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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2018年5月
2018年5月
リネン日記:28
2018年05月30日
今日は、雨が降って肌寒い。Tシャツと短パンでブルブル。気温に合わせて服で調整するもよいけど。まあ、体が気温の変化にある程度適応できるようにしておかないとオールマイティには動けない。基本作業していると動くので寒くはなくなる。体を動かすのが面倒に思うことが多く、体を動かさずに頭で仕事みたいな考えになってしまうけど、体を動かしていることが結局健康につながるものである。たぶん、一日工場の中で織機を動かせば5キロくらいは歩いているだろう。

先日、繊維の仕事は仕事に見合った工賃がもらえないという話が出ていた。その見解は正しいのかもしれないが、どう解決してゆくべきなのだろうかを考えるときに卸先に工賃の値上げ交渉をしたところで限度はあろう。よい頃の時代と比べると流れる量が昔の10分の1とかになっているので、工賃を2倍にしてもまだ足りないとかの話も多いだろう。自分で作って自分で値段を決めて売る部分をもてばそういう不満もなくなるだろう。また普通の仕事は生産性を上げて同じ時間の中でも2倍3倍仕事して差をつけるとか。通常の織物よりも難度が高い麻織物の場合、できる人とできない人では10倍の差どころか、働いていても仕事が正しくないとマイナスもありえるからそういう状態から抜け出さないとならない。同じ時間の中でも海外では作れないような難しいものを正しく作れるとかなら仕事の中に自分の存在価値を埋め込めるだろう。

昔、アメリカでホストファーザーに、アメリカで学生の頃、織物の話をしたときに、需要が減っているものに一生懸命になってやっても無理があるとストレートな結論を持っておられた。繊維とかそういう枠にとらわれず旬なものを手がける考え方である。アメリカらしい雇われ経営者的な考え方でもあって、一般的には正しい話だと思うが、考え方が一般的になってしまっては、難しいだろう。経験もあって技術もあって、伸び白がないという状態が終わりな状態に近い。同じことをやっているだけで、仕事が減って同じことをやっていては、難しくなるのも当たり前で、仕事が減った分、新しいことを考えてやって行かないと仕事していないと同じ、できること考えて行かないと。考えるだけでなく、自分がそれを実行して行かないと。実行するのを他の人に期待してもそれをできる人を探すのが難しい。ホストファーザーは自分で業種の壁を越えて旬なものを取り扱われていたので、それはそれで苦労がある、結局は、方向性は違えど、打開して行くというのは同じ結論につながるのではないのかと思う。

国が豊かになるとものづくりが難しくなり、国から逃げて行く。県内の会社さんで繊維製品だが自社一貫生産で有名な会社さんがあるけど、その会社を私よりよく知っておられる方の話だが、そこも中途の材料を購入から始まるのでどこまでが国産なのかも分からないという成功しておられるにみえる裏の話を聞いたりもした。昔からありえないPRとかが繊維では多く売るためトークは嘘で塗り固められた世界。手の込んだことをしっかりやるという方向よりも、トークで商品価値を高めればよいというテレビショッピングには多い世界。

林与にお越しのお客様が、林与の一番の特徴はなんですかと聞かれて、案外普通に思えるかもしれないが、私の答えは、「自分の工場で作っていることや、産地でつくっていること」だったりする。たぶん、アイリッシュリネンとかフレンチリネンとかの言葉が素敵に響くのを期待しておられたのだろうけど、軽々しくは、アイリッシュリネンとかフレンチリネンの言葉を使いたくない事情がある。
2018年05月29日
手織りというのは楽しいと感じてもらえることが多く、そして、それほど難しいものではなく。楽しみとして作業ができるところがある。一方で、アパレル生地の生産というのはシャトル織機やレピア織機を使ってつくるのだが、作業する人は仕事として苦になってしまうことが多いようである。

手織りというのは自分のペースなのだが、機械織りは機械のペースだからだろう。機械のミスの面倒をみることになるので、面倒を覚悟していないとなかなか仕事にはならない。手織りの場合には麻糸でも切れることは少ないので自分のリズムで織ることだけに集中が出来る。手織りは自分を生かせる部分が多く、機械織りは我慢しないといけない部分が多い。同じ織物でもかなり違いがあろう。

その両方を両立させることは案外難しいのである。たとえば、林与が仕事で手織りをしていたらアパレルの生産は難しくなる。アパレルの生産は、どれだけ機械の面倒を見るかに掛かっていて、織る作業そのもの自体はそれほど負荷の掛かることではないが、それをどう並行して行うかということに尽きる。また織機の調整が主な仕事になってくる。手織りのように張り付かないといけない作業が生まれると、他の作業を並行してすることは難しいのではあるが、手織りしながら織機が止まったら動かすという形なら、織機を動かしながら縦つなぎするのと似ているのでできないことはないが、手織りした織物の安定性がたぶん落ちるだろう。

織物の仕事での第一難関は、糸を結ぶ機結びという結び方。糸の種類にもよるが、麻糸は機結びが非常に難しい。強く結ぶと切れたり抜けたりすることが多いから。機結びが苦痛でなくなるのは、たぶん、現場で1週間くらい作業した後くらいから。手が糸を結ぶ道具になる。上手な人の機結びと下手な人の機結びでは同じ機結びでも形状が異なる。その違い細番手の麻織物を上手に織るためには本当に大事。
2018年05月28日
カッティングマシンというのを買ってみたのだが、用紙を切る動作まで結びつけるのが一苦労で、付いてきたソフトそのままだと買った機種に対応していない状態で、バージョンアップが必要であるとか、丸は切れても直線は切れないとか。なんで普通にできてほしいことが普通にできないのの状態。

