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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2016年10月
2016年10月
リネン日記:25
2016年10月29日
広い幅のストールを二つに分けて半分の幅のストールを作るときに、左右をかがる作業が必要となってくる。せめてサンプル分だけでも時間短縮のために社内でできないかと検討中なのである。通常はシャトル織機でストールの幅で織るのが一般的なのだが、ジャガードのものをストールに仕上げたりする必要があったり、広い幅でプリントしたものを半分にするとかのときに小ロットでの対応が必要となってくる。

キッチンクロスの縫製なども小ロット生産や急ぎの分は中でできるような仕組みにしてあるからまだ、先に1枚づつとかでも店頭に置いてもらう事ができたりする。今は、最初の1点がとりあえず必要であったりする。生地にしても製品にしても、30cmだけ先に確認したいとか、1つだけ見せてほしいとか、在庫があれば対応できるが普通は難しい話が多い。それをさらに縫製して仕上げるとなると、内部でやる場合にはサンプルなどの控えも必要はないことが多いが、外に出してサンプルをつくるとなると、量産を想定して、弊社控え、縫製工場控え、お客様控えと3点が必要となったりするものである。出来上がったものが、OKでない場合はその繰り返しとなる。やり直したりして指図が増えるとどれが最終的に選ばれたのか縫製工場がわからなくなってしまうこともありうる。

内部でできるとその場で縫製してみてOKが出ればその場で済むので、試作開発的なことが内部でできるということはメリットは大きいのである。最終形が決まったところで外部で縫製を頼むとかが一番良い形だろうと思える。一回の量産で済むような形に持っていけるのが理想ではある。
2016年10月28日
広幅の絣織物の横糸に柄をのせる方法がまとまった。昔の近江上布は金枠を使うが、広い幅の金枠に糸がうまく巻けるのかという問題があって、またその糸を巻き戻す作業などもどうするべきか答えがでずに、この半年、検討や試行錯誤を繰り返してきた。広い幅で絣を完成するというのは、広い幅の機材をあつらえるところから始めないと出来ないのかというところ解決したかったところが、一番問題となっていた部分が解決できた。2月のミラノウニカ、3月のインターテキスタイル上海に向けて見本を作製することになる。

5月に東京に出向いて二宮先生の工房を訪ねて、いろいろと教えていただいた後も、横糸に色を奇麗にのせる方法が思いつかなかったが、この方法だとうまくかすり柄を再現できそうで着分程度の3mの生産ならできそうである。林与にある何千種類の色柄が、広幅の絣として海外の高級ブランドのオートクチュール向けのドレスやワンピース素材として蘇る第一歩。初年度はストールとして、広幅で織り上げる。まずは技法を確立できたということがうれしいことである。

従来の近江上布の技法とは異なる技法を用いることになるのも新しくてよいと思える。私が一番心配する排水問題に対しても、この技法だと社内工程では横糸を染めても汚水が出ないプロセス。生産効率を上げるためにもこの技法は非常に良いし将来的には量産への応用も利き、着分ベースでの量産への対応も可能になりうると考える。日本の麻布の力強い世界を再現することが私の目的で、私自身の力だけでなく、林与の歴史の持つものづくりの力を借りて、さらに発展してゆきたい。別に売れるとか売れないじゃなくて、布の世界で感動や共感してもらえるようなものをつくり、みてもらいたいと思う。

スマップ解散で、ナンバーワンよりオンリーワンみたいなところがあるけども、私から見ると若い世代に思えるメンバーたちが実際にオンリーワン的なものを大事にしているから解散なんだろうと思い、分かる気がするのである。普通になると見失うものがあって、それを通常の慣例とは異なるということで騒動になっているが若い世代の人が真剣に考えているということ、逆に捨てたもんじゃないと思える。アメリカでは反戦派のボブデゥランがノーベル平和賞にそっけない対応、メダルとかノーベルプライズとかじゃなくって、賞を与える側もその中身が大事で、IOCやノーベル財団の資質というものが、個人のほうがモラルが勝るというのもありがちな話で、偉そうなおっさん連中からすると厳しい話ではある。
2016年10月27日
今日は、東京でミラノウニカの打ち合わせ。昼食の際に、お隣に静岡県の加工メーカーさんがおられて、お話を聞いていると、やはり180度の転換期というものを持っておられて、動かれたことが今につながるみたなお話。なかなか、組織が成り立たない壁にぶつかったときに人の問題もあって180度の方向転換というものはできないものであるが、結局はそれが必要だったりするんだろうと思える。人が考え方、働き方、変われなければそのあたりは本当に難しい。新しい方も入れられているというお話で、聞くとやはり現場というのは定着率が低いといわれる。12人採用されたのに、1人しか残らなかったとか。現実的な話なのである。

お話のなかでも、オールラウンドに動ける人がやはりいてほしいと思われているのも良く分かる。今までやっていたことが成り立たなくなるってことも多いから、そのときに新しいことをやっていくということが大事だが、今までのとしかできな人がほとんどだと新しいことは難しいだろう。新しいことをやるときには、新しい人という結論になるのは酷な話なのだが危機感なく変わろうとしない人がほとんど。

林与がシャトル織機を入れ戻したときにも感じたのが、仕事しなければ仕事はないというのを何十年の経験者の人たちが分かっていないというあたり。シャトル織機を昔から使っていた工場長がシャトルは怖いわという言われ、仕事はいろいろとあるけども、してもらえる仕事が本当になくなってしまったなあと感じるばかり、結局、熟練者よりも素人のほうがやる気が上だったりするもので経験者ほどなにか新しいことをやろうとするときに重荷にしかならないことも多いものである。やる気のある人が集まって仕事はやっていくしかないのであろう。これは本当に残念な話である。

