなく、常に生産する環境を維持する必要があるが、それが本場の産地を謳うだけの価値に繋がろうといえる。

こういう考えは持論過ぎて、商売としては成り立ち難いものであるが、今、自分で百貨店などの店頭やネットでの販売を手がけてみて、自分で作っているということがやはり一番の売りだろうなあと思えることが多いのである。


2016年07月25日
今の時代の繊維の仕事において、初めて数年の人だけでなく、何十年の経験のある業者さんでも、無理ができなくなっていることがほとんどで、それは販路の問題があろう。自分で店舗というか販路を持っているブランドさんだと計画生産も可能だろうが、多くの場合は展示会ベースの受注生産という形がほとんどとなって、新商品に使われる素材もベーシックで安定的に確実に売れるものよりも、今だけみたいな新規性のものづくりが求められたりする。量産にしても振ったら出てくるようなものでもないので、一からものをつくるとなって、しかもそれが生産量が少なく企画もの的なものであるなら、一般的にはほかの利益を当てて成り立たせるタイプのものづくりが必要となってくるがそれができるのかできないのか。そういう意味でも、ブランドには定番的な毎年確実に売れるようなベーシックな商品構成が必要ではないのかと思える。

産地の商品というのは本来それが一番適しているだろう。ほかからも出てきても本場の産地産ということでほかが真似できない差別化ができるから。売れるから作るというのではなく、売れる量が少なくなっても作り、守り続けるというような要素こそが強い差別化の一つであろうとは思える。案外、消費者というのはそういうところ大事にしてくださるのだが商売でやってられる方のほうが、そういう重いものから逃げて、安くできる手軽な軽いところでものづくりをされようとする傾向があったりして、それは一つ別のアパレルとしての差別化の方法ではなかろうかと思える。安い素材をアイデアで手をかけたりして高付加価値を生み出すというような手法。そういう努力をされて成り立たされているブランドさんが使われる素材というのは安価な素材が多いので、なかなか話がまとまることはないのだが、素材に重点を置く企業や、アイデアに重点を置く企業、自分で価値を生み出す企業などいろんな差別化はあるだろう。

最近のものづくりでは、私自身、近江上布プリント柄リネンストールを企画したが、ターゲットは海外がメイン。海外での販売比率が8割、国内は2割程度である。海外では、素材のオリジナリティが求められインパクトの強い近江上布プリント柄はやはり注目される。海外ではブランドオーナーやデザイナーさんがサンプル兼自分用に欲しいということで買ってもらえる。それって林与にとっても光栄なこと。

商売のアイテムというよりも、まず自分が欲しいということで海外の有名なストールの会社の社長婦人が自分に合うかどうかでどれを買うか考えてくださったり、デザイナーさん自身が自分の欲しいものを買ってくださったりする。商売云々よりもいろいろなものを見慣れておられる方が、林与のリネンストールを自分用に使ってくださるというのは評価という面では嬉しいことである。

昨年買ってくださった方がまた買いに来てくださるとか、展示会に来た記念として自分用に買ってくださるとか。3日間言葉も通じずに挨拶もしなかった前のブースのお嬢さんたちが最終日にみんなで来てストールを買おうとしてくださるとか。林与のことなんて知らないのだから、日本製というのがそれだけ評価が高く憧れてもらえるということなのだろう。おっさんの林与ですらそういう態度で接してもらえるのだから、日本のイメージというのは相当強いと感じる。

国内は国内の商売スタイルがあるのは金融面なども絡んで仕方のないことだろうが、海外は海外らしく国内ではあまりない展開があって面白い。海外の出展者のみなさんというのは若い人でも語学堪能で優秀で礼儀正しくてそういうの見習わないとなあと思う。昔、フランスの展示会に行ったときも、麻関連は他は中国企業で、中国を代表するような大手5社ほど出展されていて、そのどの企業の若い営業の方もが話に来てくださりフレンドリーであった。そんなにほかのブースにはいかれてはいないので、相手にとっては唯一くらいなコミュニケーションをとった出展者であったろうと思うが、日本のブースは麻関連ではひとつだけで、また、私のブースだけは一人で出展していたのでそういうのに気配りもつような優しさも感じたのである。
2016年07月23日
今日も、勢力的に店舗を展開されているブランドの方とお電話でお話していて、やはりブランドの立ち上げから人の面を一番に大事にされて、ブランド哲学的なものが普通以上に強く存在しているのがそのブランドのほかとは違う感触なのかと思える。サラリーマンっぽいものづくりじゃない度胸みたいなものがあって自分が切り開いていくというあたり。ほかにも同じくそういうタイプの方がブランドオーナーでやられていて、ものひとつ作るとかじゃなくって、ものを作るために、縫製部門をつくるとか染色部門をつくるとか、環境から作り上げていかれる。

