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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年10月
リネン日記:25
2016年10月07日
昨日の午前のお電話で、林与の布に興味を示していただいたお仕事のお客様がある。林与の麻布は他社さんと比べると卸でも2倍から3倍するものも多いので、普通のお仕事のお客様ではなかなか手を出してもらいにくいところがある。弊社で、値段が合わないときには、他社さんをご紹介することも多い。自社で工場を持って生産していると、工賃仕事では済まない部分があるのと、林与が賃機屋さんとは違うので、自社リスクでいろんな商品を開発したり、新たな設備投資をしたり、自分が面白いなあと思うテキスタイルビジョンを持ってPRしたりしている部分が、費用として跳ね返ってしまうのだろうが、そういうことやらないと自分の力で新しいものを作れないし、産地で産地の特色のあるものづくりを続けていくとかもできなくなるとも思える。

お客様が一般的に使われている布というのが、切り売り屋さんに並んでいるあたりの想定価格で、便利に1mから手ごろに手に入るのに、200m、300m作ってもその2倍とか3倍が林与の値段だったりして、切り売り屋さんの布が悪いわけでもないし、林与の布にしても原価を計算して一からつくるとかするとそのくらいになっても仕方ないところである。何かひとつグレードを落としても、他のものが自分なりに妥協ないチョイスなので、ひとつなにかグレードをを落とすのがもったいないという感覚が私の中にはある。

2年間に廃業された機屋さんが、林与の50年前に手がけていた織物を織られていたが、その生地の販売価格を聞いても成り立つ値段ではないのも事実。林与に仕事を譲ろうとしてくださったのも、織機を動かせる力を見込んでのこと。その設備を私に売って儲けようという気持ちも持っておられなかったし、私も簡単にも考えていなかったので、独占したいとかの気持ちも儲ける気持ちもなかったしお客さんが困られるということで誰かにバトンを引き渡したがられていたという事情で、一肌脱ぐ覚悟であった。手もないほど忙しいのに他のことに手を出すというのはばかげたことだろうけど、何かの巡り会わせと思って一生懸命に動いてそれが自分なんだろうと思う。

私自身もその採算性が合いにくいのも承知で、それまで私と関係のないその方のお客さんも困られないようにと思うところもあったけども、話が途中で変わり費用が掛かりすぎる話になって、私自身が実質無料で働いても、移設費用と維持費用だけでも、その方の既存のお客さんが今までの2倍の値段で生地を買わないといけなくなるとお客さんも喜んでもらえないとなるともう無理な世界だろう。将来的にはそういう麻織りの技術が日本に残っていることのほうが産地としても大事だろうと思えるが、新規のお客様の開拓なども含めて成り立つ道も探そうとしたが、和装の高級バルク素材、市場が小さくなりすぎて、難しい問題である。

そういう織機を動かす技術が産地に残っているのかというと、いろんな普通の織機でも動かすのが難しいというのが現状で、案外、途上国なんかではレピアもシャトル織機も普通に動いていたりするのだが技術があるといわれる日本ではそれが難しいとか。それは技術があるなしだけでなく恵まれた国になると、働く人も働くという意味がわからなくなったりするもので、仕事なんて自分がやるかやらないかだけなのにと思うことも多く、やるから仕事があってやらない人には仕事がないのは当たり前だと思う。日本もひとつのものをつくったりする技術が残っているのはそういう技術というよりもやる気のある人が個の力の中で残っているから、組織とかそんなんじゃあなくて個の力があるから組織が意味のあるものであったりする。

海外の何千人の企業でも数人が意味のわかっての仕事、他のほとんどの人が収入源としての仕事であったりして高度なことは経験も少ない。品質的な優位と価格のリーズナブルさで成り立っているそうだが、いずれ繊維産業に危機が訪れたときにどうするのかという問題もあろう。日本もほとんどの場合に同じじゃないのかなあと思える反面、私自身、この仕事が逆に仕事らしく、やる気があれば高度なこともチャレンジできるし、繊維の中でも機織というのは可能性のある仕事だと思う。

