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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年1月
リネン日記:10
2017年01月31日
今日はミラノウニカ準備日、正午過ぎに会場入りする。会場ではJFWの皆さんのほか、今回から出展される地元の企業を含む麻紡の皆さんや、富士吉田のみなさんなどとご挨拶。JOB3のブースで出展される福田織物さんも見えられ、大体のハンガー展示のイメージをくみ上げ片付けて明日に備える。

ホテルにチェックインして、夜は小雨の降る中、ミラノ市内に出る。ミラノのイタリア通り周辺のお店を散策。日本料理店が結構多いのに驚く、日本ブームなのである。イタリアに来てやはりイタリア料理を食べておこうと、ピザのお店に入るが、ピザを今の時間は焼いていないということで、パスタディナー。イタリア料理はパン。やはり、散策した後に食べたパンは、運動誘発性アナキフィラシーを引き起こす。

食事後、歩いて地下鉄の駅に戻る途中、これ以上動くと危ういほどになったので、ゆっくりと休憩しながらホテルに戻る。やはり、レストランでの食事でパンや小麦系は控えたほうが良いようである。
2017年01月30日
今日は、ミラノウニカ出発、セントレアでの午後からの出発。いろんなものがやはり今回も準備できずに出発することに、出発間際ほど、やらなければならない案件が増えてしまって、いろんな案件が前に進まなくなる。今年はミラノウニカには2名での出発でまだ落ち着いているほうではある。昨年は、ミラノウニカ出発のぎりぎりまで、留守にする間の仕事の準備に追われていて数日寝ないような状態で、ぎりぎりのぎりぎりまで私が留守にする間の仕事が回るように仕事の準備して乗る予定の電車も2本遅らせて、京都で関空行きのハルカにも乗り遅れたと思ったけど、まさかの大逆転で新大阪ではるかに追いついたから助かったというのもあった。
2017年01月26日
なぜか、今日は暖かく思える、気温は氷点下ながらも天気が良いからだろう。今、絣のベースとなる捺染しながら、織機の立ち上げ。縦糸が切れたまま放ってあるのを3日がかりで修復から始める。仕事というのは途中までやったは、マイナスで、ちゃんと最後まで出来ないとすべてが無駄に終わる。できあがるというのが最後かというと、売れるところまでたどり着かないと仕事してもマイナスなのだが、そういう問題にすべての人が気がついているのかというとそうではない。

ものづくりというのは正しく仕事してもちゃんと売れなければマイナスというのは厳しい話。それ以前の話として正しく仕事できていなければ売るのも難しい。それも分からない人だと作業するのは難しいだろう。自分がつくったものが売れるようなものでなければ仕事として成り立たせるのは難しいという普通のあたりだが、そういう感覚を持てる人は少ない。

産地で、麻織物が盛んだった理由は、琵琶湖の湿気だといわれるけど、私は一番の理由は違うと思う。昔から基本、琵琶湖側は太いもので、細くて切れやすい麻織物は山のほうが盛んだったから。琵琶湖に注ぎ込んでいた河川の水や地下水が綺麗なことは理由としてあげられるだろう。山側は冬場雪深く、隣村にもいけないような雪国。冬場の仕事として織物に精を出した。雪包まれているのが麻を織るのには良いのである。これは新潟などと同じ。昔は、それ以上に、人の要素があったろうと思う。今は恵まれた地域で、織物が盛んでなくなった理由が裕福になったこと。豊かになると働かなくなる流れになるという世界共通の要素。織物でももちろん計算もするし頭も使うがそれはものに組み込まれた世界。サービス業だとものづくりでは無料な部分がその質素倹約という、手が空いたら何か仕事を探すみたいなのが他の地域以上に当たり前だったのだろうと思う。昔のおじいさん、おばあさんたちは、時間があれば何か仕事していたようなイメージがある。わたしも時間が出来たらできていない仕事や自分がやりたい案件をしたいと常々思っている。
2017年01月22日
今日は朝早くに起きて作業開始、製造業というのは製造だけでなく販売も伴うので、よくいわれるのが、作るのに集中して販売はまかせてよといわれることだけど。作るのに集中できるほど注文を出せる業者さんがおられるのかというと、新しいものを、小ロット多品種、見本からということで、小さな仕事が2回に分かれるが注文されたい内容であることが多い。

