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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2019年2月
2019年2月
リネン日記:12
2019年02月24日
仕事というのは意欲と能力のある人が集まってするのが一番だろうと思う。昔からだが、目の前に仕事があって面倒そうな年配の人が本当に多くて、本当だとこういう風にやらないといけないのだけどもこれはこの人には無理だから簡単な方法でやってもらうというようなことばかりで、これでは大したものは出来ないのである。働く人の能力に合わせて仕事してしまうと、問題も余計に起こるし仕事しないほうがよいのかもしれない。

問題が起こり難い確認作業を多く含む手順での作業というのは面倒なのである。そういう面倒を避けながら仕事するとどこかで間違いが起こっても間違ったまま、ボタンの掛け違えで仕事が進む。最初からやり直さないとならないのだが、失敗した人が間違ったから最初からやり直しということに憤慨するケースが本当に多い。だから、間違い難いような確認作業の多い手順でやって欲しいのだが、それを面倒がる。

そのあたりで仕事レベルでは、もう中国のほうが上になっている。日本の仕事が面倒な経験者が集まって仕事している状態より、仕事が欲しい新興国の何百人もの若い人たちの仕事のほうが質も高い。国内だと経験者が若い者に対して偉そうにしていたらそれで仕事みたいなあたりなのだろうけども、そういう経験者たちが海外の素人と思っていた人たちに飲まれてしまう話。日本の驕った繊維業界の多くは、海外に足元をすくわれ飲み込まれてしまった。しかたないことだろう。

もちろん、為替の問題もあるけども、せめて、日本人らしい考えと技を持っていれば日本の織物は中国に並ばれることはなかっただろうと思う。けども、日本人の考え方も標準化してしまって、できることもものも特別ではなくなってしまった。同じ時間仕事しても何倍もの生産性があるのが勤勉である日本人の特長で、島国であっても豊かな生活が手にできていたのにとは思う。

私が忙しすぎて手が足りず、篠山から女性の方が自分の企画した布をつくるために来られて、糸を割って整経機に糸を建てる作業。本職じゃなくても本職以上に仕事できるのは正しい人生観があるからだろうと思う。前に来られた電気工事士の方も、最初から整経の作業ができたのは、織物素人でも他の仕事ちゃんとやってられる方なら織物の仕事は特別難しくは無いということだろう。
2019年02月23日
100の仕事を二人でするときに50づつ分けて仕事できれば良いバランスであろう。能力が異なって、60vs40でもまだ大丈夫だろう。70vs30だと続けてそれが普通だと、特別な事情が無い限りあまり良くない結果となる。80vs20とか、90vs10とかだと、できる人を探したほうが良いだろう。

もちろん、最初80vs20、90vs10というのはあるけど、やってゆくうちに、70vs30とか60vs40に近づいて行かないと素人のままなのである。意識高い系の人というのは、やっても20とか10しか出来ないタイプの人が多いのではないかと思う。地場産業でも職域が狭い人というのは経験者であっても20とかのタイプが多いのではないか。

産地を救うみたいなことをしようとすると80の仕事して20の仕事の人にお金払うような立場にならないと。自営で立っている人というのは100の仕事を自分でやってたりするので、規模が小さくても立派だなあと思う。若い人でも自分で仕事して成り立っている人というのは凄いなあと思う。

20の人が集まった会社を支えて行くのは大変だろうから、私はたとえば2人で100の仕事するなら50づつ分けて仕事できる人と仕事したい。私が仕事に入ったときに仕事を教えてくれた方はそういう人で何でも自分から進んでやっていたから、100の仕事が50づつできて、200の仕事になり100づつできるし、300の仕事になっても150づつできたと思う。でもそういう人は本当に少ないと思う。普通は10、20、30のままの人がほとんど。できるんだろうけど余裕を残してやらないから結局はできない。変わるのに期待してもそれがその人のスタイルだろうから。

田舎で思うのは、行事などでもいやいや参加している人が多いということ。参加しても実際には参加しているだけみたいなあたり、周りのプレッシャーがあるから参加しているんだろうけども、参加するなら参加するで場をつくる立場になってやらないと行事自体が意味がない。集落の防災訓練で、町の若い男性が、作業してくれる人を募るけどもだれも自主的に動かない。周りの目もあるんだろう。なんか私が仕事しているときの感じと同じなの感じて私が手を上げて役割を引き受ける。田舎行事なので参加しているなかでも一番若い世代が私だったりだけど、周りのおっさんおばさんの目を気にしていたら田舎で何も始まらないから。