今日、仕事の体験もしてもらった方が仕事に合わないという返事をもらってほっとする面もある。合わないと思う人が仕事を毎日するのは合う仕事を探してもらうほうが幸せだろうと思うから、簡単に絶対にできると感じるくらいでないと何十年の職人さんでも仕事しなければ食べていくのが難しい世界、合わないなあと感じるなら早めに判断をしてもらうほうが双方にとって良いと思える。口で仕事の説明をしているうちはいろんなバラ色の世界であるけども、実際に仕事をしてもらうと簡単な作業でもマッチするかしないかが双方みえてくるものである。

夕方は、三宿のハンカチ店「H TOKYO」さんに立ち寄った。夜、月島のセコリ荘に行ってご飯を一緒にいただいた。隅田川の河口近くの下町情緒を感じるロケーション。週末だけが基本オープンらしいですが、今は、山形の作家さんのイベント中、山形というと米沢のシルクかと思いきや、作品はリネンや大麻のワンピースなど。車で東京に来られたそうで、その帰りに滋賀県に来てもらうような話も実現すればシャトル織機で自分で織られいるとかなので楽しみである。金沢にも逸材がおられるとかの情報もいただいた。宮浦さん周辺には自由人というか夢を持っておられる方がたくさんおられて一般のサラリーマンとは違うライフスタイル、それが本来のアーティストな生き方なのかもしれない。そういう生き方をするから作品に生き方が反映されて作品に力がこもるということもありえるだろう。手の込んだものも売ることを目的とする会社組織からよりも自由人から生まれてくるものである、自分の好きなものをつくるためにバイトしてものづくりに励むとか。そういうのがある人は本業として仕事しても強いのである。自分の作風とかを持つまでに仕上がっている人は強い。

みかんを差し入れに持っていったら娘さんの大好物で良かった。
2016年10月26日
アイリッシュリネンのハンカチの裁断を行う。この生地をみると本当に特別なリネンなのでうれしいのである。世界で数トン残っているかいないかと推定されるアイリッシュリネンの糸なのだが、現行の150番手を織って同じ加工をほどこしたものと比較しても、しなやかさなど格別である。真っ白のハンカチも良いかもしれないが、ビンテージらしい色が私は好きである。

真っ白のリネンハンカチが良いなあと思って最初真っ白のバージョンも作ったが、ジャパンクリエーションで調査すると、9割以上の方がオフ白を選ばれる。リネンの理想はやはりナチュラルな感じなのだなあと実感。私も自分の好みよりも皆さんが好まれると思って真っ白にしたけど、自分の好みのオフ白が人気でちょっと良かった気分。それ以来、オフ生成を晒すことなく、アイリッシュリネンらしいゴールドがかったビンテージな感じのオフ生成のままで提案させていただいている。

作るのに整経だけでも半年とか掛かって、織るのに3ヶ月とか掛かってしまったアイリッシュリネンのハンカチなのだが、このオフ生成で仕上げるために余計に時間が掛かってしまったともいえる。生成のままなので、色むらやフシなどが目立つので、そういう部分をなるべく取り除きながらいい感じに最後1枚のハンカチに仕上げようと裁断などの際にもなるべく良い場所を選んで裁断。

このハンカチにストーリーがあるのは、アイリッシュリネンの象徴の一つでもあった、2004年に閉じられた北アイルランドのハードマンズ社のサイオンミルで紡績された最細番手の糸で、1970年代に手に入れられる世界で一番良いリネン糸であったということ1枚のハンカチですが、アイリッシュリネン糸の歴史を語る遺品なのです。

140番手の糸の話は何度か聞いていたのですが、実際どこにあるのか知らず、先代が亡くなってから倉庫の2Fで、ちょっと大きめの未開封の箱をいくつか見つけました。箱の中をあけて糸を触ってみると細すぎて、綿麻か?と思いましたが、紙管にSION MILL T12とあり、箱の横にはMADE IN NORTHERN IRELAND と輸入されたときの表記があり、ラベルには、HERDMANS SION MILL LEA140。これかあと、先代が一番大事にしていた糸でした。その倉庫の別の場所には、アンドリュースの80番手、別の倉庫には、ハードマンズ社の100番手の生成が何百キロづつ今も眠っています。
2016年10月25日
今日は工場見学の方が午後から2名来られて、糸を結ぶ練習などを行った。人の指の感覚というものは普段使いながらも案外と新しい動きには苦手なもので、頭で理屈は分かっても、糸を結ぶという作業でも、それを実現するということは難しいことも多い。機結びの作業だが、私も最初の1週間くらいは作業して違和感があったが、それを超えると別に仕事でもなんとも無くなる。人の体が作業に対応できたということであろう。

他にも織機をさわって糸を通してもらう作業なども行ったが、正しく覚えるためには、手の使い方などからまったく同じにしないといけないのだが、なかなか、目で見た作業をそのまま自分がやるとなると難しいのである。ここも理屈ではなく慣れるというところ。できるできないだけでなく、習得する時間の短さというのも大事な要素であったりもする。新しいことを的確に前に進めていくという姿勢が大事だったりして、そういうタイプの人を作り上げていくのが、本来の教育というものであろうと思う。

学校教育の問題は、非常にスローというところ、カリキュラムを決めて全員が分かるレベルで進めていこうとする。実社会でそれをやると専門的な高度なものづくりは無理で、食べてゆけない集団となりうる。常に高度なことができるように進化していかないと、他の誰かが高度なことができるように進化したときには、自分が食べて行けなくなるのが普通だろうと思える。日本の昔ながらのアパレル業界が大手SPAのものづくりにシェアを大きく奪われたのも、技術的にも進化より退化してしまったからだと思える部分も多い。