計画的に生産してそれを販売してゆく形を独自にもっていないと、林与のような小さな会社でも回っては行きにくい。ブランドのオリジナルの新しい生地をつくるというのは消耗品的な企画だと成り立たないことがほとんど。小ロット生産では無駄も多い。たとえば、足りないとかだともう一度生産。多くても駄目。自社企画で作りこんでいくほうが在庫もできるし、販路は広がるしコントロールもしやすい。

目の前に生地があっても買わないお客さんというのは、新しい企画でつくってほしいといわれても買われないタイプがほとんど。よく聞かれるのがオリジナルでつくれますかという話。作れないことはないのだけども、試作からしてちゃんと買ってくださいますかという話になると分からないとか。歯車が合わない。作らせて買わないとかが、大手生地商でも多かったりして、そんなことがあると、在庫のものを買うなら販売しますが新たにつくっての話はお断りになる。信用枠の設定という面で、相手がお客さんでも相手に与信するかしないか。

大手商社系はブランドさんに振り回されて、相手の都合を鵜呑みでしわ寄せを自分が被らずに機屋にかぶせてくることがある。対等な関係なんだから、相手にしないほうがよいのである。最短を求められて、それで最短を答えると最悪な目にあうのも商社系、最短というのは何かあれば伸びてしまうのが当たり前で、それは十分に覚悟してほしいと思える。

以前、できないから助けてほしいといわれて協力したが、その方が二股三股掛けておられて、人間としてアウトな世界。それで、ほかでもやっておたくのが一番良いから使うんですみたいな話で、勘違いも多すぎて。協力いただいた撚糸工場さんが、同じ仕事が別から打診があってと誠意のある対応で笑える話。かわいそうなおばちゃんをおっさん連中が善意で利益も考えずに試作費用もすべて持ち出して一生懸命に支えようとしてあげているけど、それが当たり前に思われて、納期ぎりぎりで善意で他の仕事そっちのけで動いてくださった撚糸工場さんの手違いもあって、迷惑かけることになって謝ってもいるのに、最初からできないならできないといってほしいとか、言われて、最初から従来やっておられるところでもやめられる話をかわいそうに思って善意で助けるなんて商売だったら出来ないよ普通はの話。頼まれた百貨店の部長さんが話も聞いていると、私のことを気の毒に思ってくださっていたのが救いではある。新しいことなんて一生懸命、持ち出しでやってあげても成り立つことないのが普通だったりするのは、実際に責任被って動いているから分かる話で。

困っているといわれて、1ヶ月ほどで試作も済ませ、そのときも、通常の時期で、2ヶ月納期掛かるからといっているのに、二股三股かけられて、時間食いつぶして、年末年始挟んだ1ヶ月納期ぎりぎりに何とかのお願いで、撚糸工場さんに年末年始挟んで1ヶ月納期ですごく迷惑かけて頼み込んで受けてもらった話。約束の納期を守るために直送したら、あなたは確認もしていないで送ったとか批判されて、確認する時間すらもないのも当たり前で直送したのに、その意味すらわからないと駄目。助けようとしている人を撚糸工場さん含め酷評される温度差がありすぎて、私自身1円ももらわないで、百貨店の部長が、エコなことやっておられて、できなくなって助けてあげてほしいといわれて、善意だけで、糸代金や撚糸工場に4点の試作費用も自腹で払って、それでいてその方がそのあと、三股かけてはアウト。業本位でやってられる方というのは無情だなあと、エコを謳いにされてブランド展開されているけど、考え方からして隠れて二股三股進行で当たり前というのも、あなたのが一番良かったから使ってあげるみたいなのもエコじゃない話。そのかたも、別のグループの関係で私が関係しているグループに接点もたれているけども、価値観からしてご推薦すらもできないのである。困っておられる方を救おうとすべての費用を被ってまで動いた私の価値観が間違っているなら、それはそれでその困った方のいわれることが正しいで、最初から一切協力もしない話。試作だから今回試してみるだけなので少量とか受けて。