プロ向けなので親切な説明がなく、ネットで調べても答えが探せない。メーカーに問い合わせて尋ねてヒントを得るとなんとなく動くようになってきて。たぶん、普通だと買っても途中であきらめてしまうレベルの面倒さなんだろうけど、なんとか思い通りにカットできるようにたどり着けて最初の目的を達成。

プロ向けのカッティングマシンというのもいろんな機種があるけども、カッティングマシンを使ったこともないのに機種選びからして難しいのである。カッティングマシンというのは、カットできる幅が広いだけでなく、カット圧というのがあってそれが大事で、カット圧の高い機種というのはカット刃も根本的に丈夫にできていて長持ちするだろうという私の想定。仕事で使いたいので耐久性が一つの重要な要素。実際、カット数の多いカットを硬い用紙でカットしてみたけど刃の劣化はほとんど感じられない。

こうやって買ってみるのも一か八か、これができないと自分がやろうとしていることはできないので、やってみて正解を見つけてゆくしかないのである。カット刃にしても消耗品である。それが1枚2枚カットするだけで消耗して使えなくなるようでは、業務用としての実用は難しいのである。複雑な機能ができるよりも、単純な機能しかなくても堅牢な機種を手に入れたいという思いがあって、一番堅牢だと思った機種を手に入れ、やりたいことが基本できるようになった。

頭の中で、こんなことしたいと思うのに1年くらいあって、それを実行するための機種選びで1ヶ月ほど、捨石的に、テスト的に幅の狭いのを買ってできたらステップアップしようかと思っていたが、思い切って、思っている幅がカットできる値段が2倍以上はするが行ける予感で購入。マイナーすぎてあまり出回らない機種のようだが、次々と新製品がでるメーカーのものより、ロングランで販売されている機種のほうが安心感がある。買ってみて実際に使えるようになると十分価値があるけど、使えない状態ではテスト失敗の苦痛ばかり。乗り越え答えにたどりつくって本当に大事なことだなあと思う。
2018年05月27日
林与の工場の中には、たくさんの織機があるけども人は少ない。人が少ないから織機が沢山あっても織機が足りないということになる。織物の作業の中で、織る作業というのは一番負担が少ない仕事である。織機の機を乗せ換えしたり、縦を繋いだり、調整したりは、負担の大きな仕事で、その手間を省くためにそれぞれの織機には違う規格の機を乗せてあり、人の手の掛かるのを少なくしている。小ロット生産向きである。

一方、普通の織物工場というのは10台程度のことが多く、家族経営規模だと6台とか、フルに動かさないと食べて行けない量産型モデル。産地には産元があってそういうところがつねに仕事を斡旋する。この形で残っている産地は多い。1台とか2台の織機の機屋さんが仕事をこなしてゆけることは難しいだろうなあと思う。京都の西陣織物なんかだと台数も少なくても、高価な世界で、それが成り立つのかもしれない。

織機は多いに越したことはないが、みんな織機の台数を最小限に減らそうとするのは、工場の土地建物も織機も固定資産税が掛かってくるし、電気料金も織機の消費電力に対して固定電気料金が掛かってくるからコンパクトにまとめたほうがよいという結論からだろう。織機を動かす環境というのは持っているだけでは費用が発生するだけの負の資産なのである。愛知県一宮市では、大きな土地を有する織物工場が、廃業して、工場を貸土地するケースが増えているのも働いても税金に追いつかないという現象まで起きていて、土地を貸したほうが成り立ちやすいという話。

中国で上海の沿岸部から繊維企業が消えて行く話を中国の国の政策としての話としてゲンキンな話だなあと思うが、日本では税金の徴収を介して、利益率の低い繊維企業が泣く泣く廃業や不動産業への転身を迫られ、似たような話もあったりする。なぜ、都市部では織物工場が成り立たないのかも地価の問題と密接に関係しているのである。京都の捺染工場も市内の中心部にあったところは近郊への移転が相次いだ、衰退気味の繊維産業が同じ場所で同じことつづけようとしても、新しい産業が繁栄して地価を維持あるいは上昇させると、衰退気味の産業はラストストローを超えて立ち去らなければならないことが多い。それを考えると林与の住んでいる地域が過疎化しているのが救いになって織機をたくさん持って動かしていられる部分あるのかも知れない。
2018年05月26日
今までスウェットの上下だったのを、Tシャツと短パンに衣替え、暑苦しいのから開放されて仕事を軽快に出来そうなのだが敵は蚊。子供の頃から比べるとめっきり減ってしまった蚊だが、それは集落の中を流れる農業用水の中に防虫剤が投入されているからだろうか。それでも蚊は襲ってくる。この蚊がいなくなったときが自然破壊が完了したときだろうと思う。夜、隣を流れるアンコ川を見ると、蛍が飛んでいる。

スズメがいなくなり、トンボがいなくなり、でも、最近、キツネやタヌキが出没。子供のころも見なかったキツネやタヌキを道路で見かけるのは、食べ物を取り隠れることのできる森がなくなり、食べ物のある人家に住み着くようになったからか。自然破壊の危険信号。