外にはいくらでも作業できる環境もあるだろうが、満足できないとなったときに自分の中で満足のできるものを作る環境を持とうとする覚悟。外に頼んでいるうちは、商品だけに注目していればよいけども、中で作るとなると出来上がる不良品や人の問題など自分がつくるという本質が圧し掛かってくる。でも、それをやられているところが結局はものづくりされているブランドさんとして強いなあと思えるのだ。

けども、普通の考えというのが蔓延する中で特別を守ろうとすると大変だろうなあと思える。わからなくて普通、できなくて普通、失敗して普通が、日本のものづくりのスタンダードになりつつあって、人というのは様々で変わることも難しいのであって、高付加価値的なものづくりの中では、正しいだけでなく、素敵なものをつくろうとできるような、特別な考えを理想としている人を集めてしないと仕事の安泰なんてないんだろうなあと、また、そこで皆さんそこで苦しんでおられるのだと、いろんなものづくりを自身で手がけておられる社長や経営者の方々と話していてもそういうこと思う。
2016年07月22日
仕事していてひとつ頭を抱えるのが、探しておられるようなものが世の中には存在しないだろうものだったりすること。今日の仕事のお客さまも、すでにうまく仕事として成り立たせておられるが、製品の品質面でいくつかの問題を抱えておられ、それを解決しようとすると、1.5倍、2倍と費用が掛かる話になるだろう。値段を抑えてやっておられるので歩留まり悪いというのもよくわかる。

問題が起こらないように丁寧な工程をすればよいのだが、値段を抑えるためには、それをその方たちが自分の時間を使って自分でできればよいだろうと思える。糸にしても丁寧な加工を加えてゆけば品質は上昇していくが、たぶん、その費用を目の前にすると今のままのほうがよいという結論になられるだろう。成り立たせるためにはいろんなほうほうがあると思うが、外に解決を求めるとそれなりに費用がかかるので、自分のできる範囲で対応をされるのが最善だろうと思う。

私自身だったら、お金を払ってでもベストだと思う方法を駄目元でも試すか、あるいは自分の時間を使って自分でそれを一つ一つ改善し、どちらにしても値段というものは上がってしまう。たぶん、自分でやられたほうが、自分の時間と手間を使うので値段に対する意識も変わってくるだろうと思う。値段が高くなる原因が生産者側にあるのではなくて企画側にあることが多いものであり、自己解決は必要であると思う。
2016年07月21日
仕事をやっていると、やれることが増えていく人が多いと会社全体も進化していけるのだろうけど、繊維関連の会社では個々のできることが固定されたままで全体としては生産量が減る流れの中で衰退の流れからは逃れられない。人というものはなかなか変われないものなので、できる人というのは最初からできることが多いし、できない人というのはいつまでもできないものであるというのが多いのが普通だろう。


昨日は人材派遣関連の方が午後から来られて県がやられている企業への人材支援の案件の説明を受けた。飲み込みが早い、遅いというのが長い目でみても、プラスとマイナスに分かれる。飲み込みの遅い人というのは飲み込む努力をして実際の仕事をこなすことをすればそれはそれで仕事となりよいと思うが、それができないのが飲み込みが遅い人の体質的な弱点だろう。わからないことがわからないまま続いたりするが、どんな作業でも一日もかからないうちに覚えられる作業がほとんど。それを覚えないでわからないとかできないとかいい続ける。

職人とてもひとつの作業ができると勘違いも多いのだが、実際にその知識や技術が生かせるかどうかは別の部分。仕事をもったいぶってのタイプの職人ほど簡単な仕事も難しい。そういうことは企業単位でもみられて、仕事をもったいぶっている会社というのはいつのまにか仕事をしていない会社になるので、仕事をしていない会社を食べさせていくのは大変なこと。規模を大きくいえば、国もそう。仕事しない国になったときに、その全体を食べさせていくのは至難の技。先進国がなぜ、技術のないとされる途上国に追い抜かれていくのかという単純な問題につきる。
2016年07月20日
ガチなものというのは、機屋それぞれが独自の思い入れで生み出してきたものである。ところが、機屋が廃業してしまうと、それまで継続して商品を扱われていた機屋の問屋さんなどのお客さんが商品の継続ができなくなり困られることになる。2年ほど前に廃業される機屋さんの問題でも、機屋さんが、自分のお客さまが困られるので機を動かしてくれる人を探しているという話で打診があった。今回も別の地元の機屋さんが廃業を10年ほど前にだろうかされて、そのお客さんからの商品供給の依頼で加工工場さん経由で林与につくれないかという話が来る。

加工工場さんも、間に入って商売するというよりも、そういうお困りな問題に対して相談にのって解決しようとする。私も同じように自分の今やっている仕事があるなかで、ご相談も受けお困りであるということからお受けする。コンニャク糊加工の細番手ものなので準備費用なども相当掛かり産地の他さんが受けられて同じようなものをやるのは、技術的なことより資金的な面とリスク面で難しいんじゃないかと思える。十分な見本費用となると貰うことは難しいし、見本をやって失敗でお金をもらえなくてもそれでも構わない覚悟でないとこういう仕事というのはできないものだ。何十年も守り続けられていたような商品を一回の試作で再現するという話なのだから。できたからといって、それで食べていける本当の約束も何もなく逆に採算があるのかが心配ではある。

