2018年03月27日
NINOWの会場の設営風景も画像が届いてよかったなあと安心。一つ忘れ物あったみたいで昨日会場に送った。
布をつくっていると一つ一つの布というのは小さなハギレであっても大事でその布をみると作ったときのことが思い出される。機屋さんで現場の作業を経験しておられる方があるものごとに関して私と同じ目線をもっておられる話を聞いて、この人は自分で布を作っている人だなあと感じた。仕事で背負っておられるものがあるのを感じる。
私自身も一緒なのだが、小さな工場の限られた設備の中で、何ができるのかを常に考えることで新しいものが生まれてくる。自分用にデザインするときにはリピートするのに無理のないものづくりに落としたりする。お客様のオリジナル生地を作るときなどはできる限り無理をして、要望に近づけるようにするので、自分のことがいつも後回しになっているが、それはお客様の仕事を受ける以上、お客さんの仕事を優先した上で、合間に自分の時間を見つけて自分のものづくりでいいという割りきりがある。
限界ある中でものづくりしている人のほうが、自由にものづくりできる人よりも地力があって強いのではないのかと思う。小さな工場の場合は設備なんかが限られているがその中で何ができるか考える。いろんなことを自分でやってみることが大事で、そういう人に何かできるチャンスが回ってきたときにはいろんなものが生まれてくる。日本のものが貴重だったころのほうが布がすごかったのもそのあたり。
私自身にしても、大口の電子ジャガードががあったら、インクジェットプリンタがあったら、いろんな加工設備があったら、とか、タラレバを考えても限がない。今、自分の限られた環境の中で何ができるか、その中から自分の時間と労力を使って生まれたものはそれがたとえ普通の生地であっても、ちゃんとできればうれしいしその生地になっていない部分に苦労があったりする。
また、そういうタラレバも自分が普通の仕事で資金をつくって自分自身で手に入れなければ手に入れたとしても価値は少ないだろう。機屋も自分で生地を作って生地を売るという原点をもっていないと、仕事の本質を見失ってしまうことが多い。織物の仕事は成り立たないからやっても無駄とかいわれることも多いがどの仕事でも共通する要素だろうと思える。
世界最先端の大きな半導体工場の中で働いたが製造業の仕事としては似ているところがあるし作っているものが違うだけに過ぎない。大きな半導体工場でも個人の力は大事だが、小さな工場だともっと個人の力が生きてくる。また、プログラミングの仕事でも働いたが、それも製造業のようなもの、織物を設計するのも似ているしパンチカードで組織をつくったり織物の中にもプログラミングがたくさんある。デバッグの作業なんかも、キズの補修と似ていたりする。
繊維の世界はこつこつと真面目にやればそれなりに結果も伴い評価されるのがいいところだろうと思う。本当に仕事らしい仕事でまったく悪い仕事ではないと思うのだ。なかなかそのこつこつと坦々と仕事して結果を出すというあたり理解してもらえず、それが当たり前にできることがすごいというのが分かる人は少ないものである。