何が自然破壊なのかを定義するときに、人それぞれであったりする私は原子力発電というのは明らかに自然破壊の一つだと思うが、それが地球温暖化防止ということで自然破壊を防ぐとする人も居る。ハワイで観測史上もっともCO2濃度が上昇していることが地球の温暖化問題と結び付けられていたけど、ハワイでの火山爆発。特殊なデータで警笛を鳴らしてしまっていたのではなかろうかと思える部分もある。

心配するのが、エルニーニョはまだしも、ラニーニャ。これは、太陽の日照時間に応じて気温が決まるという基本原理を離れて、緯度方向で温寒の帯ができるという現象。北海道で30度とか、沖縄よりも近畿が暑いとか。40年ぶりの大雪とかも。一つ思うのは地球全体も日本も砂漠化は著しいということ。子供のころと比べて雨の日が少なくなったことが気になる。夏には夕方に夕立が降ったのが昔で、今はそれもない。ダムなどが出来て、水のめぐりが悪くなっているのだろう。夏でも水のない川が一番の高温になってしまっている。田舎でも日の当たらない日陰が少なすぎるのである。本来なら動植物も死に絶える環境がデフォになっていたりする。
2018年05月24日
今日は午前中に近くの繊維の会社の方が海外展示会に興味があるということでお越しになられた。日本だとどういう方々がそういうプロジェクトをやっておられ支えておられるのかとか、どういうルートがあるのかとか、どういうものを提案してゆくべきなのだろうかとか、私自身が試行錯誤しているあたり参考に聞いてもらった。たぶん、社長の奥さまのキャラクターの強さが、きっと海外展開含め新規の市場開拓には生きてくるのではないかと思える。

林与と違うのは、林与の場合は、お客さまが生地という素材を求めてくださるところ。その会社の場合には最終商品を卸す卸先を求めておられるところ。その会社の商品はすでに最終消費者向けにパッケージ化されているのである。オリジナルの自社製品として、卸す形で、それを販売してくれる店舗を探しておられるというところ。出展される展示会の性質もだいぶ異なるだろう。

私も海外展開で自分の力というよりも、自分が前向きに動いているのを支えてくださっている日本の繊維業界をPRされている方がいてくださる。その方々がすごいのは林与のような家族経営規模の会社でも日本の企業の一角として一押しくださることで、生地とかものづくりとか、大事に守りたいものを守ろうとしてくださるところ、その方々の余力を林与がいただいていることには感謝して、普通になっては駄目で、その期待にこたえるべくハチャメチャかもしれないがトコトンな日本の繊維の世界を貫きたい。

この10年ほど林与は本麻を守りつつも、本麻でのものづくりが難しくなってきたのを感じ、了承得て無理のない流れに合わせる形で、日本でも一番くらいに強かった本麻のアパレル素材を前のお客様の成り行きに任せる状況に。小千谷縮がこの10年でかなり業界での評価が上がり、がんばられたのをすごく感じ、産地は別としてもやる気のある人たちを応援する気持ちが一杯なのが私だったりする。

小千谷が衰退したのも、近江の産地がアパレル対応するため広幅に転進し成功を収めたことがあったと思う。それを先導する結果になったのが林与の先代で昭和50年代初めに広幅のレピア織機を産地で一番に導入し成功、それを産地の他の業者さんが続く形で、1970年代の日本の空前の麻ブームとなった。田舎の機屋が何億円もの投資で麻が織れるか織れないかやってみないとわからない賭け、失敗すれば後戻りは出来ない賭けだった。そういう賭けをしていなければ近江湖東産地も小千谷と同じ世界が続いていたかもしれない。
2018年05月23日
朝から、レンタカーに積んであった反物用の蒸器を降ろす作業。これが大きいので、パレットを台車にのせて軽トラの二台と同じ高さに積んで、水平移動させて、体力を消耗せずに軽トラからは降ろせた。レンタカーの返却岐阜羽島まで、朝7時に出発も午前9時に到着。返却後、無事にマイ軽トラのエンジンが掛かって、下道で、午後11時に家に戻る。心配していた軽トラが岐阜羽島で動かなくなるという状況は回避できた。時間に追われている状況なので余分に解決する時間が増えるのは厳しい。

帰ってから、昨日注文した捺染の型紙に使うマシンが到着。苦戦するもうまく動かず、今も苦戦中。一番自分の目的に合った機種を選んだのだが選択ミスしてしまったのだろうか。マシンのソフトウェアメーカーの人に電話で設定で問題があるのかどうか教えてもらう。最悪は、運べないほど大きくはないので、ショールームに持ち込んで、そこで使い方を教えてもらうとかすれば解決するだろう。

今日は雨が降っているので、昨日八王子に行ったことは大正解だった。明日は補助金の確定監査があるので、証拠書類などの原本がすぐに出せるように経理のものと原本資料の用意。月末に向けて納期のあるものに動く必要がある。
2018年05月22日
今日は、朝から軽トラで八王子に向かう。高速道路を1時間、岐阜羽島までいくと、朝8時過ぎに軽トラがオーバーヒート気味で、不安定なので、作戦変更で、レンタカーすることに。養老を過ぎたあたりの休憩所で、10件ほど探して軽トラの在庫があるレンタカー屋さんが見つかって、1日6000円ほどで借りられることになり、羽島で高速道路を降りて、うまく借りられた。

レンタカーの軽トラは新しくて、乗用車並みの走り。快適に八王子に向かうことになり、2時間のロスを皆さんに伝える。八王子では、反物を入れることのできる大型の蒸器を譲っていただくのだが、それが100kg?ほどあるので、一人で取り外し積み込みは無理なので、八王子の奥田染工の奥田さんに頼んで、奥田さんとスタッフの方がきてくださり、3人で積み込み作業。