手織りをしていたころの人というのは織物に対して面倒さというものがなかったというか、やるからには当たり前にそれを乗り越えていたが、機械化されてからの人というのは仕事を面倒なことととらえることが多いものである。機械化により人が労働から解放されると、人の力が落ちる。働いている人も機械が悪いとか他人事のようにいうけども、機械化されたときには機械の面倒をみるのが仕事であると進化しないといけないのだが、と思うことも多い。繊維の仕事なんて、それほど高度でないことも多いので努力次第でなんとかなると思うが、人が面倒に思うとかやらないとかの問題は、仕事の本質を欠いているので論外だろう。
2016年10月24日
夜中、出荷の際にバッテリー上がりがあって、自動車のバッテリーって進化していないんだなあと思った。一方で、自動車にはカーナビやキーレスでボタンでエンジンが掛かるようになって、バッテリーがローだと車を停止することもできないという問題がある。どう考えてもバッテリーがローの状態で車を停止できないという回路、回避しておかないと危険である。

バッテリーは昔のまま、せめてバッテリーが低下するときに警告がなればよいと思う。バッテリーのスペアを積んで置くという手が一つの方法かもしれないが、今はリチウム電池からエンジンを起動するジャンプスターターリチウム電池というのがあって、それを車の中に持っておくというのもスマートフォンを車の中で充電したりもできるし便利かも知れない。

調べてみると、材料のリチウム電池も電気容量が偽物が多数出回っている。海外物はノークレームノーリターンな、書いてあることもすごく、爆発しても一切責任は取りませんというのが、アマゾンで売られていたり。たまに爆発するというのを安く売っているようである。安全を考えないから安く物がつくれるんだろうなあと思う。日本も原発が爆発してあとの処理も殿様対応というのは、日本の実質国営企業の電力会社もノークレームノーリターンの海外レベルに対応が落ちているということで、電力会社も安全よりも安さを追求する海外のメーカーとモラリティが変わらなくなってたりで、国内に海外のあやしい世界があるなあと思える。

日本中にプルサーマルのために保管しておいた使用済み燃料をばら撒いてしまった、ダイオキシンばら撒くのと放射能ばら撒くのとではもちろん放射能のほうが世代を超えて遺伝子に問題を起こすなど危険。福島の所長もあんなに元気だったのに典型的な甲状腺癌ですぐに無くなっちゃって、原発事故とは因果関係がないとか。まさに、国すらもが人命を軽視してボロボロな説明ばかり。

プルサーマルやろうとしていて、世界が福島から原発は無理と学んでも当事国の日本というのは世界一の原発推進国なのである。日本の原発プラント開発企業なんか、バブルのころに原発に社運を掛けた博打的な投資してしまっているので、それがうまくいけば仕事がうまれおいしいが、消えてなくなると何兆円規模のビジネス損失となる。大手企業でも本業がそんな政治と癒着した博打になってしまっている。

バブル期に、原発に博打張った国や企業や電力会社は、原子力発電なんてそろそろ旧式の環境破壊型発電システムだということ気がつかないと。太陽光発電で十分に電力をつくり、それを蓄えることのできるシステムを構築することが大事であろう。原発も電力会社も必要ない社会が来る日も在りうるだろう。オリンピックなんかも同じでバブル期のおっさん政治家たちが絡んでバブルなことをしようとさらなる尻拭いが必要なことばかり増やそうとする。みんなが小さな節約を考えている裏で、それを無にするかのごとく大きな垂れ流しするのが国ではいかんだろう。人々が節約したものが国や大企業によって湯水のごとくに浪費されてゆく。

オリンピックにしても、予算など詐欺に近いのはなんとかならないのか。行政も絡んでこんな話だから。
2016年10月21日
日本の株式市場がどうも怪しい。国民から資金を吸い上げすぎて資金が回らなくなって、株式市場が落ち目の状況で、手をつけ始めたのが年金資金という一番安全に資金運用が必要なところ。優良企業の株を保持しただけで資産が増えるなら、だれもがそれをするだろうけど。国民もそれを信じて株式投資して手持ちのお金を機関投資家に吸い上げられた、次に、株式市場で国民の老後の年金資金が吸い上げられる予定とは、年金の破綻が加速する話。

胴元や海外の機関投資家からすれば何十兆円というお金がばら撒かれるのを見逃すわけもなく、上手に回収。今までは創業資本家のもっていた分が手を離れ国営化が進む。企業家自身が株を持って裁量を振るうのと、ものを言わないものが株を持って企業家一存では、株式企業の意思決定のバランスも崩れてしまう。株式会社のメカニズムを根底を揺るがすような部分もある。

笑える話だが予想通り、国民の老後の年金を5兆円も下手に溶かした、その年金積立金管理運用独立行政法人の代表が独立行政法人の中では日本で1番給料が高いとか、日本の人材に関する市場メカニズムが成り立っていない部分。結果としては、その人が仕事しなかったほうがよかったという結論なのだ。国民が働いたお金を取ってそれを溶かす、働く人や企業から、強制的に税金として徴収する社会保険とか、自分がお金をなくすことはよいけど若い世代の借金として残っていく。これから生まれてくる次の世代は今の世代の奴隷ではないが、それが日本は昔は次の子孫のために自分たちを犠牲にしたものだが逆転してしまったなあと思う。

社会構造がサステイナブルでないと駄目だろうと思うが、無理なものを法律で正しいの概念までゆがめて成り立たせているが多くなりすぎて、まあ、トップリーダーや指導する行政が一番モラルがなくなってることも多い。その変のゆがみを立て直さないと駄目だろう。行政のやっていることが何一つ正しくないというようなのが、豊洲問題で説明すらも元都知事が逃げていたり、まさにだらしないわなあ。すべて正しくないほうに引きずり込まれる行政。行政の末端の人間でも偉そうに民間に説教したりするけど、トップや行政が騙すのが基本では駄目だろう。
2016年10月20日
2017SSものの生産の時期。今のタイミングで本来なら決まっていないともう間に合わないタイミングに差し掛かって、今からサンプルからの話を進めて、1月末納期の話もあったりするが、どうクリアしていくのかのところ。春夏物の厳しいのは年末年始ともぶつかる。休みの前後がどこもパニック状態なので、実質12月27辺りから1月10日の連休明けくらいまでの2週間がないのと同じ。