町おこしが日本でいろいろあるけども、若い方が田舎に入って町おこし、人付き合いの面でなかなか大変だろうなあと思う。個人的には年配の人というのは親切であったりも多いけど、イベント的な物事をするときには、何で町おこしが必要なのかという問題と絡んで、なかなか難しいことが多いだろうと思う。中にも若い人材はもともと要るけど年功序列的なつながりがあって上下の構図ができあがっているからその体制維持が主目的になって衰退原因ともなっている。年配のものというのは、若い者を見下したりする分、行政とかには弱いから、行政の立場で若いものが動くと、容認しやすい。とかがあるだろうが、それ自体、田舎社会の駄目な構図を引きずっている。

120年ほど昔、林与の近江上布の世界も、父親が酒飲みで貧乏で若い頃から苦労したヨジヨモン爺さんにしろ、田舎の人間だったが、近江上布の織元を立ち上げ、近代の近江上布の名声を日本全国に轟かせるほどになった。林与の近江上布のアーカイブは、與一爺さんのときのものだけども、世界的な展示会に持っていってもこれほどのアーカイブはみたことがないと驚かれる方がほとんどで、布の世界の人を魅了できる力を持っている。田舎の人間がそんなことをできたのも、苦労を辞さないというあたりがあったからで、今の仕事が面倒とかの話とはまったく反対の世界。
2019年02月18日
ドロッパーの前にアゼ棒を入れるのとドロッパーの後ろにアゼ棒を入れるのでは意味合いが異なる。その意味の違いを知ってあぜ棒を使っている人というのは少ないだろう。あぜ棒入れると経験上、織りやすくなるという感覚てきなものでアゼ棒は使われていることが多い。ほかにも筬は普通2本通しで、1本通しでは駄目なのかという点や、整経の幅は織り幅と同じでいいのか、狭いほうが良いのか広いほうが良いのかという点とか、経験でその答えが分かる問題はいろいろとある。整経は強く巻き取らないといけない理由とか。なぜ、整経は山があってまっすぐに真上に撒かないで斜めに巻いて行くのかとか。織物の打ち込みを決めるギアの番号が番号の部分が欠けたりで分からないときにはどうすればよいのか、答えギアの頭の数を数えればよいとか。ギアの比率の書いた打ち込み表がないときには単に比率計算すればよいとか。ジャガード織機の構造はどうなっているのか、ドビーの構造はどうなっているのかとか。

いろいろと面白い雑学的なことが、正解的な答えであったりする。ミシンがどのメーカーのミシンも同じ形をしているのも究極的な形を求めて行った結果であろうし、自動車にしても法律で定められてはいるのだろうが、ある意味、究極的な原型として出来上がっているのである。今の形から大きく外れる形が、理想なモデルとして将来できあがることも無いだろう。キーボードもそうで、アルファベットの配列が順番じゃないのにそれが理想系だから世界的に使われて順番に並んだモデルは使い難くい。織物の織機にしても整経機にしても、どこも似たような構造と形なのは理想系だからだろう。知らないうちにそういう恩恵を受けているものである。それを変にデザインしたところで心地よくないのである。

また、人の体というのは何千回も作業をしているうちに慣れるもの。住めば都と同じことだろう。

2019年02月17日
学校で手織りを経験した人がなかなか工業生産に向かないのは分かる気がする。工業生産というのは均一性や再現性が大事であったりして、1点物をつくるのとは違うからつまらなさと難しさがある。プラス、負荷はサンプルなどの小ロット生産場合、手織りよりも高い。手織りなら1日あれば十分サンプルが出来上がったりするけども。同じものを工業生産しようとすると本数も多いので、1工程が手織りくらい時間掛かるし、基本、工業生産の場合、それ専門の方に任せるというのが普通のやり方になる。

林与のやり方は、その工業生産の工程すべてを一人ができるようになるやり方。産地でも森善さんは社長業や整経を含む工場内のすべての作業を一人でやられていて林与とものづくりが似ているなあと思っていたりしたが、あまりそういう工場は少ない。ほかに藤居織物さんも整経機ももっておられるので自分で整経しておられるだろう。自分で糸から織り上げまで、ひととおりできる人というのは産地でも数人いるかだろうし、他の産地でも少ないだろうとは思うが、丹後の組合さんの高齢の機屋さんたちはたぶん工場のなかのこと一人で全部できる方たちだろう。出会って作業の話すると仕事の範囲と力量というものはすぐに分かる。