30分ほどで積み込みは終わり、近くのレストランで食事。食事しながらいろいろと近況の話。奥田さんも自分でいろんなことをやっておられるのでこういう作業も普段当たり前のようにこなしておられる。でないと、昔と違って今の時代はやっていけないわなあ。スタッフの方も優秀で一番に何でも動いておられそういう方だから経験も豊富で目の前のことを解決に動ける。

岐阜羽島のレンタカー屋に停めたマイ軽トラがちゃんと動くのかが心配なり。夕方6時に八王子を出発して家に着くと午前1時過ぎ。
2018年05月21日
今日は東京方面からのお客様、お一人は山神シャツの山神さんで、もう一人はお友達の方。シャツ作りの山神さんと室内装飾の方、織物の林与の3人なのだが、なんか、目指しているものが境遇も規模もそれぞれ違うけどもものづくりに対する高い意識が共通していて、林与の動きも応援してくださっている。

山神さんはいつも3ピースに近い格好で生活をされておられるそうで、そういう辺りも自分が理想とされていることを貫いておられ、その世界を育まれておられる。シャツ作りに費やされている時間がほとんどでいつもシャツのことばかり考えているとおっしゃっておられ、雑用、下積み的なことを今も当たり前にこなされるから仕事に対する価値観がぶれるところがないのだろうと思う。

日本の洋服の業界の中でも山神さんのやっておられる世界というのは特殊な世界に入るのだろうと思うが、そういう特殊な世界というのは違う価値観から生まれて違う価値観に支えられているから成り立つんだろうと思える。私自身もたかが麻機屋ではあるけども、麻布をつくる世界というのは特殊な世界になりつつあって、違う価値観を持っていないと維持して行くことは難しいだろう。

私自身、織物やっているんだから、自分がすごいと思うことをやってみようと、やってみているのが広幅絣織物の世界。すごいことやっても儲かるとかじゃなくて深みにはまることが多いけど、深みにはまってみると、普通の仕事の見え方も変わってくるだろうと思う。絶対に無理と思っていたことができるような目から鱗が広幅絣の実現。

そういう世の中にない織物が、惑星直列的な要素あって現実的なものになって生まれてくる。惑星直列的な要素の一つが欠ければ現実味は極端に落ちてしまう。お金を求めないで動く世界が一番超えて高いものづくりにつながっているというのも。利益とか考えると一つ一つが限界とぶつかる。目の前の作業に没頭して無心になったときに誰もがたどり着けないアートやクリエイティブな世界にたどり着ける。物に価値を詰め込み、価値を生み出すためには普通と違う価値観が必要なのだろう。そういう特別な世界は評価が分かれるところだけど、あってもよい世界だと思うし、今の繊維の高級な世界というのがラベルや広告じゃなくっての本質なところに通じる。

海外の高級ブランドのデザイナーさんやいろんな素材を見てこられた繊維業界のカリスマの方にでも、布の価値観とは何かを語る田舎のおっさんがいても良いじゃないのかと思う。私が子供のころ、NEC、日立、富士通、東芝に比べて、2流だったシャープという会社が、私がものづくりに憧れた会社、一流企業になって成り立たなくなったのが残念で仕方ない。でも、わかる、シャープがものづくりじゃなく、営業でコピー機を売ろうと代理店に投げた。シャープのコピー機の斡旋の迷惑電話多かったから、買収されてシャープのコピー機販売の迷惑電話なくなった。
2018年05月20日
東京に数日いたので、滋賀県に戻ったときのギャップというのを感じたのは林与の住む東円堂という集落に入る瞬間。懐かしいああこんなところに住んでいたのだという感覚。何もないだが自分たちが何か生み出してゆかないと画一化された感覚に憧れるとその差は広がるばかりだろう。多くの人が高齢化してしまいこの地域はいったいどうなって行くのだろうか。活力みたいなものが感じられないと他に支えてもらうが先行し寂れて行く一方であろう。

私が活動的に動くのはその反動なのかもしれない。人生観から派生される哲学や価値観がアーティト的なものづくりには大事なのだが、あまりに周りが伝統とか文化といいつつも結局普通を後追いするようなことが多く、70歳以上の方が多いなかで50歳手前の私が一番頑固爺みたいなところがあって揺るがないものをもっている。それは普段自分がやっていることから来ている部分が多い。困っている人がいれば他の人を助ける余力や協調性は必要だし、信念的なことに関しては他の人に流されない感覚が大事だと思う。他の人の信念を大事にすることも大事である。

こだわりのものづくりを紹介する本を、スタッフの子が中古で手に入れて読んでいた。麻布や布に近い布製品もあるのだが、見ても自分たちのやっていることのほうが複雑で、そういう外のものに憧れないで、彼女自身の手でそれ以上のものを生み出す力をもてはそれよりも評価される話をする。弊社に入って1年の女性スタッフも日本の織物の若手としては一番の注目株で能力も高い、あとは実践あるのみで自分自身がそういうものを生み出してゆくだけのこと。誰もが期待してくれていて応援してくれる人ばかり。

作られたものに憧れるというよりもものをつくれる人の能力に憧れてつくる人を応援くださる方が多い。若くして20代半ば、仕事初めて数年で同じような力を持てば、日本だけでなく世界から注目される織物作家の一人となれる。私が織るのも一つの価値だろうけど、女性の方が圧倒的に布の世界には憧れてくださることが多く、女性がデザイン染織加工をこなし生み出す力を持っているのが素敵に見える。

