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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年9月
リネン日記:21
2019年09月01日
田舎でも空き家の問題はややこしい問題である。戦後の日本は土地神話みたいなものがあって、土地というものは上がってゆく資産であるという考え方があったが、今は逆の維持してゆくのに費用も掛かりマイナスの存在。商売も成り立たちにくい田舎では商店街なども壊滅状態になってしまっていて、集落の人も出てゆく一方で、歯止めを掛けるような策が必要なのであろうが、行事など負担ばかりが増えてゆき対応しきれないことも多い。

その縮図的なものが繊維業界で繊維業界も担い手は少ない。若い人たちが昔ながらの部分と離れて自分たちで立ち上げる繊維の仕事みたいなところは、過去とのしがらみがないので日本の繊維の一角をつくりながらも古く成り立ちにくい慣習みたいなものとは無縁なので成り立ちやすい。日本の繊維は普通にやっていると傾いて行くのが普通の流れなのでそれを新しいことをやって継続させてゆく必要があるのだろうけども、なかなか昔の変われない人がやっていても傾くがまま。田舎の空き店舗や空き家問題と共通する問題で、傾く流れを生み出している考え方の部分、対応してゆくのかそのままの流れで行くのかで方向性は来まるだろう。

人数が多いうちに新しい方向性のようなものに対応できるとよいのだろうが、そのままの流れでいって人も少ない状況でどうしようもなくなってから180度の方向転換とか、そういうときになってもう時代が違うという言葉が出てくるのだろうけど遅きに徹する。固定的な概念をもってしまって変われなくなるだけでなく、そういう固定的な概念を強要するような状態で、過疎化の問題が進行する。

空き家問題なんかでもうまく解決してゆかないとならない部分があるだろう。古い考え方ひとつで家を代々継ぐような発想してたらうまく行かないことのほうが多くなってくる。柔軟に対応すれば若い世代の人でも田舎に入りやすいが、入った人間を自分の子供以上に締め付けて物事強いるようなやり方では気の毒だわなあ。田舎の爺さん、許容力がなく、ほんとどうしようもないのいるから駄目なのは変わらないんだから関係しないほうがよい。年が下でも、言いなりになっていないで、おかしなことにはおかしいということは過疎化をふせぐためにも大事だろう。結局、行き当たったあとの大きな後片付けは次の世代がするのだから。