年明けの加工投入で、なんとか1月末の納期に間に合うかどうか。もしなにか問題があればすべてがかわってくる。一からやり直すとかだともう地獄の世界だが、新しいものをやるときにはそのリスクがのしかかる。12月に本生産が決まっても、そこから染めるとなると年内に何色染めてもらえるかという話。仕事するのがその空白の2週間ということが多い。まあ、軽く見られるコンビニとかでも24時間動いているから、生き残れるのだろうから、本業が本職でやっていてそれ以下の覚悟だと春夏物なんて海外に越されていくのもあたりまえなのかと思う。

日本の春夏物が苦戦しているのは、たとえば、中国やベトナムなどの旧正月のタイミングが日本と同じだったら、状況は変わっていただろう。それだけで、海外のデリバリースケジュールなども含めて日本以上に苦戦していたはずである。しかも、年によって前後するとか、旧正月明けには生産力が落ちているとかの要素が海外にはありうる。2月に旧正月というのは、2月、3月店頭を目指す春夏物の生産にとってはある意味、労働力が減っても影響は少ない。海外縫製も1月1日に正月で、旧正月明けに人が減ったら、春夏物の生産は大打撃をうけるだろう。

日本も正月を旧正月にすると同じスケジュールで企画が始まっても春夏物の生産がかなり楽になるのになあと思うが、今の遅い立ち上がりの企画の背景には、店頭である百貨店バイヤーさんの方向性が決まっていないので、企画が進められないということがあろう。数ヶ月での試作から本番への移行と言うのは、小物ですらも結構、地場産業的な分業のなかでのテキスタイル生産では厳しいところがあるけど、アパレルともなれば、品質面の確立や、納期リスクも高すぎて手を出さないほうが安全というところになってくる。

今は、アパレルは難しいという話が麻関連の素材を扱っておられる方々からは声が上がる。安いものなら品質なども目をつぶるということがあるけど。百貨店の高級ブランド向けでは、厳格な百貨店基準やブランド基準などがあるとすれば不安定な要素が多い麻では難しいことが多いのである。今から林与も新規の案件が入り始め予定されているけども注文が入ってもタイミング的に頭を悩ませることが多いものである。出発は簡単だがゴール予定が1月末だとかなり危うい。
2016年10月19日
昔のファッション雑誌なんかをみていると、型パットが強烈だったりとか、その時々のモードが感じられるが、ベーシックなものというのは、ファッションフェチ以外に受け入れられやすい。私自身もそのときどきの流行よりもベーシックなものを探しているので、今の店頭に行ってびっくりするのが、ベーシックなズボンがないとか。

ストレッチ素材をつかっているので、スリムタイプにしようとしているが、それが長続きするようなものであるのかは微妙、今、そういう技術ができて新しいからそれが流行るというようなだけだろうと思える。

そういうのを積極的に取り入れて新素材開発されるブランドさんもあられる。私自身はどちらかというと、そういう流れに乗ってのものづくりは好きではない。技術依存的過ぎて、本来の織物のベーシックな規格のありがたみみたいなものがみえないから。

織物というのは用途に応じてちょうどよいくらいの風合いなんかがあったりして、それを改善するために、他の素材を入れ込んでまでしてしまうのは、お店に並んでいる加工食品と類似の要素を感じる。出来上がったものに、いろんなほかの添加物までいっぱい入っているということ。なるべく、定番らしく、その素材本来の感触を他のものをあまり足さずに味わえるのがよいんじゃないのかと思うのだ。
2016年10月18日
今日はものづくり求人に関する企業交流会に参加をしてまいりました。会場で知り合いの野瀬精機さんのご夫妻とお会いしていろいろと近況報告など。すでに前回の交流会を通じて一人雇い入れられたということで、いろいろと教えていただきました。野瀬精機さんはNPO半田付け協会も運営されておられ、1年に全国6箇所での半田付け講習もされておられるとかで、日本の半田付け業界では権威的な企業さんです。

今日は、ものづくりを目指される若手の方の求人と企業とのマッチングの会で、ブースで企業が面談をします。林与の求める人材というのはオールラウンドプレイヤーみたいな人で、何でも仕事みたいなのを当たり前に考えてくれる人。何でもといっても、製造販売に関すること全般ということなので、別に他の会社の事をさせるわけじゃあありません。ひとつの作業ができてもそれは今の時代では海外の大きな大量生産の流れ作業の単純労働者の世界で、その人の力は外から見れば海外でも現場では置き換えが可能な一番底辺にみられる作業員にしか過ぎません。

どんな仕事でもいつまでも忙しく同じ仕事が続くとは限りらないので、その仕事が下火になったときに、他の作業を忙しくこなせる力がなければ、会社に仕事があって人がいても仕事ができる人がいないという状態が続きます。新しいものをつくるというのは誰かが教えてくれるのではなく自分で生み出していくというところで、基本のことをマスターしたら応用を自分の中で他の上手な人から教えてもらうのではなく自分が見て真似て上達して、ゆくゆくは自分が新しいものを生み出す力を持って新商品の開発を手がけていくものです。

今は、百貨店にでも売れるものが安く飽きられるほどにある中で、新しい商品の開発ですから、一日一日が勝負で30年40年の経験者も素人も関係なく、素人でも最初から教えてもらったら正しいものが生産性をもってできるようにならないと、いつかできるようになるでは新興国のものづくりにも追い越されても当たり前。数ヶ月もすれば自分が一番上手だと思えるくらいになって、他の作業も同様、いろんな作業をこなせるという人は、人の力が高いということで私の中ではそれが人材育成だろうと思っています。

