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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年8月
リネン日記:24
2016年08月05日
除染というと、放射能が消えてしまうような錯覚に陥るかもしれませんが、放射能は除染ではそこから取り除いてもほかに移動しているだけのことで、除染で放射能は移動するだけで消えることはありません。

放射能に被爆した場合に、皮膚をはぎ落とすかのように擦って表面被爆を取り除きます。体内被曝はどうしようもありません。一番怖いのは重いセシウムのような元素が肺に入ったらとか、ストロンチウムのように体内に取り込まれやすい元素です。

基本的に、濃度を高めて人から離すか、濃度を極端に薄めて危険のない範囲にするのが解決方法なのですが、国際基準の100ベクレルの80倍の8000ベクレル/kgを、公共工事に使うというのは危険すぎます。まだ、絶対に人の近寄らない無人島など探して、濃度の濃いまま一箇所にまとめてしまったほうがましでしょう。百数十年管理するなんて、原発すら40年の管理が難しく、廃炉すらひとつも成功していないのに、言うのは簡単ですが、やってしまったら後の祭でしょう。地下水を汚染するのが心配だし、魚で起こったような濃度の蓄積が、土中の生物でも起こりかねません。土中の生物の体を構成するのは土中の養分なのですから体内に蓄積される可能性はあろうかと思います。

1.5mほど地下に埋めて土を被せるという話も驚くところで、なぜ、何十メートルもの地中にまとめて埋めてしまうとかしないのかという疑問が沸きます。東京の地下鉄でも50m下を走っているのですから、技術的にはできないことはないのです。無人島案が駄目なら、深い穴を掘って数メートルのコンクリートの壁で囲い込んでコンクリートで蓋する方法もあろうかと思うのです。全国の公共工事に使うなんて、道路工事や埋め立て工事に使うんでしょうが、水俣病なんかもまさかという結果でだれもが予期していなかったことが起こったのですから、そういう問題があえて起こりそうな種を撒く愚行をすべきではないでしょう。放射能を人の手で全国に拡散ですかほめられたことではありません。
2016年08月04日
普段、建物の中にいることが多く、今日は出荷の際に、倉庫の入り口で、シャッターが開く間、数十秒太陽に当たる。ほんのわずかの時間でも、体中から水分が蒸発していく。たぶん、30分も立っているとかなり水分が足りなくなるだろう。皮膚というのは循環器官としても大切だなあと思う。

食べ物なんかでも栄養を取るだけではなく、体の機能を働かせるということも大事だろう。ビタミン剤なんかで栄養の吸収のよいものばかり取っていては、普通に体によいはずの野菜を食べても、体が野菜から栄養を吸収できないような体質になる。健康なときにビタミン剤とかで栄養を取るのは大事な部分で不健康であろうと感じる。

最近、大手のファーストフードで人工保存料の使用をやめるという話があったが、いつまでもカビないというのはそれが理由であって、結局、体の中に入っても人工保存料を食べるという部分と、人工保存料がついた食品が体に吸収されるのかという問題があろう。まだ、ほかのハンバーガーショップのハンバーガーが数日でカビが生えていたというほうがまだ安心できるのである。

大手のファーストフードは30秒でパンズを焼く手法だが、冷凍されたものが30秒で完璧に焼けていることはまずなく、一部冷たい部分が残ってたりするがお腹壊さないのは冷凍と人工保存料で菌の繁殖を抑えているせいであろう。人工保存料使うのやめて30秒焼きで大丈夫なのかは別の心配である。
2016年08月03日
キャラクターグッズというのは、素材の品質などを求めずに安く作って、著名なキャラクターの利用権を買ってキャラクターの人気で利益を生むというのが基本であろう。人気のキャラクターに便乗してという商売で、キャラクターが利益を生む構造。よほどの問題がない限りキャラクターグッズに完成度を求めることなど必要はないのである。

ブランドビジネスというのは本来キャラクタービジネスとは違うと思う。高級ブランドで品質が高くないものを流し続けると高級イメージはなくなってしまう。利益は上がるかもしれないがブランド自体のイメージが下がる。構築したブランドイメージを消耗しながら利益を上げてしまう形もあるだろう。

たとえば、今までは10万円したコートが、多くの方が手軽に手に入る2万円で手に入るようになって、高級ブランドには親しみ易くなったが、もとの10万円のコートが売れ筋の流れに戻すのには、またブランドの再構築が必要となってくるだろう。価格を下げて売れるというのは、高級ブランドにとっては次の手段がなくなるので黄信号でもあろう。安いから魅力ということもあれば、高いから魅力ということもあるだろう。それは人によって価値観は違うと思う。

自分で作りたいものがあって、外に頼んでも満足なものができないからということで、製造部門を作られた女性オーナーというのを5人知っている。そういう方たちとは話がよく合う。自分でできるものも限られているけども自分の中で解決方法を見つけるということ。至ってそういう方々のつくられるものは支えられているものが多く、商品の価格設定は高いが品質や創作性を求めて自社生産なんて高級ブランド以上の贅沢だろうと思える。
2016年08月01日
政治だけではなくて、何か人が集まれば考え方がみんなことなるので、しばらくすると、中でいがみ合いみたいなものができてくる。いわば、派閥みたいなものが生まれてくることが多い。なんかすごくよいことをしておられる人でも、その人が中心でないとならないタイプの人は、ほかの人が同じことをやってもそれに賛同するとかなく無関心だったり逆に自分が仕切ろうと出てしまう。