染工場や加工工場まで一貫して生産している織物工場もあって、そういう工場だと林与以上に自由度は高いだろう。西脇だと東播さんとか、うらやましい限りであって全部自分でやりたいと思うばかりである。まあ、林与もインクジェットがほしいとか、電子ジャガードがほしいとか、ないものねだりしても仕方ないので、自分の持っている環境のなかでできることを最大限に生かせるように、守備範囲を広く、また深くこなしてみるのが一番現実的。会社には人が少ないのにミシンも何台かあるし、裁断もしようと思えば自分でやったり、できることは今のままでも十分に多いと思う。

現場の熟練の人などでも問題が起こって解決しても何が原因だったのか尋ねても隠したりする人も多い。そういう人からは早く離れたほうがよいだろう。社会性がなく、そういう人は人から情報を吸収することも少ないので、優越感に浸っておられても出来ないが多かったりする。仕事のことで問題に直面して原因を隠すとかはそれが本当の原因だったかとか、それを解決したときに他のところを触ってしまってほかの問題が起こってしまっていたりとかがありうることが多い。また、そういう人は本当にややっこしいのである。自分がいないと仕事ができないぞみたいな優越感に浸って実質仕事をする上でのボトルネックになってしまうタイプの人とはあまり関わらないほうが、仕事でその人が足を引っ張ったり、ボトルネックになる可能性を秘めているのでよいだろう。繊維業界の古いタイプの方というのはそういうので生きておられる方も多い。

別の話だが、昔、大手商社の海外支社の社長もされた方の話で、仕事を教えると仕事を取られるから絶対に部下に仕事を教えないというポリシーを持っておられる方があったが、典型的な大企業のサラリーマン社長で、すごくしょぼく感じた。一方で、そういう上司をもつ新任の部下は、自分が自分で仕事を生み出すという力を育むチャンスだったりする。なんでも聞いたら教えてもらえるとは思わないで自分で経験して答えを導き出すというのも大事だとは思う。分かっていて確認を求めるのは悪いことではないが、3度4度説明したことでも、自分が修得しないでその都度聞いてばかりいるタイプの人というのも成長がなく、いわれないととか準備してあげないと目の前のことを自分で進めようとしないとかも駄目で、聞いてどんどん前に仕事が進んでいくうちはいいが、聞くばかりで仕事を前に進めようとしないのは教えても意味がない。教える人は教えられる人以上に覚えてもらおうと必死だったりするもので、それが伝わらない相手とはものごとは難しいだろう。
2019年02月16日
シャトル織機を導入したのは10年以上前のストールブームのとき、出機さんにはシャトル織機があったが、見本がなかなか織ってもらえず、決断して織機の入れ替えを行った。浜松から10台の古いシャトル織機が会社に入ったが、電気が入ったのが10月15日で、11月の最初に展示会で60種類のストールが必要。2週間ほどしか時間がないけども10台あれば何とかなると思ってた。電気を入れて動かして10台のうちまともに動いたのはたった1台だけ、北浜ではいろんな織物が織れていた織機なのに、麻が織れない織機を入れてしまったのかと落胆した。それでも、見本は私自身2週間ほとんど寝ずに、他のものは交代制で、1台の調子良い織機は24時間回し30縦、他の織機で2縦づつで、なんとか納期に間に合った。

ところで、見本は出来ても林与本番はどうする?織れない織機の問題を解決するために、なぜその1台の織機が織れるのかを考えた。注意深く見るとその一台には一本棒が付いている。他の9台にはその棒はない。私もシャトル織機との付き合いはまだ2週間程度しかないが、なぜか、シャトル織機はよく理解ができた。この棒が、ドビーの開口と閉口のときの糸のテンション差を吸収するように動いている棒であることがなんとなく分かった。

職人さんに棒の件を聞いてみると必要ないので動かす前に外したという。固くてその1台だけ棒が取れなかったということのようだ。職人さんは別の工場で太い糸を織っておられた方だったので、太い糸はテンションを張って織るのが普通でテンション管理は必要なくその棒は鉄と鉄がきつく擦れるので磨耗して駄目になるから使っておられなかったようである。細い番手のリネン糸を織るにはテンション管理が必要で、その棒を取り付けると残りの9台も織れる様になった。1台だけが固くて外れなかったのが幸運で、その棒が必要であることに気がついたのも幸運。