たぶん、関西の実際に費用と責任も被って繊維業界を善意で業としてとか損得も度外視で育んで守り立てようと動いているグループに関係され始めると分かられこともあるんじゃないかと思える。自分の会社のことじゃなくって、みんな持ち出し覚悟で日本の繊維業界をもりあげようとやっているのが実情で、自分だけの損得考えての話すらもがアウト。仕事にしても業界を支えていくという自分が損覚悟で動かなければならないことも多い。自分が企画したいならすべての責任を自分が被る覚悟も必要で、私も、自分が企画したことは、最後、染色工場を正月三が日15万払って借りてまで解決している。その染色工場も水代ほしいといわれて、使った水代って千円にも満たないだろ、3日で設備と染料2万円程度の費用も含んで、正月三が日だったら使わないので大丈夫問うことで、使わせてもらったが、水道代がとか、大手証券会社に勤めていた子供が今、コンタクトレンズが原因で治療費が掛かって困るとか、私にそれを助けてほしいも困る話。お前いい加減にしろというレベル。

どこまでもつけ上がると覚悟決め手掛かる費用以上に払っているまともに動いているものを食いつぶす世界。繊維業界がエコを謳いにされていても、自己犠牲も覚悟しない、損得だけの偽善レベルでエコを謳いに利用で成り下がってしまっては、消費者のエコを支えようとする気持ちすらも裏切ることになるので書かせていただいた。現実的な問題だが、ブランド名すらも伏せさせていただいている。助けてほしいと頼まれた百貨店の部長がいきさつは聞いていると申し訳なさそうに考えてくださっていて、本当に男はつらいよの世界。出来ないなら、最初から相手にしてほしくなかったといわれて、自分が損得度外視でかわいそうな人を助けようとすべて被ったことすらが間違い。プロがそれじゃ駄目ですよとかいわれて、その方の考え照られるのが業本位の人情すらもない世界なのかと気がついた。

私自身は、こんな無理しながらも、全国の善意のシャトル織機の移設の件でも成り立たせていただいたので、私が全国のみなさんから善意をいただいた部分は他の方にも私の出来る限りの助けはしたい。業としては異常かもしれないけど、それなりに覚悟のある困った人がいれば自腹も切る覚悟で、私を助けていただいた善意の皆様と同様に、できるかぎりは助けたい気持ちはあったりいたします。自分自身が覚悟がない困った人もおられたりしますが、そういう方は、自分で解決していただくのが良いのかとも思います。やる気がなければやらないほうが良いというのも正しいかと思います。
2017年01月21日
今日は寒い、昨日、事故の際に免許証を財布から出して、そのあと車のどこかにおいて、財布の中のものを全部出して調べた。今日は、エアチケットを予約しようとして、法人クレジットカードがない。クレジットカードを使わないと航空券が取れないし、また、補助金の関係で会社名義の支払いが必要。法人クレジットカードを使う必要。交通事故の際にか、レッカー移動のあとディーラーで車の中のものを出したときにどこかにやってしまったか?とりあえず、クレジットカード会社に紛失の連絡。

昨日をとめることができるけども、再発行するのには、1週間から10日掛かるとのこと、イタリア行くのに間に合わない。ホテルなんかもそのカードの番号で予約してあって、現地払い。カードが無効化されると、予約自体が解消されてしまう可能性も高く、不透明なことが多すぎて、月曜日まで探してみるということに、するとそのあとすぐに見つかって、ほっとする。結局2時間くらいロスしたか。

航空券を取るのにも、補助金が絡んでいるので、いろんなシュミレーションをしてプリントアウトなどもして記録をとっておく。いまだと、2月15日締めで、3月10日払いで、年度内の処理が可能で今年度の補助金のルールを守ることが出来る。この作業も2時間くらいかかったか。寒い中であわてて仕事していて、工場の作業に戻るが体が冷えて寒くて、今日は早めに休んだ。
2017年01月20日
今日は補助金の提出締め切り、午前中から最後の資料のまとめをして、謄本を取ったり、午後3時が締め切り。すこし余裕を持って1時半に出発。途中、信号のない交差点で、四車線の白い実線が交差点内も高速道路のようにすべてのレーンに通った優先道路で、一方通行の路地からトラックが渋滞で止まっていて死角にもなっているのにその四車線を右方向から突き抜けようとしてきた車にぶつけられた。締め切りの15分くらい前だったので、先に警察にその旨も連絡してコラボに提出。現場に戻って警察も来てくれていて事務的に処理は済む。日暮れも近く、右側のライトが破損しているので保険会社を通じてレッカーを呼ぶ。修理には時間が掛かりそうである。