あと、求職者の方にお話したのは、限られた時間の中で仕事をマスターしようとすると、仕事が自分に合う合わないはあるだろうし、会社から見て仕事がその人にに向く向かないはあるだろうと思います。また、仕事だけでなくその会社の仕事に対する考え方が自分に合う合わないはあるだろうし、会社にとって求職者が会社に向く向かないはあるだろうから、その双方がマッチしないとお互い納得して仕事は続かないだろうと思うということです。

仕事ということを求職者の方も理想も持っておられるでしょうし、学ばれているのだろうと思うのですが、大手のやっている方法を零細企業が真似しても絶対といってよいほどに零細企業では成り立たないことも多いのです。同じことをやっても、立場が違えばうまくいったりうまくいかなかったり。だから、小さな企業というのは大手のやり方と違うやり方をするところに生き残れる道があり、大手のものづくりというのはシステム的に大量生産を目指すのでコスト重視で案外平凡なものづくりが多い思うのですが、小さな企業というのは人の力でものを生み出していくので大手のできない人の力の強みを生かしたようなものづくりが生命線のような気がします。案外、美観が生きたりするのもの小さな企業のものづくりではないのかと思えるところだったりするのです。作れる環境があるとものづくりの深さって変わってくるし、何に価値があるのかというのもぶれないものがあったりするものです。

普通以上に苦労や努力するレベルで仕事して続けて、他の人が超えられない壁を当たり前に毎日苦労や努力しながら超えてで、他とは違う世界が生まれてくると思ってたりするので、私自身じゃなくても苦労や努力してがんばられている人が成功されることを望むし、そういう価値観を育める場所があっても良いと思えるのです。そういう人たちがつくるものづくりを、多くの日本の消費者の方が高いものに対しては求めてくださることも事実だと思います。

あと、仕事というのは頭で理解するというのが先に立つ人というのは最後まで仕事としては成り立たないことが多い。頭で理解することを仕事と考えているから。仕事というのは体を動かして目の前のことを勧めていくのが仕事。手や体が動くことが大事なのである。そういう意味でも、林与の場合には実践派でないと難しいのかなあと思う。
2016年10月17日
今日は体力がようやく回復して、仕事に復帰。朝、加工工場に反物を投入、出荷の案件がいくつかあって急がねばならない。何から手をつけてよいのか分からないほど、ちょっと難しいことが残っている。ちょっと難しいことは他の人にはこなせないことが多い。どこの会社もいっしょだろうから機屋というものがこの産地で廃業していくんだろうと思える。

これは今に始まったことでもなく、私が仕事に付いたときからちょっと難しい仕事は私に回ってくることが多く、整経をしていた方以外の、他の人のする仕事というのはすごく簡略化されていたように思える。仕事はいくらでもあるのだが、できる仕事がないかったりして待っているという状態が、工場の中でも出機さんでも。一人ひとりができる仕事を増やさねばならないのだが、職域みたいなものが勝手に出来上がっていてこれはだれだれの仕事みたいな感じ。

私自身はもっと高度なことをやりたかったのだけど、私に現場の作業のちょっと難しい作業が回ってきて、高度なことのできる会社にはなりえないところもあった。何十年も仕事をしていてると外の進化のスピードに追い越されてしまうのだが、歳を取るごとに仕事も気力もなくなり難しくなる一方の現場、これは田舎の普通の暮らしも同じで、若い者が活気を持って仕事するというより、年配の人が多いと年配の人のできない部分の手伝い仕事ばかりになってしまう。

ある糸商さんが自分を経由してリネンの細い糸を買ってほしいと頼まれて、間に入られるなら糸商さんがリスクをもって糸を引っ張ってきてほしいと頼んだがそれは無理な話といわれて、結局、自分で糸を注文して引っ張ってきた。それが私にとっては何も難しいことでもなくて、リスクも自分で張って在庫も持つ。糸商さん経由だと在庫がないときも多く、結局、いざというときのものづくりに支障が出るのである。特殊な糸だと見本を作って注文を受けても、本清算のときに糸の背景そのものが見えなくなるので余計に怖く、糸があるときにある、糸がないときにはないだけでは、提案するのも危険すぎるのである。糸商さんからは定番の糸は買い続けたので別に糸商さんとの関係を潰したくもないし、糸商さんの限界があるときには自分が動いて解決しないと、特別な糸も手に入らないのである。

糸商さんでも問屋さんでも、林与のような小さな会社が自分で動くと相手に嫌がられるといわれるけども、糸商さんも問屋さんもお付き合いで関係が成り立っているということを、特に年配の方たちは認識されていないケースも多く、自分の考えている商売がうまくいかないときには、敵か味方かみたいな考えをモロに出されて基本の礼儀のない方が多い。こちらがゼロで動くときにはゼロで動けるような人が普通の仲間てきなものづくりなのだが、利益が先に頭にあってそれを譲れない人とは損から始まる新しいものづくりなどは難しいだろう。

日本の中の口座商売とか、疲れるんだよなあ。世界を見渡せば湯水のごとくに物が流れているのに、日本の中が昔ながらの誰を通しての商売とか、私も自分の会社で値段が会わないときには、私に相談された方のために同業の他の会社を紹介するとかまで来ているから、誰の目の黒いうちはみたいな、小さい概念は捨てたいなあと常々思っている。私を慕って相談くださった方が私を立てるばかりにその方の仕事がうまくいかないというのも不憫な話で、そういうのは避けたいと思う。ワシに相談したので他でやりよった、一緒にやらんかったらお前は敵だ、嫌なら自分でやれ、みたいな、田舎の足引っ張りのおっさんレベルでは、田舎の過疎化の問題解決や繊維の世界で若い人たちが活躍する場をつくるとかは無理だろう。

