for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2019年7月
2019年7月
リネン日記:6
2019年07月31日
今日は補助金申請の締め切り日で、今回の補助金は商工会の方にドラフトを作ってもらって商工会を通じて提出してもらうタイプ。以前、別の商工会で面識のあった方が愛知川商工会に来られて担当してくださって、今までとは違うプロジェクト経験の豊富な方でフットワークが素晴らしい。あれ駄目、これ駄目のタイプではなくて、まだ大丈夫、まだ間に合うのタイプの方で、あと数時間あれば今からでもなんとかなるからやってみましょうタイプ。

今回は、池の水こととか、ミナミヌマエビのこととか、地球環境とか、世の中に足りないものというか、世の中が必要としているものが何なのかを考え、自分の今までの経験と得意としてできそうな新しい分野が何なのか、を総合してテーマを考えた。新しいアパレル生地をつくって展示会で売るとかとは違う話で、機能性を考えた資材系の取り組みで、織るだけでなく縫製とそのほかの要素との組み合わせで一つの商品となり、麻素材は一つの部品に過ぎないが、一番要となる部分。

最終日の消印で郵送が完了してくださって、採択の結果は1か月後。通らなくても自分でやってみようと思っているテーマなので、それに今回の補助金をマッチしたということだが、商工会の方がはっぱを掛けてくださったので、漠然と思っていたことが具体的な話につながってゆきそう。2年間使っていたノートパソコンが、熱暴走も絡んでハードディスクが昇天してしまったようで立ち上がらない不幸もあって、時間がないなか、予備のパソコンを立ち上げて使えるようにして補助金の書類も結局最終日の朝から取り掛かり3時間ほどで作りあがった。

私自身、計画に時間を使うよりも実践の中で失敗もしながら形にしてゆくタイプ。一つのものを作り上げるのに遠回りをすることも多く、経験値が高くなり、悪くないスタイルだろうと思う。先日、ある服飾の専門学校で講師もしておられる方とお話ししたときに、卒業生が就職してもすぐにやめてしまうという問題があるという。その理由が、自分の好きなことをやるために会社に入ったのに好きなことができない、ということ。私が自分がやろうとしていることにしても、普通の仕事をやって週末なんかも仕事してて、社会問題的なこと、身の回りの問題、自分の問題を解決するために何ができるのかを考える。そして、考えるだけでなく、試行錯誤の実行モードに移してお金もダメ元でいろいろ材料買って試してみて手ごたえをつかむ。

田舎の昔の人というのはこんな感じで、身の回りのものをほとんど自分で作り上げるのが普通。今の時代、ものがあふれていて手に入りやすく道具も手に入るのだから、自分が作ってみるというのも昔以上に簡単なはずだが、ほとんどの人が出来上がった製品を探す。自分が作ればそれを使うお客さんじゃなくてそれを作って販売するメーカーになれ、可能性は広がる。ものづくりの仕事で立ってゆく、基本の考え方だろうと思う。
2019年07月22日
今朝は、そばの種まきの日。朝から雨で7時に現地にいくも中止になったようで、夏祭りの子供会への案内とバザーのチケットを子ども会の役員のお宅に届ける。どうやらそばの種まきは中止になった模様。
2019年07月16日
仕事をしていて思うのが、ものごとって企画が良いとか悪いとかじゃなく、それをやる人によって同じ企画でも結果が異なるということになる。人が違うとつくる企画も変わってくるだろうけど、同じ企画でスタートしてもやる人によって結果は変わってくる。

何が大事なのかと考えるときに、難しいことでも諦めずに続けることが大事なんだろうと思う。そのときに続けるためには、ものごとを続けられる人と取り組むということ。続けられない人と取り組もうとすると続けている人の負担になってくる。

やりたいことはいっぱいあっても、やっている人でもやりたいことを我慢していることは多いのに、他の成功事例をみてこうすればよいみたいな安直なタイプだとそれを提案するその人がなぜそれを自分がやっていないのかという問題。

若い世代の子が産地のものづくりが問題だと感じることも多いだろう。それはそれでよいが、それを自分で超えて行くような動きをしないと難しいのだろうけど、アイデアはいろいろ出ても現実的なそれをする人がいないという問題を自分自身が解決しないと問題解決にはならないだろう。

実際にやってみて見えてくることが多くある。1日の作業も経験しない人が外から視てアーダコーダ言っているのが産地のものづくりの本質的な問題だろうと思う。そういうアドバイスが逆に本質的な問題を見失う原因になっていることがほとんどだろう。

成功に向かおうとするタイプの人でないとものごとはやらないほうがましかもしれないと思うことも多い。仕事というのが見えないと仕事が難しいということもあるだろう。目の前にやることがあってそれはチャンスなのだが、それが嫌で苦痛な仕事だけにしか思えない人だと無理やりする必要もないだろう。そういうやるかやらないかの迷いがあるうちはやっても食べてゆけるような話でもない。その道で迷いも無く取り組んでいる人のほうが実際の経験もあるし上手だからそれを越えていかないと残れないのは当たり前に思える。
2019年07月14日
新しい水槽を立ち上げてから3週間くらいにはなるだろう、十分くらいにたくさんいる卵をもっている母エビでも、ヌマエビの一匹も孵化せずに水質的になにが悪いのだろうといろいろと心配をしていた。

ようやく数匹、水槽の底の周辺に見つかる。親エビもそろそろ水槽にも慣れて落ち着いてきてくれたのだろう。全長2mmほどの小さな赤ちゃんヌマエビ。問題が解けた気分でうれしい。一番簡単だといわれるヌマエビの飼育が自分にとってこれほど難しいとは思いもしなかった。大規模にスターとしすぎたのが原因だろうか。