困られているという話で、助ける気持ちで受けることはあるが、一番大変なのは、困られている人以上に助ける側がお金が掛かること。単発の仕事だと新しい商品を生み出してもそれを成り立たせることがまず難しく持ち出しで終わる。業者的なお客さんは自分が売れて儲かるなら注文が出てくるだろうが、企画自体が当初の想定どおりの需要を引き出さなければ、実際の注文に繋がることもない。出来上がったら出来上がったで、最低発注量が大きすぎるからとか、後出しで値段が通らないとかの話も多いのがよくある話。
2016年07月19日
ようやくビンテージアイリッシュリネンハンカチができあがりまして、ご注文をいただいております分の、ご発送を本日から行わせていただきます。大変おまたせいたしました、おつくりするのに糸の糊付けから始まってやはり1年以上かかってしまいました。今後のご注文をいただく分に関してのご発送予定は、8月末から9月になる予定です。

暑い、暑いとバテ気味だった、林与の体もとうとう暑さに慣れたか。炎天で、30度越えた日中でも涼しく感じるくらいに。暑いながらも風が通っているからだろうか、快適モードでの仕事。台風2号も卵で消えたといわれ、雨の少ないカラッとした夏になりそうです。庭ではセミが、一日中、夜中3時でも鳴いています。一方で、イエカやウンカのような虫は、駆除されてしまったか、夜電気をつけていても少ないですね。

先日、ビニールハウスでトマトを育てられ、各地の販売所に置いてもらって販売されている方のお話を聞くと、なぜあんなに安いのだろうかというお話。想像ではあるがビニールハウスの設備でも数百万円では収まらないだろうと思えるほどのもので、外からみると最新の設備でうらやましいなあと思えても、やはり商売というものは常に思い通りにいくとは限らないもの。地域の販売所や道の駅のようなところでも、スーパーと同じく県外の産地のものが並んでしまうことも多い。

同じ種類の野菜でも生産者名が書かれていてチョイスがあるのが本物らしくっていいと思う。野菜の見た目にも違いがあって、生産者によって違いがあるのが普通。そこに作っているもののプライドみたいなものも出てきてよいのではないかと思える。本来は、そういう作り手を売るのがマーチャンダイザーの役目であったり物流の役目であったりしてもよいものなのだろうが、それがなかなかできないのが多くの問屋さんやブランドさんの壁だったりする。

最終、農家は自分で動いて解決していくしかないだろう。それは繊維でも同じなのかもとテキスタイルマルシェのような作り手の顔のみえるような売り方。問題としたら、それぞれの農家に与えられた場所が小さいことだろう。一軒の農家が食べていくことは、販売所の人たち数人が食べていくことくらいには大変である。畑違いではあるが農家の方たちが自立的に食べていけるように方法はないものかと考える。
2016年07月18日
今日は朝から五月晴れのようなカラッとしたすがすがしい一日。蒸し暑い夏のジメジメ感もなく。今日は、彦根の夢京橋あかり館さんにリネンの手ぬぐいを届けるのを母親が準備している。あかり館でもリネンアイテムはよく売れていると館長さんがおっしゃってくださっていて対応を考えていかないと。

倉庫にて、検反機のメートル表示が正しく動かず、基盤のコンデンサーの問題を疑ったが、今日、本当の問題が見つかった。布の表面を転がるローラーの中にセンサーが入っているのだが、それの配線がインシュレーターロックというもので、固定されているのだが、その固定したときの閉め方が配線を潰してしまって断線状態を生み出しているようだ。

インシュレーターロックをはずして配線のつぶれた場所をほぐしてテープを巻いて様子を見る。カウンターが正確に動く。わずかなことなのだが、こういう固定作業ひとつでも力任せにやってしまうと、いつか問題が起こってくる。力の加減というのが上手にできるとできないとでは仕事としては雲泥の差。力任せにインシュレイターロックを締め付けただけで、原因が分からなければ、頭を悩ませる問題が目の前なのである。基盤をばらして検査する前にその原因が見つかってよかった。この検反機は何十年も故障知らずなので堅牢性と信頼性は高い。

今日もシャトル織機に問題があるということで行ってみると、シャトルを打つスピードが片方、早すぎる、誰が織機の部品を交換する際に調整もずらしたのだろう。織機が壊れそうなほどに苦しがっているのが分からないと、織機はどんどんと壊れていく。力任せに叩けばよいのではなく、ゆっくりとキャッチボールするように余裕を持ってシャトルが右から左にやり取りされるのが理想的なシャトルの動き。
2016年07月17日
原発行政が隠匿体質で本当のリスクを国民に知らせていない。そのひとつが使用済み核燃料をどう処理するか。臭い臭いロンドン条約、日本の使用済み核燃料がプルサーマル用にイギリスで処理されるという形を作るために利権で成り立ったようなもの。海洋投入を禁止した時点で原発は詰みだったのだが、それが国民にも知らされていない。