多くのデザイナーが憧れるデザインの世界も近江上布のアーカイブには詰まっている。それは今の布の世界が求めているデザインの要素。外を見るでなく、手元の昔の資料が世界中から評価される。今まで一度もこんなのは見たことがないと驚かれる日本のものづくりの世界。それを広幅で再現してゆく壁があるけど、いろんな壁を乗り越えればつくる楽しみに変わるだろう。そのために私は今の時代のものづくりの技法や道具をいろいろと考える。織物をつくる環境をつくることも私の仕事。
2018年05月19日
最終日の今日は、小さなお二人がワークショップの手織りに興味。子供はすごいなあと思う。自転車を漕ぐように織物が織れて行く。ピンポイントな説明だけで50cmほどの生地が織りあがる。横糸につかう素敵な糸は出展者のカツミ産業さんからいただいた。織った布はお持ち帰りしていただく企画で、初めてでも簡単に織物が織れるワークショップとなった。

この織機もなぜ手に入れたのかというと、近江上布絣柄の広幅織物をつくるのに、基本手織りのほうが織りやすくて多くの人が作業に携われるのではないかと思ったところがある。シャトル織機で織る利点もあるが、シャトル織機で1本1本織るためには、シャトル織機を使いこなせないとならない。手織りだと昔は村じゅうの多くの家が、林与の織物を織っていてくれたのだから、多くの人が絣織のプロジェクトに参加してもらえそうな広がりがある。手織りだとかすり織りがどれだけ簡単に織れる様になるのかのテスト的に導入したろくろ式のミニ手織り織機である。縦糸が通っていない状態のものを手にいれ、立ち上げと整経、織れるまでの調整には1日2日使ったが、うまく織れる状態になった。織るだけの作業だと楽しいと思う。

また、高機の織機も改良を加えて広幅にして比較したい。今後の予定では、広幅で絣織物を織ることを実現するために、いろいろな工程や道具の改良をさらに行って行く予定。手機もその一つで、広い幅の織機を自分で作って絣を織りやすくする。シャトル織機用のソウコウやソウコウ枠を使ったり、分解組み立てが簡単であるとかの要素も必要になってくるだろう。

連休明けのPTJに手織り機の持込を予定をしていたがトラブルがあって持っていけなかった。そこで、今回のテキスタイルマルシェが皆さんに織機を見て雰囲気を味わってもらったり、織りを経験してもらうワークショップとなった。その背景には私自身のやりたいこと、誰でもが手織りや絣織りをできるような環境をつくるという思いがあったりする。組み立てが簡単な広幅の高幡を自作するも理想的な方法であろう。

絣織を広幅で復活させ日本の織物はすごいなあと世界中から憧れてもらえるようなことになれば、それが日本の創作的な織物が残れる道の一つだろうと思う。見たと途端にすごいなあと思える布とか力を感じる布というのはなかなか出会えることも少ないものである。テキスタイルマルシェの中では、以前の出展でご一緒させていただいた京都の棉気さんの生地がそんな布が多かった。柿渋だったり、プリントだったり。自分でやっておられることが多く、やはり自分でいろいろやっておられるからそれが布に出てくるのだろうなあと。
2018年05月18日
東京に来て思うのが人が多いということ。一方で東京では出来ることも限られてしまうということも感じる。東京にお住まいの方には失礼だけど、人が何も持たずに生きて行けるのが東京なのかもしれないと思う。移動するのに自転車も車も必要ない、あると逆に邪魔とか。社会が移動の足、電車や地下鉄を用意してくれてそれを利用できる生活。

今日は、上島佳代子先生に久しぶりにお会いした3年ぶりくらいになるだろうか。上島先生のくるみボタンは、布を使うのだが、麻でもつくれないことはないのだが、昨日、松尾捺染さんが新しいプリントのシリーズを東京のデザイナーの方と立ち上げられたのが色も柄もかわいくって、かわいいボタンをつくるのにずばりじゃないかと松尾さんに少し協力いただけないかとご相談すると生地をワークショップ用に分けてもらえることになり思いもよらず、つくったボタンはやはりかわいい。

今日は、午後3時頃から八王子に向かい、譲ってもらえることになった反物用の蒸器の下見。そして夜10時過ぎに恵比寿で、つなぐ通信の皆さんとお食事。皆さんの林与のスタッフえりちゃんへの期待は大きい。織物業界の中でも一番くらいに注目いただいている若者、能力も高いから目の前のものごとをひとつひとつ前にこなして行くだけで成功できると思う。

八王子から恵比寿に行く途中、夜8時半頃、都心で、ガソリンが少なくなりガソリンスタンドを探すも、ガソリンスタンド10件回ってようやく開いているところが見つかった。田舎のガソリンスタンドでも、国道沿いは24時間が多いのに、東京のガソリンスタンドは通常の営業でうまく回るというのがやはり東京という場所の利点なんだろう。

私のやっているようなアパレル向け織物を織るのは東京では難しいだろう。技術の問題ではなくて固定資産税の問題で。東京でも手織りなら作家として食べていける可能性は高いのではないだろうか。学校で織物を勉強された方などは手織り作家として活躍されるのはどうだろうか。日本の将来の織物のイメージを考えると、織機なども動かせなくなってゆく流れなので、手織りなどの原点に戻ってつくるのが残れる一つのスタイルではないのかと思えたりする。
2018年05月17日
今日は夜中にレンタカーして午前7時前に滋賀県を出発。途中、もうちょっとで東京というあたりで高速道路で事故渋滞、東京まで2時間とか、開場の午後3時に間に合わない。下道に降りて急がば回れで、なんとか、1時間前について準備を始めてギリギリだけど、準備も終わって、テキスタイルマルシェスタート。