また、別のときに2台のシャトル織機を導入した、その織機も持ち主だったおばあさんの話では入れてから20年一度も動かなかった織機だという。どおりで、私が買って設置してからも職人さんに長い間見てもらうがまったく織れなかった。私自身は織機は必ず動くと信じているので、動かす自身がある。織機を見始めて10分ほどで違和感に気がつき、金具が付いているけども、遊びが大きく、モーターからの動きがビームの送りのギアに正しく伝わっていない。だから縦糸が切れて切れて仕方ないのである。織機というものは動いて当然だと思われるけども、たいていは動かないのが当然でそれを正しく動くようにするのが私の仕事だったりする。

これは私の会社ではないが、シャトル織機を入れられて動かない話があって見に行ったら織れない。開口の高さが高すぎてシャトルの動きがスムーズじゃなく、調整ではこれ以上は無理な範囲。おかしい、おかしい、こんな織機はありえない。テンプルがないのが最初から気になっている。向こうであった部品は全部ついているということだったが、疑いは増してテンプルが付いていなかったかどうかを確認してもらうと、再塗装の際に外して別のところにテンプルがあったという。テンプルをつけて織ると綺麗に織れ始めた。

一つ部品がなかったり、一つ部品がうまく動いていないとそこを直さない限りは、その織機はまともに動かない。他のところを触ってしまうと織機がガタガタになるので、正しい動かない原因にたどり着くことが必要で、私はその原因にたどり着くのが案外上手それは織るときに織機や糸と話ができるから、織機の変な音や、音のタイミング、糸の強く張っているのとかを感じることができ違和感として感じることが出来る。他の人の何倍も経験して正しい感覚が身に付いているからだと思う。麻糸は切れやすいので、テンション管理やタイミング管理が大事で、それは番手や密度によって微調整が必要となってくる。

こういう経験を新しい人たちにもぜひ経験して乗り越えてもらいたい。3つの事例とも新しく中古の織機をいれて工場が潰れてしまうようなことはどこでも起こりうる。そういうのを乗り越えられないと仕事も終わってしまう。他のだれもできないときに自分が動いて解決しないと。中古の織機を買ってもだれも動くところまでの面倒はみられる人はいないもので自分自身が面倒をみられる人にならないと。

織物を作るときに、織物設計だけじゃなく、こういう織機の調整や修理の問題も織物をつくる作業のうち。織機をみることができないと織物をデザインできても織物を正しく織ることも出来ないのが今の日本の織物業界。織物をつくることのディープなところまで経験をしよう。織物で食べて行こうとするときに悪いことじゃない。出来る人が少ないからそういうのできる人が織物ができる人としてみなされる。

私もシャトル織機に関しても、初心者から始まっているの分かってもらえるだろう。勉強したわけでもないし、経験がそれほどあったわけでもないけども、問題に直面して、自分が考え問題を乗り越えることが当たり前で、この仕事が続いている。
2019年02月15日
教育が進むと繊維の現場仕事につく人というのは減って行くだろう。手先の器用さなどが要求され体力も必要だから、普通に白い生地を織るだけならそれほど負荷は大きくないけども、日本らしい小ロット多品種のものづくり、魅せるものづくりというのは、頭じゃなく、体を動かせるか動かせないかでできるできないが決まってくる。

学校には手織り機しかないのが問題の一つなんだろうと思う。動力織機が普通に動かせないと手織りで食べて行くというのは、なかなか難しい話だと思うのである。ある会社がキャパの問題で織れないということで弊社に仕事が回ってきたが、どう調節してもラメ糸の横糸切れとか使い切ったのを感知できないのでどうやって試織したのときくと、手で織ったと言うこと。学生さんのものづくりそのもので量産を考えずに凝ったものを作ってしまう。結局、一人の人間が1台の織機にずっと付いて横糸切れを見て量産。まったく成り立つ話でもないし、試作のときに量産の想定はしておくのが当たり前。素人のものづくりそのもので受けた側にダメージが来る。