四車線の優先道路を走っていて徐行義務もないのに、次の交差点の信号が赤というのともうひとつの要因で注意もしブレーキも踏んで、相手の車が見える前から速度を徐行並みに落としていたことが幸いしている。それが青だったら、速度を緩めていることもない、事故はもっとひどかっただろう。相手が怪我するようなことだと、補助金の提出もできない話になっていたと思う。

仕事でも物損事故というのはよく起こる。作っているものの失敗とかも結局は作業者の不注意が原因となることが多く、被害に関しては交通事故のようなもの。また、織機というものは、使っているものが危険であるという要素をしっかりと認識していないと、その認識していない人が怪我をする。私でもシャトル織機を使うときには、万が一を考えてつねに周りに居る人をシャトル織機の横側から完全に退避してもらって動かす。自分が上手だと過信して自慢げに動かすなどはなく、そういうタイプが一番危ない。工場見学でこられる方にシャトル織機が動く様子を見せようとすると、シャトル織機というのは一台一台に癖があるので、シャトルが飛ぶスピードも異なる。麻糸は切れやすく、切れた糸が織り前の開口を妨げると、そこからシャトル織機が飛び出す可能性がある。

以前、養護学校の学生さんが動力でシャトル織機で織物を織るという計画を聞いて、リネン日記に危ないと否定的に書いたのも、やっておられる方のやられようとすることを邪魔するつもりはまったくなかった。実際危ないからアドバイスなのである。シャトルが飛び出すのみても、何が起こったのかわからないほど。飛び出すシャトルから逃げる方法はない。シャトルが体に当たったで済めばよいが、先がとがっているのでかなづちのとがったほうで思いっきり叩くよりダメージあるだろう。私がシャトルの使い方を教えるときにも、必ず、シャトルがしっかりとボックスに入っているか確認が出来る人でないと、シャトルの初速が付かないので、反対側で半たたきになり、飛び出す可能性が高い。織機が悪くなくても使う人次第で危険が増す。

ちゃんと確認が出来ない人は危険すぎて織りの仕事は辞めてもらうほうがよいというほどの判断しているので、養護学校の人だからという話でもない。なかには、養護学校の人でも使える人も当然いると思うが、一般の人でも正しく確認作業できる人というのは何人かに一人なのである。養護学校の人でも、何人かに一人だと思う。シャトル織機をみんな正しく使えるということは、全員が常に正しく確認毎回できるかというと、人というのは慣れれば慣れたで、大丈夫大丈夫の人も多く、なかなか難しい話なのである。私は使い方を教えるときに、シャトルがしっかりはいっているか、くどいほどに確認しろというが、それを馬鹿にする人もいたりして、そういう人が一人でもいると危なさが他の人にも広がるので、辞めてもらうのが正解と考えている。

シャトルが飛び出すのには麻織物特有の問題もある。縦糸が強く張りすぎるとシャトルが飛び出すとか、綿だと伸張性があるので強く張っても大丈夫だけど、伸張性の少ない麻糸は、織り前が後退して織り辛くなり、シャトルが飛び出す原因になる。そこまで行くと、だれも何が原因かわからない世界だと思う。一見、どこにも問題ないけど、縦糸の張りが強いという微妙な感覚に気がつかなければ、他をさわって直そうとすると織機自体のバランスが崩れる。そのあたりはもはや理論とか経験じゃなくて、ものごとを正しいかどうか正しくみえるものでもいつもと違う何かを探すために確認する感覚があるかないか。
2017年01月18日
原発事故で、甲状腺がんを発症した東電の社員に、2年半たって労災が認定された。本当に国って、身内が絡んでいると労災も不透明な理由で認定したがらない、むちゃくちゃだよなあ。人の命とか考えていない連中が労災をつかさどっている状態では労働者も守れまい。所長も事故後すぐに癌で亡くなったけど、原発事故とは無関係とされた。体内被曝は1000倍といわれる。5年経たないと因果関係がないとか、素人すぎて。所長の場合は、労働者じゃなく役員だから、原発推進の当事者でもあるから自業自得で切り捨てるべき存在なのだろうが、あれが原発の死に様であるのは国民が見たけど、国とかは否定。薬害エイズから体質は変わっていない。因果関係がないと切り捨て、ギャップがある。