私が思うのに、林与は全国の暖かい気持ちで支えられている部分があってなんとかやれている。でも、ある方にいわれたのが、自分だけのことじゃなくて、産地のことを考えて産地のためになることをやってほしいということを言われた。そういうお言葉がありがたい。思いを持っている人々のことを思える人を集まって、思いを持っている人々のために仕事するということが今の理想。それでいて世界一みたいなものが作れるって理想な会社じゃないのかなあと思う。
2016年10月16日
3日ほど前に、ファミリーレストランの駐車場でライトをつけたまま駐車してしまったようで、夜にバッテリーが上がって、家まで2kmほど歩いて帰って軽トラをつないで、バッテリーを充電し手持って帰ったが、その日は寒く、そこから風邪を引いてしまったようで、土曜日にセキが出たので、今日日曜日は休養。一日中、寝る。体調がよくなく休む。
2016年10月15日
田舎の過疎化の深刻化を感じる。近所の方が家を持ってほしいと頼まれる、名義を変更して所有権を移すだけのこと。売買ではない。土地や家がマイナスの資産となってしまう状態に早く手を打たれるのだろう。住んでいないとするなら固定資産税を払い続けることや取り壊すだけでもかなりの費用が掛かるので、双方の思いが合えばよい話なのだが、住める家を無料でもというのはこれからは当たり前になっていくだろう。田舎の土地というのは更地にしても売買となると、司法書士の先生に払う手数料や境界を決めるための測量費用なども掛かり、売る相手がどんな方であるかも大事だったりするので、売買が簡単ではないことも多い。

ある工場が、廃業されるときに事務所と工場と土地を含めて買う話があったが、築50年を超える建物というのは10年とか先に取り壊すことを考えると一般的には実質一千万円コースのマイナスの伴う資産なのである。土地の評価があっても上に古い建物があると余計に評価が下がるみたいなところもあって、固定資産税の評価額でも私が買ってくれる人を見つけようとすると苦戦するだろう。不動産会社が入って3ヶ月以内にすぐに売れる金額というのを私に提示した、工業団地に10倍もの面積のきれいな更地で土地が手に入る金額。断る話になったが、その金額で3ヶ月以内に不動産会社もちゃんと土地と建物を買い上げて、工場の片付けをちゃんと見てあげてほしいと思うところ。

東京の土地だと人が多いので場所さえ良ければビジネスチャンスあるけど、滋賀県は主要な駅前の平和堂などでも3階、4階、5階には店舗が入っていないような状態になりつつある。土地というのは国有そのものだなあと思うのは固定資産税のシステム。土地をもつだけで国に地代を納めることになる。なぜ、駅前のショッピングセンターからお客さんが消えたのか、郊外店に流れたということもあろうが、インターネットが商売の立地としては最高な場所のひとつになったからとういことだろう。これを書いているうちに、平和堂の近江八幡店が閉店するというニュースがネットで目に入った。

何百人がやっている商売でも立地も良くても成り立たないという状況。日本は田舎はますますと厳しいのである。画一化的に行く流ればかりではなく、ここで思うのが無理だといわれるものの特色を強く出していくという方向性も大事じゃないのかと思う。繊維産業というのは基本厳しくて無理だといわれるけど、日本のすごい分野のひとつであるのも事実。東円堂の林与のような小さな家の中から近江上布の絣織物が生まれ、半世紀以上前のその色柄に世界のデザイナーが注目するとか。

そういうものを生み出した気概といものは、もはや集落にはないけども、新しい形でそれを復活したいなあと考えている。村が明治以降に産業としていた織物を復活できるのも私しか居ないのも事実で、17歳で與次右衛門爺さんは、機元のひとつをたちあげた、今、もう47のおっさんが、それをやるのが難しいなあとかいっていても当時の人からすれば笑い話にしか思えないだろう。あのころは厳しいことが正しい時代ですべてが成り立ち、集落としても豊かな集落となった。今は、成功のための厳しさすらも禁じるばかりで、政治的には愚民ほど扱いやすいものはないのかもしれないが、田舎ほど自由に活動できるのが本来の田舎の強みであるはず。いつの間にか、隣と密集している都会のほうが自由に活動できるようになって、田舎の人のスケールが小さくなってしまっている。

芋粥の話でなければならないのだ、田舎というのは都会以上に大きなことをやってないと本来成り立たないのである。
2016年10月14日
今日は仕事で昔からの馴染みの方が来てくださって、ある方が最近お亡くなりになられたお話。私以上に業界を良く知っておられたそういう方でも60半ば近くになられると仕事も難しくなられ、会社から離れられて独立されるもなかなか食べていかれるのは難しいものである。60過ぎて始めての独立というのは厳しいだろうと思う、いろいろと最後ご苦労が多かったのではないだろうか。人にはそれぞれ事情があるので、勤め先を退職しても、自分で仕事して食べていくという基本で生きていこうとするのは普通のことだと思う。だが、独立してやっていくときに、誰かスポンサーしてくれると簡単だが、自分が資金から準備し在庫も抱えないといけないところから始まる。自分が今までのように普通に働いている程度では働いてお金を失うモードに入ることが多い。

私でも40手前で社長になったが、それ以前の商売的に成り立ちにくい流れというのは続けていれば、自分で解決のしようのない部分が多く増え過ぎた。自分で解決できるような部分を増やすためにも自分らしいものづくりを取り戻したのがビンテージアイリッシュリネンプロジェクト。今のリネンの細番手化の流れを生み出したのもそのプロジェクトに付随する現行の100番手以上の細番手リネンを織るプロジェクト。それまでは、織れないといわれた100番手以上の細番手のリネンを通常の手法で織るというチャレンジ。現行の150番手リネンまでをかなりの密度で織り上げアパレル向けに提案できる、世界中の会社を探してもなかなか難しいんじゃないかという課題クリア、日本の麻織物の本場近江湖東産地でそれを実現できたことは織りだけでなく、糊付けや加工を含め、近江湖東産地の企業さんの持つ技術の高さではないのかと思える。ビンテージアイリッシュリネンプロジェクトは脚光を浴びたが、そのサブラインの現行の100番手以上が通常の方法で量産対応できるというのは業界の不可能を超えることができたと思う。

