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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年8月
リネン日記:9
2017年08月30日
困ったおっさんというのは近所の先代世代の一人の方。昔織物をされていて残った糸をもっておられ、明日私の家に持っていくから、2万、3万くれたらいいとか、勝手な話。まったく駄目な話で、あかん、あかん、と断っても、勝手に自分で決めておられるのか、明日持ってくるというので、近所のおっさんをいい加減にしろと思いっきり叱る。それで、まだ、つぎの朝、私の家に電話してきて、私が突然、大声をだしてどなったとか自分の悪行を反省もせずに、同年代の私の母親に私が悪いかのように説明したそうで、こういうおっさんの悪行に対しては70過ぎた年配の方でありながらも人に迷惑を掛けさせないような躾が必要。

コンサートのメンバー紹介でソロの演奏を止めず、ほかのものを扇動して乗っ取ろうとした一人の中学生がいて、指揮をしていた有名なトランペッターがオウフクビンタしたことがこの件と重なる。自分だけのことしか考えない人というのはいるもので、普通の感覚がない。小さなころから躾がされておらず、制止が利かないのである。今回も指揮者がビンタを含んだ指導をしなければ、この子は気がつかず、余計に自分がコンサートを乗っ取ってやったと勘違いモンスターになるだろう。本当なら教育委員会も絡んでいるので、こういう場をつくっている教育委員会のものが迷惑を掛けないようにこの子を制しないといけないが、そういうのをとめられるほどの判断力もなくこういう子を作り上げてしまう。

以前も書いたけども、小学校にミシンを教えに行ったときに、女の子が一人ミシンを準備していて、準備できた段階でそれを遊んでいた男が取り上げる。とんでもない学校だと思ったが、親と先生に問題があるのはしかたない。その女の子が一番最後チャイムがなってから作業を始めて、それを5分ほど応援をしたが、その子もあせってしまってうまくできず、家で縫うということに。校長室に行くと、まずいわれるのが、給食時間なので「時間を守ってほしい」と、子供たちが「お腹を空かせて、親から文句いわれます」からと。駄目だわ、この学校。かわいそうなのはまともな女の子で、だれもその女の子を救う大人がいない。校長をしかるべきかと思ったが立場上止めておいた。悪がきと校長は同質なのである。

次の年、またミシン教室で別の小学校に行くとまたその校長先生で、訳がわからなかったが。校長の態度がまったく違う。校長をとりまく環境が違って、その校長をそれでは駄目ですよと叱咤するようなおばちゃん先生がいて、自分の子供を育てるように正しい教育を子供たちに与えていた。引退間際であろう校長が教育されていたように思う。正しい姿勢にももっていけない学校が存在しては世の中の迷惑、一番の被害者はその指揮者だろう。10分以上も我慢していたし、それでも続けたので、止めるために、自分が貧乏くじを引いたように思う。それをしなければ、ほかのまともな生徒も大人がこんな子を放置してしまうから社会不信で正しく生きられなくなる。どうしようもない子を擁護するものがその子の面倒をみられるのかというと、面倒もみないものがいい加減に問題から逃げているようなことばかりなのに、面倒をみているものに説教とかが、ありがちなパターン。
2017年08月23日
まだ先の話になりますが、冬休みのインターンの募集をいたします(書類選考あり)。平成29年12月から平成30年1月の2週間から1ヶ月です。募集人数は1名になります。候補が決定した場合には募集は終了いたします。

募集対象は、大学あるいは専門学校の学生。内容ですが、チーズワインダーでの糸の分割、整経準備、整経作業、経繋ぎ、製織作業、検反、補修作業、出荷作業など、織物工場での作業内容全般を手伝ってもらう中でマスターしてもらいます。詳細などに関しましてはお問い合わせください。

2017年08月22日
ここ数日、夏の夕方らしいにわか雨。実は、この10数年、子供のころには夏らしいはずのにわか雨が、遠い昔のことになってしまっていて、今年の夏というのは子供のころの昔の夏を思い起こさせる。にわか雨の降った後というのは気温と湿度が下がって爽快な気分になる。

地球温暖化も雨が降らないことが原因の一つだろう。ダムをつくって川の水がなくなったことや埋め立てをして沼地をなくしたことなどが乾燥をもたらし、水の循環をさえぎる要素となってしまっているのではないかと思う。木や草というのは水が形を変えただけのようなもので、木が生えていることで地球温暖化は防げるだろう。二酸化炭素を酸素に変えるからというのではなく、太陽の熱を水が気化することで吸収する働きの部分で。
2017年08月19日
今日は地蔵盆。車で出かけるといろんなお地蔵さんが飾り付けられているのが見られる。今がどうというよりも、子供のころの地蔵盆の思い出が蘇ってくる。小学校の夏休みの一番のイベントが地蔵盆だった。包含集めも、考えてみると田舎社会の大人へのステップだったんだろうなあと思う。今でも田舎では村の行事でお金を役が当たった人が集めることが多いから。