アメリカなどが原発から撤退したのにそれを丁寧にも日本企業が買収して始末ごとを買って引き受けるような話で、そのために国内の法律もプルサーマル推進、福島原発爆発で、利益に目がくらんでやってたイギリスもそれを投げ出して、原子炉の使用済み核燃料の行き所はなくなったという致命的な問題が発表されていない。

それがどこにいくのかというと、8000ベクレル以下は日本全土に撒くような基準ができてしまった。アスペストを道路に埋めるのとどちらが安全なんだろうか。アスベストを埋める以上にやばいよ。不用意にいわゆる世界のお荷物を利権族が大丈夫と引き受けて日本の国土が放射能汚染になる。福島原発だけの問題ではなく、すべての原発の使用済み核燃料の行き所がなくなってしまっている大きな問題。それすらも公表せずに、原発を稼動し続けて、本来は遠洋投入されないと危ないものを日本中に埋めることになる。

災害ひとつでその地域は危ないし、災害救助すらもができなくなるのである。爆弾を地下に埋めるよなもので、防災意識があればそんな馬鹿なことはだれもしないだろう。発電所の利益がそんな大きなマイナスで生まれてよいのかと思える。原発行政の隠匿体質からすれば、自然豊かな貧しい地域に遠洋投入されるべき使用済み核燃料が埋められることになる。

詳細を知らされずに、貧困市町村行政だと使用済み核燃料を薄めた残土を引き受け、田舎の農村の奇病なども起こりえない。土に雨が染みて放射能性物質が地下水に流れ込むということなどの想定もあるまい。1000倍は危険といわれる体内被曝。原発と関連のない地域の地産池消すらも安全性すらも脅かすことになる。日本の行政の約束ごとの管理能力は10年ないだろうというのが実態。たいてい担当者が変わるとすべて責任は消えて、当事者が逃げて被害救済のための新組織をつくって窓口させて終わり。戦争から70年、ストロンチウムはその2倍の半減期、地下に1メートル程度に埋めると、行政程度の責任意識と管理意識の業者さんなら幼稚園の砂場の土にもなりかねない。

放射能漏れを隠匿する行政体質、やはり、担当者や行政の責任者を極刑で対応するくらいしないと国民の命よりも、そういうものたちの欲や保身のほうが優先されてしまう。
2016年07月16日
今日は、ご近所のご不幸があって御通夜のお手伝い。葬儀ホールでのおとなり数人が受け付けのお手伝い。私以外は、60歳以上の方ばかりで、話題は、過去の病歴など皆さんが摘出手術を経験されていて、そろそろ私もそういう経験をすることになるのだろうか。私自身は病院に最後行ったのは、たしか8年ほど前で尿路結石。なんか、今、病院にいくと悪いところが見つかって入院とか手術とかに繋がりそう。

この前、大阪の説明会で、地下鉄降りて会場に向かうの10分ダッシュしたら脚が前に動かなくなって、とうとうそういう年なのかもしれない。途中、コンビニでお茶かって、最ダッシュ。会場に着いたら一人、イスに座ってる中では、ヘトヘトのヘトヘト。御通夜が終わったあと、今晩は、愛知川の花火、今年は、高く上がる花火が打ち上げられるそう。解決策はソーラーパネルに水をまくという方法らしいが、林与の麻布を引いて水をまけば麻布が水を吸ってさらによしなのだが。今年の方法で問題があるなら、来年、無償で生地くらいは提供したい。ぜひ、大空に広がる迫力ある花火が上がってほしい。

林与の前の道から花火がまっすぐに見えるのを生まれてはじめて知った。これってでも偶然過ぎてすごい。ケヤキの木が切られて見えるようになったという話を隣の何でも字のことなら知っているおっちゃんが教えてくれた。イスさえあれば、花火がみられる。おばあさんが老人ホームに入る前に部屋に篭っているおばあさんが花火をみたいというので、事務所の3階に連れて行って窓から小さく見える花火を見せたのを思い出した。

みんなの子供のころの思い出が世代を超えて花火には詰まっている。私自身は花火のことよりも、夜店のクワガタが頭の中で一杯の少年時代。他愛もないことに夢中に熱くなれるということが大事なんだと思う。大人になってもそういう部分を持っている人は強いだろう。それが仕事に対して連日発揮できているような人だと玉や珠なんだわ。スポーツのプロと仕事のプロってなんら変わらないくらい厳しいと考えるのは間違いなのだろうか。スポーツでも仕事でもそれで食べていきたければ実力がないと駄目なんだろうと思う。実力というのは才能ではなく、才能のある人ほど時代の変化に対応が難しく、あれはできないこれはできないという壁が多い。
2016年07月15日
テロという言葉の本当の意味は何なのかというのを、教えてもらったことがある。いわゆる日本で定義する大量殺戮とかがテロではなく、人々を恐怖に貶め自由意志を奪い従わせようとすることである。