高級なものに特化すると高いものをやってキザに思われるかもしれないけども、良いものを作っているからというからには、世界一を目指すみたいな、そういう華がないと駄目だと思うことも多い。別にナンバーワンじゃなくてもよいが、他とは違う世界を持ってそれに掛けてみるというのも大事に思える。そういうのをやったのも、日本がデフレで高いものなんて売れないといわれたとき、1mが1000円より高い布が売るのが難しいといわれる時代に、1mがバルクで、5000円から5万円の布を提案した。5000円から5万円の値段をつけた布は、普通とは違う上品な顔をしているのでセレクトされる方が多かった。特別なものを見分ける目を持っておられる方も多いのを感じる。でも値段に驚かれることは多く、買われる方というのはそう多くないがないこともないし、売り急ぐ商品でもない。そういう世界を見てもらうのも大事だろうと思う。

今も、小さな林与のリネンの中に世界でも一番高いゾーンのシリーズがある。近江上布の世界も、林与には何百反かの着尺の現反が残っていてそれは家宝的な意味合いがあって非売品である。小さくても守り続けたい麻の高級な価値観はあって、一般に流れるものとは別の世界として手元に残していければと思う。普通は分散してしまうものなのだが、林与らしい麻織物の価値観は四代に渡って共通の部分がある。
2016年10月13日
結局は、仕事している国が勝つということだろう。たとえば、商店街を見ても分かるのは、商売が廃業するとその場所がゴーストタウン化する。コンビニがある場所が繁栄する。田舎の場合、最初は点で、ポツンポツンと点のつながりがコンビニができてゆく。コンビニも雇用を生み出す。中国なんかが、中国元が21.5円まで上がったときに、仕事がなくなり国の経済が傾く。通貨切り下げ。結局安くして仕事を得ようとする。

仕事をしてる国というのは次の世代があるけど、仕事をしなくなった国というのは、国民は楽にしばらく生活できるが変に法律が出来上がってしまって、後戻りできない状態になり、楽して働くが普通になるだろう。国の援助や配給で生活できるようなシステムは、昔の配給制の共産主義国家状態になるだろう。一人ひとりの仕事の力も落ちて、諸外国の人たちのほうが日本人よりも器用で能力が高いということが普通にありえるようになる。普通に働いているあらゆる国にどんどんと追い越されてゆく。

これは、たとえば、日本だと、大人に物事を教えるよりも子供に教えるほうが簡単で、子供のほうが正しくものごとができるという矛盾。法律なんかも普通じゃなくなってしまって、子供にはできるまで正しく厳しく教えられるけど、大人にはできるまで正しく厳しく教えるのが難しいとか。苦労していない人がつくる法律が楽なほうになびき始めると、原発と同じでいつか爆発しても無責任なところまで肥大化する。

実際、大手企業はブラックボックスになりやすく、原発なんかも爆発しても当たり前くらいに利権も絡みすぎで推進。昔、小学校のときに、鶴のマークの航空会社の社長が、スポーツ少年団の小学生が乗る飛行機が万が一落ちたら切腹してお詫びさせていただくのが私ができる精一杯ですと事故もないのに送迎会でその覚悟、その社長の孫娘がピアノを弾いて出発前の送別会を盛り上げておられていたのに。小学生の私はその重さも理解できずに大げさすぎると思ったが、引率する先生方も万が一の覚悟も承知で、また、覚悟を決めた人の仕事というのはそんなものであろう。命を預かる覚悟ってそんなものだろう。
2016年10月12日
今日が、ミラノウニカの出展申し込み締め切りで、昨日の午後から昨年の書類を捜して申込書を作成、提出サンプルなどを決めて昨晩送付。なんとか、締め切りに間に合った感じなのだが、今まで、プリンタトラブルが多かったけど、最近買った2万円未満のプリンタがシュウィーン、シュウィーンと印刷してくれて、相当の時間節約。画質は悪いが腐ってもレーザープリンタ。プリンタトラブルも少ない。ミスを見つけての再プリントも快適である。

今朝は、シュワイターで糸を管に巻く作業。前に試したときにうまく巻けた錘が今日はうまく巻けない、何も触っていないのに。でも機械は人間よりも正直で、最後管の取り方が悪かったのが、すこし持ち上げられた上体でローラーが止まってて、それが下に下りずにうまく巻けなく。結局ローラーの根元の注油部に油を差してやわらかくしたら正しく巻けた。今日は、はじめてシュワイターを使う人がいたので使い方を教えるが厳しいところは厳しく、シュワイターも案外怖いから。

あと別の問題もあったようだが、その問題は夕方までに解決ができたようで安心。とりあえずゴールを目指してたどり着いてもらいたい。
2016年10月11日
ものづくりの会社の弱みというのはものを作るところに力を注ぐので販売に力を注がないところであったりする。販売というのは営業マンをたくさんもっている会社がやはり強いだろうが、林与の場合には営業マンは基本いないのも特徴である。営業マンを雇いたくないのは、自分が作らない人がたぶん意味がわからないだろうなあと思うところ、自分たちが作って自分たちが売るほうが不細工だろうけどいい感じじゃないのか。

昔、私が20代のころに、縦糸が切れる問題があって織っても傷が増え商品にはまったくならないと思ったものがあって、それを織っても加工しても大きすぎる問題になる何千メートルの話。私はこんなの問題が増えるだけだからストップして新たな方法が必要というが、納期があるからとGOしてしまって結局何百万円の仕事がやり直し。最終的に納期ももっと遅くなるし、糸も染め直して縦糸の損だけでは収まらない。ボタンの掛け違えをどこまでも。これは後で問題を解決しようとする営業マン的な考え。