国の責任は重大で、メルトダウンを隠して放射能漏れを隠匿した。国が、現場で作業していたものたちの命を考えていないどころか、住人の命すらもないがしろに考えている。処罰されるべきだろうと思うが、チェルノブイリでも放射能漏れを隠匿しなかったのに、日本は保身のためにそれをやって、まだ、因果関係すらも認めない。今回も、労災を申請してから2年半、厚生労働省や労働基準監督局の対応を考えるとその社員が死ぬのをまっていたのだろうか。悪質すぎる。

年金と同じで、労災の保険料が正しく運用されているかどうかすらも不透明なのであって、いざというときに払わないような労災では、労働者の命や健康が報われもしない。結論ありきのお抱え専門家の判断というのは、素人判断未満なのだが、それで切り捨て。原発とがんの因果関係、所長を含めると2例目だぞ。癌の発生率が、すごい確立なんだけど。短期間の甲状腺がんの発症の因果関係を一生懸命に否定しているが、そろそろ、体内被曝という常識を持つべきだろう。水俣病や薬害エイズと同じレベルの厚生労働省の対応、本来、国の大臣クラスに厳しい指導が入るべき問題である。

原発事故で典型的な甲状腺癌になっても因果関係を一生懸命に否定して出し渋る労災保険って、運用している連中がひどすぎる存在。国が放射能漏れを隠匿したことは、殺人行為に匹敵するだろう。国のメルトダウン隠匿による被害なのに罪悪感すらない、認定してあげたみたいな対応。最悪な厚生労働省、国民の厳しい目が必要だろう。企業に対して労働者の安全をとくものが、労災の保険料まで取っておきながら労災認定をしぶる対応、労働者からすると罪悪感すらもなく詐欺行為を国がやっているようなもの。申請から認定に2年半というのは迅速さに掛け、だれがそんな法律違反やっているんだ。放置して申請者が死ぬのを待っていたとしか思えない。東京電力は労災申請を手伝っているから原発事故との因果関係を認めているのだろうが、国が原因となる犯罪を犯したからといって、それを認めない姿勢駄目だろう。労災をつかさどっているものが、自殺事件で叩かれている大手広告代理店と同じ対応以下では駄目なんだよなあ。
2017年01月17日
時間に追われての捺染、なんかちょっと失敗が多く、捺染というのは正しいものを仕上げるためには、それなりに正しい設備と時間が必要だなあと思う。でも、デザインして型紙捺染で型を彫っても、半日もあれば一柄できあがるという林与のスタイルは、インクジェット並みのスピードで、外部に依頼するスピードの何倍も速いと思う。色が多いと、色出しに時間が掛かるけどもずばりをつくることが目的じゃないからそのあたりはアバウト。

色を出していくときに、色味だけでなく、濃度の問題が重要になってくる。その辺りも、今回は試作向けということでアバウトで、濃いかなあと思うことが多いがGOしている。最終は、絣に織り上げるので、たてが白だと、横糸の色が半分に薄まると考えると濃いくらいの色のほうが仕上がったときに、現物に近くなるだろうという計算。

型紙を彫るのは、デザインカッターでするのだが、これが、子供の頃に年末の大売出しのときに一日中没頭したテキヤのガムの型抜きに似ている。やってて、何時間やってても苦痛じゃなく、はまっている。一番時間が掛かった型は、やはり大判のもの。型紙を彫るのもあとで機械を使うなどすると効率化はできるので、シルクスクリーンの場合には基本アルミ枠につけないとならなく枠のコストや場所が必要だけど、型紙捺染の場合にはそのまま版を保存できるので悪くはないと思える。大きい版の場合にも型紙のほうがメンテが簡単かもしれない。