また、一方で、地蔵盆の包含集めというものは自分のやりたいことのために資金を募るというビジネス的な要素を兼ねていて、各家を回って包含を募り、包含というのは、田舎のことなので子供が回ってきたら上げるのが当たり前という暗黙のルールもあるが、各家ごとに金額は自由で異なるので出資に似ているところがあって、そういうのを子供のころに経験している子供というのは自分が物事をするときに人々から資金を募るのに慣れているということがあるだろう。

まあ、もちろん払わなくてもよいので払わない家もあろうが、子供が現実を知るのも大事。社会の法律やルールとは違うところで、自分たちのやっている物事が成り立っているという要素も知る必要はあるだろう。すべてが自分の思い通りに行くとそれがすべて正しいと思いがちだが、考え方によって、いろんな正しいがあることを知るのも大事だろう。法律がすべてではないというのも大事な要素。

あと、回りまわって、自分がしてもらったことをほかの人に返すという要素も地蔵盆にもあろう。子供のときに包含をもらいに行ってもらってうれしかったので、子供が包含をもらいにきたらあげたり、地蔵さんにお供えをしたりとか。

お地蔵さんというのは、水子とつながりがあろう。子供の仏さんを子供が一緒に遊ぶことで供養するという要素があると考えて正しいのだろうが、子供のころそんなことは地蔵盆では一切考えなかったけど、死産や子供の病死などが多かったことの名残でもあろう。地蔵さんにしても、はっきりと彫ってあるものもあれば、お地蔵さんっぽい石が地蔵さんになっている場合も多い。私の家の前栽にあるお地蔵さんはお地蔵さんっぽい割れた石だったりするが、そのほうが自然の産物なので人の作ったものよりも本物っぽい気がするのである。
2017年08月17日
関西地方も、ここ数日は暑さも落ち着いてきたが、関東や東北では、雨が続き冷夏っぽいと聞き驚く。暑いのが関西だけというのは、関西と関東だけでも大きく違うのだなあと。関西圏よりも関東圏のほうが、高級アパレルの消費量は何倍も異なるので、今年は夏物は苦戦なのかも知れない。東京では、8月の雨としては、17日連続の雨らしく、雨が降っていてはお店に出かけて洋服を買おうという気分も半減だろう。

先日、地元の工場の社長さんから電話をいただいて、どこもが仕事が少ないというお話。林与の場合は人が足りていないので例外なのかもしれないけども、今まで元気に仕事されていたところも仕事が少なくなってきたようで、そうなってくると仕事が戻ってくるかどうか心配なところ。元気に仕事している状態というのは安定した先が仕事を約束してなりたっているようなところが多く、それが陰るとほかの別の人がその分の仕事をその会社にもたらせるかというと難しいケースがほとんど。それが仕事の波というもので、仕事はあるときにやっておかないと常にあるものではないからというのは、林与の場合には仕事のないときには仕事がないので仕事がほしいといわれると在庫を積む苦しみをも経験してきたのでよくわかるところ。

昔は、余力のあるところが余力をほかに回してその産業を支えてきたものだけども、繊維全体でそういう余力をもった企業がわずかに残っていたとしても、今年のアパレル不況は、そういう余力のある企業の本体すらも揺るがすほどに厳しい状況。そういうのを地元の元気な企業さんの仕事が尽きてきたという話を聞くに、一般のアパレル不況の話と整合していて地元にはやや時間差で到着するものである。そういう時間差の問題は、私が店頭が厳しいなあと思っているときに、私も含む、いわゆる川上の業界の方と話をしていても、そんなことはないと強気でおられるケースがほとんどだったりして、1年、2年後にその波が川上に到来したときには、毎年と同じように仕事をしていても成り立たなくなるような状況に陥ってしまう。冬眠ができればよいのだろうけども人を抱えた製造業というのは冬眠も難しい。

世界的にはリネンという素材は、エコの流れと温暖化の流れで、安定的に成長をしているといわれているが、リネンという素材は長持ちするだけに、一巡すると世界規模のブームでも過剰モードに入って新規の需要開拓が必要となるだろう。リネンなんかでも、過去数年は布帛よりもニットが好調になったのもそういうことなのだろうと思う。また、ニットも落ち着き始めて国内では大手がリネンニットから撤退されたという話である。旬な話というのは、その次の年にはまだ旬かもしれないけども、2年後には、飽和して時代遅れだったり、過当競争で成り立たなくなっているのが、ファッションビジネスの怖いところで、旬を生み出すような企画力や行動力が常にないと旬を満喫することは難しいだろう。