ワシの言うこと聞かんかったら潰すぞ、みたいな連中が日本でも多いが、テロそのものなのだ。ある政党の都連とか、執行部が決めていうこと聞かなければ除名みたいな政治体系というのはテロ的であるが、それにも気がつかないと危ない。政治というのは独裁政治的になりがちで自分がすべて。形だけの民主主義で、法律や規則などにより、独裁が横行することになる。

原発が爆発して放射能がもれても、隠匿するのもその顕著たるもので、原発が世の中のためではなく一部の利権のために動いている。国民の命や安全というのもそういう利権と比較すれば優先順位は下。いくら原発に5重の安全をしようが運用するものが利権意識の連中では正しい行動はできない。設備の安全じゃなく、日本の原発行政のメンタリティの問題。せめて放射能漏れをいち早く国民に報告できるように、旧ソチェルノブイリ以上の体制は必要であろう。政治家も、旧ソの政治家以上の情報公開意識はもつ必要である。

原発は一例にすぎず、年金問題でも巨額の不明なお金が消えている。実際には悪徳企業みたいなことになっていないのか、だれも本当のことは分からない。年金記録が消えてしまっているなんて、執行している責任者たちが、将来払うつもりがそもそも何十年もなかったのだよ。だから、60歳なったらが、65歳になり、70歳になる。そのうち、75歳、80歳になるだろう。高速道路は将来無料化されるから利用料を払ってみたいな、詐欺同然のこと、国も一般と同じくらいの法律意識をもたないと、国民が国を信じることで最初の話と全然違うということが多く一般にはそれは詐欺。年金定期便とかも、将来にそれが本当にもらえるかも保証は誰もしていません、年金集めるためのにんじん的な数字、ということ大きな字で書いておかないと駄目だろう。朝三暮四の話を思い出すが、そこまで国民も馬鹿じゃないが我慢しているだけというの気がつかないとならない。

国のため思って国民が騙されているとおもいながらも年金を払っていようがそれを運用している人間には騙している意識すらもまったくないのが一番の問題だろう。強制している側には何の責任感や義務感もなく、信じたものや騙されたものが悪いくらいの感覚が普通なのは怖いことである。だらしないことをするのに法で縛り、執行する側のモラルが微塵も見えないのはいかがなものか。枡添都知事みたいなことがあっても、政治家から彼に対する批判は少ない、それが政治家の普通のことだったりするのが今の日本の行政。追い討ちは、元判事が二人も出てきて、問題ないという。10代の子供じゃない、60代とかがそんな感覚で、国を牛耳っても日に日に悪くなるばかりだろう。これからの若者たちがかわいそうである。
2016年07月14日
ある織物関連の方が、織ってもらっているところがありえない織の問題ということをブログに書かれていた。工場が年を取られてできなくなっておられるということだろう。林与も以前は出機さんがあったので他人事とは思えないところがあり、来るところまでこられているのを感じる。情のある方だからそういう失敗もかぶって織り賃払ってそのB反の片付けもなされるのだろう。

林与も出機さんの末期では4回やって全反ほどが全滅という大きな問題の片付けをしていても、出機さんというのはお金はまだかという催促される感覚なので、何十年の経験があるからといって仕事の本当の辛さを知らないものである。私の場合には作るたびに糸の支払い、従業員の給料の支払い、出機さんに織って貰うための準備、お客様との約束、がつねに付きまとうから、正しい仕事が当たり前に思うのだが、実際に自分で失敗の責任を被られない方には、仕事してお金を失うというような感覚はわからないところだろう。

これからの人に知ってもらいたいのは、日本だとクリエイティブなことをすれば地場産業が救われるような発想は幻想で、簡単な仕事でも正しく仕事をできるようにならないとならないところで、そういう部分、若い人も理解して仕事には入ってきて欲しいのである。案外、地場産業系でも、年配の方が以前のように商売が儲からなくなったときに考えるのは手抜きであることが多い。クリエイティブというのは同じような側面がある、センスというのは古今東西共通というものではなく、評価されるときもあれば評価されないときもある、また、評価される場所もあれば評価されない場所もある。ようは、責任探しをせずに自分が責任を取る覚悟でクリエイティブなことをやってほしいと思う。クリエイティブそのものを否定するのではないが、自分がクリエイティブなことをやって評価されなくても別の方法で生きていく道は探して欲しい。食べていけるまで、クリエイティブな部分はそれに見合った別腹で動いてもらいたいのだ。