考え方というのは別々でよいのだが、選挙なんかであった政党が候補者を立てれば、政党の全員がその候補者を応援しなければ除名みたいなのは、悪政の基本である。自分の我を他人に強いる人が増えれば暮らし難い世の中になる。集まって誰か一人の意見しか通らないなら集まることが無駄で、集まらないで自由にいたほうがよいだろう。人を自分の支配下におきたいというのは支配意識の強いテロ的行為や独裁国家的な思想に繋がる。自分以外の多くが幸せになることを願うのが代表として立つものの立場であろうが、利己的や保身的に我を出してしまうのが、政治家や行政などには多い。

たとえば、原発事故でも自衛隊員や消防隊員というのが職務として命を覚悟してというのが美談化されるが、地元の自警団員というのは、何の補償もなくても命を投げ出す覚悟で津波に立ち向かっている。いわば、チェルノブイリでいうところの象の足に立ち向かったのは、津波が襲ってくるのを知りながらでも地域の安全のために命を投げ出した自警団であろう。

国がそういう人たちの命を投げ出す犠牲を評価しないし、国もその犠牲を公にしたくないのだろう。消防隊員や自衛隊員が被爆しない範囲で命を犠牲にしての覚悟を美談で、実際に、地域のために命を犠牲にした人は死人に口なしなのだろう。消防隊員や自衛隊員以上に、命をなげうって地域を守ろうとした250人の自警団員がクローズアップされることはない。

自警団員はボランティアとして災害の前線で、役人は前線に立つリスクもなく仕事感覚。なんのために役人がいるのかがわからないほどに、自警団の覚悟こそ、職務を越えた自己犠牲も覚悟で他の人を救うという人間のモラルで動いた、チェルノブイリの石棺化で犠牲になって自分の命を投げ出した人たち。消防隊員や自衛隊員にも命を投げ出した人がいるだろうが、それ以上に覚悟を決めているのがボランティアの自警団であるというのが実情ではある。

実際に、自警団活動で命を失った家族からも不満が聞こえてこないが、国レベルとなると消防隊員の安全とか自衛隊員の安全とか保身的な姿勢が目立ちすぎでそれでいて美談にしすぎ、自分の地域や家族を守るために普通に命を投げ出した人たちが250人もいることを忘れないでほしい。そういう人たちをカバーする共済が賄いきれず1200万円だとか。国もなにもしてあげないのかという問題。それが地域や国のために尽くした人の価値であるなら、行政に携わり仕事でする人というのは危険な情報もあって命の危険すらなく、万が一の保障もある。何十倍も一般からすれば恵まれすぎている。ボランティアとされて、行政の末端として、働きながら、労災も適用されないというのはどういうことなのだろうか。地域や国を守っているのはそういう下でも覚悟して我慢できる民間の人たちがいるからだろう。

公務員なら安全に守られて万が一の場合も数億の補償で、強制的に前線のリスクを立たされる自警団が、ボランティアだとして亡くなられても、大した保障もない、アルバイトでも適用される労災くらい適応してあげろよと思う。自衛隊員で放射能防御服、自警団員は放射能漏れも知らずに柔道着程度で前線の処理。東電や政府関係者ならわかっていたメルトダウンを水蒸気爆発と隠匿して、しかも、保安院なんてのが水蒸気爆発だと放射能漏れを隠匿、明らかに犯罪なのだよ。総理や大臣クラスが国民の命や健康を軽く考えすぎているが、それを罰する法律がないというか、作らないように細工してうまみだけで成り立っているのが原発行政。

津波が来ているの覚悟で海の方向に向かって任務遂行、原発の放射能漏れが隠匿されているのわかっていても、防御もせずに、前線でほかの人の命を救うために働くとか、行政以上に一般は何倍も覚悟して動いて、行政のいうのは原発は大丈夫。損得勘定で動く電力会社や国が、損得勘定もなく動く善良な国民の命を犠牲にしすぎだよ。

今、8000ベクレルの汚染土が全国にばら撒かれるのも、目的は、ビジネス。金儲けが先に立って、撒かなくてよいものをばら撒いて人々を危険にさらしてしまう。国連の負担金でも10%も出しているのだから、国連と交渉して、海に流して解決する方法が一番人の命を救える。国民の許可もなくしかも、環境庁が勝手に決めてるけど、まさに環境汚染庁だぞ。日本の行政だからこんな愚かなことが許されるのだろうが、もう少し、国も国民の生命の危険とか正しく考えないか。地下水汚染してからでは必要のない体内被曝を全国にばら撒く、手のつけようがない。

全国にばら撒かないと薄められないほどのセシウムやストロンチウムが放出されてしまったのは分かるが、ばら撒かないほうが絶対によい。普通は、一箇所に固めるか、無限拡散だろう。金に目のくらんだ原発行政がらみの業者がやるんだから20000ベクレルであろうが、ばら撒かれる可能性も否定はできない。それが金儲けの秘訣なのだから。本来100ベクレルという国際基準があるのに、日本国民というのは命が軽すぎる。途上国の国民が行政の未熟さで命の危険にさらされるのと同じ程度が日本の行政のレベルかと思うと、目先の金に目がくらんでばらまいてしまったら、将来の日本中の残土を回収する羽目になる、その費用は数十倍に膨れ上がり、それもまた利権が絡む。そのあたりが原発行政に携わる人の怖さ。