地場産業では、人的要素からしてもそういうのに対応が難しいことが多く、新しいことをしようとしても付いてこれないことがほとんど。人が変われなければ人を変えないと存続が難しいということで厳しく聞こえるかもしれないが、地場産業が花形だったときには人というのは変わってきたもので、変われなくなったでくの坊が企業を形成し外の環境変化に適応できなくなっては消えてゆくしかないだろう。残す軸は残しつつ、別腹で新しいものに挑戦をして活路を見出すしかないのである。別腹だけで生きてゆこうとすると成功してもそれこそブーム程度の短命に終わることがほとんどで、軸を残しつつ新しいことを広げてゆくのが大事であり、それが生き残る力というものだと思う。
2017年08月15日
今年のお盆も仕事モード。ご近所が帰省されているので夜だけは早めに織機を止める。織る作業というのは織物の工程の中でも一番時間の掛かる部分、特に、麻織物の場合には織る作業が一番時間が掛かる。1時間に1mくらいしか織れないものが多くそれを積み重ねることで何百メートルとなる。マラソンが2時間ちょっとの戦いだけど、織物は、林与の中でやっているひとつの作業工程がぶっ続けでやっても8時間以上掛かることがほとんど。整経の準備もそうだし、整経もそう、巻き取りは2時間くらい、経て繋ぎもそう、織り始めても1時間1メートル、2メートルしか織れないマラソン。

お盆というのは先祖が帰ってくるといわれるが、その帰ってきたときに織機が動いていたら一番幸せなんじゃないだろうか。日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産地で風前の灯となってしまっている麻織物。ときどき、川に大きな鷺のような鳥が舞うと思う、ほとんど雀すら見かけることもなくなったのに、すごいなあと。また、機屋というものは花のようなもので、それに舞う蝶がブランドさんだったりするのだろう。蝶は花を求めて飛び回ることができても花はそこに咲くしかない。蝶にとっても花は必要だが、蝶がいなければ花は咲くことができないところも似ている。織物の作業というのは地道な作業だが花のように華やかな部分もある。

実際には、織物だけじゃないだろう。製造業やその製品そのものが消費者にとっては花のようなものなのだろうけども、その花が咲くことが少なくなってきたのが日本。海外から花をもってきて消費者に選んでもらうのが主流になってしまっている。先日、ある方との話の中で、自分があるのは先祖があってという話、本当によくわかるのである。私は仕事の中で先祖や親類、地域とのつながりを一番感じ、それを一番大事にしていている部分がある。普通だと仕事の中でそういうのを感じることは少ないだろうから、仕事でそれを感じるのは特殊なケースなのだろう。
2017年08月07日
今日は朝テレビ局から電話が掛かってきて、老舗でおかみさんが支えているような企画を考えているということで、うーん、林与には当てはまらないなあと地元の他の会社さんをご紹介した。地場産業系の企業で度々聞くのが、身内は働いてもらうのは難しいという問題。

おかみさんが切り盛りされている感じの縫製の会社が近くにも2つあるがうまくやっておられるなあと思う。80近くになられても毎日仕事の指揮をしっかりとされていてぶれる要素がないのだろうと想像する。
2017年08月06日
台風5号の特徴は2週間以上の寿命を持つ長寿台風うであるということ。なぜこんなに長寿なのかというと、強い高気圧が日本の上空にあって低気圧である台風が上に上がれず、行き場がないからということらしい。台風が来ているというににまだまだ暑いのも、今年の夏は本格的だからということだろう。

2017年08月02日
今日は午前中、家でまったく使っていなかった窓に取り付けるエアコンを工場の1Fに取り付ける。外が30度を超えて工場の中のほうが空気が詰まって暑いような気がするので、空気の循環を生み出したかったので。平成元年に工場を建てたときには、水を噴霧しファンを回して冷たい空気を送るエアコンが工場に付いていたのだが、水がダフトの中にたまる問題があって使わなくなった。外の空気が中に入れば涼しいだろうと思って今回取り付けた。

一ついえるのは、エアコンというのは空気中の湿度を奪うので麻織物を織るにはあんまり良くないだろうということ。冷やさなくても、消費電力が、1kwhのタイプなので気休め程度に外気を中に取り入れる目的で使えばよいだろうと考えている。

今は、織機そのものもだが、織機があっても織機を動かせる人がいないという問題が存在する。織機を動かそうとするとボタンを押す作業だけでなく、織機を調整する必要があり、うまく織れないときにはうまく織れるように調整が必要で、問題のない反物が織れないとならないのだが、麻というものは不規則で伸度が少なく、何千本の糸が並ぶとそれが一本でも切れると織機は止まる。

同じ天然繊維でも綿やシルクの織物だと横糸を交換するだけでよいということが多いが、麻を縦に張るとそうはいかない。他の産地の機屋さんから麻を織りたいというアドバイスを求められることが多いが、織機の問題だけではなくて、糸から織れるように選んだり準備が必要で、織れないときに織れるようにもっていくような力が必要なのだが、糸が問題であることも多いので織機を調整すればするほど織機の調整が狂ってしまうというような存続すら危ぶまれる最悪の結果にもなりかねない。織機を調整しているだけでは何も仕事が前に進まないので機場を動かす考え方というものは必要で、動かせる人の少ない状況でたくさんの織機を必要とする理由もそのあたりなのである。