これは青色ダイオードの特許の件ともつながる。普通に会社の仕事をこなして、別腹で開発していればすべて正しい評価となっただろうにと思うところ。偉大な発明をした人でも、自分が養われていても、今度は、ほかの人を養うという部分がみえていないのは残念な気分がしたのは事実。けど、問題は裁判官の常識のなさ、6億で手を打った発明者の一般人に通じるモラルが見えるが、払うべきは1200億とかいう裁判官、国の税金で養われている裁判官自身が個人で手にしたい額なのだろうけど、力のある人が、国家や会社や他の人を養うという感覚すらないのが怖い。国家なんてものにしても、実質、支える気持ちのある人の労働で成り立っているだけのことなのだ。立場とか口だけでは人やその家族までもを支えるなんて絶対に無理な話。

突然話は変わるが、テキスタイルマルシェの会場にも来ていただいて、流しの洋裁人の原田さん、自分で歩いて行商とか、やる人はやるのであってほのぼの系に見えても中身は自分を支えて、ほかの人を支えるくらい強い。大人ってそうじゃないと自分ひとりも支えていけないと思う。林与の生地でも、原田さんの財布なかの出せるお金のすべてをいただいて、使っていただくと重荷になるのではと非常に心配するところもあったのだが、注文があって、ほとんど生地なくなったというようなお話でうれしかったところ。主催で林与をPR下さった北原くんや原田さんのお客様にも感謝なのである。

またまた話は変わるが、今の繊維は、昔と違ってマイナス部分も動いているのでそれを乗り越えて成り立たせないといけないところがある。日本全体が海外生産に移行しているので、ものづくりの側面から考えると、日本企業といってもそのほとんどが海外企業の営業窓口であるようなところがある。

国内というのは実質的なリスクを背負う部分とか、ものづくり企業がものをつくる部分とか弱めて、リスク少なくスマートな生産みたいなことを考えて、海外では現場もしっかりで企業がリスク背負って生産していて正しく利益を上げているようなところを感じる。高度成長を成し遂げて、ハングリーさがなくなって、仕事をつくることや目の前の仕事もこなせなくなってはお手上げだろう。姿勢からして実際に働いている海外企業や海外の人のほうが正しいような気がする。

大臣もやった大学の経済の先生が生産性を上げてGDPを伸ばすとか、おいおい、そんな程度で伸ばせる生産なら海外に移したほうが簡単だよと小学生が言いそうなほどに、大臣や大学教授レベルの感覚も落ちている。日本が海外の生産現場と競争させられて大変な苦労しているのをまったく知らないという現実。この方は、行政が海外に生産が移っていくのを助けるような政策ばかりやって、企業努力で国内に生産が残るとでも思っているのだろうか。国の経済の舵を取った人でも、自分が反対に舵を取って、この船は正しい方向には行かないよ、では困る。

旧の共産主義国が低落しがちな自由主義経済を普通に越えていき始めている中で、政策が旧共産主義国のようにがんじがらめの法律で規制ばかり吸い上げて国の指導に従えみたいになって、外資には自由に日本の法律も及ばず市場を取られて、内弁慶な国家行政って、江戸時代の悪徳奉行そのものじゃないのかと思う。

なんで、原発関連では死者や健康被害が出ていても環境庁や労働基準監督局も動かないのだろう。一番あかんじゃないのか。国にしても高濃度の残土はアスベスト以上に危険なものなのだが、それを全国にばら撒くようなことやるのは駄目だろう。水俣病やアスベスト、HIV、C型肝炎、などのたびに反省の言葉たれるけど、国が、避けられる別の方法もあるのに、利権にまみれて多くの人の健康や命を奪っては駄目だろう。体内被曝すれば危険性は数千倍なんだという当たり前の事実もわかっているのだろうか、チェルノブイリの石棺化した管理のほうが多くの消防士などの死者を出したが、意図的に見えない無限大の危険を日本中にばら撒くよりましだろう。

危険なものを推進した旧ソ連の片づけを、いざというときには国民の命を守るために自分の命を投げ出す覚悟を決めた消防士たちが片付けたということでそれはそれでひとつ筋が通っているような気もする。普通、民間企業が残土をばら撒くようなことをやったら日本全土を汚染に貶める極悪企業として国に罰せられるだろうが、原発のように国が絡んでいれば、合法化してこれをやってよいのか。汚染土をばら撒く話でも、原発と同じで管理できるとか安全といって、撒いた後のリスクや責任をまったく考えていないのが、原発行政の変わらない体質そのもの。豪雨や台風の土砂災害だけで道路も流されて一発だろうが、どこのいいかげんな口が管理できるといっているのだろう。原発行政は素人の隠匿行政、やばいんだよなあ。
2016年07月13日
今日は午後から大阪ハンドメイドフェスタの説明会。はじめての出展になる。心配していたよりも準備は簡単そうで、販売する商品に準備の重点を置いた方がよいと思える。

大阪府の方から声を掛けていただき、関西ファション連合の一員として出展させてもらうのだが、非常に自由度が高くて、会社の特色を出して売りやすい。集団出展というのは、何かみんなで作って発表みたいな形が多いが、それが売れたとしても食べていけるのは一人か二人だろうと思える。個々の企業の特色を最大限に活かすような出展が大事ではないのかと思える。