開場とともにたくさんのお客さまもお越しくださり活気のあるスタート。いい感じのスタートを確認したあとは、スタッフの子に任せ、私は車をホテルに移動する。あまり東京の位置関係が分かっておらずレンタカーの大き目のボックスワゴン車を止めっぱなしに出来るようなホテルということで東京大学の近くのホテル旅館。会場のふくい南青山291からは30分くらい掛かるだろうか。電車でも30分くらいのイメージ。

初日の夜は、主催出展者の懇親会があるのでそれに間に合うように会場に戻る。ビールのおいしいお店でここ数日の張り詰めたことから開放されるひと時、ここのビールは缶ビールとは味がまったく違うので、ビールというものの味の定義もつくる人がすればよいのだということだろう。他の方のいろんなお話を聞いてもみなさんやはり前向きで積極的である。それが仕事に対してというのではなく人生観的なものがそういうところがあられるなあと思う。
2018年05月15日
今日は着物の業界の方がお客様、いろいろと話を聞かせていただくと着物の世界というものは極端な縮小モードだが、まだまだ良い生地が使われているという気がする。伝統産業の世界がやはり主流と成っているので、着物の世界が伝統産業からなる地場産業を支えている側面があろう。

着物業界におられる方でも、林与の近江上布のアーカイブのような資料は初めてみたとおっしゃっておられ、昔の人の力というものを実感されるのである。それを再現するプロジェクトに関してもお話をさせていただいた。3年目がラミーで広幅絣をつくるプロジェクトにあたるので、あと5ヶ月ほどの間には、よりオリジナルに近い本麻の広幅絣が出来上がるであろう。

昨日から頭の中では、縦に段染めっぽい糸締め絣のような絣を散らせないかと技法を考え、縦絣との組み合わせも考えている、それも今の技術の応用で実現が出来そうである。頭で出来そうと実際にやるのとではまったく違う次元なのでやってみていろいろと問題もみえてくるだろう。

型紙捺染というのはローテクなのだがそれはそれで味わいもある。大判の型紙を何度も利用するためどう管理するか、サイズは作業することも含めてどのくらいの大きさが適切なのか。その辺りの見極めも今しておくべきで、今後、柄を増やして行くときには大事な要素となってくる。自分の手の感覚が最大限に生きて正確な作業ができるサイズに落とし込む。
2018年05月14日
私が高校のときに一番興味を惹かれた画家がピカソ。ピカソのキュービズムの世界に惹かれたのではなくて、ピカソの描いたアルルカンに扮するポールという絵に惹かれた。子供のポールをなぜピカソがキュービズムで描かず写実的だったのか。なぜ、キュービズムの絵が気持ち悪いのか。

キュービズムは、写実だけでは描けない人間の内側を描く技法。美しく見えても人というのは複雑なんだよというのをキャンバスに表していると思う。ポールは内面がどろどろしていないからそのまま描かれたのだろうと思う。まあ、子供にモデルになってと頼んでぐちゃぐちゃに描いちゃったら子供に泣かれるだろうからという要素もあるだろうけど。

モデルがすごいとかじゃなく、ピカソの人生観がキュービズムの原点で、モデルの内面というのはピカソがそのモデルを見て感じるところ、人は美しくを目指すけどもその一方内面が美しくなくなって内面まで見えてしまう画家だったのだろう。これは個に対する問題だけではなく、ピカソが社会に対して感じていたことだろうと思うのだ。

絣というのも織る手間が布に表れるからよいのだろう。横絣織物がなぜ世の中に少ないのかというと手間が掛かるからというところ、それが良くてもつくるのに思いを絶するような時間と手間が掛かる。なぜ、林与が横絣にこだわったのかというとそういう織物の価値の原点を見つめなおしたいから。織物に手間を掛けると言う作り手自身が織物に価値を感じるだけでなく覚悟がなければできない世界。ほかとは違う布の力を感じるのもそういう人の作業が詰まっているから、自分が眺めていても苦労はあったが面白い布に思える。そして語るのは一本の糸を切らないように何度も巻き返し最後に柄を合わせて織り上げる作業の話。

そんな苦労をのせるだけの価値があると思うのが、与一じいさんの近江上布のものづくりのセンス。色柄において、今見てもモダンに思え高級感のある色柄は世界のいろんなテキスタイルを見てきたデザイナーの皆さんでも今までみたなかで一番すごいと驚いてくださる方が多い林与の近江上布の世界。一着分の生地に何十時間もの時間を掛ける甲斐があるのもそこで、売れなくてもつくり上げるだけでも良い、すごい布の世界を再現したい。
2018年05月13日
シトシトと雨が降って梅雨に入ったのだろうか?肌寒い毎日。春の陽気は消えて肌寒い5月というのは例年のこと。6月になって暖かくなるのを待とう。

今日は、またガジェットを手に入れた。広幅絣の作業に使う糸繰り作業に使うためのパーツ。買ったパーツを加工して作業で使えるように考える。今日も最初はまったく無理で無駄な買い物になったと思ったが、30分、1時間、工場の中のほかのパーツと組み合わせて糸を巻く木管をセットするとかなりのスピードで綺麗に糸が巻ける状態になり、糸を繰る途中で糸が切れると糸の連続性がなくなるので、糸が切れないように巻ける可能性が高まった。