それ以上に型紙捺染が素敵だなあと思うのは、ゆらぎ、シルクスクリーンのようなシャープな感じじゃなくって味のあるラインに仕上がる。たぶん、シルクスクリーンだと絣には向かないかも知れないなあと思ったりする部分もあるが、その辺りは実際に試して違いを見てみないと分からないところがある。海外からアイロンで固着させるタイプの水性顔料も手に入れて試してみたが、糸への色の乗りの悪さから染料を使った染にしたが蒸しが必要だったりと手間が増えるがトータルとして良い結果が出ている。
2017年01月15日
雪の中に閉じこもって仕事。私自身は近江上布を育んだのは琵琶湖よりも雪深かったことではないのかと思っている。というのも、滋賀県でも、細い緻密な麻織物は山で織られたというのが定説である。琵琶湖の周辺での織物というものは粗い織物が多かったといわれている。琵琶湖の周辺の生活というものは、私の母親の親元は農家であっても、川魚や琵琶湖の魚など水産業が副業であったりした。同じ、滋賀県で、車で30分琵琶湖に向かって走ると水や水辺を中心とした生活がある。

山側というのは木の生活で、そこには、麻という植物も含まれていて、夏は農業、冬は織物という形。林与のある場所も山とはいえない、山と琵琶湖の間の辺り。農業でも、水利からしても山に近いほうが稲作には良いのであった。今の琵琶湖周辺一体は戦前は沼地っぽいところが多くて、戦後の人口の増加に伴い、干拓され農地になった地域である。

戦後においても、夏場農業をして冬場にする仕事がない状況で、村人たちの生活の支えとなったのが織物であった。林与の住む集落の名前も、東円堂ということで、文献によると西暦700年代には、相当裕福な村であったことが書かれている。弥生時代のあとに条里制がしかれて、都のような碁盤の目に区画が整理されていた。たぶん、その頃に1村50戸ができあがって、そういう村が点在しているのが林与のある地域で、なぜ裕福だったのかは、律令制度の影響も少ない寺領だったということがいえよう。

近江で、明治以前に牛食が許されたのも、寺領であって律令制度の影響を受けていないかったからというあたり。その一方で、神仏信仰が全国でも一番くらいに強いといわれる地域であったりもするのもその名残であろう。織田信長の安土城も車で30分くらいだが、織田信長というのは私の住む地域では何も語られることはなく、寺を燃やしたとか悪い話が多い。

近江牛ついでに、鮒寿司という文化がある。子供のころは、家で漬けた鮒寿司というものは臭すぎて風邪をひくと食べさせられた。今では高級品であるけども、あの臭さこそが本物の鮒寿司だと思う。腐ってないというより、腐った匂い満々の鮒寿司。日本最古の寿司も、近江から始まっている。
2017年01月14日
今日は、底冷え、年末からこの2週間ほど正月もなく型紙捺染を四六時中。ほかのことが手がつけられないほどにはまって、一つの柄をつくるのにも、何度もやり直して、この2週間が1年2年の感じ。染を本格的にやるのは数年前に、正月3日間、京都の染工場を借り切って朝から晩まで作業をして以来。あの時は、サンプルを試作してくれた人が音信不通になって自分で本番を染めないと解決しない話。

昔は、林与も横糸に捺染していたので、柄をプリントするプリント工場と同じ側面があった。近江上布というのは、横糸に捺染したものを一本一本柄をあわせながら織り上げるのが近江上布絵絣。産地の機元とよばれる機屋は染の現場も工場内に持っていたのが産地の特色でもあった。近江上布の機元を構成したのは麻組合の湖涼会を形成した六軒の家で、林与もそのうちの一軒であり東円堂という村の産業として近江上布の生産を行っていた。戦後の一時期も村の多くの家が林与の仕事の近江上布を織っていてくれた。

たかだか、50年ほど前の話なのだが、それを知っている人も少なくなり、もう遠い昔のような話である。今、林与が、広幅の絣を織るというのはおじいさんの頃の時代に戻る。会社にも、基本、私一人しかこういう新しいことを出来る人もおらず、先生も居ない。薬剤メーカーの説明を聞いて、自分でいろんな染料や薬剤を試してみて、うまく染める方法を見つけ出すだけのこと。おじいさんの頃にしても同じ感じだったろう。今日は虹の模様を手がけている。ストールとして羽織るだけでも優雅な気持ちになれる。

3日に一つ柄を生み出してゆけるようなものづくりが復活できないだろうか、広い幅で、1年に120柄の復活が可能になる。日本の麻織物の歴史が巻き戻されることになる。そういうものづくりにたどり着ければ、林与のものづくり世界でも一番面白いと思ってもらえる人多いんじゃないだろうか。出来上がるものは商品というよりも作品というか、絵画に近く、身に付けることができる芸術品。