大阪の商社の方が、手頃な小物が人気という話。キッチンクロス増やさないとならない。家に帰って考えたが、来た人が面白いと思ってもらえるためには、やはり生地をたくさん持っていこう。
2016年07月12日
最終日のテキスタイルマルシェは、雨の中、お客様少な目。今回の9F全体の手芸雑貨テキスタイルマルシェを昨年の7月とくらべると、出展のみなさん全員が去年より全体的に活気がないという印象。これは消費税の話どころではなく本質的な日本の経済の赤信号であろう。この一年で、経済はそうとう落ち込んだのを感じる。百貨店でもお客様の流れが多いのが無料のイベント、テレビCMでの有名犬が広場に来たときにはそれを楽しみにしていたお客様が実物をみようと人だかりができ活気が生まれる。

国内経済が活発化させるとか、夢のない話で経済活動というのは自然に活発化していかないとならないだろう。国規模のプロジェクトにしても、東京大阪間が、新幹線で2時間が、リニアで1時間になってもそれほどすごい話でもないのだが莫大なお金がそれに費やされる。子供のころから憧れの話が、まだ、2045年というのも、日本の国力の低さをあらわしているだろう。東海道新幹線においては、わずか5年ほどで作り上げられてしまうものであったが、技術というものの高さを見せ付けた。しかし、今の日本にはその力はない、何十年も掛けて利権の絡んだ馬鹿高い重荷を背負うだけになりそうで、やることというとリニアを普及させるために従来の新幹線を廃線に追い込むことくらいだろうか。新幹線は終焉を迎え、全国リニア化に進むだろうが逆に住みにくい世の中になってそう。

飛行機でも関空を立ち上げて伊丹を閉じるみたいなことやったら国内旅行の利用者は迷惑だろう。関空までのアクセスが費用も高く大変なのだ。日本はまだ鎖国思想が根強く続いているのか、利権の独占できる出島つくりたいのだろうけど。そろそろそういう権威主義でのインフラ開発はやめないか。国際競争力がどんどんと落ちてゆくだけ。
2016年07月11日
今日はテキスタイルマルシェが終わってから打ち上げ。普段一人で仕事することの多い人というのは、私もそうかもしれないが外からすると驚くようなぶっきらぼうなことを言うものなのだろう。男性人の口の悪い件の話が出ていて、女性人が冗談交じりに指摘。

どういうあたりで、話をするのかというのは集まる面子次第なんだろうと思う。私自身はテキスタイルマルシェで、ほかの会社さんが取り組まれていることなどを聞くと自分もがんばらないとなあと思うことも多いし、ほかの社長さんたちと話をすることで、自分の感覚というのがどの程度一般的には通用するのかというのも雰囲気がつかめる。

自分を殺して人に合わせることのできる聞き上手な社長さんというのは立派だなあと思う。聞いておられるのに私が喋っているときにでも、その方の聞き上手に驚いてしまうことが多い。経験が豊富なので自分の体験のように聞いてくださり、また、聞いた後適切な助言なども下さる。テキスタイルマルシェではないが、話をすると自分が上か下か、勝ち負けで話をしようとする方もおられて、それって話する目的じゃないと思う。

林与なんて、やるからにはとことんというところがあるので、自分が動くときにはやるからにはとことんなところまでやってしまうところがある。それがあるから普通は普通にやってできないことが5倍10倍の時間を使ってできたりする。外の社会というのは日本のものづくりにそういうところを求めてくださっているのだろうと思い、林与のような会社には合ったスタイルではないかと思える。別のアプローチとしては量産型で価格競争力で勝負するような会社さんもあるだろうが、林与の場合それは無理な話。

お客様などでも弊社の生産環境や生地に興味を持ってくださるが、ベクトルが同じだと相乗効果が期待できる。ベクトルが逆方向だとブレーキとアクセルを踏むようなものづくりになる。林与という会社はものづくりに関しては自由度の高い会社で、手元にある材料でそれなりのものを作り上げることができ、何か作ろうとするときにアイデアが形になりやすい。会社にある着分などでもひとつに10万円とか掛かっているものが多く、作らずしてもそれを見れば大体こういうことだなあというイメージがつかめたりする。

そういう着分をみて、これが全部売れたらよいのにねえとかいってくださるお客様も多いが、洋服をつくられる方というのは、上手な人が、一日二日の作業で洋服が作れたりする。織物の場合は、何人もが、一つに何週間の時間を掛けて作業し、外部に対してもサンプル扱いで費用も掛けてあるので、10万円でそれと同じものを3m作れといわれても商売としては成り立たないことが多い。