横絣織物は着尺の狭い幅でも手間が掛かり、横絣の着物生地は上布と呼ばれることが多い。それを広い幅で再現するとなるとより高度な技術が必要となるため絶対に今の時代には無理だと思っていたが、技法や機材の考案や改良は、普段の作業中にいろいろ考えてこつこつと時間を見つけたときに一気に作って試してみて実際に作業をしてみた。途中で問題なく最後まで工程を成し遂げて出来上がったものが案外うまく出来上がりご覧いただいても、欲しいといってくださる方が多いレベルのものであるのは幸運。

伝統工芸の手の掛かる世界と同じような技法で手間も掛かり、幅も3倍以上広くなりすべての工程がより難しくなるけど、人の力でそれを解決できないかと思うのが林与的な考え方。昔の人の5人分くらいの力で動けたら、1つの織物を一晩で生み出すことも可能になるのではないのか。型紙も洋型紙を彫るのだが、この前は手が死にそうになったけど、型紙のカットと準備に30分、コンピュータで図案をデザインして1時間、彫るのに2時間で、トータル4時間で型紙が彫り上がった。非常に速いスピードで実際に使える型紙のような道具も生まれてくる。

最終的な目標は広幅絣の着分を毎日1着分づつ作れるようなスピードになること。自分一人が、どれだけ時間を使っても作れないだろうと思っていたものをご飯を食べるように作る。布の力を感じることができる布が次々と生まれるようなことが私の目標で遠いことではないと思えている。2年前にスタートしたときは、ライフワークでなんとか近江上布アーカイブを広幅で完成できるようになれるかと思ったがこのプロジェクト案外早いペースで現実のものになりそう。捺染に関してプロの道具が中古で手に入ったことが道具つくりや作業の効率化に結びついたような偶然も幸いした。探していたものが目の前にあってそれを譲ってもらうことができた感じ。
2018年05月12日
車検前にタイヤを交換しておこうと近くのガソリンスタンドでタイヤ交換。交換を待っていると親戚のおじさんも車の何かを交換かで来ておられ、久しぶりに出会って話。今75歳になられたということ。でも、外見は、50代くらいか、今も農業をされているので健康的で年に見えない。

昔は、私の会社で働いていてもらったのだが、どうしても織る仕事は、男の場合?は、50過ぎると糸が見えなくなるので厳しくなるものである。林与のように本麻の100番手の縦黒とかは糸切れするので、それを織るというのは至難の技。縦が白だとかなり楽になるのだが、縦が黒だとすごく難しい。1日10mくらいのペースが良いところ。

住んでいる集落も高齢化した、私が小学校の頃と風景も顔ぶれもほとんど変わらないイメージがある。次の世代がいないのだ。それでも、そろそろ私くらいの世代が物事を動かし始めているが人数が少なすぎて、集中しているのは農業関連くらいか、繊維関係でも縫製関係で2つ集落の中に商売やっておられるところがある。

林与も昔と比べると小さくなりすぎているけども、実際に仕事で作業する前向きさでは1番だよくらいの気持ちでないと取り巻く環境が年々衰退していく中、海外では一つの工場でも若い世代があふれて何千倍の勢いでものが生まれてくる。普通のもの以上のものを作らないとなかなか通用しないのだが、普通のものをつくるのも難しくなっているのが今の日本の現場。

どうやって海外との違いを生んでゆくのか、特別の世界を維持して行くにはどうすればよいのか、産地の過去のものづくり伝統工芸に並ぶまたは超えた何か新しいものをどうやって作って行けばよいのか。海外の展示会などに出展する機会も得て、規模の小さな林与のような会社でもオンリーワンのようなものがなければと思う。

何でもできますは良いしそういう能力が基本として必要なのだがそれは値段だけの世界で憧れるような世界ではない。自分自身が作り上げてそれなりに良いなあと思えるような要素がいきなければと思うのが、コンパネ買ってカットしてもらうの一つでも、単純作業なのだが、人によって、カットは素人の私が見ていてカットするのそのやり方で正しいサイズにカットできるの大丈夫なのと思う人が多いこと。上手な人に頼めばどんなものでもコンパネで簡単に作れそうな気がするが、下手な人だとカットしてもらうこと自体心配になる。海外レベルの品質、値段も海外レベルに近いが、それが日本の標準になっている典型だろう。

ものづくりするときに、精度みたいなものがそれぞれあって、私自身の精度は定規で計るときもコンマミリ以下をいつも目指しているけど、普通の人は目分量だったりすることも多い。長年の経験でやっている人ほど定規も使わないことが多いので再現性が人の感覚でが限界だったりする。伝統工芸というのは一般に人の感覚が定規となる世界なので目分量で作業を進めて行くのである。作品的な要素が強いので再現性や左右対称がズレても完全な円でなくても、それはそれで揺らぎがある味の世界。