手織りに関しては、林与にしても、昭和40年くらいまでは、村レベルの仕事として出機さんを100人近く抱えて、着物向けの近江上布を織ってもらっていた。着物の需要に関しても昔の良い物が京都で中古といいながらも新品に見えるものが5000円くらいで着物の状態で何百種類もあふれて出回っていたりして、新しくつくってという方はよほどこだわりを持っておられる方だけだろう。成人式や嫁入り道具の一つに着物、喪服というのも残ってはいるが唯一くらいの機会になって、茶道、古典芸能を中心とした世界の方々が最たる需要だろう。

学校で手織りを勉強しても特殊な織物を創作するが生かせる職場というのはあまりなく、自分で作家デビューするか、普通の織物工場に勤めて普通の仕事をメインにして創作的な織物は別バラでするしかないだろう。創作的な織物といっても、普通の織物も同じだけど、売れたとしても良いと思う人がいたらどこかで安いものがつくられ出回るので、そう長続きはしないので、次から次に売れる創作的な織物を生み出せないと、大手が真似して海外に撒いて似たようなものを作らせると生産規模からして太刀打ちできない。そもそも需要が少ないニッチェなのにそれが更に小規模で終わってしまうケースがほとんど。

先の量産の話に戻るがちゃんとした力織機で試織しないで手軽な手織りで試織すると量産で大変な話になる。創作的なものづくりをしようが、ちゃんと力織機に掛けて手織りよりも大変だろうけど、ちゃんと動くところまで確信持ってから受注を受けたほうが良い。でないと、量産のときに量産を全部手織りするのに近い手間が掛かる。創作的なものづくりも自分が片付けられればよいけど、ほかに片付けてもらうような形のものはよろしくない。

先日の企業説明会でも、現場の仕事は現実的で創作的ではない旨の話を学生の方にはさせていただいた。本人がやる気があれば、仕事が終わってから創作的な活動はやればよいだろうし、そのくらいの気持ちがなければ創作的な織物は生み出せない。どんな織物でも簡単に作れる力というのは創作的な織物を作る力と共通する。普段のつまらなく見える仕事にしても織物の基礎だから、それが簡単にこなせないようなら難しい織物をやろうとしても他のだれに期待できるわけでもなく、自分が作らないといけないのだ。

もちろん、林与でも、林与オリジナルの生地を会社として企画するとかもある。その場合には、自分が作った生地を売る力も必要で、つくって自己満足で終わっては長続きしない。創作的な生地よりも普通の平織りの生地のほうが需要が多い売りやすいというあたりも、織物の道で食べて行くときには当たり前に理解していないといけない現実だろうとは私自身考えている。

たぶん、私一人ならもし手織りに移行しても食べて行けるだろうけども、他の人に手伝ってもらって人数が増えたときに手織りで食べて行くというのは難しい気がする。私にとっても普通の仕事をして手織り別腹でやるしかないと考える。学校なんかでも、整経や力織機とかレピア織機、タイイングマシーンなどの使い方をマスターできるようなコースがあればよいんだろうと思う。多くの織物工場でもそういうのができる人材を探しているから。整経にしても教えてもらったのは半日で、力織機もレピアも使っているうちに慣れで、タイイングマシンも基本は数時間教えてもらうだけであとは実践。織物工場でもタイイングマシンなんかはあまり使える人がいないけども、使えるか使えないかでかなりできることが違う。米沢とかでは繋ぎ屋さんがいて、織物工場を回って縦糸を繋ぐだけの作業を工賃仕事でしているという。中国では縦つなぎがなく、整経のビームを機にへ通しして機を乗せる感じで作業が流れていた。

タイイングマシンでつなげないようなものは手で繋ぐ、林与だと、10秒で1本の1時間に360本くらいが食べて行ける行けないのボーダーラインか。他の織機を動かしながらなら、1時間200本から300本でもよいだろう。
2019年02月14日
同世代の元気のよい親しくしていただいていた方で別の織物の会社に勤められていた方が、毎日仕事がなくて暇で夕方5時になるまでボーッとしているといわれていたので、いろんな設備があるなら覚えていろいろやってみたらよいのにという提案をした。数人でそれぞれが分担して作業しているので、他の作業を自分が覚えてやってみるということはしないと。でもそれじゃあ、その人たちが辞めたらその現場ができなくなるし、覚えてできるようになっていたほうがよいよとアドバイス。結局、その方は会社を去られたということを聞いて、残念だけど仕方のないことなのかもなあと思った。

