2017年06月10日
仕事には単純な作業と創意工夫の必要な作業があるけれども、時間を使うのはどちらかというと単純な作業で、それを正しく出来る人が少ないのが繊維業界における人材不足の原因だろうと思う。教育が整うと仕事をできる人が少なくなるというのもよく分かる部分がある。教育というのは手品の種明かしを教えてもらっているようなもので、自分がマジシャンになったかのような錯覚に陥る。マジシャンを目指すような人が増えるのであるが、繊維産業というのはマジックではないという問題で、マジックであったとしてもそのマジックをお客もいない状況で一日に何百回と正しく実演するという作業なのであろうと思う。
物事をする前には、多くの人が、教えてもらったらできますということを言う人も多いのだが、言うは易し行うは難しというようなことに直面することも多い。ファッション関係の方にお会いすると、よい素材を使ったこだわりの商品を作ろうと考えているというプランを聞くことが多いが、何か余っている処分するようなものを安く分けてもらえませんかなんてお話をされる方も多く、ものづくりのスタイルがガラッと変わらないと、そういうものづくりのポイントというのが、自分が譲らずにほかの人に譲らせての商売であるあたりで、自分が一番ほしいものしか買わないのにそういう想定から話が始まる人が多い。
これも一回のマジックで成り立たせようとしている節を感じるのである。小ロット多品種型のものづくりというのは、複雑なマジックを単純作業のように淡々とこなしていくところであるのだが、一つの仕事を進めるのにも迷いがあるようなスタイルではそれは難しいだろうと思う。困るケースが、商品企画を始めようとしているのだが自分は初めてなので教えてほしいという話とか、私自身でも自分が商品を企画するときには時間やお金を捨てる覚悟が必要なのだが、そういう覚悟も無く人に尋ねて商売を成り立たせようとしている方が多く、手品の種明かしを教えてほしいというレベルで、そういう安直さは、一日一回の手品で成り立たせようとしている感じで、お話の相手をさせてもらうのも本当に疲れる。
林与のリネンストール生機はプロの方が多く使ってくださっているけども、細かい説明すら必要も無く、皆さんが自分なりの創意工夫でストールを作られているのに、プロで商売としたい方が自分でキバタを買って試しもせずにストールビジネスを展開しようとされているあたりが、今の日本のほかの人にこだわりを求めるこだわり企画の典型であったりする。オリジナルとか難しいものというのは、一回で成功しない可能性も高いから価値があるけど、普通の商品のような感覚で扱うと難しいもの。
日本の麻織物の本場近江湖東産麻布というのは、私が携わった20年前でももう産地の麻の組合の会合ででも、麻布を織っているところは林与だけだと言われていたほどで、私が当たり前のことが特別だというのがびっくりしたほど。林与はそれからも麻織物路線を貫いているので本場の麻織物の濃さを凝縮して、世界にPRできるような日本の麻織物の究極的な部分を商売でなく、自分が自分で作って食べていくという商売の基本の部分として提案をしたいのである。
世界の最高峰が、自分が自分で食べていくというあたりにたどり着いてしまうのが、一般的には矛盾すらに思えるのだろうが、世界でオンリーワンが食べていけるのには普通であって、ハリスツイードでも日本が85%の力で支えているから成り立っているだけのこと。日本の力がハリスツイードを支えている。私自身がハリスツイードが、ちょっとやばいと思うのも、本当のプロの方ならあれは昔ながらの手織りじゃなく、存続させるが為の手織りじゃない人力を隠した危うい日本向けのラベル商法になりつつある。ハンドヲーブンではまったく無く、動力を自転車的な人力でやっているだけのまやかしに過ぎないのが、ラベルに依存した手織り?今なら、ソーラーパワーでもハンドヲーブンチックで売りになってしまうビジネスライクなハリスツイードの感覚で残念に思ってしまう。努力はしておられるのだから、人力ということを謡ったほうがよいと思う。
日本の百円ショップに並ぶハリスツイード残念なのかもしれないけども、日本の百円ショップしか生き残りの道がないのも世界的にみたプラグシップすらもが日本の百円ショップに頼るような繊維ビジネス。100円ショップで有名な日本資本の企業が世界の繊維ビジネスまでも支えるがビジネスライクで無味乾燥なものの変えてしまう。100円ショップに並ぶものがハンドヲーブンなのかを考えると日本の感覚からすると、動力を人力自転車にしてが現実で世界に有名なハリスツイードが成り立っている現実は、手織りを謳うこと事態が日本の繊維業界の基本的名基準からして外れ始めていてビジネスライクといわれるハリスツイードのハンドヲーブン自体が偽装レベルで危ういレベル。動力を人力自転車だと手織りを謳えば、食品業界なら回収レベルのラベリングで日本でそれをやったらアウトだろう。それが日本の繊維関係の化かす商売そのものであったりする。本当の手織りが100円ショップに並べられるのかというと無理なのを、日本では世界的には有名なハリスツイードすらもが無理やり手織りを謳ってしまって厳しいのが日本の繊維業界がモラルを越えたビジネスライクなところ。日本以外ではハリスツィードもあまり評価がないのも日本だけで化けてしまっているという100円ショップでお値打ちな怖さがある。
アイリッシュリネンも同じなのだが、日本の商社がブラックボックス的に化かして、やっている本人たちは人力自転車だろうが精一杯なのに、それをなぜ、昔ながらの手織りのイメージで売ってしまうのかは、日本の扱う商社の問題だろう。動力を人力で取るだけで手織りを謳えるなら日本の手織りは全滅するだろうと思う。ハリスツィードの人力も残ってほしいが、あの昔ながらのラベルの使用は本当の手織りの人を潰してしまうのでやめてほしい。人力でもそれは本当に評価するべきところだろうけど、手織りを謳うには無理がありすぎで、他国では評価が低いものの85%が日本に流れているというのもそれがあるからで、ブランドの謳いそのもの偽装では駄目だろうと思う。100円ショップだけでなく、百貨店でもハリスツィードは手織りとして昔のラベル、有名どころすらもが、日本の織物基準で大丈夫なのかと思うところ。それが大丈夫なら織物業界の手織りの定義すらもがすべて変わってしまう。ペダルミシンで縫ったものを手縫いといってしまうのと同じレベル。ハリス島にも昔ながらの手織りがあるはずで、それは本当に希少なものだと思うし、ハリスツィードが食べていくために本来の手織りをやっていけないなら、あのラベルは偽装につながるので、新しいラベルを作るべきだろうと思う。hand-wovenから、humanpower-wovenに変えて、85%が流れるという日本の消費者に対する手織りされていると思わせる部分をなくせばよいだけだと思う。