今日は朝から繊維の学校の方が来られお話、作業工程を案内するも機械を動かすのに右肩がうまく動かないが、右肩全体が凝った感じは残っているが痛みなんかはかなり落ち着いてきた。整経の作業などを少しづつだが進める、回復基調にはある。
2019年07月12日
ミナミヌマエビは1年の命。人間の一生100年が、小さな水槽の中で観察できる。まさにこれこそが、宗教の世界そのもので、地獄の沙汰も金次第とは違う世界がそこにはある。一緒に泳いでいた仲間が死ぬ、それを弔うように共食いしてすべてが回る。仲間が脱皮で苦しんでいたら助けているのが見える、仲間の人生を片付ける。

ミナミヌマエビも実際は共食いなんてしたくないだろうけども、共食いというのは仲間の背負ったエビ人生をすべて綺麗に片付けてあげる弔いの仕事。たぶん、エビの餌を上げているうちに弔いの共食いの義は無くなってしまうのだろうと思う。

方丈記の世界も、水槽のミナミヌマエビの世界と被る。弱ったエビを仲間が助けようとしているのは人間の世界を超えている。エビのえさを上げても横取りするエビは本当に少ない、人間はどうか横取りばかりか、既得権益みたいなものができあがっていて、みんなに平等すらにも渡らない。

それがオーガニックの世界でもおこって、営利目的の企業がオーガニックの世界を仕切っては駄目で、第三者機関というのはまさに偽装なオーガニックが世界的なオーガニックのスタンダード。爺婆の面倒な世界が、エシカルを謳うオーガニックの世界スタンダードでは笑うしかない。わかる人にはわかる現実のオーガニックの世界。
2019年07月11日
今日は雨が続いている。昼前まで補助金申請案件のテーマのことを考えていたほか、もろもろの件でバタバタ、午後からお客様、そのあと京都の大学で講師しておられる方から2年ぶりくらいに電話をもらって知り合いの先生が白絣っぽいものを探されているということ。結局、林与に残っているのは50くらい昔の本麻の数反しかなく、林与の記録として残しておかないといけない分だけ。手ごろなもので定期的に入るようなものがよいということで綿麻とか綿のものなら手軽な値段でネットで見たことがある気がしたので、そういう情報をご紹介した。

白絣はマンガン染、もう今はつくることは基本できないという形。別の似た方法だと似たようなものが作れるはずなのだが、今の時代、着物の生地が何百匹もそれなりの値段で流れることはないので、技法としてはセカンドベストなものが出来てもそれを何百疋作ってコストを落としたとしても成り立つかは別問題で難しいだろう。最初に見本が1匹欲しいとか言われることが多いので、企画だけでは最初の見本を作る100万円とか費用も掛かり時間もリスクもあるが、卵が先か鶏が先かの話になる。卸業者を当てにしていては、見本をつくったけど、実際には、話が流れたり、最初100疋でよいとか、いわれるのがよくあるパターン。実際の企画や卸業者の機能も包括しないと仕事しても振り回されて成り立たないことが多い。

右腕が上がり難いのが続いていて、右腕でものを持つのも力が足りないことが多い。これも放っておくうちに治るのだろうけども、強制的に鉄棒にぶら下がって痛いのを乗り越えるとかすれば治るか、あるいはポキンといってしまうのか。ずれているんだろう。

飼っているミナミヌマエビの水槽もにごり始めたので、もう一つ水槽を昨日立ち上げて抱卵個体を移した。ミナミヌマエビを飼うのが目的ではなく、水のろ過についての全般的な考察をすることが目的。この濁った状態というのはろ過し続けていても濁るので、水替えしかないというか水替えが一番の結論。濁るときにPhが、アルカリに傾き上がるとミナミヌマエビが死んでしまうとか、Ph6.8くらいの弱酸性状態がベストであることなど、ろ過だけで無く、バイオトープとして動物だけでなく土や植物などの生命環境が維持されないと水をろ過機能だけでは綺麗に保つことも難しい。

そろそろ村の池の問題も自分なりの答えが見えてきた気がして、極端に濁った場合には水を入れ替えるしかない。そのためには綺麗な水を入れる方法が必要で、濁った水をろ過して入れるよりは、ポンプで地下水をくみ上げて解決する方法が一番簡単だろう。新たにポンプを設置すると維持も問題が起こると大変なので、既存のポンプを許可をもらいある程度の費用を払う形で使わせてもらうのが一番よい方法ではないのかと思う。

今日、池も久しぶりに確認したら、水は澄んでいて、やはり、6月くらいまで田んぼの泥水が流れ込むのが基本的には濁りの原因であるのだろう。藻みたいなものも2ヶ月ほど前みたときには底にたまっていたがそれはなくなっていた。どうやって?2番目の小さな池は、泥がたまった状態。1週間に一度くらい1時間ほど思い切り、ポンプで地下水くみ上げ勢いよく地下水を流してあげるのが一番簡単な解決方法には違いない。

あと鯉の餌代の問題もあろう。安い餌を探せば1ヶ月2000円程度で済むのではないだろうか、ポンプの借用代金と含め年間5万円ほどの話ですまないだろうか。もうひとつ問題は、最終的に池のままにしておくのかグランドに戻す話になるのか。10年、20年あとに備えて積み立てを毎年10万づつ位しておき、鯉の面倒が見られないときには元に戻す話も検討をできるように費用面で用意しておかないとならないだろう。原発問題や太陽光問題も片付けるのが大きな話なのであるのと似ていて、片付けられないとアスベストやPCB問題以上の放射能やカドミウム問題を次の世代が背負わないとならない。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

これは、オーガニックの世界にもいえる話。オーガニックの世界が、行きはよいよい帰り倭怖いのとおりゃんせな世界なのが怖い話。