アパレル業界というのは、今の好景気の流れの中でも不況的であったりする。アパレル業界が元気でないと繊維業界もよくないのだが、麻関連は比較的トレンドとされているので人気は根強く悪くはない。景気の波よりも、自分自身がいろいろなもの新しいものを生み出す力があれば食べて行くことは難しくはないと思う。でも、一つの作業だけではそのやったことが生きないことが多い。新しいものをつくるでも一つの要素よりも2つ3つの要素をいろんな工程で掛け合わせて問題を解決しながら、いい感じのものを生み出してゆくのが、真似ものが出てきにくいものづくり。

私自身、部分的なものづくりよりも総合的なものづくりに興味を持っている。ものづくりだけでなく、つくったものを提案することにも。やることは一杯合っていつも忙しい、無理とそういう立場に自分を置き続けているからだろうけど、それでも時間あったら仕事をじっくりとしたいなあと思う。今も図案をつくったりしているけども、ほんと時間がなくってソフトの使い方もしっかり覚える間もなく結果を重視でドッタンパッタン。

新しいものができないからというのは守備範囲が狭いから、守備範囲を広げて行けば新しいものを作れる可能性は広がる。アパレルが不況なら、アパレル以外の小物や資材系、製品を展開すれば、縫製もやってみようとか。何十年もやっている人や会社が、他の領域に進出するのに抵抗があるというのが新卒の学生や新規の起業家にも負けてしまう辺り。量がまとまればプロに任せればよいのだ、でも、新しいものをやろうとするときに最初から専門のプロに任せると売れもしないものにつき合わされ見本倒れでは良好な関係を保つのは難しい。自分で試作して市場まである程度練っていけそうになったら量産で頼める形が良いだろう。サンプルの段階でもプロに任せて自由に変更とかできるのならそれもよい方法だろうし。

仕事がないまましないまま、成り立たない状況を長く続けてもそれはそれでよくない話でいつか終わりが来る話。できる仕事はできる限りやってみてそれでも駄目なら駄目だろうし、できることもやらないでやっても無駄だとか面倒だとかでは、現状を好転させてはいけないだろうし成長もせず、やるならやるで全力でやったらよいだろうと思う。どんどん限界が広がって行くものだから。実際に自分がやっているからそれが大事なんじゃないかと思う。新しいサンプル一つでもアイデアをいうのは自由で簡単でもそれを形にするにはお金も時間も掛かるし、それを自分がやるとその費用を回収するだけでなく、商売として正しく成り立たせるところまで考えることができるものだと思う。
2019年02月13日
タイトルのいろんなことをやったほうが得だと思うというのは、仕事なんかをやらないほうに逃げているといつの間にかできない人間になってしまっているということ。それが最初の1回をやらないと次に同じシチュエーションになったときにやるのかというと同じことでやらないだろうから、最初の1回にやってみることが凄く大事だと思う。仕事に就いたときから、私に仕事を教えてくれた方は働き者の方だったので他の人がやらないことをカバーしておられ会社の現場の仕事が回っていたと思う。

その方でも一つの作業を中心にされていて、織る作業はできなかった。織る作業ができないのは、たぶん、織る作業だけの人がいるから。織る作業だけの人というのは織ろうとすると、駄目駄目、やるから触るなという感じが多い。工場長をやってた私のおじさんもタバコがやまらない人で、末期は仕事の半分以上の時間、外でタバコを吸ってみたいな状態で、私がしかたなく自分で織機を修理したときにすごく私を叱ったりもしたし、織機のキズが直っていないのでちゃんと織機を見てほしいというと、いやなら明日から一人でやったらいいとかいうし。出機の方も、2ヶ月経っても見本を織れるところまで準備しても織ってくれないとかで織ったら、次の日に、勝手に触るないやなら自分で織れと電話があった。織物をつくるというのが何十年やっている人からしてもぜんぜん無理な状況が産地には普通にある。

私が仕事する気持ちが大事だというのはそういう経験からかもしれないが、仕事があっても仕事のチャンスがあってもやろうとしないではうまく行くはずもあるまい。何十年やってる人がまったく外の世界がみえていない。そういうのを割り切って、何十年の経験者でも仕事を理解するは難しいと悟って、自分自信が仕事を進めてゆくスタイルに変えていった。そういうのがものづくりよりも人間関係の問題。仕事に対する気持ちが違うとその溝は埋まり難いので衝突ばかりが起こるから離れる形で割り切ったほうがよいだろう。糸を巻くおじいさんは、自分で女工さんを抱えられていたので仕事できるありがたみというものを良く分かっておられ、80近いが今も仕事をお願いしている。