テキスタイルマルシェでお隣の澤田さんが、過去のハンガーサンプルを手ごろに販売されていた。プロの私の目からするともったいないなあと思えるくらいなのだが、糸商なので、どのサンプルもデータさえあれば再現が可能ということ。それを聞いて良かったと、安心したと同時に、織物と編み物はそこまでも違うのかと感じる。糸を売るためのサンプルで、糸に強みを持っておられるのが味噌なんだろう。
2016年07月10日
今回のテキスタイルマルシェで見つけた面白いもののひとつに、棉生テキスタイルさんの、パンダとかのキャラクターがプリントされた綿の布が柿渋染めでハギレとして販売されていて、なんでも柿渋ですねえと。かわいい子供用のキャラクターの白地にブルーのパンダが柿渋に濁って、私的にはちょっとシュールに感じる。

CHICAさんのところでは、マネキンの顔が棚に飾ってあって常にそれが私の目には一番目に入ってしまって違和感。でも、林与のリネンちゃん、ラミちゃん、ヘンプくんみたいなものかと考えると、似たようなこと自分もやっとるんで経営努力のひとつなのかも知れないとも思えたり。

吉田さんとところでは帽子なのだが、私なんかは髪の毛がうすいので帽子を被るのが良いのかもと思いながら、携帯でもすぐ失くすので、帽子は確実にどこかに置き忘れてしまうタイプで、みんなに迷惑を掛ける。そういうの考えるとフードつきのフリースが私には良い。

会津木綿のはらっぱさんのところでは、棚に飾ってあった赤いかばんがかわいくきれいに見えた。リネンであんなのができないかと思うが、リネンは厚織りしても綿よりも腰がないのでかっこいいリネンかばん案外難しいのだ。会津木綿が着尺幅を守ってそれでフル稼働というお話、小物アイテムなど展開されて機場が回されているのは大変参考になる。そうなると縫製との融合も大事。会津木綿の色使いなども特徴的でそれを大事にしておられるのも価値の源だろう。
2016年07月09日
今日は、依頼を受けていた大きなテーブルクロスを朝に作り上げて店頭でのお渡しが完了。朝は雨が降っていてお客様は少な目、お昼過ぎから会場全体が混雑。午後からは近くのクロネコの営業所から発送。午後3時以降は落ち着いた感じで、お一人お一人お話しながら対応。

今日は最後のお客様がリネンを扱っておられる卸業者の方で、うまく染まらないという問題を抱えておられるお話。そういう原因不明なことが起こりがちなのも私自身も、織り以外にも、いろんなトラブルに悩まされながら仕事しているので、責任をもって企画するというのは実際の作業をする人よりも大きな責任が付きまとう。原因がわかってもそれに対応できる会社とできない会社があるもので、国内もだんだんと海外と似てきているのも事実。一方で、やり直す時間もない計画で本番の計画が進むことがほとんど。1

終了後、まいこ先生と南さんと食事。終電に乗れて帰ったが、能登川のひとつふたつ手前で降りたお客さんが、黒い財布を電車の座席に忘れられそれに気がつき。能登川の駅員に届けて、本人に必ず届けてあげてと厳しい目に駅員に伝える。お金も数万円入っているけどそれよりも各種カードなんかも入っていてなくされて相当困られていることだろう。無事に届くことを願う。

駅前の格安チケットの自販機が3000円を飲み込んで最後の1000円が認識できず動かなくなる。困った話だが、機械化社会ってそんなものと割り切って、隣の販売機で買った。3000円は面倒だが後日対応しよう。JRも京都大阪間は極端に安くしている。1660円ほどかかるが、区間を組み合わせて使えば、1280円。なんか間違っているような気もするほどの差額が生まれる。まとめて買うほうが損な料金体系。
2016年07月08日
今日はテキスタイルマルシェ3日目。朝、乗用車のバッテリーが上がってジャンパーケーブルを探す。見つけるのに手間どり、見つかったが作業時間なく軽バンで出発。出発前にすでに体力消耗で、大阪駅でちょっと休憩して電話など数件済ませてから百貨店のバックヤードに入る。

一番最初のお客様は繊研新聞の馴染みの方でテキスタイルマルシェを覗かれるというのは珍しい、初日もリネンの糸商さんが得意先回りの前に顔を見に来てくださったり、東京テキスタイルマルシェでも、滋賀の地元の方が様子を見に来てくださったりと、テキスタイルマルシェも林与の数少ない情報交換の場であったりする。話するなかで教えてもらうことは多い。

今日は朝から多くのお客様、午後4時くらいまでお客様が続いて、外は雨が降りだし、それ以降はお客様は減って食事休憩。食堂がもう閉まってて、コンビニで100円セールの赤飯おにぎり4個とお茶。非常に美味。外を眺めながら阪神百貨店は立て替え工事中、先月の阪神さんでのイベントのことが思い浮かぶ。

今日は9時の閉店後、配置換えなど。少しコンパクトにまとめて、でも、林与ロゴ看板はより大胆に見える。今晩は林与パンフ印刷しよう。多くの方が新しいお客様で林与という会社があるということを知っていただくことは大事。最近は、いろんな作家の先生のご紹介などで林与にたどり着いてくださるケースも多く、恵まれているなあと感じる。