でもその世界は日本だけじゃなく、アジアのレベルの低いとされる小学校行く前の子供が遊びで作っているものづくりも、定規も使わずに子供がすごく正しい仕事をすごいスピードでこなしているので一番安いものづくりに通じる。違いが分からない私が分かっていないのかもしれないが、その違いがラベリングがあるかないかだけの違いなら本当に本物偽物が紙一重の世界である。違いがあるとすればその世界を支える考え方に違いがあって結果として高級なものづくりになっていなければ駄目だろうと思う。現地の子供たちの何倍も仕事に対しての厳しい感覚がなければ日本の高いものづくりの世界は目指せないのではないだろうか。
2018年05月11日
プレミアムテキスタイルジャパンから戻り、次は、ふくい南青山291で5月17日から19日に開催のテキスタイルマルシェの準備。テキスタイルマルシェは一般の皆様向けに生地を直接販売するイベント。今回は、林与のブースでは、生地を販売するだけでなく、上島佳代子さんにもお手伝いいただいて小物作りのワークショップ(1000円?までくらい)もいくつか開催予定です。興味あられましたら予約不要ですのでご参加ください。

今日は、他に子供向けの小さなおもちゃの織機を何台か持ち込む予定で、こちらは興味があられる方が無料で触って体験してもらえます。私も始めて今日立ち上げてみてをしたのですが、子供向けのおもちゃながらなかなか手ごわい。1台立ち上げてみましたが、ツワモノです。会場で体験したい方は何台かありますのでチャレンジしてみてください。手織り用の手機も持ち込む予定です。こちらも無料で体験ください。

そのほか、会場ではカルトナージュの先生によるカルトナージュのワークショップも行われます。出展企業は7社で、プリント素材、シルク素材、麻素材、レース系素材、特殊素材、帽子などの出展が予定されています。開催時間は、5月17日は15:00から19:00、5月18日は11:00から19:00、5月19日は11:00から16:00までと変則になっておりますので、ご注意ください。
2018年05月10日
昨日の夜は、1年ぶりにお会いできた成田さんと首藤さんとご夕食。食べ物もおいしく、進めていただくままにビールを飲ませていただき、飲みすぎた感もある。林与のスタッフの斎藤のご両親ともお会いできお話もできた。ホテルではぐっすりと眠り、朝起きて、そばが食べたい気分。東京国際フォーラム近くの銀座のホテルが手ごろな値段だったので、銀座だったが、そば屋さんがあるのかと思って外にでると歩いて30秒のところに、24時間の吉そばという手軽なうどんそばのお店があった。

今日も一日元気にというか、気合入れてというか、朝から大盛りのそばといなり寿司2個。そのあと、パンケーキのお店に行きたいとスタッフの子がいうので、billsというパンケーキのお店で食後のコーヒーを飲む。アメリカのバーっぽい隠れ家的な優雅なスペース。10時に開場入りして2日目スタート。2日目も夕方5時過ぎまでお客様が続いてくださって、十分に広幅絣プロジェクトの説明などはさせていただけ、多くの方が期待くださっているのを感じることができた。

うれしかったことが今日は6つも7つもあったのだけど、その一つが、滋賀県の工業技術センターの方が織られた本麻の浴衣用の生地を見せてくださったこと。麻が織れないという話をされていて心配をしていたのだが、それがすごく良い感じの織物に仕上がって、まだ、白いままだがこれからインクジェットプリントをのせられるというお話。生地の感触的には、林与の近江上布のアーカイブの生地と似通った感触。あと、若干密度を上げればさらに近づくのではないかと。インクジェットがうまく載れば、素敵な浴衣生地ができあがるんじゃないのかと。3年掛けて滋賀県の3つの素材、綿、麻、絹のインクジェットプリントを施した浴衣をつくられるということで、3つの素材の特性に応じてやはり異なる壁があるようで、麻のバージョンもうまく行ってほしいなあと願うのだ。
2018年05月09日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。朝新幹線で9時過ぎに東京入り、遅れることなく会場入りできブースの準備を行う。開場までにブースの準備が終わって、お客様が来られるまで主催やプレスの方とご挨拶とお話。シンプルな展示となりブースに興味を示してもらえるか心配をしていたのだが、ブースが角コマで、すごく人の流れがよく、林与の絣織が多くの方の目に入りやすく、終了間際の夕方6時過ぎまで、お昼も食べる時間もないほど、ブースへのお客様が来て下さり、近江上布柄広幅絣プロジェクトをいろんな皆様に知っていただけました。

手の世界を説明するために作業の工程をみなさまに説明すると20cmほどを織るのにも30分とか1時間掛かるのですが、林与にとって一本一本柄あわせしながら織るのは比較的負担の少ない作業。その裏で、糸を何回も切れないように巻き返す作業があって、20cmの織られる布に4時間くらいの作業時間が詰まっていて、一着の服を作るのに3m織り上げようとするとトータル60時間くらい必要な作業。伝統工芸の世界と近い作業工程で広幅に織り上げ力織機を使う。着物向けとは違うアパレル向けなので、インチ感の打ち込みのギアを設定できる力織機は自由度が高い。さまざまな生地をベースに絣を展開できる可能性がある。

中央に展示した絣柄をみてブースに来てくださるお客様が多かった。布を眺めたお客様が興味をもって布を見に来てくださる。この2年ほど本業の合間に時間を見つけて動いて形にしてきただけに感無量。あやふやな作業が、機材を改良していくことでより完成度が高くなり、柄の再現性も高まったことで3m程度の1着分に安定して対応ができるようになった。まだ、3年目の本麻で広幅絣を織り上げるというプロジェクトがあるので時間もなく本生産想定では動けないが、ひとまず、プロジェクトとして安定した形で1着分の生地がつくれるところまでの技術基盤の確立ができたことが、それができるのかできないのかでプロジェクトが絵に描いた餅に終わるか終わらないかの違いがあるので、ほっとしている。