良い時代にはいろんな仕事意欲の人が混在していても成り立つが、今は百貨店には手ごろな値段で色とりどりのものがすでに並んでいる。日本でやるからには自分でよい仕事を生み出さないといけない一人ひとりの生み出す力が要求される時代。仕事意欲の高い人でないと小さな織物工場の中でものごとをこなして行くことは難しいだろう。60歳の人でも普通にやっている仕事なので、決して一つ一つの作業が難しいわけではないが、時代が異なると違う感覚と意欲が必要となってくる。その感覚や意欲は時代の流れに逆行しているかもしれないが、時代の流れに乗って織物が消え行くより、時代の流れに逆らってでも織物を織り続けるとかでもよいんじゃないかと思ってる。
2019年02月12日
私は織物の会社をやっているけども、織物をつくることが中心だけどそれ以外にも作業は多岐に渡る。ほかでは手に入らないと思えば自分で糸を見つけてきて糸を輸入することもあるし、生地も海外に輸出するのも商社でやるのと同じようなことだし、展示会のブースなんかも自前で装飾する。林与の冊子も自作で、ちょっと出来が甘いけど、業者に頼むと業者仕様の無味乾燥感が漂い、スタイリッシュではあるけど好きじゃない。

だいたいは誰かに任せたほうが時間も手間も省けてよいといわれるけど、織物を作る作業に比べるとそういう作業は簡単なことだったりする。自分でやると自分の表現がそのままできるというのが良いところで、他の人の制約が無いあたりがよい。単純な話、1文字でも間違って入稿したら後戻りできないとか。他人に頼むとできることもできなくなることが多いし、他の人に頼んで他の人が動いてやってくれれば良いけども、他の人にやってもらうためにすべての資料を用意するとかしていると、自分の動いている部分のほうが多すぎてのパターンも多い。

また、織物も色柄扱うデザイン的な仕事なので、パンフとかも自分でデザインして作れるくらいでないと駄目なんじゃないかと思えるところがある。器用さのあるところが私の特徴で、案外そこに救われていることは多い。生地の世界で織物屋さんじゃないけど、器用だなあと思える方の一人が、京都の棉生テキスタイルの馬渕さん。柿渋とか、プリントとか、超軟水とか、いろんなネタをもっておられて、キューピーのプリント生地を柿渋にして茶色に染まったシュールなキューピーのハギレを見たときには目指すところは違うのかもしれないが、クリエイティビティでは負けてしまったのではなかろうかと。

3年まで絶対にできないと思っていたおじいさんの頃の近江上布を絣で広幅で再現することも目処がついてきて、だいたいのことは気持ち持ってやればできるじゃないかと自分でやってみることにしている。十分な設備があればもっと簡単なのだろうけども、贅沢を言わずに出来る範囲で成り立たせてその後で設備を考えればよいと思う。誰もがやっていないことをやらないと本当に新しいものはできないのだから、正しい答えというのは自分がやってうまくできたらそれが正しい答えでしかない。試行錯誤の中でうまく行く方法を見つけ出してその道の一番の専門家になることが大事。やってみて駄目だったらなぜ駄目だったのかを考え問題点を解決できる、別の方法を考えるしかない。自分で失敗なんかも経験すると正しい方法がなぜ正しい方法なのか分かるし。
2019年02月11日
昨日の合同会社説明会で大阪から上田安子服飾専門学校の学生の方がパリコレ向けに自分がデザインした林与のリネンで作った洋服を来て見せに来てくれたこと。その洋服もパリの展示会で売れたという。

普通、学校の課題としてやってて終わるだけでなく、自分で作った洋服を見せるために夜行バスにのって友達と二人で東京まで来てくれた。なにかものごとをやるときに気持ちが大事で、林与に自分の作った洋服を見せるために自分のお金を時間を使って東京まで会いに来てくれるとか。林与の仕事に対する意気込みみたいなものと似ているところがあってサプライズで嬉しい話。

林与に見学に来た学生さんたちが現場や林与の話を聞いて引いてしまわれているんじゃないかと心配するところもありましたがちょっと安心です。これから日本の繊維業界を盛り上げて行くのは、実際に動ける一人一人の力だろうと思うので、ワンパクでもいいたくましく育って欲しい丸大ハム。
2019年02月10日
今日は日帰りで糸編主催の合同企業説明会に参加させてもらいました、林与が新しい働き手を探すためで、ガッツのある方の出会いを求めて。