外の問屋さんの企画した仕事などもトラブルと後で何とかなりませんかが多い。営業の人とかはものごとを簡単に考えられていてだから、いろんな問題が見えていてそれでもいいからで進んで、問題が出てきて何とかならないかと相談されたり、だからあの時言ったでしょうが多くその軽さが大きなリスクにつながる。営業というのは外に振られて本質的な問題を見失いがち、個人の問題じゃなく、みんなの仕事がパアになる。

図体の大きい人でも、繊維業界に経験の長い人でも、なんで自分で問題の解決もやろうとしないのに、業界で生きているのかなあと思うことも多い。私自身は自分の作るものが悪いものに思われるのが嫌で、間に人が入っていてもそれなりにベストは尽くすが、基本見ているのは最終のお客さん、間に入っている人はお客さんじゃないというのが品質を守るための基本。

ブランドさんたちも直接来てくださり、お会いすれば本質的な話からになるけど、イメージだけでOKならそういうものはいくらでも安く手に入るし、それを求められているブランドさんも多い。イメージ商品なら値段も合うけど、本物だと値段が合わない問題がある。林与も自社で織っていない布が、誰かのために取り寄せしたとかで、それを他の方に販売するときなどは、自社で織ってない布であるとお話もして、安く提供したりする。自分の会社で織った布と他の会社が作った布では価値がまったく別である。そういう歯止めが利かないと、何倍にも化かせるビジネスになる。海外から生地を仕入れて、それを伝えずに林与で作ったといってうれば看板ビジネスで、楽して儲けられるだろうが、いろんな仕事らしい苦しみ味わいながらも自分で織る環境をもって続けるという道を選びたい。それが林与の布を高く買っていただく皆さんの期待を裏切らないということと整合すると思えるから。
2016年10月10日
昨年につづき、上田安子服飾専門学校のトップクリエイターコースの皆さんがパリコレに学生ブランドとして参加され、林与の麻素材もお使いいただいていていくつか注文が入りそうといううれしい連絡がありました。若い皆さんが高いハードルを越えてチャレンジしておられ、成果も出るってすごいこと。社会人になられてから同じように自分の力で海外に挑戦していかれるのだろう。

ブランドを自身で立ち上げていかれることは並大抵のことじゃないと、ブランドを立ち上げて動かれている皆さんとお出会いも多いから思える。洋服を作る以外の仕入れや販路などの壁も多いと思える。販路を少しでも自分で確保できるネットショップをもっているブランドさんがやはりPRの面でも強いのではないかと思える。理想はあっても、現実的な一個売ることの難しさをクリアしていくことなんだろうと思うのだ。
2016年10月09日
今日は集落の運動会、でも、雨が朝から降って中止。勢いのある先代世代に昭和の時代に運動会や盆踊りが始まった。自分たちが夢に重いやりたいから始めたというのが始まりで悪いことではない。気のあるものが持ち出して運営が成り立った。なぜ、そのようなことをやったかの背景にも戦後貧しい家も多く、集落が催す無料の行事が、みんなに楽しみを分け与えたということがあろうと思える。

私が20の頃、若者が盆踊りの主催なのに、ある件で先代が出しゃばったのに腹を立てたことがある。自分がなんでも決めるのが当たり前みたいに仕切ろうとする先代。あなたが始めたかもしれないが、それを引き継ぐほうがいろんな苦悩を乗り越えないといけないのをわからないあたりが難しい。始めることはできても後を考えることも大事でそれがなかなか難しいのだ。

集落の衰退というのはそのあたりにも見えてくる、いつまでも主役の人たちがいては駄目なのだ。これは日本の政治も同じだし、たとえば、アメリカの大統領ですらも、トランプやクリントンレベル。もう世界が終わってるのを引き起こす。自分が支配したい欲望の強いものが地位に固執する。他を支える気のないものが、他を支配しようとして上に立とうとする。日本の天皇が生前譲位をお考えなのは、やはり世の中のことをお考えだからだろうと思う。同じ問題を考えておられるんだろう。石原元都知事もボロボロのようで逃げているし、稲瀬元都知事もボロボロ、枡添前都知事は最悪レベル。役なんていうものは持ち出す気持ちのあるものでないと、地位というものにすがろうとする連中にろくな奴はいない。
2016年10月08日
今日、出荷に行くと、運送会社の事務所に一人だけ事務員の年配の女の人、しっかりと一人で事務所を守っておられる。この人は中のこと全部わかっているんだろう。この女性に仕事を頼むとすべて確実であったりする。

ここも大きな運送会社のひとつの営業所なのだが、他の大きな運送会社の場合は、そういうできる人ほとんどいない。電話で確認するとか、他の人に聞くとかいう人がほとんど。日本の運送会社というのはよく成り立つなあと思える。500円から1000円までで荷物を運ぶのに、日本中、翌日あるいは翌翌日に届くとか。そういえばEMSが値上げした。封筒ひとつ、DHLやFEDEXだと何倍もするけど、郵便局がコスト未満でサービスを1000円で提供していたのである。

上海で郵便局を使って江蘇省の会社に荷物を送ったこともあるけども、上海の郵便局は日本よりも荷物を送るの高かった。それで、一般の運送会社を近くで見つけて頼んだ。荷物が届くのかかなり不安だったがちゃんと届いたようだ。たしか、10kgで2000円くらいだった。

物流サービスが結局市場の鍵を握るというケースが、全国送料無料のサービス。弊社でも1万円以上お買い上げの場合には送料を無料にさせていただいているが、日本の場合には送料が安いのでそれが成り立ちうる。メール便が運送業者の収益改善のために廃止になって、お客さんが逃げ出したので、また、類似のものが復活してきている。昔はクロネコも殿様商売の郵便局に対立して運送業を立ち上げて、郵便局以上のサービスを全国に自社網で展開したので応援していたが、数年前に殿様商売そのものを見せ付けられて、やっぱり民間も大きくなると初心を忘れて、利用者の弱みにつけこんでがみえて値上げ、サービスの廃止で、郵便局でも良いんじゃないかと思えたりもした。