どの仕事にも共通する要素があってその最低限のところまっすぐにやれば案外強いんじゃあないかと思えるが、普通の仕事が面倒な方向に流れていくケースも多い。自分の作ったものが売れなければ食べていけないが当たり前という厳しさもそれで生きていくんだからあって当たり前なのだが、その厳しさをないようにしてしまう偽善な方向はいかがなものなのだろうか。日本のボランティアでも大手ボランティアビジネス、自分の生活費を稼ぐために海外の子供たちを出汁に活動ではいただけない。
2016年10月06日
今日はお昼から東京からのお客様。ちょっと近江商人を味わってもらうため伊藤忠屋敷を訪ね、今回は初めて弊社の工場の現場と、加工工場の現場を見ていただいた。生産の工程や産地の状況なども知っていただけたのではないだろうかと思える。人生だなあと思える話もあって、しばらくお会いできなくなる前に見に来ていただけたのも良かったなあと思えたり。ありがたいなあ。

別の仕事の案件も進行がストップのものと、進行しないといけない案件とがあったり、そのほかの案件も判断がでてその判断を元に進行していく形。夜には、旅券やホテルの案件を調べるが、直行便などが消えてしまっていて選択の余地が少なくなっている。トランジットに長時間コース我慢できる人は多くないのかもしれない。私の場合待つのも案外大丈夫なほう。他に時間に追われていることすらなければ、自由な時間を楽しめる。
2016年10月04日
今日は、東京からのブランドのお客様、ニットの縫製業からブランドを立ち上げられたという。昔はブランドのOEM生産をされていたという、アパレル関連のOEM製造が難しくなって転換されたということでなかなか思い切った転換だなあと思える。縫製工場も今もあるのでファクトリーブランドとして成功しておられるということになる。

ものづくりに関しても共通的な認識があって、受注生産ということよりも目の前にある反物をどう商品化して販売していくかという目の前の課題をクリアしていくタイプで、普通のブランドのお客様とは異なる感覚。縫製をするだけでなく、プラスアルファなご自身のやりたい強い要素を掛け合わせて製品にされていて、知識も広く謳いの要素のある強いものづくり。

日本の製造業の今後の流れなども想定をされて準備もされていて自己で解決して乗り越えてゆかれるみたいなお話も、聞いていて気持ちよくなるくらい。
2016年10月03日
会合で、ハンガーの件が出て、ハンガーのフックのプラスチックな部分がエコじゃないという話なのだが、ここまでファッション業界のエコ意識はきているのかと私は驚いた。そうなると展示会でも、もう天然繊維以外は提案ができなくなるレベル。私自身、鉄やプラスチック製品も使い捨てにしなければ別に悪いことじゃないと思う。

携帯電話でも今は2年で買い替えとか壊れたら交換で、使い捨てに近い時代。日本の場合には商業エコ的な部分があるので、電化製品にしても1年の保証期間以内しか動かなくなったときの保証がなく、いまの壊れやすさは異常で、1年とかで壊れるものをつくって買い替えなさいという日本的なエコモデルのビジネススタイル。昔はすぐ壊れても海外製品だからといっていたのが、今は日本メーカーのものでも同じ、日本のメーカー物でも海外でのOEM生産であるとかが多い。

よくいわれたのが、保証期間が過ぎるころに壊れる家電製品。コンデンサーの問題だろう。今の自動車に使うコンデンサ以外は1年ちょっとが寿命のものが多い。保証期間が1年なので一年しか持たない部品を使うのもメーカーのコストダウンの手であって、昔の日本製品というと何十年も持つものだったが、今は日本製品といっても海外製品と同じ水準の部品を使用していることが多い。それが多くなると結局、何十年も持つコンデンサーの製造なんて無意味になってしまう。