糸編の宮浦さんとは仲良くしてもらっていて、他の出展の地域の方や企業さんとも仲良くなれました。どこも同じように人材の募集には力を入れられていて、すごく魅力的な環境を用意して受け入れを考えておられる。

林与の環境というのは普通とは違う気合いで乗りきって行く世界なのですが、そういうのも主催の方が受け入れてくださり、林与は本気で仕事するにはよい会社だと応援くださいました。奥田染工の奥田社長も学生には林与がお薦めということで可愛い子には旅をさせよの親心でしょうか、ありがたい応援です。

就職活動中の学生の皆さんともお話しできましたし、嬉しいこともありました。糸編の身内筋の方との面談というより懇談もありで、最後の方は、日本の織物の歴史を話している辺りで終了の時間となり、新幹線で戻りました。

普通以上の体力、気力、根気の必要な仕事ですが、なれれば60歳70歳のお婆さんたちがやっている世界なのですが若い人たちに出来ないことはないですが、目の前の仕事を確実にこなして行く覚悟がないと苦痛でしかないだろうなあと思えます。

繊維関連産業全般的の企業が集まった募集なので、織物以外の職種の希望のかたも会場にはたくさんおられました。織物というのは注文を受けて作ることが多いので、注文する側のアパレルさんや問屋さんの感覚とは異なって自分が受けて作っていく側なのです。テキスタイルメーカーというと自分で生地を開発することもありますが、多くの場合は、お客様の要望を生地にして行く作業で責任感の世界です。

そういうお客様の要望される布を産み出せる力は地力みたいなもので、自分が布を自分のアイデアで作る時の基礎力となるので、そういう仕事をこなせるのも実力のうちだと思うのです。
2019年02月06日
仕事できる人と仕事できない人の差は、一つ作業をしてもらうと分かることが多い。今までもいろんな方が織物をしたいと来てくださったけども、課題ひとつ乗り越えられない人も多く、そういう人というのは最初の1日の仕事が成り立たない。10年以上昔、進路指導の先生が生徒さんといっしょに来てくれて、就職のための工場見学で、縦繋ぎを見せて体験してもらおうと丁寧に教えるが、その学生さんはできないと諦める。先生も、最初できないのは当たり前よね、という感じ。

教育ってなんなんだろうと思う瞬間。丁寧に教えようとしている途中で諦めてしまう。先生もそれに同調してしまう。100人に教えて、99人ができて、できなかった最初の1人。先生もついていてできないが当たり前で終わってしまう。先生もいっしょになって縦繋ぎを覚えてできるようにならないと駄目なのだけど先生が覚えようとしていない。先生が他人事で聞いている。先生からして、他人事で社会性がないのであろう、目の前に学生のために一生懸命教えようとしている人がいるのに。

大手の企業の現場の仕事で、動くのも早足でないといけないから、あそこは駄目な会社だと生徒の前で言ってたり。働く時間も待遇良い会社なんだから別に普通とくらべて悪いこともないのに、先生が先生で怠けたこと考えているから生徒までも駄目にしてしまう。その先生でも、私の感覚からすれば自分に優しく人に厳しいタイプに思えた。良い待遇を人に求めているのに出来ないのが当たり前みたいな、まわりがそういう人の片づけをしないといけない。学校が当たり前に大人社会に受け入れられるように教育しないなら、企業が先生の代わりにその人を教育することになる。甘く育てることは責任逃れで簡単だけど、本人のことを思って厳しく育てることはぶつかることもあって難しい。甘く育てたら育てたなりに、先生が将来、その生徒を雇ってあげるか、自分の給料を上げて食べさせてあげればよいのだろうけどそんな覚悟もないい。その子を支える覚悟のないひとが育ててしまってる。

コンビニでバイトもしているというのでりっぱだねえと私は感心もするが、先生が、お正月も休めないし、福利厚生もないからと。先生がアルバイトながらせっかくちゃんと働いている職場のことを悪く言ってしまわれている。誰もが先生のように休みもたくさんあってじゃない現実も教えないと、その生徒の実力を考えたり、現実の厳しさを教えないと。学生のアルバイト以下の感覚で待遇のよい就職先を探そうとしても先生それは受け入れ先は少なくなるのも当たり前。生徒さんがというより進路指導の先生が駄目な話。