古くなればゴミみたいな感覚や発想が一番エコとは違う。必要なだけを買うのがエコなのかというと最終の消費者であれば使わないものを買うのはエコではないだろう。業者ならいつか使えるときまでもっているのもエコのひとつ。その概念が日本のエコにはないのが不思議なほど。その分、商品に耐久性なども必要となってくるだろうけど、それが良いもののひとつの価値基準でもないのかと思う。
2016年10月01日
産地というのは行政もそれなりに大事にしていると思うが、産地も一年たてば一年歳を取るという状況。20年、30年前に活躍されていた方がもう仕事もできなくなってしまわれているケースがほとんどで、織りの世界においては次の世代が育たなかったことが一番の問題だろう。織りというのは織る技術だけでなく織機を調節する技術が必要で、産地にも織機を上手に操れる人もほとんどいなくなってしまっている。

もう10年ほど前になるけども、シャトル織機を10台移設してそのうち9台がまったくほど織れない。その原因が不明ということで私自身が考えると1時間で答えが見つかった。次に2台を移設したときも2台とも動かない、そのときも私自身が考えると問題が1時間ほどで見つかった。原因がみつかったのもどっちも偶然かもしれない。一年前の移設でも織機は入ってきたけども、シャトルやシャトルの管がないという動かない状態から。織機の移設というのは問題だらけから始まることがほとんどで、それを解決する力がなければ移設前よりも悪い状態になるのが普通。

他の会社でも織機を移設したあと動かないという話を何件も聞く、どこの会社でも職人さんが動かそうとするが原因を探ってもわからない場合は、動かないままほったらかしになるという状態が普通だったりする。新しい中古織機を入れてそれが動かなければ、今までやってたこともできなくなって仕事自体がジエンドのケースも多いだろう。織機を入れられて20年一度も動かなかった織機が知らずに、林与にきたケースもあり、その会社が他の会社よりも早い時期に従業員さんを少なくされ、織りを辞められた原因のひとつにつながったんだろうと思うが、弊社にその織機が来たときにそれも何とか乗り越えられた。

繊維産業を取り巻く状況は、普通だとつぶれて当たり前のような爆弾事も多い、注文が入っていても、実際に1mも織るのが難しいとかの仕事も、昨年も3件あって、普通に織れればトントンの仕事が、それぞれの仕事が糸の問題で解決に3ヶ月から5ヶ月掛かったりもした。他の仕事がまったくできなくなる。はっきりと織れない状況で納期を約束させられるのはありがちなのだが、それは酷過ぎる話。結局、問題が支給された糸にあるというのは厳しい話しである。いくら調整しても他の色は織れてどれかの配色が糸切れなどでキズなしに織れないと言う3件の問題。調子の良い織機に優先して掛けてゆくが、調子の良い機に調整を掛け、駄目で別の織機に。機場が墓場と化した。

支給された糸の問題なので織れないですめば良いけど。3つの仕事で他の仕事ができないくらいになる。使える織機も今の時代の普通に働いて幸せの生活みたいな流れだとこういう問題は吸収できない。なんとか奇跡的に解決になったからよかったけども幸運がなければこのうち二つの仕事はできないで終わった。これの繰り返しは次は無理だろう。誰が悪いわけでもないのかも知れないが、仕事を請けるだけで正しく働いていても会社がつぶれる可能性は高い。

面白いことだが、織機の問題なんかでも、昔から他の人が、違うよとか、関係ないよというところに、正しい答えがあることが多い。その織機をずっと使っている人たちが否定しても、それが原因であると思うとそれを確かめることから始める。普段仕事している人が、見えないことって多いものだから。麻の織物をするときに大事なのは糸の強弱の感覚、それが私も最初どの強さが普通というのがわからなく迷ったが、自分が始めて本生産をした日にクリア。

すごい人はもいる整経をしていた人に、織る人の品質の問題で、納期の厳しい一回勝負の仕事、織る仕事が必要で、教えるから織りなさいと教えると、その日から織機を上手に使えた。面白いことで機場の人は私が織れるのを知らないとか、ひとつのことをしている人は自分だけができると思って職人的な傲慢になりがち。機場の人たちに織れないと馬鹿にされていたところもあって、織れたのをすごくうれしがっていた。整経のバンドの始めの目合わせや巻取りの幅の設定が、一回勝負のコンマミリの感覚なんで、私は整経は一番正しく仕事できる人に仕事してもらうことにしていただけのことなんだけど、小さな会社の中でも、川上の仕事は軽く見られたりするものである。